2-8:第二王女殿下
「ミネルヴィーノ、明日は第二王女殿下の宮へ参ります。準備をしておきなさい」
夕食のトマトパスタを巻いていたフォークが止まる。その話は本気だったのかと、ステラは慌てて立ち上がって侍女長に礼をした。
「あの、アンセルミ侍女長様、……本当に私が参るのですか」
「……私は冗談は申しません。明日の朝食後です、良いですね」
「はい……」
つい賃上げに釣られて返事をしたものの、そこから半月ほど音沙汰が無かったので、無かったことになったのだと思っていた。そして無かったことになったのならそれはそれで良かったのに、とステラは落ち込んだ。
「えっ、なに今の? ステラが侍女になるの?」
一緒に夕飯をとっていたのは、最近仲良くなったカーラだ。カーラとは実は初日に給湯室で会っている。借りていたタオルと石鹸を返した時に歳も同じことが分かり、そこから少しずつ会話を始めて今に至る。
「うん、ううん…? 今いる侍女さんが休暇を取るときだけ、代理になる、の、かな?」
ステラは、ハイなのかイイエなのか良く分からない返事をした。ステラにもよく分からない。
「何それいいなあー! ああ、でもルーチェ様の侍女かぁー」
「カーラはルーチェ様を知ってます?」
「知ってるってほどじゃないけど」
まあ城内に居れば見掛ける機会はたまにあるよ、とカーラは答えてくれた。カーラはステラと同い歳だが王都の中等部を卒業してすぐに王城に勤めており、ステラにとっては先輩だ。
夕食を再開しながら取り止めもなく話を聞くことにした。今日の食堂のメニューは白身魚のトマトパスタと、定番の豆のスープである。
「ルーチェ様ってどんな方ですか?」
「マジ、ワガママ」
「えええ……」
冒頭から不穏である。
「仕方ないと言えば仕方ないんだけどねー。異母姉のグローリア様と十も離れてて、久しぶりの姫君で甘やかされてるみたいだし」
カーラの情報によると、ルーチェ様は御歳十二歳。母君はヴィーテ出身の妃殿下で、兄妹は兄君が第二王子。兄君は二十歳でこちらもルーチェ様とは八つ離れている。
ステラにとって妹とは自分より優秀でもかわいいものなので、歳の離れた末の姫君なんてそれはかわいくてかわいくて仕方がないだろうとステラは頷いた。
「国王陛下には、妃殿下がお二人。……ですよね?」
「そう、北方のローレ出身のお妃様と、南方のヴィーテ出身のお妃様。ホントに知らなかったんだ」
「うう……不甲斐ない」
王城にフェルリータ出身は少ない、というか会ったことがない。知らず、政治にも王族にも疎く育っていたらしいステラは現在、常識の齟齬を埋めようと必死である。フェルリータから持参したメモ帳は日々凄まじい勢いで埋まっている。
「ヴィーテ出身のお妃様がルーチェ様のお母様。だからルーチェ・カルダノ様は、ルーチェ・ヴィーテ・カルダノ様が正式名称。名と家名の間に母方の出身が入るの」
「わぁー……」
南のヴィーテを治めるヴィーテ家の名前が入るわけだ。いつか地元に帰ったらエリデに聞きたいことがまた増えてしまった。
「王国の東西南北の四大都市くらいは分かる?」
「はい。東にパレルモ、西がここ王都カルダノ、南にヴィーテ、北にローレ、で合ってますか?」
はい、と言いつつ、手元のメモを見直してステラは答えた。東西南北の中央にフェルリータはあるが、フェルリータは政治にも王族にも無関心無干渉の都市である。
「ヨロシイ。国王陛下の母君は東のパレルモ出身なの、だから南北からお妃様を娶ったのよね」
「なるほど」
「で、ルーチェ様なんだけど、お兄様方ともお姉様とも歳が離れててワガママ放題。辞めちゃったシルヴィアも髪をといてるときに櫛を投げつけられたって」
「……」
外聞的には、シルヴィア・イラーリオは王城での仕事が性に合わず地元に帰ったことになっている。
「……あ、カーラがルーチェ様を見掛けたときってどんなときです?」
「んー、お庭の東屋にお茶菓子を届けた時かなあ。あと、本宮の厨房で働いてる子に、すっごい好き嫌い激しくて作り直してって言われた、って聞いた。腹立つぅー!」
カーラの職場は厨房である。主に軍部の食堂にいるが、たまに本宮に茶菓子も配達しているらしい。明るくて料理上手なカーラは騎士達の間で人気が高い。
「カーラのご飯は美味しいのに……」
「ありがとステラ、今度ケーキ焼いたげる!……無理しないのよ?」
「うん、頑張ります」
「ちがう。頑張らなくていいから」
どうやらルーチェ様の宮は問題部署らしい。憂鬱になりつつ食べたパスタは、けれど美味しかった。デザートも欲しい。
朝食を終え、アンセルミの案内で初めて訪れた第二王女殿下の宮は明るく、庭は春の花々に溢れていた。薄紅、黄色、白、と優しい色合いの薔薇で作られたアプローチが見事だ。
私室の扉の前には近衛兵が二名、アンセルミと兵がやり取りをしてから扉が開いた。
「王女殿下、アンセルミ侍女長が参りました」
薔薇の妖精がいる、とステラは思った。
それほどにその姫君は美しかった。白磁の頬、黄金の双眸、そして何よりステラの目を引いたのはその髪だ。優美に腰まで波打つその髪は、透き通るような赤だった。エリデの赤毛とは根本から違う、窓から差し込む光に透けて赤紫に煌めく、極上のスピネルのような髪だ。
「……アンセルミ、なにか用?」
幼いながらに将来を予見させる美貌から発せられる声も、また美しい。鈴が鳴るような可憐な声だ。ステラはぼうっとその声に聞き惚れた。
「新しい侍女をお目通しに参りました。ご挨拶をお許しください」
「……ゆるします」
ミネルヴィーノ、と促されステラは慌てて膝を深く折り、最上の敬礼の形を取った。
「フェルリータの王立学院から参りました、ステラ・ミネルヴィーノと申します。現在は宝飾室でナタリア・パーチ様のご指導を受けております。どうぞ、お見知りおきを」
何とか噛まなかったが、声はみっともなく震えていた。
沈黙が満ちた。挨拶も終えたので、今すぐここから退散したい。
「……ねえ、それメガネ?」
「は、はい」
沈黙を破ったのは姫君だった。黒のドレスと揃いの扇が開かれ、桜色の唇がニッコリと吊り上がる。
「取って」
「いえ、あの……」
取りたくない、取ったら何もまともに見えないのだ。それに。
「取りなさいよ。あいさつって、そういうものでしょ?」
目が悪いので支障がある、と断ることもできる。しかしこの眼鏡のレンズはとても厚く、掛けたままではステラの顔が分からないのも事実である。
傍に立つアンセルミが息を吐いた。
「……ミネルヴィーノ」
促され、ステラは眼鏡を下ろした。眼鏡のツルには革紐が結んであり、うっかり落として割る心配はない。
「失礼致しました、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
外すのはどれくらいぶりだろう。久しぶりの視界はやはり雲がかったようで、ルーチェ様の赤い髪と黒のドレスの色がぼんやりと見えるだけだった。
先程よりもさらに重い沈黙を破ったのは、やはり姫君だった。
「ぁ、……アハハハハ! なにその目つき、目つきわっる! 知ってるわそういうの、ぶさいく、って言うんでしょう?」
地元でもここまで真正面から罵倒されたことはなかったなあ、などと思う。そして当たり前だが、眼鏡を掛けていれば支障なく見えても、外した時に目つきが治っているなんてこともないのだ。
「ああ、おかしい! ……もういいわ、アンセルミ、髪を結って」
「……はい、殿下」
一通り笑ったら興味を失ったのだろう。手際良く髪を結うアンセルミに櫛や紐を渡すステラを、姫君は見向きもしなかった。
さて、ブサイクと言われて笑われたものの、ステラにとっては日常茶飯事であり、泣くような新鮮さは持っていない。一人で落ち込むだけである。
「はあ⁉︎ 何様よあの姫!」
「姫様かなぁ…」
「知ってるわよ!」
昨日と同じくモソモソと夕食を食べていたステラに、カーラは様子を聞きに来てくれて、それから怒ってくれている。
「目つきが悪いのは、事実だし……」
サラダのオリーブを突きながら俯くステラに、カーラは少し考えた。
「……ちょっと眼鏡を外してみてくれる? 無理にじゃないけど」
「大丈夫」
「うーん、……その状態でどのくらい目が悪いの?」
「このオリーブがトマトと混ざって、赤一色の雲に見えるくらい…」
「そりゃすっごい悪いわ、大変だわ。ありがとね」
もういいよ、と声を掛けられてステラは眼鏡をかけなおした。
「あと、目つきが悪いのは事実だけど、目が悪いお年寄りって皆そんな顔しながら書類読んでるし、ステラべつにブサイクじゃないでしょ」
「そ、そう、かな?」
「うん、普通。むしろ、眉を顰めてないなら、サッパリ系の顔してる気がする」
口元がムズムズする。普通の顔と言われただけなのに、ステラにはどんな褒め言葉よりも嬉しかった。
「ステラ、あんまり行かないで済むといいねぇ」
「そうだね…でもほら、目障りだからもう来るな、って言われる可能性もあるよ」
ステラの希望は叶わなかった。もう一人居たという侍女が、ルーチェ様の侍女は嫌だと投げ出したからである。結果、アンセルミが週に五日、ステラが週に二日でルーチェ様の侍女を受け持つことになった。




