2-7:リベリオ・ローレ①
リベリオ・ローレは苦労の多い子供だった。
カルダノ王国の三大公爵家、北のローレ家当主の娘孫、それがリベリオである。客観的に見たならば名門の親戚として生まれ、恵まれた環境に生まれた子供だと言えただろう。客観的に見たならば。
「今日のお茶は何かしら? ああ、そろそろ春の夜会のドレスを仕立てなければ」
「おちゃは、パレルモのおちゃです。ドレスは、このまえつくりました、……ははうえ」
「あらそう? でも何着あっても良いものだから」
リベリオの母は生来夢見がちな人だった。リベリオを産み齢三十を超えて数年が経っても、その美貌と精神が十代の頃から変わらない。
北方の山脈と鉱山を守る武家の名門、それがローレ家だ。ローレ家に、嫡男、次男に続く三人目として生まれた母は待望の娘だった。幼い頃から誰よりも美しかった母は、十五を超え、二十を超えても、誰よりも細く華奢な指を持っていた。その指が楽器以外を持つことはついぞ無く、武家の姫として有力な家に嫁がせたかった祖父の予定はあっけなく瓦解した。
「どうして、わたくしが、たたかうのですか?」
本当に、心から不思議そうな口調で問うた母は、今後も自らの役割を自覚することはないだろう。ローレ家との繋がりを望む貴族は多かったが、嫁に出しては家名の恥と、地方領主の適当な次男を見繕って婿を入れた。
リベリオの祖父であるローレ家の当主はお花畑に住む娘に愛想をつかし、自領の隅に屋敷を建てて追いやった。世話をするのは引退間際の侍女が一人だけ、それと近くの村から清掃と料理をする人員を最小限雇った。
無味無臭の父親は忙しいらしく、たまにしか帰ってこない。父がこの家を避けていることを、リベリオは幼心にもうっすらと分かっていた。侍女が引退してからは、母の世話はリベリオの役目になった。もっとも、幼いリベリオに出来たのは母に茶を淹れることくらいであったが。
転機が訪れたのはリベリオが六歳のときだ、妹が生まれたのだ。この小さな生き物を、リベリオは母親から守らなければいけないと決心した。母の名誉のために言っておけば、母はけして暴力的であったわけではない。リベリオにも生まれた妹にも、ただただ無関心だっただけだ。
「坊ちゃん、ご飯食べますか」
「ありがとうございます、いただきます」
哀れに思ったのだろう、出入りしていた村人が乳母を手配してくれたり、リベリオと小さな妹に衣食住を分けてくれた。
十年が経った。もうその頃にはリベリオと妹は日中の生活の場を近くの村に移していて、屋敷には眠りに帰るばかりだった。ある日、いつも通り家に帰ると、門の前に見慣れない馬車が居た。ローレの家紋が付いた馬車、横に立つ威圧感のある髭の騎士と、恐らくはその息子か副官か。
「……リベリオか」
老騎士の声は、およそ子供に向けるような柔らかさは皆無だった。地の底から響くような重い声、騎士服とマントに包まれた頑健な肩、会ったことも無い祖父だ、と直感して地面に膝をついた。妹もリベリオの真似をして膝をついた。
「……お前の母親は健在か」
「はい」
健在かは分からないが、母は今もお花畑に立つ少女のままだ。
「お前たちは、不自由はしてないか」
「…ふじ、ゆう?」
不自由とはなんだろう、そも自由とはなんだろう。頭を伏せたまま答えられないでいると、若い方の男はもう少し説明を足してくれた。
「困っていることはないか、という意味だ」
「困っていること……」
いつもすべてが困っているような気がしたが、問われてみれば一番困っていたのだろうそれはあっさりと口から出た。
「妹を、学校に行かせてあげたいです」
リベリオはまあ良いのだ。村で子供なりに働き駄賃をもらい、村人の子供たちに混ぜてもらい狩猟や読み書きを習った。村でも、今後それなりに労働力になるだろう。
けれど、妹は貴族の娘だ。厄介払いされた貴族の娘を嫁に貰いたがる村人は居ない。今後を考えると、妹にはもう少し良い教育を受けさせてやりたかった。
祖父が威圧感そのままに、妹に問う。
「……娘、運動は好きか?」
「……好きです。木登り、とか」
こわごわと、妹は答えた。
「本は、好きかな?」
これはもう一人の男の方が問うた。妹が頷く。妹は、母が実家から持ち込んでいた本が好きだった。
男たちは少しばかり話をして、頷いた。
「……お前が望むなら、妹を本家に引き取ろう。あのお花畑娘よりはまともな教育を受けさせてやれるだろう」
「ありがとうございます……!」
両膝を折り地面に額をつけて、リベリオは礼を言った。村人と同じ服を着て、額を土で汚した自分が祖父にどう見えるかなど、どうでも良かった。
「では、妹の荷物を取って参ります。五分もあれば」
「お前の荷物もだ」
「……え?」
「タダで教育を受けさせてやるとは誰も言っておらぬ。お前が働き妹の学費分を納めろ」
祖父の鳶色の目は、リベリオと同じ色をしている。白い眉の下、厳しく向けられた視線に負けまいと、リベリオは息を吸い込んだ。
「はい!!!」
それが、三年前のことだ。
あの後、妹は本家に引き取られ、祖父の元で暮らしている。
リベリオは伯父の家に一旦移動したあと、すぐさま北方軍に一兵卒として放り込まれた。勇猛さで知られる北方軍で血反吐を吐きながらもひと通り叩き込まれ、さらに王都に赴任させられたのが一年前だ。
十八歳で成人すると同時に北方騎士長などという大それた役職に就いたが、何のことはない。王都による『自分の一族の不始末は自分で始末しろ』という血も涙もない効率化に伴う役職だ。
「おや、我らが北方騎士長は悩みごとですか」
「アマデオ」
廊下を並んで歩くのは黄色の髪の騎士だ。リベリオと同い年の副官アマデオは、北方軍に入りたての頃にローレ家の七光りとリベリオを揶揄して殴り合いをしたところからの付き合いだ。
「いや、もし祖父が何かをしでかしたとして、身内で始末するのは無理じゃないかと考えていた」
「……王族を捕縛するのと同じくらいの難易度じゃないか?」
「俺もそう思う」
『北の軍神』だの『北の大白鷲』だの大層な二つ名の付く祖父は、引退して白髪になってなお元北方軍総司令として絶大な人望と権力を持っている。
「リリアナ嬢は今、お幾つだ?」
「十三になったよ。体育の時間が楽しいと手紙に書いてあった」
妹のリリアナも、北方領の主都ローレの街で学校に通い始めて三年になる。
「『北の黒鳥』リリアナ嬢か、縁談が引きも切らないと聞いているが」
「らしいな」
ローレ家の紫紺の髪と鳶色の瞳、母譲りの美貌を受け継いだリリアナには、幼いながらに縁談が多く来ているらしい。それに伴い、リベリオの目的はリリアナの学費から嫁入りの持参金に推移しつつある。
「嫁入りの持参金を稼げるように、頑張らないとな」
腕を上げて、強張った肩を伸ばす。
「……食堂で一番安い日替わり定食ばっかり食べてないで、たまには他のを食べろ」
城の食堂メニューは、肉大盛の肉定食が騎士団内一番人気である。日替わり定食は肉定食よりも安い。
「いいじゃないか、栄養バランスが取れてて」
「騎士長にも関わらず他の団員と同じものを食べるローレ家の御曹司、って女子からの値踏みが上がってるぞ」
「俺は御曹司じゃないし、自由に使える金が少ないだけだが……」
「知ってるよ! 清貧の心を持つ騎士の鏡って言われてるのもな!」
人は見たいものだけを見るのである。
「ああ、捕縛と言えばシルヴィア・イラーリオはどうなった?」
「部屋から盗難した宝飾品が回収された。売ってしまって回収できない物がなかったのは幸いだったな。本人は修道院、家は良くて数年の税金を割増、悪ければ家を取り潰して伯父がイラーリオ領を預かる」
その辺りは、実質の切り盛りをしている伯父が王家と相談して判断するだろう。
「まあ、無難な所だな。……そう言えば巻き込まれたあの子」
「ステラ・ミネルヴィーノ」
ステラ・ミネルヴィーノはとんでもなく不運な娘だった。入城したその日に王族の宝飾品を盗難した犯人と同室になり共犯の嫌疑を掛けられることなど、そうあることではない。侍女長のアンセルミからすぐさま無実を証明されたが、その不運さに自らの過去を重ねてしまいとんでもなく同情した。
百貨店で遭遇したのは偶然だった。
栗色の髪と分厚い眼鏡、宝飾室の副室長と一緒に買い出しに来ていた所を見掛けて声を掛けた。便宜を図ると申し出たら、断られた。
一緒にいたパーチ女史の、何か買ってもらったら、という助け舟に声を掛けたことを内心で後悔した。何と言っても、場所は宝石売り場である。
けれど。
「今週のお買い得商品だったな」
「銀貨一枚だったな」
彼女が選んだのは小さな炎が出る携帯バーナーだった。料理に焼き色を付けたり、ちょっとした金属加工に使う家庭用魔道具だ。
「お前にバーナーを買ってもらう女子が存在するとは。リベリオ・ローレ北方騎士長にアクセサリーを買ってもらえるなら、大半の女子は指輪を希望するだろうに」
アマデオが腹を抱えて笑う。黄色の髪を編んで女性的にも見える見た目に反して、豪快な友だ。
「ローレ家は伯父が継ぐ家だ、俺に指輪を貰っても価値は無いぞ」
「そういう事じゃなくてだな。……お前が自分の財布からリリアナ嬢以外に贈り物をするのを俺は初めて見たよ」
感動した、とアマデオが思い出して頷く。
「心配するな、金貨一枚を越えたら騎士団の経費で落とそうと思っていた」
「それはやめろ」