2-6:百貨店(ただし平屋)
広い。
王城から徒歩十分、百貨店とやらに初めて連れてきてもらったステラの最初の感想はそれである。城の正門に勝るとも劣らない巨大な玄関をくぐると、とんでもなく広い空間にぎっしりと品物と人が詰まっていた。
「一つの建物に…店がたくさん…たくさん」
フェルリータの中央通りが一つの平屋に集まったかのような賑わいだ。
「ふっふっふ、さあ目を回すのはこれからよ」
「は、はい!」
店内の地図に従って通路を進む。凄かったのは道行く最中から、ナタリアが声を掛けられていることだ。
「ナタリア様! 新しい布入ってますよ!」
「便箋とインクの補充はいかがですか、ナタリア様!」
「今日は新人を連れてきたの。そのうちお使いに寄越すからよろしくね」
呼び込みの一つ一つにナタリアは笑顔で返事をしていた。
「お使い、ですか?」
「そうよ。城の備品を買い出しに来るときは、制服の方が効率がいいの」
「それで、制服のまま来たんですね」
「そっ」
食料品などは卸の業者が市場から搬入するが、人手不足の城内は細々とした備品が行き届かないことも多い。備品室に注文を出しても良いが、急ぎなら制服のまま買い出しに出かけて領収書を書いてもらう方が早いらしい。
「息抜きにもなるしね!」
「……」
文具や布類の売り場を通り過ぎ、到着したのは売り場の中でもひときわ広い魔道具・魔石売り場である。宝飾室にあるような湯沸かしポットを始め、生活に密着した道具を扱っている。
「そっちが家庭用コンロで、そのなかでもこれは魔石の質が良くて肉が美味しく焼けるやつ」
「ナタリア様、これは何ですか?」
「それは風の魔石の掃除機」
並べられているどの生活魔道具も、ステラは初めて目にするものだ。店員に許可を取って、一つ一つの値段と特徴をメモしていく。
「この、中で布が回っているやつは何ですか!?」
「水の魔石を利用した洗濯機と、風の魔石を利用した乾燥機ね」
値段は二つ合わせて金貨三十枚、買ったら洗濯板で洗濯する生活に戻れなさそうだ。いや、洗濯板から解放されるのか。
「洗濯機と乾燥機は洗濯室に巨大なのがあるわよ。今度見せてもらうといいわ」
城ではすでに導入済みだった。ステラが教科書で読んだ、使用人たちが桶で洗濯をする話は遠い昔のことらしい。
「こっちが魔石売り場ね」
魔石の売り場は魔道具の売り場よりも小さかった。魔石はそのままでは使い道が限られているからだ。展示用の棚に色とりどりの魔石が並べられているのは、ステラに実家の宝飾店を髣髴とさせた。
「…ナタリア様、魔力が込められた魔石って宝石の原石に似てますね?」
「いいところに気づいたじゃない、ステラ。ルーペは持ってきてる?」
傷や内包物を見る拡大用のルーペは宝飾室の必須道具だ。今も当然ポケットに入っている。ナタリアが店員を呼んで、黄色の魔石を棚から取り出してもらう。
「これが土の魔石。これを、ステラが着けている髪飾りとルーペで見比べてみなさい」
木のトレイに並べられた魔石と、髪飾りのトパーズの色はよく似ている。魔石はゴツゴツとした原石の形をしているが、カットして磨けばほとんど同じになるのではないか。
「失礼します」
手袋を嵌めて、ルーペで覗き込む。まずはトパーズ、それから魔石だ。
「……」
「どう?」
「……い、インクルージョンが、無い…!?」
内包物、インクルージョンと呼ばれる、ヒビ、傷、気泡、そのどれもが魔石には一つも見当たらなかった。ガラスでも気泡や濁りがどうしても入る、それなのに魔石の内側は完全な透明だった。
「ここここれは、カットして、磨いたら、大変なことになるのでは……」
「うん、着眼点がとてもいいわ。でもね、魔石ってね、砕けないのよ」
「え?」
今、ナタリアは何と言った。
「魔石って砕けないの。ダイヤより硬いから、カットも研磨も出来ないのよ」
ルカーノ室長とナタリアは以前に試してみたらしい。結果は惨敗、ダイヤモンドの刃でも傷一つ付かなかった。
「こんなに綺麗なのに……」
「ほんとよねえ、もったいないわ」
「宝石も少しですが、扱ってございますよ」
店員も魔石が砕けないことを知っていたのだろう、口元には新人を見る微笑みが浮かんでいる。店員がトレイに並べた宝石は耳飾り、首飾り、指輪、どれも小ぶりだが質の良いものだった。
「ステラから見て、王都の宝石ってどう?」
「そう、ですね……細工の技術は父に軍配があがりますが、石の質やシンプルなデザインはこちらの方が優れているように感じます」
宝飾室にある豪華絢爛なアクセサリーとは異なる、シンプルで使い勝手の良いデザインが多い。フェルリータでは物足りないと言われそうだが、王都の街並みの雰囲気には良く合っている。
デザインをスケッチさせて貰うことはできるだろうか。
「……ステラ・ミネルヴィーノ?」
後ろから声を掛けられたのは、店員に尋ねようとした時だった。振り向くと、そこには男性の二人連れが立っていた。片方は黒に近い紫の髪と鳶色の瞳、少し後ろに立つ方は黄色の髪に青の瞳。どちらもまだ青年と言える歳だ。
「あら、ローレ様じゃございませんこと」
「パーチ女史」
ナタリアと紫紺の髪の青年は知り合いらしい。青年は、緑のジャケットに腰に剣、ナタリアと同じ薄金のサッシュ持ちの騎士だ。ステラは慌てて背筋を正した。
「ステラ、こちらはローレ北方騎士長です。ご挨拶を」
「フェルリータの王立学院から参りました、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
「……知っている」
「……?」
何故、知っているのだろう。王城に入って間もないステラの知り合いは少ない。こんな美形は知り合いに居ない。スッキリとした紫紺の髪、顔立ちは甘く声は滑らか。苦笑いする唇につられて細められる。鳶色の瞳。その鳶色を、どこかで見たような気がした。
「あ」
互いの間に、間の抜けた声が落ちた。慌てて両手で口を塞ぐ。
「あれは、災難な夜だったな」
口を塞いだまま、頷いて良いものかステラは悩んだ。
そうだ、一週間もしない、入城したその夜にこの鳶色の目を見たのだ。暗がりに浮かぶ鳶色と目が合った。
「そ、その節は」
その節は、何だろう。『ご迷惑をお掛けしました』でもなければ『お世話になりました』でもない。
「余計な嫌疑を掛けてすまなかった、リベリオ・ローレだ」
右手が差し出され、どうして良いか分からずにナタリアの顔を見ると頷かれた。握手をしても非礼にはならないらしい。
「ステラ・ミネルヴィーノと申します」
手袋を外し恐る恐る握った手は硬く、ゴツゴツとしていた。鳶色の目が少しだけ緩む。黒髪に見えていた髪色は、日中に見てみれば紫紺の色をしている。青年の頬には薄らと丸みが残っており、案外歳が近いのかもしれなかった。
「立場が悪くなったりは、していないだろうか。可能な限り便宜を図らせてもらうが…」
「いえ……」
アンセルミ侍女長からとんでもない便宜を頂きましたので、とは言えずにステラは黙り込んだ。ここは百貨店の中であり、衆目もあって詳細を話すのは互いにまずい。
停滞した会話に助け舟を出したのはナタリアだった。
「お詫びなら、何か買ってもらったら?」
「えっ」
「ほら、ちょうど良く宝石売り場だし」
確かにここは百貨店の宝石売り場で、目の前には若い女性が好みそうなアクセサリーが並んでいる。けれど。
「いえ、あの……」
「……値段は気にしないでほしい。この店舗の取り扱いであればどれでも」
「ローレ様ったら太っ腹! ほら、ステラ、好きなものを選ぶといいわ、……ステラ?」
商品の前で固まって動けないステラの顔を、ナタリアが覗き込む。
「あの、欲しいものが……無くて」
店員の眉が吊り上がった。慌ててステラは訂正する。
「ち、違うんです、品揃えとかデザインとかじゃなくて、その」
「……ステラ、頑張って言語化してみましょうか?」
「私からも頼む」
二人に促されて、ステラはたどたどしく話し始めた。
「……つまり、これらが全部商品に見えると」
「はい……」
ステラの家は宝飾店だ。ステラにとって宝石とは憧れではなく身近なもので、それらは全て『誰か』の身を飾るためにある。ここに並ぶシンプルで使い勝手の良いアクセサリーはさぞ大通りを歩く娘さん達に似合うだろう、デザインのスケッチがしたい、そんなことばかりを考えていた、とステラは説明した。
「その髪飾りは?」
「これも実家の店から貸し出された『商品』であって、私が買い求めたものではないのです」
服屋の店員が、商品の着こなしを見せているようなものだ。
「なるほどねえ」
ナタリアの頷きは、納得と呆れが半分ずつ混ざっていた。店員からは名刺を渡され、その髪飾りを見せてほしいとさえ言われた。ステラは快く頷いた。
「では、宝石じゃなくていい。この百貨店内ならどうだろう」
「店内、ですか?」
「雑貨でも、菓子でも」
「雑貨……あ」
「思いついたか」
思いついた。思いついたには思いついたが、これは他人様に買ってもらって良いものなのか。
「何でも構わない、言ってみてほしい」
「…では、あの、先程見かけた魔道具なのですが……」
「か、買って頂いてしまった……」
城に戻り一日の仕事を終え、夕食を食堂で食べて自室に戻ったステラはガサゴソと包みを開いた。
「バーナー!」
火の魔石を組み込み、細い金属管の先から小さな高温の炎が出るという魔道具である。
「これがあれば火鉢を使わなくても、指輪のサイズ直しや鎖切れが直せそうです。ありがとうございますありがとうございますローレ様、大事に使わせて頂きます」
ちなみにお値段は銀貨一枚、今週のお買い得商品だった。