第三十七章 禁忌の術
「最後の最後まで、哀れな男じゃったのう……」
そういうと、長門守は赤黒い染みが広がった床の上に転がる村雨丸を手に取り、両手のひらに乗せた。
そして、刃の輝きをしばらく見つめたあと、袖で刀の表面を軽く払い、千影の目の前に持ってきた。
千影は目の前に差し出された村雨丸を再び握ろうと手を伸ばした時、「待て」と、湊が止めた。
「その村雨丸の力はまだ不完全だ」
「湊……お主、まさか……」
長門守は険しい表情で湊の顔を見た。
「その剣には、すでに陰陽神がお憑きになっているが、今はもう陰陽の世はほとんど魔に飲まれてしまっている。
その剣のままでは、おそらく魔王を倒すことはできないだろう」
湊はそう言うと、千影の横に並んで立ち、村雨丸に手を差し伸べた。
「だから、俺の元気を加える」
「元気?」
千影がそう言ったと同時に、長門守の少し後ろにいた楓婆は「それは禁忌の術じゃ!」と、一喝するように言った。
「禁忌?それってどういうこと?使っちゃダメな術ってこと?」
千影がそう訊くと、楓婆は眉間のシワをさらに深くした。
「元気をこの刀に加えるということはな、その忍びの魂をこの村雨丸に入れるということ。すなわち、この刀に魂を吹き込んだ者は死ぬんじゃ」
「なんだって……」
楓婆の話を聞いた千影は顔を青ざめた。
「そ、そんなの、絶対にダメに決まっている!!!
湊さん!そんなことしちゃ絶対ダメだ!!!
そんな術、絶対に使わせないからね!!!」
千影はそう言うと、長門守から村雨丸を取り上げ、両腕で抱きしめ隠した。
村雨丸を抱えて背中を向ける千影の肩に湊は手を乗せた。
「“託魂の術”は、剣の使い手の属性以外の、木火土金水のそれぞれの陰と陽の属性を持った九つの元気、つまり、魂を村雨丸に託す。
そうすることによって、村雨丸の陰陽の力はより一層強固なものとなるんだ」
湊がそう言うと、周りに立っていた忍びたちが、小さく縮こまる千影を囲んだ。
「でも……金の陽性である八雲さんと、水の陰性である蛍さんは……もういないんですよ。この二つの元気はどうするのですか?」
冷静沈着にハルが湊に訊ねた。
「金の陽性は、ワシがおる」
長門守がそう言うと、忍びたちは動揺し、千影も思わず顔を上げた。
「いけませぬぞ!長門守様。
あなたはこの忍びの里を仕切る長なのですぞ。
そのようなあなたが自ら禁忌を犯すなど……」
楓婆がそう言うと、長門守は笑った。
「もはやワシは長ではない。
息子を下界に逃した時から、ワシは長ではない。
今、ワシの孫が命がけで魔王と戦おうとしている。
せめて、最期くらい、祖父らしいことをしてやりたいんじゃ」
「じぃちゃん……」
千影は眩しそうに祖父の顔を見上げていた。
「では……水の、陰性は……」
つばめが言葉を詰まらせながらそう言うと、空気がズンと暗く重たくなった。
その時、「その心配は不要じゃ!」と、拝殿の入り口から声がした。
皆が一斉に声の方へ顔を向けると、そこには、顔を半紙で覆った千恵が立っていた。
「理人さま!!!」
皆は一斉に頭を下げたが、千影だけは理人の半紙をまっすぐ見ていた。
理人は颯爽と歩いて千影の目の前までくると、白く細い指先で千影が抱く村雨丸の柄に触れた。
「水の陰性の魂は、もうここに入っておる」
「え?」
千影は理人が触れた村雨丸の柄を見た。
そこには、赤茶色く変色した手形の血痕が薄っすら付いていた。
それを湊も顔を近寄せて見た。
「あぁ、そうか。きっと蛍のことだから、鬼にやられる間際に託魂の術を使ってこの村雨丸に魂を入れたんだろう。
あぁ……やっぱり、お前はそうしたのか……」
湊は目尻を赤くして声を震わせてそう言うと、少し微笑んだ。
そして、涙を手の甲で払うと、覇気で満ちた顔を忍びの皆に向けた。
「よし!お前ら!俺たちも千影とともに魔王と戦うぞ!!!
さぁ、早く村雨丸に魂を入れるぞ!!!」
そう湊が言うと、忍びたちは皆、手を繋ぎ千影を円で囲んだ。
「みんな……」
千影は忍びひとりひとりの顔を見た。
「お前はみんなの希望だ」と湊。
「俺たちがお前とずっと一緒にいること、忘れんなよ!」と孫七。
「負けそうになっても、くじけそうになっても、何度でも立ち上がって!」とヒバリ。
「後ろを振り向くな。前だけを見ろ」と杉谷。
「苦しくて辛くて何もかも嫌になっても、生きることから逃げないで」とつばめ。
「たとえ神に見捨てられても、自分を見捨てちゃダメよ」とイクラ。
「自分を信じて」とハル。
「大丈夫。皆、お前とともにある。だから、千影、お前は正々堂々と戦え!」と、長門守が言った。
皆の顔を見て、言葉の一つ一つを魂に受け入れた千影は覚悟を決めた。
そして、肺が破裂するほど空気を目一杯吸い込むと、「ハイ!!!!!」と返事をした。
すると、千影の周りを囲む忍びたちの体は光りはじめ、やがてその光は珠となり、村雨丸の白銀の刃に飛び込んだ。
すると、刃がまるで彩雲の光をまとうように輝きだした。
千影はその光をまっすぐ見ると、ゆっくりと鞘に収めた。
気のせいか、以前より刀が少し重たくなったような気が、千影はした。
「千影、大丈夫。あんたなら、この世を救うことができるよ」
理人の姿をした千恵は言った。
「もう、時間はありませぬぞ。千影よ、早く下界へ急ぎなされ!」
大巫女の楓はそう言うと、拝殿の大扉を指差した。
「はい。行ってまいります!」
千影は二人に向かって深々と一礼すると、踵を返して拝殿を飛び出していった。




