1-10:閑話 丘陵にて
六人乗りの大型馬車を引く馬は大型種だ。太い脚で悠々と進む。
フェルリータを出て一週間、ステラの乗った馬車は王都とフェルリータの間に広がる丘陵地帯に差し掛かった。
「すごい! 一面の丘ですね…!」
その地帯は一面の丘に木と民家が点在していて、風光明媚な風景が旅人を始め、フェルリータの画家にも大人気だ。おりしも季節は春先とあって、一面の緑の丘、北の奥に山並みの見える、一年で最も美しい季節だった。
「お嬢さん、フェルリータから出るのは初めてですか?」
「はい。初めてです」
声を掛けてくれたのは同じ馬車に乗っていたご家族で、家族四人で王都に移住する予定らしい。
「はは、ミネルヴィーノの嬢ちゃんは都会っ子だ」
そう笑うのは、中央通りで顔見知りの画商だ。フェルリータで売り出し中の画家の絵を、王都に売り込みに行くところと聞いた。
馬車一台につきステラを加えて六人と、御者が一人。同じ様な馬車がもう二台でのんびりと王都に向かっている。
「王都は都会じゃ無いんですか?」
「ああー…いや、どうだろうなあ、出来て新しいからなあ」
向かう王都カルダノは三代前の王が海沿いに遷都した街だ。以前はもっと陸地にあり、建国数百年に渡り整理されることなく改築を重ねられた王宮と、詰まってしまった繁華街の発展に限界を感じて遷都した。
「街並みはスッキリはしてるよ、うん」
「特産品とか、産業とかはあるんですか?」
「開発中、だなあ。最初から港を作るつもりで遷都したから、港とその周りは賑わってる」
「なるほど」
スッキリとした港街、市が盛ん、ということが分かった。準備は王城内部の勉強で精一杯だったため、都市の勉強までは追いつかなかった。
「陸の中央で、尖塔が立ち並ぶフェルリータとは大違いだよ。当時の王様がフェルリータに近寄らなかったのはゴミゴミした街並みが嫌いだったせい、なんて話もある」
「ああ……、潔癖症で効率を最も重視した王、ですね」
遷都した王は旧王都のゴミゴミとした街並みに我慢がならなかったのだ、とは今でも語られる話である。
「まあ、悪いことでもない。新しい王都は今でも居住区や商業区を少しずつ広げてる。お前さん達も移住組だろう?」
「ええ、フェルリータで食堂をやっていました。下の子が産まれて、せっかくなら海に近い王都で新しい店を開こうと思って引っ越しです」
「フェルリータじゃ魚を扱う機会は無いですからね、商業区画に移住権を貰えたので楽しみです」
そう話すのは四人家族の夫婦で、どちらも三十代くらいか。傍には五歳くらいの子供と、奥さんの腕には赤ん坊が抱かれていた。
「王都で店を経営ってすごいですねえ」
王都への移住と開店にはそれなりに審査があるとステラは聞いている。
「いやいや、お嬢さんも。王城勤めなんてすごいじゃないですか」
「いえいえそんな」
と、ステラは謙遜を返したが、眼鏡の奥の目元がちょっと引き攣っていたかもしれない。婚約破棄のことを知っているであろう画商が、黙っていてくれるのがありがたかった。
馬車は、母がちょっと良い馬車を予約してくれていた。幌馬車ではあるが網窓があり、内部の床は絨毯が敷いてあり、クッションと合わせて寝ることもできた。一緒になったのもこの移住権持ちのご家族と行商に向かう画商なので、身元もしっかりとしている。金銭で買える安全は金銭で買いなさい、とは母の弁だ。
「本当に綺麗な山並みですねえ」
幌の後ろ部分から身体を半ば乗り出して、ステラは景色を眺めていた。春先の風は少しだけ冷たくて、草原の匂いがする。カタンカタンと馬車の振動も相待って、眠気さえ誘う心地良さだ。
髪紐が緩んでいたので、髪紐と眼鏡を外して、もう一度髪を結い直した。額に当たる風が冷たくて気持ち良い。
眼鏡を外しても丘陵は美しく見えた、障害物が少ないせいだろうか。雪の残る山並みと青空を二羽の鳥が飛んでいる光景は、ステラに絵心があればスケッチを描いているところだ。
「画商さん、あの鳥は何ですか?」
「ああ? どれのことだい」
「あれです、あの山のところ。黒に青が混ざった鳥と、茶色の鳥が二羽で飛んでる鳥です」
「黒青に茶色なら、それはライチョウだな。オスが黒青、メスが茶色、つがいで飛ぶんだ」
「ライチョウの夫婦ですか、綺麗ですねえ……」
フェルリータで見る鳥はスズメかハトだ。尖塔や軒先に巣を作っては厄介がられる、商売人に身近な鳥である。緑の草原も、色鮮やかな鳥もステラは初めて見た。
「嬢ちゃん、目がいいなあ」
「!? すごく悪いですよ!? それで眼鏡を掛けてるんです」
「そうかあ? ああ、それが眼鏡か。カルミナティってガラス工房が売り出してた」
「そうですそうです、無いと本の文字も読めなくて難儀してて」
「へえ、よかったらちょっと見せてくれや」
「はい! 目が悪くなられた際や、目の悪いご家族がいらっしゃる際は、是非カルミナティガラス工房と当店にご相談ください」
レンズの仕組みは、縁の予算はと、ステラは頑張って説明をした。目がいい、と言われたことは三分後には脳裏から消え失せていた。ステラのように困る人が一人でも少なくなって、ついでにエリデの工房とステラの実家が儲かりますようにと必死だったのだ。




