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第三十一章 木火土金水の試練(水気の試練)⑨

 目の前には、また、新たな一組の忍びが立っていた。

紫色の長いハチマキをたなびかせ、“水の陽”と“水の陰”と書かれた半紙でそれぞれ顔を覆っている。

“水の陰”の文字を見た千影はホッと胸をなでおろした。


「蛍だ……よかった……」


少し笑みを浮かべて安堵する千影はそう呟くと、目の前の忍び二人は同時に構えた。


「千影、この場所は神域だ。さっきも言ったが、手加減はできない。

だから、覚悟しろ、千影!!!」


蛍のその言葉に千影はぎょっとして、村雨丸を握る力が緩んでいた手元を引き締めた。

“水の陽”と書かれた半紙で顔を覆う忍びが一歩前に出た。


「その頼りない、腑抜けたような佇まい、叩き直してあげるわよ!!!」


(このドスの効いた低い男の声……さては、あのオネェだな!)


千影は何となく全身リラックスして変な力が入らない、いい状態だった。

千影も気合い十分で村雨丸を構えると、土俵の上が突然、波一つ立たない鏡のような水面になった。

突然、足元が水に沈み始めた千影は、慌てて態勢を立て直そうとした。

その時、イクラは両手を上げ「いでよ!龍神!!!」と叫んだ。

すると、イクラの背後から青緑色した五匹の龍が津波のように押し寄せ、千影に襲い掛かった。

あっという間に大波に飲まれ、水の中へ沈んだ千影。

その横を千影の身長の三倍はある大きな錦鯉が大きな目玉でギョロリと千影を見ながら通り過ぎた。

千影が握る村雨丸はまるで重い錨のようにどんどん沈んでいく。

村雨丸から手を離さなければ、溺れ死んでしまう。

千影は何とか上へ浮上しようと手足をばたつかせた。

だが、村雨丸の重みで全く上に上がらない。

すると、一匹の黒い出目金がヒラヒラと大きな尾びれを揺らしながら千影に近づいてきた。

千影は食われると思い、目をぎゅっとつぶった。

しかし、その出目金は千影を背に乗せると、水面へと浮上していった。

やっと水面から顔を出すことができた千影は激しく咳き込みながら呼吸をしていると、目の前には蛇が巻き付いた大亀、玄武(ゲンブ)の上にあぐらをかいて座った蛍がいた。


「ほ、蛍!た、助けて!!!」


掠れた声で必死に助けを求める千影に、蛍は手を差し伸べようとした。

すると、その時、千影の真後ろから龍神に乗ったイクラが現れた。


「甘ったれんじゃないわよ!!!そのヘタレ根性、私が徹底的に叩きのめしてやるわ!!!」


イクラは荒い鼻息で顔を覆う半紙を揺らしながら、左右に二匹ずついる龍神に指示を出した。

すると、千影は四匹の龍神に体をぐるぐる巻きにされ、再び水中に沈められた。

千影は必死にもがいたが、体がきつく巻き付けられているので、ビクともしない。


とうとう、千影は肺に貯めていた最後の空気を全部吐き出してしまった。


その時、左手に握られていた村雨丸の刃先が、わずかに龍神の胴に刺さった。

すると、その龍神一匹は鳴き声を水中に響かせ、千影から離れた。

左手が動くようになった千影は、朦朧とする意識の中で、必死に左手に握る村雨丸を振り回した。すると、次々と龍神が体から解けていなくなった。

一番最後に解けた龍神の尻尾に村雨丸を突き刺した千影は、水上へ飛び出そうとする龍神とともに水から上がった。

すると、そこは突然土俵の上へと変わり、意識がはっきりした頃には、千影は土俵の際ギリギリにつま先で立っていた。

今にも後ろへひっくり返って土俵の外へ落ちてしまいそうだ。

もしも、土俵から外へ出たら、その時点で失格。

村雨丸の使い手の権利も剥奪され、魂ごと陰陽神に消されてしまう。

千影は歯を食いしばり踏ん張った。

しかし、腰にぶら下げていた鞘には水がたっぷり溜まって重く、今にも後ろへひっくり返りそうだった。

その時、目の前に“水の陰”と書かれた半紙で顔を覆う蛍が現れた。

千影は必死に右手を伸ばし、蛍に助けを求めた。


「蛍……助けて!!!」


すると、蛍は、助けを求め伸ばした千影の右手ではなく、胸ぐらを掴むと、千影を土俵の真ん中へ乱暴に投げ飛ばした。

千影は土俵の真ん中に仰向けで倒れたまま、呆然としていた。

左手からは村雨丸が外れ、土俵の傍に転がっていた。

土俵の周りでは歓声が沸いた。

蛍は両手に水の球を作ると、それを千影に思い切りぶつけた。

それはまるで鉄球のように硬く、横腹に当たった千影はそのあまりの衝撃と激痛でうずくまった。

歓喜の声が辺りを包む中、蛍は土俵の土をザッザッと擦って音を立てながら歩いて千影のそばへ来た。

千影は腹を両手で抱えたまま、怯えた顔を上げた。


(本当に……こいつ、蛍なんだろうか?)


震える千影の目に映るのは、水の陰と書かれた半紙で顔を覆う“知らない”忍びであった。


「甘ったれるな!!!」


水の陰と書かれた半紙で顔を覆う忍びは、千影の腹を目掛けて水龍をぶつけた。

千影は血しぶきをあげて天を仰いだ。

すると、水の陰の忍びは、千影の髪の毛を鷲掴みにすると、口から血を流して目を虚ろにさせる千影の頭を、自分の口元に引き寄せた。


「俺が優しくするとでも思ったか?」


そう言うと、水の陰の忍びは突き放すように千影の頭から手を離した。

びしょ濡れの千影はその場に力なく横たわった。


「お前はやっぱり何も成長していないな!!!」


そう言いながら、水の陰の忍びは千影の腹に跨り、千影の胸ぐらを掴んで無理やり上体を起こさせた。


「そんな実力で魔王に立ち向かえるとでも思ったのか?」


水の陰の忍びは、千影の右ほほを水の拳で思い切り殴った。

千影は弾ける水の中で顔を変形させながら土俵にバッタリ倒れた。

千影の両耳は激しい耳鳴りがした。

その遠くで、里民の囃し立てるような歓声がドッと湧くのを聞いた。

水の陰の忍びは両手の拳でボコボコと千影の頬を殴り続けた。


「お前の中のヘタレ根性は全く変わっていない!!!」


千影が殴られるにつれ、里民達の歓声はそれを煽るようにヒートアップする。


「悔しかったら立ち向かってこい!!!」


千影は腫れ上がって血だらけの顔を歪ませて血の涙を流した。

里民達の声は聞こえなかったが、この水の陰の忍びの声だけははっきりと聞こえた。


「そんなんだから、お前はいつまで経っても自信が持てないんだ!!!」


水の陰の忍びは、手を休めることなく殴り続けた。

殴るたび、血しぶきが上がる。


「千影!立ち上がれ!!!

お前はこれから天地をひっくり返した魔王と戦わなければならないんだぞ!!!」


土俵の中心が血で赤黒く染まっていた。

いつの間にか、周囲の歓声は静まり返っていた。

殴り続ける、鈍く生々しい音だけが辺りに響いていた。

両手を血の色に染めて千影を殴り続ける水の陰の忍びのそばに、イクラが及び腰で近づいた。


「ちょ、ちょっと、蛍くん……やりすぎじゃない?」


イクラは控えめに声をかけた。

しかし、水の陰の忍びは手を止めようとしない。


「これ以上殴ったら、この子本当に死んじゃうわよ!!!」


イクラは怯えるように叫ぶと、水の陰の忍びの腕を掴んだ。

すると、「邪魔するな!!!」と、水の陰の忍びは激高し、水柱を掌から出してイクラを土俵の端に吹っ飛ばした。

水の陰の忍びは再び千影の胸ぐらを掴んだ。

千影は鮮血で顔を真っ赤に染めて、両目両頬はパンパンに腫れ上がって赤紫色をしていた。


「千影!!!自分の力で立ち上がれ!!!全力で俺に向かってこい!!!」


そう言うと、水の陰の忍びはぐったりしている千影の顔に冷たい水塊をぶつけると、だらりと開きっぱなしの手に村雨丸を無理やり握らせた。


「千影!!!俺を倒せ!!!魔王のところに行くなら、俺を倒してから行け!!!」


千影は痙攣する腫れ上がったまぶたをこじ開けて視界を開いた。

その時であった。

一陣の冷たい風が通り過ぎ、水の陰の忍びの顔を覆っている半紙がめくれ上がった。


そこに見えたのは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった蛍の素顔であった。


千影は初めて蛍の素顔を見た。

しかし、その顔は、初めて見た気がしなかった。

まるで、ずっと昔から知っているような、どこかで見覚えのある顔であった。

そして、その顔は、この世で一番悲しい顔であった。

蛍の顔を見た千影は、胸をぐしゃりと潰されるように苦しく辛かった。


「なんで……お前が泣いてんだよ……」


千影がかすれた声で囁くように言ったとたん、千影の瞳の色が赤く光り、村雨丸が青く光った。

千影は腫れ上がった顔をニュッと不自然な動きで起こすと、蛍に向けた。

そして、胸ぐらから蛍の手を引き剥がすと、光る村雨丸を天高く振りかざした。

血の色に染まった瞳が稲光のように強烈な閃光を放つと同時に、千影は村雨丸を思い切り振り下ろした。

その途端、地面が割れるほどの雷鳴とともに、蛍とイクラ、その周囲に待機していた他の忍び達も皆、一斉に吹き飛ばされ、土俵を覆う鋼目籠に体を激突させると、土俵の傍に叩き落ちた。

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