最終話:親愛なる貴方方と、これから出会う貴方方へ
「うっわ、露骨!」
「これでもかというくらい露骨だな⁉︎」
王都の北西地区、西門にほど近い場所に建てられた建物を見上げ、カーラとアマデオは顔を顰めた。
大通りの喧騒から一本入った瀟洒な通りには、銀行や老舗の服飾店が立ち並ぶ。カーラとアマデオが引越し祝いを手に訪れたのは出来立ての店舗で、漆喰の白壁は豪奢な彫刻が両脇を飾り、上部の看板には『王室御用達』の金文字がしっかりと添えられていた。
店部分は通りに面した二階建てだが、それはこの建物のほんの一部だ。回り込むように配置された庭と塀、店の正面玄関の反対側に住居としての正門があり、タウンハウスとは呼べない広さの庭と居住区となる建物が建っていた。
「これタウンハウスじゃなくてちょっとした城ですよね?」
「公爵家の王都別邸だと思えば、まあ……」
建てられたての真新しい邸宅には城壁に近い部分に鐘楼が付いていた。王城にあるものより小振りではあるが、城壁より高い鐘楼からは王都の西側の国境でもある山地と、南にある港と水平線が一望出来る。
「……なんかもう露骨すぎて可哀想になってきた」
「住居がおまけなんだろうな、これ……」
木箱を挟まれ半分開いている扉を開け、カーラは殊の外元気に叫んだ。
「ステラー! 引っ越しと開店準備の手伝いに来たよー‼︎」
搬入用の木箱に埋もれながらも作業をしていた家主二人が、奥から顔を出した。
「カーラ!」
「アマデオ」
ステラは視察時に支給されたブラウスとズボン、リベリオはいつもの騎士服からジャケットを脱いだ格好をしている。作業をするならこれが一番であるし、洗うのも簡単だ。
「手伝いに来たよ。はい、これパンとお菓子の差し入れ」
カーラから包みを受け取って、ステラは休憩するべく茶器を引っ張り出した。
「住居部分はそんなに時間が掛からなかったんですが……」
「二人とも荷物少なかったね……」
この建物が完成したのが一週間前。城の寮から引っ越そうとして、ステラは自分の荷物がわずかトランク二つ分であることに気付いた。入城して二年はほぼ寮の私室におらず、ひと段落と思えば紺色の制服と金のサッシュと共に生活用品が支給され、私物を買い足す機会が無かったのだ。
結果、荷造りを手伝おうとしてくれたカーラとアンセルミ侍女長の勢いは空回りし、私物の運び込みは一瞬で終わってしまった。服を増やす必要性を説かれた時間の方が余程長かった。
「リベリオ、お前の私物で片付けるものあるか?」
「もう終わった」
「よおし、後で服を買いに行こうな⁉︎」
リベリオに至ってはステラよりも私物が少なく、出来上がった広々とした私室に私物を収めるのに十分と掛からなかった。こちらも騎士団の制服以外を用意しろと各所から説教をされた。制服で公式式典に出席するのにも限度はある。
ステラとリベリオが引っ越す最後の夜には食堂で壮行会が開かれ、居住棟の面子と北方騎士団の面子が入り乱れての賑やかなものになった。
「外から見たけど、鐘楼高いね?」
「七階相当だそうです。自動昇降機が付いているので、後で登ってみますか?」
「登ってみたい! けどこれ、絶対ステラの希望じゃないよね?」
「その、お店部分だけは希望を出してあとはお任せしたのですが……普段鐘を鳴らす必要はないので眺めを見ながらお茶でもなさって下さいと言われてしまって……」
「それ、ステラが鐘を鳴らす時ってさあ……」
登ってみたいけど考えたくないと断言したカーラの感想は最もであり、ステラも同意した。嫌ではないが予想もしていなかったと零すステラを見て、アマデオはリベリオに尋ねた。
「お前は要望とか訊かれなかったのか?」
「訊かれた。親族が泊まりに来て足りる部屋と、馬を置く厩舎を頼んだ」
貴族の家にはそれなりの部屋数と馬車用の厩舎があるのが当たり前であり、リベリオに要望を尋ねた職人は調度などを尋ねたに違いない。
「あとは任せて、出来上がったら鐘楼が付いてた。俺の邸宅じゃない、ローレ公爵家の邸宅だ。ひとまず使う部分に不自由がなければ構わない」
「それ、市井で間借りって言うからな?」
自分が家を建てる機会があればきっちりと要望は出そうとアマデオは決心した。
「オープンは明日でしょ? ショーケース見ていい?」
「もちろんです! 位置を変えた方が良さそうなところがあれば言って下さい。お茶を淹れますね」
商品の詰まった木箱を一旦隅に寄せて、空箱の上に魔石式のケトルを置いた。色とりどりの装飾品が並ぶショーケースを、カーラはうっとりと眺めている。
「すごいねえ、かわいいねえ。このお店って開くのは週末だけなんでしょう?」
とってきおきの茶葉を入れて湯を注ぐ。茶葉とティーセットは侍女長とナタリアがお祝いに贈ってくれたものだ。
「はい、城勤めを続けますので休日だけ開ける予定です。職名は変わるとのことですが」
「王家子女傅育官あたりかなあ。仮にも公爵夫人を侍女って呼ぶわけにもいかないしねえ、ルーチェ殿下は喜ぶと思うよ」
カーラが差し入れてくれたビスコッティも、ティーセットに付いていたお皿に乗せた。金彩の美しい什器は、初めて使うのに今ほど相応しいときもないだろう。
「本当に仮でも公爵家の業務はどうするんだ?」
「ローレは元々官僚が優秀だ。俺でなければ出来ないことはほとんど無いが、年の三分の一くらいはあちらで過ごすかもしれない」
官僚が優秀であるからこそ、ローレ家は自分たちの首を安く見積もっていたとも言える。民さえ穏やかに暮らせれば、治めるのが自分たちでなくとも構わないと思っていたのだ。
「顔見せか」
「顔見せだ」
リベリオとステラの一番重要な仕事は、ローレと王都を文字通り顔で繋いでおくことだ。とはいえ、それなりに知識や勉強は必要になる。閑散とした私室とは異なり仕事用の部屋の棚は資料で埋められ、これからも増える見込みだ。家具の運び込みはまだまだだが、部屋だけはある。引き継ぎや指導を依頼して、グレゴリオたちを泊めることもできると昨日は二人で話した。
使用人を募集するにあたって、問題を起こしたローレ公爵家の別邸で働きたい人間は少ないと思っていたのだが、意外にも求人は人気らしい。採用と指導にはアンセルミ侍女長の手を借りることにした。
「この絨毯をその隅に敷いて、テーブルを移動しよう。アマデオ、手伝ってくれ」
リベリオとアマデオが縛られたままの絨毯を解いて敷き、テーブルをその上に動かす。飴色のテーブルと椅子は重厚な作りで、これから開店する店にしては年季が入っている。
「そのテーブルセットはローレのお城から頂いたんです。使わないものだからと」
「公爵家で使われてた椅子とか、すっごく座りたい。お客様喜ぶよ!」
「さあ、カーラ嬢こちらへどうぞ」
アマデオが椅子を並べ、貴族の子女にするようにエスコートしてみせた。キャアと喜んでみせるカーラも社交力が高い。
「お店を毎日開けていられないのは、お客様にご迷惑をお掛けしてしまうのですが」
開店したての店だ。客層も売り上げも定かではなく、店員を雇うという選択肢は当分先になるだろう。何より、自分で店に立ちたいという気持ちがステラにはある。
「いいんじゃないかなあ。天望の公爵夫人のお店って感じで、神秘的だし」
ステラの手元で、お茶を注がれるのを待っていたティーカップが嫌な音を立てた。
ここ半年はティーカップを倒すことも、渋いお茶を淹れてルーチェ殿下に叱られることも無くなったというのに。
「だ、誰のことですか……?」
分かっていても、ステラは尋ねてみた。目はさておき耳の聞こえは普通だが、聞き間違いということもある。
「天望の公爵夫人とローレの秘宝、って演劇が上演されてるよ。興行主に言って券を貰ってこようか? でも天望ってイマイチじゃない? 天眼とか遠望のほうがいいと思うんだけど、ステラはどれがいい?」
冒険活劇みたいな演目名だった。そして天望の公爵夫人とは一体。どれと問われれば全てが大仰かつステラの実像が不相応に過ぎるので、いっそのこと謝ってまわりたい。
「ど……どうしてそんなことに……」
ソーサーからずれたカップを直し、ステラは人数分のお茶を溢さないように注いだ。
「千里の先を見通す天望の公爵夫人が、ミオバニア山脈からローレ家のお宝を見つける話らしいぞ」
アマデオが説明した演劇の内容は、一連の出来事と似ているようで全く異なり、随分と楽しそうなものだった。
四人分のカップが乗ったトレイをステラから受け取って、リベリオは笑った。
「千里先は見えないだろう」
「どうしよう、たくさん並んでる」
「ええー……」
新しくオープンした宝飾店の前で、二人の少女はどうしようと立ちすくんだ。入口に人が沢山いて、どこから入って良いのか分からないのだ。
「入られる方は、こちらにお並びくださーい!」
小柄な女性が看板を持って手を振っている。元気な声につられて、二人は列の最後尾に並んだ。学校帰りの制服の自分たちより、前の人も後ろの人もずっとお金持ちに見える。そしてそれは多分当たっている、居心地の悪さに会話はおのずと小声になった。
「ねえ、やめようよ。私たちに買えるものなんてないよ……」
「そんなことわかってるよ! でも一度くらい見たいじゃん……」
「宝石?」
「……天望の公爵夫人」
「……」
それは今王都で人気の冒険活劇の演目名であって、本人は名乗ってないんじゃないかなあ。そして公爵夫人は店頭になんか立たないんじゃないかなあ、と少女は思ったが口にはしなかった。友人が決して安くない券を買って何度も演劇場に見に行っていることを知っていたのだ。
演目のモデルになった公爵夫人が王都に宝飾店を構えるという話に、演目が大好きな友人は歓喜した。開店日の今日は朝から大興奮で、学校終わりに連行された。しかし、いざ列に並んでしまえば制服の人間など一人もおらず、列の中で怯える今に至っている。
勝手に離脱したら怒られるのではと考えているうちに辿り着いてしまった入口には、王室御用達と添えられた看板がある。怖気づいていると列の整理をしていた女性が少女二人の背を押して、二人は店の中に押し込まれた。
「二名様、ご来店でーす!」
高級感のある店内には二方向のショーケースがあり、片方では明らかに身なりの違う老夫婦を水色の髪の女性が接客していた。ショーケースの中は眩く輝いており、買うとかそういう値段ではないのが入口から見ただけでも分かる。
サロンを兼ねた商談スペースと思わしきテーブルセットでは、紫紺の髪の男性と黒髪の男性が和やかにお茶を飲んでいた。がっしりした体格に朗らかな笑顔をした黒髪の男性は少女たちからみても魅力的だったが、まさか声を掛けるわけにもいかない。
おのずと、少女らの足はもう片方のショーケースへと向かった。
そちらには、意外にも手ごろな宝飾品が並んでいた。可憐な耳飾り、細い金鎖の首飾り、小さな宝石の付いた指輪、丁寧な作りであれどシンプルなデザインのそれらは、どれもちょっと頑張れば買える値段だった。
「あっ、かわいい」
「かわいい」
思わず声に出してしまった自分たちを、ショーケースの内側の店員さんは笑わなかった。ブルーグレーのドレスを着て栗色の髪を綺麗に結った店員さんだ。
片眼鏡を着けた紫の目を柔らかく細めて、店員さんはお店の名刺を出してくれた。
「ローレ宝飾工房へ、ようこそお越し下さいました」




