2-9:みにくいアヒルの子
そして今日もステラは怒鳴られている。内容は主に、要領が悪い、だ。
「……お茶がしぶいんだけど。あなた、お茶もいれたことないの?」
「も、申し訳ございません、殿下!」
フェルリータはコーヒーの方が馴染み深い地域だ。紅茶はアンセルミの指導の元、絶賛特訓中である。溜息をつく姿すら可憐だが、桜色の唇から出る言葉は常にトゲトゲしい。
「散歩、してくる」
そう言って姫君は出て行こうとして、扉の前の近衛兵に止められた。
「お一人での外出はお辞めください」
「なんでよ! わたしがわたしの部屋から出るのは勝手でしょ!」
「我々も付いて参りますが、侍女の方をお付け下さい」
近衛兵では女性が入る区域、手洗いや更衣室に入れないことがあるからである。
「……あのどんくさい侍女を、連れていけってこと?」
「左様でございます」
近衛兵にとっては、多少どんくさかろうが女性であれば構わないのだ。姫君は不機嫌を隠そうともせず、ダンダンダンとその場で地団駄を踏んだが近衛兵は譲らない。
「……そこの侍女」
「は、はい!」
「さっさと付いて来なさい」
「はい!」
ドスドスと進む姫君の後をステラと近衛兵が追う。もう一人の近衛兵がティーセットを片付けるべく、人を呼んでいるのが見えた。
姫君が向かったのは、本宮の庭だった。こちらは花は少ないが、刈り込まれた植木と噴水が美しい。いくつかの東屋も設置されており、訪れた人がそれぞれに談話しているのが見えた。
姫君が向かうのはどこなのかステラには分からない。近衛兵と時折顔を見合わせながら、煌めく髪と黒いドレスの背を追うだけである。ステラよりも背の高い生垣は迷路のようだ、はぐれたら間違いなく戻れない。
「あら、ルーチェ様ではございませんこと?」
そんな声がしたのは、庭を歩くこと十分もしない頃だった。
先頭を行く姫君に声を掛けたのは、紺のドレスに銀のサッシュ、誰かの侍女だ。
「ルーチェ様、こちらの東屋はグローリア様が使っていらっしゃいます」
グローリア様というと姫君の腹違いの姉上のはず、とステラは脳内でメモをめくる。
「そう……」
それだけを言って姫君が踵を返そうとしたとき、東屋から玲瓏な声がした。
「ルーチェがそこに居るのですか」
「グローリア様、わざわざご足労頂かなくとも……!」
ワラワラと出てきた侍女は五人。
その中央に立つ人は、黒百合の精霊のようだった。白磁の頬、黄金の双眸、腹違いの妹との違いはその髪だ。王家の貴色は黒と金、その理由をステラは知った。絹の様に真っすぐな黒髪は優美に結い上げられ、光に透けて輝いている。
ルーチェ様が華やかなスピネルなら、グローリア様は玲瓏なブラックダイヤだ。王家の方々は皆様こんなにも美しいのか、と庭園にも関わらず妖精界に迷い込んだような心地にステラはなった。
「……グローリア、お姉様……」
姫君は姉と会ったというのに俯いている。伏せた頭に、静かな声が掛けられた。
「ルーチェ、勉学はきちんと努めていますか?」
「はい」
「楽器は上達しましたか?」
「はい」
「…今度聞かせて欲しいものですね。アンセルミを困らせていませんか?」
「……はい」
「……侍女が辞めたと聞きましたが」
「あれは……!」
「あれは?」
「……なんでも、ありません」
幾つかの問答はおよそ姉妹の会話ではなく、面接か詰問のようだった。ステラとアウローラの会話とは似ても似つかない。これが王族の普通なのだろうか。
「……そう。これからも励みなさい」
「はい……」
ペコリとお辞儀をして、姫君が東屋に背を向ける。その背を追ったステラの耳に、侍女たちがヒソヒソと囁く声が届いた。
(あいかわらず扱いにくい姫君、グローリア様とは大違い)
(いつ見ても不細工だこと、あの髪色もみっともないったら)
(さっさと外に嫁がせてしまえばよろしいのに)
ヒッ、とステラは肩を跳ねさせた。それはステラが今まで遭遇したことのない、純然たる悪意だった。恐ろしいことにそれはステラではなく、すぐ前を行く姫君の耳に届かせようとする言葉だった。
ステラは身構えたが姫君は爆発しなかった。結局誰にも会わず、無言で部屋に戻った。
そして部屋に戻り扉を閉めるなり、姫君は爆発した。履いていた靴を壁に投げつけ、本棚の本を床にぶちまけ、枕を何度も何度も羽が出るまで叩き続けた。
「あつかいにくくて悪かったわね! なにが、お姉様と大違いよ!」
「で、殿下……!」
「ぶさいくって、なによ! 意味は分からなくても馬鹿にしてることは分かるんだから! 馬鹿にして! 馬鹿にして!」
黄金の目からボロボロと大粒の涙が落ちる。朝にアンセルミ侍女長が結った髪を、小さな手がグシャグシャに掻き乱した。
「私だってお姉様やお兄様みたいな髪がよかった! 黒い髪がよかった! こんな髪、大っ嫌い!!」
うええ、うええ、と顔を真っ赤にして怒りながら泣く姫君に、ステラは慌ててタオルを手に駆け寄った。
「あ、あなただって、こんな髪を結いたくないって馬鹿にしてるんでしょ! この前入った侍女も、ちょっと続いた侍女もそう言ってた! わたし、知ってる! 知ってるんだから!!」
新人はシルヴィアで、ちょっと続いた侍女は異動希望を出した侍女か。
泣きすぎてゲホゲホとえづく背を撫でる。黒いドレスに覆われた背中は、小さかった。
姫君は十二歳だった。踵の高い靴は投げ捨てられている。並んで立ってみれば、背丈はステラの腰より少し高いくらいで、平均よりも小さい。
タオルを差し出したステラの手は、小さな手に叩き落された。
「……出てって。お姉様でもお兄様でも、好きなところに行きなさいよ」
「……私は」
ステラは床に膝をついた。そうすると顔の高さが同じになって、涙でぐしゃぐしゃになった顔も、諦めと悔しさに濡れた黄金の目も良く見えた。
「私は、殿下を美しいと思ったのです」
「……ええ、グローリアお姉様は、お美しいわ」
そう言って姫君は笑う。およそ子供の笑い方ではない、乾いた、人生に疲れた老人のような笑い方だった。
「いいえ。私は、ルーチェ様をお美しいと思ったのです」
姫君が胡乱な顔をした。こいつは何を言っているのだ、という顔だ。
「初めてお目通りしたときに、薔薇の妖精のようだと思いました。ルーチェ様の髪は、とてもとても綺麗です。……スピネルをご存じですか?」
「……すぴねる?」
「はい、宝石の名前です。赤紫色で、光を浴びて金色に光って、まるでスピネルのようだと思いました」
「この髪を……みっともないって、言わないの?」
「私はフェルリータの商家出身です、家業は宝飾店です。私には、ルーチェ様のスピネルのような髪も、グローリア様のブラックダイヤのような髪も、どちらも同じように美しく見えました」
ステラは基本的に人見知りだ。笑顔も上手ではないし、初対面の相手と親しい空気を作るセールストークも下手だ。ただ、ステラがまともに、噛まずに話せることが一つだけある。
商品説明だ。
「同じ……?」
姫君が呆然と呟いた。
「……同じじゃないわ。きっと、値段が違うもの」
聡い姫君だと、ステラは思う。
「では、値段は何によって決まるかご存じでしょうか」
「知ってるわ。取れる場所の遠さと、欲しい人がたくさん居るかどうかよ」
本当に聡い姫君だ。需要と供給で市場価値が決まることを、この歳で学んでいる。
「その通りです。……不細工、という言葉は『細工が上手に出来なかった』という意味だと職人である父から聞きました。それがいつの間にか『顔が醜い』と、人を悪し様に言う言葉になったそうです。職人の恥だと、言ってました」
「……いつもいつも言われたの、わたしはぶさいくだって」
そういう意味だったの、と金色の目からまた涙が溢れた。この姫君は、歯を食いしばりながら泣くのだ。
「父は怒ってました。細工と関係ないだろう、そもそも人様の顔を勝手に評価した上に罵るな、って」
「……」
扉の外に居た近衛兵が、新しいタオルを差し入れてくれた。受け取って姫君に差し出したタオルは、今度は叩き落とされなかった。
「値段は石の流通や細工の良し悪しで決まります。ですが、それはあくまで店側が販売値段を決めているのであって、石そのものの良し悪しが決まるものではないのです。少なくともミネルヴィーノ宝飾店では、石そのものに貴賤は無いと思っています」
「……口が上手ね」
聡い姫君は、ステラの言葉ではごまかされてくれなかった。けれど。
「……ねえ、あなたは、スピネルが好き?」
「大好きです!!!」
孤独な姫君の問いに、ステラは全力で頷いた。
「スピネルは本当に綺麗なんです! 今度宝飾室からお持ちしたら、身につけて頂けますか⁉︎ 絶対にお似合いの首飾りと髪飾りがあるんです!」
「……」
熱弁するステラに姫君がたじろいで肩を下ろし、そしてゆっくりとドレッサーの椅子に座った。
「わかった、わかったから。……お茶をいれて、髪を直して」
今、お茶をいれて、髪を直してと言ったのか。ステラはガクガクと首がもげる勢い頷いて、まずは扉の外にお茶の用意を頼んで、それから姫君の後ろに立った。
恐る恐る触れたスピネルの髪は細くて柔らかい。ぐしゃぐしゃになった部分を丁寧に解いていく。
「ありがとうございます、実はずっと御髪を触ってみたかったのです」
「……変な人。ねえ、あなた、名前はなんと言うの」
「ミネルヴィーノです。ステラ・ミネルヴィーノと申します、殿下」
香油を付けてまとめて、左右に分けて編んでいく。キラキラと光に透ける髪にステラは夢心地だ。
「そう。その……この前は、ひどいことを言って、ごめんなさい」
「……⁉︎」
姫君に謝られることが何かあっただろうか。少し考えて、それがブサイクと言われたことだと思いあたった。お気になさらずと首を振って笑う。
編んだ三つ編みを真ん中でまとめてお団子にした。
「できました! ど、どうでしょうか…」
後頭部確認用の手鏡を渡す。
「……ダサっ! 町娘みたいじゃない!」
「ですよね! すみません!」
フェルリータの若い女子に、定番の髪型である。
「…でもまあ、悪くないから、今日はこれでいいわ。……次はもっとオシャレな髪にするように」
次、次と姫君は言ったのか。それはつまり。
「……はい! 頑張ります!!」




