After②:衣食足りて
査問会から三日後、エルネストに連れられてミケは城に出向いた。
証人として連行されたときは自分がどこから王城に入ったかも定かでなかったが、今日はエルネストの案内で東側の門から入った。
魔法師団の詰所に向かう通路で、騎士達とエルネストが朝の挨拶を交わす。辺境育ちのミケにとって、騎士様とは架空の生き物だ。立襟の制服を着込み腰に剣を下げた騎士を実際に見るのは初めてで、シャツとズボンだけの自分の場違い感がすごい。
いつにも増して背を丸め、エルネストの後を着いて行った。
「おはようございます。ミケさんをお連れしましたよ、マリアーノ殿下」
パーチ邸から歩くこと半刻、到着した部屋は傍目にもごちゃごちゃしていた。部屋に並ぶ大きな机の上には本と物が乱雑に積まれ、片付いている机が一つもない。あげく、人間が床に落ちている。床に絨毯は敷かれてあったが、旅人の雑魚寝小屋のような有様だ。いや、絨毯が敷かれているから床で寝ているのか、ミケには判断がつかない。
「おはようー……」
部屋の奥から声が返る。ごちゃごちゃした部屋の最もごちゃごちゃした一角から、ミケが一度だけ会った第一王子殿下が顔を出した。
第一王子殿下の有様も酷かった。ミケと大差ないシャツとズボンは皺だらけで、黒髪は引っ詰められて雑に結ばれていた。麗しいのは顔面だけだ。
「なんて格好ですか。顔を洗って髪を解いて着替えて来て下さい、私がコーヒーを淹れますので」
「はぁい……」
エルネストに叱られた第一王子殿下は、詰所にある流し場で無造作に顔を洗っていた。貴族は寝台で召し使いに顔を拭いてもらう高慢ちきな奴等、というミケのイメージが洗顔の水音と共に崩れた。
「いやあ、ごめんごめん。おはよう、ミケ君」
「あ……おはよう、ござい、ます……」
自分で身支度を整えた王子殿下はさっぱりしていた。パーチ邸で会った人と同じ人だ。
「ミケさん、そこのテーブルを拭いてもらえますか」
三人分のコーヒーを持ってきたエルネストから布巾を受け取って、応接テーブルを拭いた。このテーブルは散らかってないなと思っていると、ミケの考えを読んだ王子殿下が自慢げに胸を張った。
「このテーブルだけ綺麗にしていれば、他のテーブルは片付いていなくても叱られない。効率的で素晴らしいだろう?」
「……」
「他のテーブルも片付いていた方が素晴らしいです」
エルネストの突っ込みは最もだった。
「そこに座って。お待ちかねの結果報告をしようか」
ミケの対面に座るなり、麗しの王子殿下は本題に入った。ミケの隣にさも当然のようにエルネストが腰を下ろす。ミケにとってはつい先日会ったばかりのエルネストは子爵様であり、王子殿下も子爵様も等しく天上人だ。とてつもなく落ち着かない。
「実質無罪放免だよ、おめでとう」
構える暇も与えられず告げられた結果を、ミケは噛み砕くのに苦労した。
「え、むざ、むざい……?」
言われた言葉が理解できず固まったミケの背を、エルネストが労うように軽く叩いた。
「制限は沢山付きますが、目立ったお咎めはありません。ミケさんも、レオ君もです。……頑張りましたね」
ミケもレオもお咎めはない、という言葉を理解した瞬間に気が抜けて、涙が溢れた。エルネストが差し出してくれたハンカチで顔を拭うも、一度溢れ出した涙は止まらない。
「無理に泣き止まなくていいよ。これから君たち兄弟の扱いを説明するけど、決まりが沢山あるから一度で覚えようとしなくていい」
質問はその都度していいからね、と言う王子殿下の声は存外優しい。ハンカチに顔を埋めたまま、ミケは何度も頷いた。
「じゃあまず、ミケ君から。ミケ君はカルダノ王国に永久就職が決まりました」
「永久、就職……」
「王国に士官する限り加担した罪を見過ごしてもらえる、という意味だね」
「……城で働く、ってことです?」
「そう。ずっと」
ミケの生まれ育った辺境には目立った産業がなく、仕事そのものが無かった。最寄りの大都市はローレだが、ローレに出向く路銀すら手元に残らない生活をしていた。
そのミケが王都の、それも王城でずっと働けと言われている。願ってもないどころか願うことすらそもそもない。都合が良すぎると訝しむミケに、王子殿下はなぜか嬉しそうだった。
「文字通り君が死ぬまでだ。途中で辞めるときは牢獄行きだ、君がどんなに城が嫌になっても転職は許されない。……どうする?」
王子殿下の人を試すような口調と提示された条件に、ミケは逆に安心した。ミケにばかり都合の良すぎる話の結果、碌でもないことに利用された。利用されたミケの辿り着く先が良くて牢獄、悪ければ処刑台だったと思えば、一生転職出来ないくらいなんだと言うのか。
「あの、……ありがとう、ござい、ます」
「お礼はローレ公爵夫妻に言うといいよ。リベリオ君が公爵に任じられたから」
ミケの脳裏に地味な青年が思い浮かぶ。ローレから王都までの短い付き合いだが、どう考えても公爵になりたいとは言い出さなそうだ。となると、ミケと歳の近い彼もまた何らかの免除と引き換えに強制的に公爵任じられたことになる。
「いやあ、絶対に転職出来ない仲間が増えて嬉しいなあ!」
とは、ミケの目の前の第一王子殿下の言葉だが、そこは王に昇格ないし昇級したいと思うところではないだろうか。そしてそれは道連れというのではないかとミケは思ったが、もちろん口には出せなかった。
「ミケ君の場合は、魔法だけで人生分の実績にお釣りが来るからね。真面目に勉強して働いていれば、それだけで周囲は好感を持ってくれるよ」
「それ、結構難しくないです?」
それだけで、と王子殿下は言うが、少なくともミケの両親は出来ていない。
反射的に訊き返してしまったミケを王子殿下は咎めず、なんだか嬉しそうだった。
「うちの新人は有望だねえ。就職先はここ、魔法師団。団長が僕、副団長で直近の上司はエルネスト。ミケ君が真っ先に覚えないといけない行動制限は国外への出国。理由を明示の上で国王陛下の許可が必要になる。旅行の予定とかある?」
「無いです……」
ミケにとって、ローレと王都がすでに国外への旅行のようなものだ。この上本当の国外など、考えたこともない。
「任務で王都から出るときも集団行動が基本だよ、単独派遣は無し。王都の中ではそこそこ自由に行動出来るんじゃないかな」
「魔法師団の仕事は読み書きから覚えていきましょう。当面は私が指導官ですので、我が家にこのまま住んでレオ君と一緒に文字の勉強をするのはどうでしょうか」
「そ、そうだ、レオ、レオはどうなりますか?」
優美に頬杖をついて、第一王子殿下は答えた。
「処分と呼べるものは無いよ、それは決定しているから本当に安心していい。ただ、成人しているミケ君と違ってレオ君はまだ幼いだろう? 貴族後見人を誰が引き受けるかで揉めているんだ、年内には決まると思うのだけど」
「後見人……そう、そうですよね」
現実としてミケとレオは貴族か国、あるいは両方の庇護が必要だとエルネストが話してくれた。そうでなければ、また今回のようなことが繰り返されるだろうとも。
貴族後見人とやらが文字通り貴族しかなれないのなら、ミケは実兄であってもレオの後見人にはなれない。そして弟もミケと同様、辺境生まれの孤児だ。押し付け合いは難航するに決まっている。
「ミケさんもレオ君も、行き先が決まるまで当家で預かりますよ。不安にならなくても大丈夫です」
「エルネスト様……」
右も左も分からない王都で放り出されると、文字通り露頭に迷う。エルネストの言葉はものすごくありがたかった。
その後は、魔法師団の団員を紹介され、備品の係から制服を受け取って帰宅した。ミケに科された制限はそれなりに多かったが、制限をまとめた分厚い紙束を渡されてもミケは文字が読めない。特に魔法の使用に関してはかなりの項目があったため、訓練を進めながら説明を受けることになった。
次の日、ミケは早朝から鏡の前に座らされていた。
「これが男性用の櫛、こっちが髪紐ね」
青色の髪の痛んだ毛先を鋏で切り揃え、梳って結ぶナタリアの手つきは手品のようだった。鏡と向き合っているだけで、疎いミケにして何となく良い感じに見える頭にされている。
「こんなに濃くて綺麗な色の髪だもの、伸ばすといいわ」
「エルネストさんも長いですけど、伸ばした方がいいものです? 魔法に使えるとか?」
鳥の巣のようだった青の巻き毛は整えられ、首の後ろで邪魔にならないように結ばれた。そういえば第一王子殿下以外、魔法師団の人たちは色合いこそ違えど皆髪が長かった。髪が長い方が有利とか、何か利点があるのだろうか。
ミケの質問に、魔石みたいな使い方は出来ないけれど、とナタリアは前置きする。
「高い魔力を持っていないと髪はこんな色にはならないでしょう? 魔力で染まった髪は簡単に言うと売れるの。濃い色の長い髪が高位貴族の象徴になってしまったのは恥ずべきことだけど、ミケさんを侮る人が減るもの、伸ばして損はないわ」
朝から闇の深い話を聞いてしまったと、ミケは後悔した。
「ちなみに、この髪を鬘が作れるくらい伸ばして売ったら……?」
「家が建つんじゃないかしら」
「ワァ……」
いざという時の貯金ができると喜ぶべきか。
着方を教えてもらいながら制服を着たところで、ナディアに連れられたレオが入ってきた。
「にいちゃん! カッコいい!」
「お? マジ?」
魔法師団の制服は騎士のような立襟ではなく詰襟だ。制服を着込んだミケを、レオが目を輝かせて見上げた。
「そうかあ、カッコいいかあ」
身内贔屓もあるのだろうが、カッコいいと褒められたことは純粋に嬉しかった。研修中を示す臙脂色の詰襟が、まともな仕事に就けたことのないミケにとって初めての制服だった。
「似合ってるわよ。ねえ、ナディア?」
ミケとレオを微笑ましげに見たナタリアが、ナディアに振る。ナタリアと同じ色あいをしているナディアは、顔つきはエルネストに似たのか静かな印象の美しい少女だ。
一年あまりレオの世話をしてくれたと聞いた。ミケにしてみれば返しきれない大恩があるのだが、滞在から一週間が経っても会話が弾まず性格が分からない。元々口数が少ないのかもしれないが、才女と聞いているのでミケのような学のない人間とは話したくないのかもしれない。従って、ミケはこのときもナディアからの反応を期待していなかった。
けれど、ミケの予想に反してナディアは口を開いた。
「ええ、よくお似合いです」
真っ直ぐに伸ばされた背筋と、流れる水色の髪。冷たい印象に反した柔らかな声は、辺境を訪れた詩人が奏でていた竪琴の音をミケに連想させた。
長くなってしまったので分けました。
後半は明後日更新予定です。