2-2:入城
人の賑わう大通りを夕日に照らされつつ、のんびりまっすぐ歩くこと半刻。とりあえず城の正門らしきところに到着した。巨大な門扉からは前庭しか見えない。立っている門番に紹介状を見せて尋ねたところ、さらに西側に回るようにと教えられた。
鉄柵の美しい柵に沿って西に回ると、通用門らしい場所があった。鎧で正装した正門の兵士よりも、もう少し軽装の兵士が二人立っている。
「お仕事中、申し訳ありません。フェルリータの王立学院から参りました、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
声を掛けると、片方が頷いて門の中に入っていった。待つことしばし、戻ってきた兵士が門を開けた。
お辞儀をして、兵士の背に付いて行く。小さな裏庭を抜けて、案内されたのは使用人達の通用口だ。通用口と言ってもそこは王城の裏であるので、フェルリータで言う上級以上の店構えといった風情の玄関扉である。
兵士が扉を開けた先、玄関ホールには執務机や応接セットがあった。多機能に使われているようで、高級な宿屋の受付に近い。
そこに老齢の女性が立っていた。一分の隙もなく結いあげられた灰色の髪、黒色のドレスには薄金色のサッシュが右肩から腰に下がっている。襟と袖元の白いカラーにはわずかのシミもない。明らかに上級使用人だ。
「フェルリータの王立学院から参りました、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
バクバクと鳴る心臓を押し隠し、殊更ゆっくりとステラは膝を折った。お辞儀はこの仕事が決まってから、貴族出身の教師の合格点を貰うまで徹底的に叩き込まれた。せめて様になっていることを祈るばかりだ。
「侍女長をつとめております、アンセルミです」
頭上から恐ろしく硬質な声が降ってきた。頭を上げて良いものか分からず固まっていると、頭を上げなさいと言われて恐る恐る頭を上げた。
「こちらへ」
誘導されたのは執務机の前だ。掛けなさいと言われるのを待って対面の椅子に浅く腰掛け、手持ち鞄から学院の紹介状と身元の保証書を取り出して渡す。手元に筆記用具を用意するのも忘れない。
「フェルリータ王立学院の紹介状と、母君のご実家の男爵家の身元保証書ですね。確かに受け取りました」
「はい」
羽ペンの先が、美しい筆致で受領のサインをする。そこからは王城に住み込む際の説明になった。
「私達が住み込むのはこの区画です。現在の王室の方々が何名か知っていますか?」
「国王陛下、王妃殿下がお二人、王子殿下がお二人、王女殿下がお二人と伺っております」
「よろしい。尊い方々に対して、我々使用人は七十名です」
「少ない、ですね……」
ハッ、と口を抑えたがもう遅い。思わず口を突いて出てしまった感想は、けれど咎められはしなかった。ステラを咎めず、アンセルミ侍女長は深く息を吐いた。
「ええ、とても少ないのです。三代前の国王陛下が無駄な人員を嫌い、王都を移した際に身の回りの大半を削減なさいました」
効率王ここに極まれり、である。
効率王は王女が生まれなかったこともこれ幸いとし、護衛や近衛を始め軍部を削減することはしなかったが、身の回りの世話をする人員を大幅に削減した。
「少しずつ人手を増やして参りましたが、王城で雇う人員には複数の身元証明書が必要です」
このように、とステラが持参した書類を見せられる。フェルリータの学長の印、ミネルヴィーノ商会の印、更には母方の貴族の印、これらがあって初めて面接を受けられるのが王城勤めだと母が教えてくれた。
「……特に、女性の働き手が足りていないのです」
それから、アンセルミは少しばかり経緯を話してくれた。アンセルミもステラと同じくらいの歳に王城に勤め始めたこと。効率王は崩御していたが、その次の王にも王子と男孫しかおらず、姫君の居ない王城に女手はほとんどなかったこと。
「お一人目から王子殿下が産まれたことで先々代、先代の国王陛下に妃殿下が増えることも無く。今代の国王陛下がようやくと妃殿下をお二人迎えられて、半世紀ぶりに姫君がお生まれになったのです」
「……それは…」
それは、の後が何とも表現できずにステラは黙り込んだ。
王位継承権から見れば王子が一人、もしくは保険としてもう一人、二人居れば、姫君が居なくて問題はない。問題は無いのだが、王族の婚姻は国交や派閥形成の手段だ。
外国に嫁ぐ姫君が居ない、重臣や地方領主に下賜する姫君も居ない。政治に疎いステラが少し考えただけでも、失われる利益がある。
「ですが今は、妃殿下がお二人と姫君がお二人いらっしゃいます。貴女にも宝飾室の以外の業務を兼ねてもらうことがあるやもしれません」
「はい」
背筋を伸ばして答えたステラに、アンセルミの目元が少しだけ和らいだ。
「今日のところは、もうあと二時間ほどで消灯です。持ち込みを記録したあとに、貴女の部屋に案内しましょう」
机の上に持ち込みの私物を広げ、一つずつ互いに確認して記録した。配属予定の場所柄、トパーズのブローチと懐中時計などの貴金属や、修理用の工具などは数も用途も詳細に記録された。
今後、王都で購入する所持品も貴金属類は定期的に記録されるらしい。
「他に、貴金属や貴重品はありませんか?」
「あります」
これを、とステラは眼鏡を外して机に置いた。
「眼鏡ですね」
「はい。無くては、仕事にも生活にも支障があります」
「侍女にはおりませんが、執務官には眼鏡を使っている方もいらっしゃいます」
アンセルミはそう言ってステラの顔を見て、少しばかり止まった後、けれど何も言わずに持ち込みリストの中に眼鏡を書き加えた。ありがたい。
侍女に眼鏡が居ないのは、侍女は王族に近づきたい有力貴族から、容姿端麗で流行に詳しい子女が選ばれるからである。
「貴女の同室者は侍女を務めています」
仲良くするように、と書類をまとめてアンセルミが立ち上がる。歩き出したその背にステラは着いていった。
背はステラよりも低いのに、しゃっきりと伸びた背筋が美しい。人の顔を伺っては俯いていたステラとは大違いだ。比べるのもおこがましいので、せめて、とステラも背筋を伸ばして歩き方を真似してみた。
玄関ホールを抜けて、使用人の居住区に入る。廊下すれ違った使用人は皆、アンセルミに道を開けて会釈をしながら通り過ぎて行った。「後ろの眼鏡女は誰ですか」などと軽口を叩く人間はいない。
「この棟の一階に食堂と中庭が、二階に大浴場があります。貴女の部屋は三階です、棟の案内は同室者に聞くように。男性の棟は隣で、行き来は基本的に禁止です」
「はい」
階段を上がり、宿屋のように扉が並ぶ区画に入る。階段のすぐ横の扉の前で止まり、アンセルミの手がコンコンとノッカーを鳴らした。
「イラーリオ、部屋にいますか」
間を置いて、はい、と返事があった。内鍵を開けて出てきたのは、巻き毛の美女だった。
「イラーリオ、こちらが話をしていた同室者。ステラ・ミネルヴィーノです」
「フェルリータから参りました、ステラ・ミネルヴィーノです。よろしくお願い致します」
「シルヴィア・イラーリオよ。よろしくね」
伸ばされた右手は爪の先まで美しく、握手した掌は柔らかい。侍女を務める女性はとんでもなく美しいと、ステラは内心ドキドキしていた。
「ではミネルヴィーノ、明日は朝の七時に先程のホールで朝礼です。朝食はすませておくように」
「はい。ありがとうございました」
差し出された鍵を受け取り、廊下を戻る背にステラはもう一度頭を下げた。
「さあ、入っていらして!」
「あ、はい!」
さあさあ、と手を引かれて入った部屋は広かった。ベッドと机が二台に、隅にはそれぞれのクローゼットと鏡台もある。中央には小さなテーブルセットがあって、ちょっとしたお茶くらいは出来そうだ。
「あなたのベッドと机とクローゼットはそちらよ」
「はい。ええと、イラーリオ様はいつから入られたのですか?」
「シルヴィアでいいわ、ローレから来たの。わたくしが着いたのは一週間前かしら」
ローレは、北の国境に近い都市だ。
「ローレの南でお父様はイラーリオ領の領主を務めているの。だから今回、王城に上がることになってとても光栄で、領民も皆喜んでいるのよ」
王族の傍に着く侍女とは、側室に上がったり重臣に見初められたりと、地方貴族にとっては大きなチャンスなのよ、と語るシルヴィアの声は熱い。
「ステラ様は? ミネルヴィーノ領はどこにあるの?」
「私の家は貴族ではなく商会なのです、シルヴィア様。フェルリータで宝飾店を営んでおります」
「あら……」
そう、とシルヴィアの声のトーンが落ちた。一気に不機嫌そうになったシルヴィアの目には、なんでこの女と同室なのか、という不満がありありと浮かんでいる。
「機会がありましたら、どうぞお引き立てくださいませ」
ステラが膝を折って深々とお辞儀をすると、少しばかり機嫌は持ち直したようだった。
「まあいいわ」
シルヴィアはリネン室や給湯室など、三階にある共有施設を教えてくれた。洗濯は専門の人間がおり、出した私服の枚数分の料金が給料から天引きされる。
「わたくし、夜は早く寝ることにしておりますの」
部屋に戻るなりシルヴィアはそう言って、互いの間の仕切りが勢いよく閉まった。
「……」
これは、絶対に音を立ててはいけない。ステラは荷物を広げるのを諦め、とりあえず顔を拭いて寝ることにした。そろそろと足音を消して向かった給湯室には同階だという女性がいて、湯の使い方と親切に石鹸とタオルを貸してくれた。
顔を拭いて部屋に戻り、ベッドの上に畳まれていたシーツと布団を広げる。寝巻に着替え、懐中時計を枕元に置いた。明日の準備をしたかったが、初日から同室者と揉めるのは避けたい。諦めて、早起きをすることにする。
王城の夜は二十一時に消灯され、朝の四時には厨房や洗濯が動き出すのだと、給湯室にいた女性が教えてくれた。
「明日から……頑張ろう…」
布団は自宅のものとほとんど変わらない。灯りを消して横になれば、旅の疲れも相まってすぐさま瞼が落ちた。




