After②:漁夫の利を知る
さて、いざ魔法師団に勤め始めたものの、ミケが出来ることは殆どない。始めの三日間は、ミケに何が出来て何が出来ないのかを測ることに費やされた。
初日の魔力測定で百十という数値を叩き出したミケに、親切であった同僚の先輩方が目の色を変えたときの恐怖は一生忘れないだろう。文字通り群がられ、食事と睡眠だけは確保してもらえたものの、あれもこれもとひたすらに測られた三日間だった。
ミケの水の魔力値は百十、これは王国で二番目に高いらしい。ただ、一番目の人はすでに高齢で王城勤めを引退されていると先輩方が教えてくれた。
生活用の魔石は作れる、攻撃用の魔石は作れない。高圧の水で木や岩を切れるのに、氷は出せない。ミケの計測結果を見た王子殿下は
「アンバランスで素晴らしいね」
と、楽しそうに頷いた。偉い人の考えは分からない。
計測が一息ついてエルネストに文字の読み書きを基礎から教わっていると、第一王子殿下に手招きされた。
「ミケ君、今週末って用事ある?」
「いや、無いっす、けど……」
まだ知人も友人もいないミケに予定などありようもない。強いていうなら、晴れていれば王都の散策をしてみたいくらいだろうか。
うんうんと頷いた王子殿下が、机の上に手紙を並べた。綺麗な指先が十枚の封筒を並べる。
「これね、今日魔法師団宛に届いたお手紙」
感心する王子殿下の前で、ミケは首を傾げた。魔法師団宛の手紙と新入りの自分は、どう考えても関係がない気がする。
「これは全て、ミケ君を今週末の茶会か夜会に招待する招待状です」
客に売り込みをする商人のように両手を広げた第一王子殿下は、それはそれは良い笑顔だった。
「招待状、招待……は⁉︎」
「いやあ、皆行動が早いねえ。我が国の貴族は優秀だ、宛名が分からないけど遅れは取りたくないからとりあえず魔法師団宛に送って来たんだねえ。皆、ミケ君とお近づきになりたいみたいだよ? どうする?」
「どうする……って」
どうしろというのか。
「ちなみに、ミケ君がこの手紙の招待に応じて茶会か夜会かに行くとします。そうするとあら不思議、ミケ君と歳の近いご令嬢が居ます。奇遇ですね、折角ですからここは若いもの同士で話でも……、みたいな展開になります」
「……」
滑らかに語る王子殿下の前で、ミケは空を飛ばされた猫のように硬直した。
「査問会が終わって一週間で縁談の申し込みとは、皆々様抜け目がありませんね」
「ミケ君の年齢を考えれば、二十歳で婚約者も決まっていない方が珍しいからね。無理もないよ」
苦笑混じりの王子殿下の声で我に返り、ミケは叫んだ。
「い、いやいやいや! え、え、縁談って⁉︎ 俺、孤児ですよ⁉︎」
処刑を逃れて一週間足らずで縁談が来ることも、貴族から縁談が来ることも、ミケにしてみれば意味が分からない。
「流石に公爵家と侯爵家からは来てないけどね。伯爵家、子爵家、男爵家で歳の近い娘を持つ家から、婿入りどうですかの申し込みだよ。選び放題だけど、茶会に行ったが最後、逃げられるとは思わない方がいいね」
「えええ……」
魔法の技術書すら読めないうちから、縁談を選べと言われた。選ぶ、それはミケの人生に縁の無かったものだ。
「いやあもう、レオ君はもっと凄くてねえ」
「⁉︎ レオは、後見人が見つからなくて困ってるんじゃ……?」
反射的に顔を上げたミケに、麗しの王子殿下がプラプラと手を振る。
「逆だよ、逆。レオ君は幼くて、今回の件に全く加担してないでしょう? 筆頭は三大公爵家のパレルモから、侯爵家、伯爵家、高位貴族からこの倍くらい手が挙がって揉めてる。とりあえず後見人を決めて学校を卒業したら養子か婿入りを本人に選んでもらう形だけど、その後見人が決まらない」
「……嘘だろ……?」
ミケとレオは身よりも学もない孤児だ。そのミケとレオに縁談や後見人が複数来て、尚且つ争いがあるなどと予想だにしなかった。
「ミケ君、学校では教わらない、いいことを教えよう」
唖然とするミケに王子殿下が笑いかける。ニタリとした笑みが麗しの顔面のおかげで下衆く見えないのが卑怯だった。
「貴族と大人はねえ、才能のある子供が、だあい好きなんだよお」
知りたくなかった。
打ちひしがれるミケを放置し、マリアーノはエルネストに向き合った。
「さて、こうしてミケ君に山と縁談が来たわけだけど」
「予想通りですが、予想より早かったですね」
「レオ君の面倒を見てくれた手間賃をあげるよ。具体的には、今から僕がミケ君の貴族としての名前を考える時間かな」
手紙に返事をするには、差出人の名前が必要だ。ミケという名前は貴族に返事をするには、少しばかり短い。
マリアーノは本棚から人名辞典を引っ張り出し、エルネストはミケに声を掛けた。
「ミケさん、うちの娘と結婚しませんか。うちは一人娘ですので、将来は私のあとを継いで子爵になります。悪くはないと思いますが」
「……⁉︎ 悪くはない、っていや、いやいやいや、それナディア様、絶対聞いてませんよね⁉︎」
悪くはない、ではない。ナディアにしてみれば悪いしかない話だろう。
「聡い子ですので、考えていると思いますよ?」
ミケはもう何度目かも分からず頭を抱えた。ナタリアが整えてくれた髪でなければ、ぐしゃぐしゃに掻き乱していたところだ。
「えええ……ええ、いや、いやいや、……だめだろ……」
「帰ったら話をしてみましょう。招待状の返事はそれからでもよろしいでしょうか、マリアーノ殿下」
ああでもないこうでもないと何やら書きつけていた王子殿下が、文字の書かれた紙を掲げた。必要不可欠なこと以外あまり話を聞いていない王子殿下は、このときももちろん話を聞いていなかった。
「ねえ、ミケ君。ミケ君の名前、これでいい?」
悩みで胸がいっぱいで、夕食が入らない。そんな贅沢な体質を、ミケはしていない。
貴族のうちでは質素な方という食事は、ミケにしてみればとてつもなく豪華なものだ。切り身にされた白身魚をバターで焼いたものも白いパンも、ありがたく全て平らげた。親が料理をしていた記憶のないミケが、人様の作ってくれた料理を残すことなどありえない。ただ、予告通りエルネストがナディアにミケとの婚約を言い出したときは、ありもしない小骨が喉に詰まったような気持ちになった。
「そういうわけで、ナディア、ミケさんと婚約してはどうだろうか。ナタリア、君はどう思う?」
「良いお話だと思いますわ。二人が良ければ、それで」
何が『そういうわけで』なのだろう。そしてなぜ、ナタリアは否定しないのだ。とてもではないが、ナディアの顔を見る勇気はミケには無い。
ミケよりもゆっくりと食事を終えたナディアが、カトラリーを置いて口元を拭いた。
「ミケ様がよろしければ、私に異存はありません」
なんでさ。
ミケはおそるおそる手を挙げた。
「あの、俺とナディア様は会って一週間ですけど、それは……」
「曽祖母の時代は、結婚式の日が初対面だったそうです。私が王立学院の高等部を卒業するまで半年ほどありますし、まともな方ではないでしょうか」
極端が過ぎる。しかし、政略結婚でも見合いでもないだろうミケの親が自分達を捨てたことを考えれば、出会いの方法は問題ではない気もする。
「……私は、父に似ず魔力が高くありませんでした。ですので、卒業後は魔法師団ではなく治水を行う部署に勤める予定です。ミケ様を羨ましくないと言えば嘘になりますが、好ましいと思って頂けるよう努力致します。どうか私を選んで頂けませんでしょうか」
そう言って頭を下げたナディアに、ミケは息が止まるかと思った。自分より遥かに努力しているだろう年下の少女に、頭を下げられてしまった。
「ち、ちなみに、俺はナディア様に好かれるには、どんな努力をすれば……?」
ごくごくありふれた質問に、ナディアは少し考えてから答えた。
「仕事に真摯に向き合い努力する方であれば、私はミケ様を好ましいと思うと思います」
真面目に勉強して働いていればそれだけで、と王子殿下と同じことをナディアも言う。
それは随分と簡単なような気もするし、とても難しいことのような気もした。皆が皆出来ることなら、ミケの両親が出来なかったはずがない。
「ミケ様、貴族を貴族たらしめるのは経験と振る舞いです。でも私たちは、まだ働き始めてもおりませんので、あの」
「ナディア、簡単にまとめなさい」
言葉を尽くしすぎて回りくどくなっている娘に、エルネストが苦笑する。
「私と一緒に、頑張りませんか」
それで、いいのか。
結果は必ずしも問わないらしい。ミケは身寄りがない。学もない。利用されても結果が悪くても、頑張っていなかった日はなかったように思う。
「よろしくお願い、します……」
拙い言葉とともに頭を下げた。ナディアとナタリアが顔を見合わせる。良かったわねえ、とミケの婿入りをナタリアも喜んでくれた。
ミケにもレオにも良くしてくれた人達だ、たくさんの恩はこれから返さなければいけない。頬を叩いて気合いを入れ直したミケに、エルネストがグラスを渡す。
「パーチ子爵家へようこそ、ミケさん。大歓迎しますよ、明日にも王子殿下に報告しましょう。半年ほど婚約して……ああ、籍だけは先に入れておいた方が安心ですかね? 式は来年の春でどうでしょうか。教会も予約しなければいけませんし、ナディアのドレスを王妃様からご紹介頂いた仕立て屋に頼むのも良いですね」
穏やかな表情はそのまま激流のような早口だった。ミケの未来の姑殿は気が早い。
「婚約期間の短さに文句をつけられたら、娘がローレ公爵夫妻に憧れたようでって言いましょ。ステラに結婚指輪のデザインを頼むのもいいわねえ。はい、じゃあ皆グラスを持って」
好物のオレンジジュースを持たされたレオはご機嫌だ。幼児なりに、これは楽しいことだと判断したらしい。
幸運に乾杯、なんて言葉をミケは初めて知った。
『この度は夜会へのご招待を頂き、ありがとうございます。夫婦共に出席させて頂きます。至らぬ身ではございますが、宜しくお願い申し上げます』
――ミケランジェロ・パーチ