8-8:移ろい揺れる願いの果てに②
謁見の間に存在する全ての視線を受けても、ルクレツィアは怯まなかった。小首を傾げ、いつも通りに微笑んで見せた。何故自分が注目されているのかも、分からないまま。
不遜とも取れるルクレツィアの態度に驚きか不快感を表す者が大半を占める中、シルヴェストリと国王はどちらの反応も見せなかった。
「ルクレツィア殿、こちらへ。……これは、貴女が染めたものですか?」
呼ばれたルクレツィアの背を、ゴッフリートが押した。
布に包まれた魔石の首飾りをルクレツィアが見る。国王の御前であっても、ルクレツィアはリベリオの前と全く同じ反応を示した。
「着けていたら色が変わるの、素敵でしょう?」
年齢にそぐわない可憐な声が、謁見の間に響いた。
リベリオとゴッフリートは、ルクレツィアを交えた事前の打ち合わせをしなかった。出来ることではないし、必要もない。偽るという行為は、ルクレツィアの中に存在しない。
シルヴェストリは王城に長く勤め、同世代であるゴッフリートとも交友があった。ゴッフリートの娘が、どのような娘であるかを知っていた。故に、遠回りに探るような真似はせず率直に尋ねた。
「ルクレツィア殿、これは、どなたから贈られたものですか?」
「商人を連れて遊びに来てくれたの。贈ってくださったのよ、気が華やぐだろう、って。ユリウス兄様が」
鸚鵡のようにルクレツィアは答えた。リベリオが問い、聞き間違いであってくれと幾度となく願った答えを。
そして、リベリオの答弁はここまでだ。ここから先の沙汰にリベリオは関われない。
「――ユリウス」
静かな声が、嘆きも深くユリウスの名を呼んだ。
国王ヴァレンテ・カルダノの御前に進み出たユリウスは、膝を突き、首を垂れた。
「一連の首謀は其方か、ユリウス・ローレ」
「左様にございます」
あまりにもさらりとした首肯に、当人たちではなく周囲が息を呑んだ。
「私が、憎かったか」
「いいえ。カルダノ王家への忠誠は城を辞してなお、変わりありませぬ。御身を狙ったものではございません。ですが、狙った先、その後ろに御身が在るということは存じておりました」
低く甘い響きを持ちながらも、明朗な声。冷然とした美貌に、灰の混ざった紫紺の髪が一房垂れ掛かっている。王の御前で膝を突く様は絵画のようで、彼が一連の首謀者であることを忘れさせかねない美しさがあった。
「では、誰を狙った? グレゴリオ、マリネラ、グローリア、リリアナ……よもや、隣国ということはあるまい」
「誰も。いいえ、誰をも」
王族しか持ちえない黄金の目が、怪訝に顰められた。
重罪人を引き立てよと声高に叫んだ面々が、声も出せないまま王と罪人の問答に立ち会わされている。
「この矢が届くのが誰であっても、我が妻、そして我が娘の涙が晴れるような気がしたのです。我が妻と娘は、マリネラとリリアナと自らを比べては、自らを否定する日々を送っておりました」
「誰であっても、と申したか。ローレ公爵家が、そんなにも憎かったか」
「妻と娘が泣き暮らす様を見て何も思わない夫が、親が居るでしょうか。……私達は、陛下の隣に並ぶマリネラが、可能性を秘めたリリアナが妬ましかったのです」
優れた親族を妬んだ末の、ありふれた凶行であるとユリウスは自白した。
「……何故、何故もっと早く言ってくれなんだ。お主が望めば、辺境伯の一つも作り与えたものを」
「そのようなことを一騎士になさってはなりません。陛下の御心を、このような些末なことでどうして煩わせることが出来ましょう」
騎士としての完璧な立ち振る舞い、泣き暮らす妻と娘を想っての凶行。亡くなったのが侍女と平民だけであるならば、と査察部の幾人かが呟いた。
「優れた姪達を妬んだ愚かな騎士の、浅ましい私怨にございます。何も知らぬ妻と娘にはどうかご温情を賜りますよう」
容姿、能力、人となり、騎士の鏡と謳われ、全てに恵まれた男が温情を請う。リベリオと同じ色をした鳶色の目には、城を辞して尚、仕えるべき王しか映らない。
強烈な違和感が背筋を這い上がり、ステラは反射的に口を開いていた。
「――違う」
ステラの声は、震えていながらもその場に響いた。
嫌というほど覚えのある悔しさが、ステラの口を突き動かした。
「……貴方のような方には、私やリベリオ様など目に入らない」
振り向いたユリウスが、ステラの姿を視界に映した。鳶色の目が少しだけ開かれる、あたかも、そこに人が居たことに初めて気づいたかのように。
「貴方のような方が、誰を妬むというのですか。貴方はマリネラ様もリリアナ様も妬まない、比べない。自分が彼等と同じか、それ以上であると知っているから」
リベリオとは異なる冷たい鳶色が、弓を描いてステラを映した。
「だから、貴方が疎んだのは貴方の――」
続きは、締め上げられた首の中で消えた。
いつ近付かれたのか。音もなく移動したユリウスの片手で首を掴まれ、ステラは吊り上げられた。
「御慧眼、痛み入る。……開けろ!」
「――はっ」
査問会が終わるまで開かれるはずのない扉が、扉を守る近衛兵によって開かれる。
開いた隙間からステラは投げ捨てられた。
「ステラ!」
扉が閉まる前に床とステラの間に滑り込んだリベリオによって、床に打ち付けられることはなかったが、二人の目の前で扉は無情にも閉まった。
外側に立っていた兵が扉を叩こうとするより先に、内側から甲高い金属の音が響いた。分厚い扉越しにも聞こえる剣戟の音が、どれだけ激しい打ち合いかを物語る。それが出来るのは中にいる誰か、リベリオもステラも思い当たる人間は一人しかいない。
「リリアナ!」
「リリアナ様!」
騒ぎを聞きつけた査察部と近衛兵が駆けつけるも、扉は依然として開かない。
「どうにかして開けろ! 中には陛下が居られるぞ!」
「回れ! 他の扉から回ってお助けしろ!」
「謁見の間に入口はここしかありませんよ! ここは三階です!」
リベリオとステラは顔を見合わせる。
扉の前で右往左往する人々を置き去りに、全力で走り出した。
通ってきた玄関ホールではなく居住棟へ。使い慣れた渡り廊下を駆け抜けようとした時、声を掛けられた。
「リベリオ!」
「ステラ⁉︎」
渡り廊下に据えられたベンチに、アマデオとカーラが仲良く座っていた。
「アマデオ? 悪い、急ぐ」
「おい、待て! お前達がもしここを通ったら渡せってエヴァルド殿下が」
アマデオがリベリオに渡したのは、いつもの弓のケースだった。
「ここで二時間お茶飲んでればってルーチェ殿下にお菓子まで渡されたんだけど、怖くない? はい、これも」
カーラの手にあったのは、小さなビロード張りの箱だった。
「ステラのことだから忘れ物かなって……あれ? 指輪つけてるね?」
律儀に中を見なかったのだろうカーラが、ステラの左手を見て首を傾げた。指輪が二つ収まる大きさとほぼ同じの、ビロード張りの小箱。
中身が何であるかを察したリベリオが、カーラの手から小箱を受け取った。
「……渡してください、リベリオ様」
「ステラ」
いつかステラが拒んだもの。そして今、ステラに必要なもの。
「私が、見ます」