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第三十一章 木火土金水の試練⑩

 瞳の色が元に戻り、正気を取り戻した千影は、ピクリとも動かず土俵上に横たわる忍びたちの姿を目にして声をあげた。

千影は、村雨丸を振り上げた後の一瞬の間の記憶が全くなかった。

我に返ったとたん、忍びの皆が倒れていたので、千影は激しく混乱した。


「み、みんな!!!」


千影はぐったりしている皆のそばへ駆け寄ろうとした。

すると、「千影!!!まだ終わっとらんぞ!!!」と、長門守が祭壇から喝を入れた。

その途端、つい先ほどまで山のように不動だった、“金の陽”と書かれた半紙で顔を覆う八雲が、自らの腰に携えた鞘から刀を抜き取った。

そしてその刀を振りかざして千影に迫って来た。

八雲が握る刀は、望月家に代々伝わる陽刀“村正丸(むらまさまる)”。


この刀は、陰気の者を魂ごと切るために造られた刀であった。


八雲はあっという間に千影の目の前まで近づいた。

千影は村雨丸の切っ先を土俵に突き刺し、柄を杖のように両手で握りしめ、何とか立っている状態であった。

八雲は何も言わず、音ひとつ立てず、素早く村正丸を振り上げた。

すると、村正丸は太陽の焔をまとうように強烈な光と熱を放ちながら燃えた。

その村正丸の光を見たとたん、瞼が腫れ上がってわずかにしか覗かない千影の瞳は、再び赤く光り、それに呼応するように村雨丸も青く光り始めた。

八雲はまるで光の速さで村正丸を千影の脳天目掛けて振り下ろした。

千影は意識が朦朧としていたが、両手が勝手に動いたのか、それとも村雨丸が自発的に動いたのか、まるで磁石のように村正丸の刃に村雨丸がぶつかった。

二本の刀が衝突した瞬間、ドーンとものすごい衝撃音と振動が轟き、目籠の中は一瞬で煙に包まれた。

その間も、八雲は休むことなく、幾度と村正丸を千影目掛けて振り下ろした。

赤く瞳を光らせた千影も、腫れるまぶたをこじ開け、狭い視野の中で何とか村正丸の光を村雨丸の刃で受けて止めていた。

だが、村正丸を受け止めるたび、体のあちこちが悲鳴をあげた。

千影は今にもポキッと心が折れてしまいそうであった。

その時であった。

「千影ー!頑張れー!!!」という声が聞こえてきた。

それは、さっきまで倒れていたつばめのものであった。

すると、その声援は、徐々に伊賀組と甲賀組の忍びたちからも届けられ、やがては八方に座る里民たちにも広がった。


千影は信じられなかった。


(里民たちが……みんなが俺のことを応援してる……?)


八雲の攻撃に終始受け止めることだけで精一杯だった千影の村雨丸を握る両手に力が湧いてきた。

この時、千影は初めて、八雲が村正丸を振り下ろす前に刀を振ることができた。

八雲は火花を散らして村雨丸の刃を受けた。

すると、里民たちは歓喜の声を上げた。


「やれやれ!!!もっとやれ!!!」


「さっきの稲光の一撃をもう一度見せてくれ!!!」


里民たちは全員立ち上がって、まるでプロレスの試合でも見るように、八雲と千影の決闘に熱中した。


「あの子、さっきだいぶ殴られていたけど、大丈夫なのかな?」


「何だか、八雲の調子が変わってきたよ。あの子、ちょっとまずいんじゃない?」


里民たちの中でそういった声がちらほら出はじめた時、千影はとうとう、土俵の際まで追い詰められた。

八雲は村正丸を思い切り前に突き出した。

すると、村正丸の切っ先が刃の鎬地(しのぎじ)に当たった村雨丸は、千影の左手からポーンと土俵の外へ飛んで落ち、青い光を消した。

千影の左足は土俵俵(どひょうたわら)を踏んだ。

その時、八雲の顔を覆っていた半紙がめくれた。


その顔は、もはや怨念に満ち満ちた魔物そのものであった。


八雲は村正丸の燃え盛る刃をまっすぐ上にあげて構えた。



「お前は、この世にいらない」


その言葉を聞いた千影は、絶望の深淵へ沈み目を閉じた。

命の灯火が、まるでロウソクの火が吹き消されるみたいに消える光景が目に浮かんだ。


(それって、俺が存在しなきゃよかったってことか?)


村正丸が火の粉を散らしながら千影の頭目掛けて振り下ろされた。

もうなすすべが何もない。

千影は力なく目をつむった。

その時であった。


「諦めるな!!!最後まで立ち向かえ千影!!!」


その吠えるような叫び声とともに、村正丸の刃に冷たい大きな水の塊がぶち当たった。その水の塊は、村正丸に当たった瞬間、轟音とともにまるで龍のように真っ白な水蒸気の柱が天高く上がった。

千影はハッと目を開いた。

そこには素顔の蛍が、今にも後ろへ倒れそうな千影の腕をしっかり掴んで立っていた。

八雲は猛獣のように目と鼻の間に無数のシワを刻みながら、不気味なほど尖った歯を、わずかに開いた口の隙間から覗かせた。


「余計な介入は、ご法度だぞ、蛍」


静かに怒る八雲は濡れた村正丸を一振りして、雫を全て払った。

すると、再び刃は燃え始めた。

蛍は千影を自分の背後に隠した。

蛍の温もりと匂いを感じた千影は、冷え切った心がまた暖かくなってくるのを覚えた。


「木火土金水の試練の邪魔をした者は、陰陽神から天罰が下されるだろう」


八雲はそういうと、再び燃える刀を振り上げた。


「アンタの握るその村正丸は、憎しみや嫉妬にまみれた、汚れた刀だ!」


蛍がそういうと、村正丸を上に構える八雲の太い両腕には青筋が立った。

その様子を蛍の影から見ていた千影は、蛍を止めようとしたが、蛍は口を閉じなかった。


「ここは憎しみをぶつける場所じゃない!

アンタのそれは、試練でも何でもない。ただの八つ当たりだ!!!」


蛍がそう叫ぶように言ったとたん、八方の里民たちはそれに共鳴するように、八雲にブーイングを飛ばし始めた。

すると、八雲は顔を真っ赤にさせ、目を金色に光らせ憤慨した。


「みんな知っている。アンタはただ、千影を殺して、自分が村雨丸の使い手に就きたいだけだろう」


蛍はすっかり千影を背中に隠すと、不敵な笑みを浮かべた。

それを見た八雲は、土俵ごと叩き割る勢いで村正丸を蛍と千影目掛けて振り下ろした。

千影は蛍の背中にしがみついて震えた。

蛍は背中に千影を隠したまま、八雲の顔をまっすぐ睨みつけていた。

村正丸の刃が蛍の前髪の毛先に触れた時であった。


「やめぇぇぇいぃぃぃ!!!」


それは天が裂けるほどの大きな声であった。

蛍の目の前には、真っ白な狩衣を身にまとった長門守が、右手人差し指と中指で村正丸の刃を挟んで止めた。

周囲からは自然の音だけが聞こえる。


「もう、終いじゃ」


長門守はそういうと、炎がすっかり鎮火した村正丸を、呆然と立つ八雲の手から取り上げた。


「お前さんは、もう少し、正心が如何様(いかよう)なものであるのか、学び直す必要があるのう」


長門守は、意気消沈して灰色になった八雲の大きな肩に手を乗せた後、土俵の外へヒョイと降りて、落ちていた村雨丸を拾い上げると、再び土俵に上がり、土俵の中心に立った。

八方で身を前に乗り出し土俵を見守る里民たちと忍びたちは固唾を飲んだ。

長門守は片手をまっすぐ上にあげた。


「これをもって、木火土金水の試練を終了する。そして……」


長門守は、未だに蛍の背中にがっしりとしがみついたまま震える千影のそばへ寄ると、刃がむき出しの村雨丸を両手の掌に乗せて千影の顔の前に差し出した。


「お前は村雨丸の使い手として正式に認める。精一杯、魔王と戦ってこい!」


そう言うと、長門守は少し微笑んだ。


「は、はい!!!」


千影は力が入った返事をすると、緊張してぎこちなかったが、村雨丸をしっかり受け取った。

すると、八方の里民たちから歓声が上がった。

今まで散々野次や罵声を浴びせていた里民たちが、一斉にその場に立ち上がり、歓喜や賞賛の声を上げた。

理人も玉座から立ち上がって、拍手をしている。

千影は少しでも動かすと激痛が走る青紫色の顔面を緩ませ笑みをこぼした。

その様子を、蛍は誇らしげに見ていた。

湊とつばめとハルも千影のそばへ駆け寄り、温かい言葉を目一杯かけた。

歓声と拍手が鳴り止まない中、八雲はさっさと場外へ出て行った。

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