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第三十章 父親の話②

 千影がやっと泣き止んだのは、すっかり夜が更け、雪もこんもり積もった頃であった。

千影はご飯を食べる時も、風呂に入る時も、ずっと泣きっぱなしだったので、布団に入る時にはすっかり泣き疲れていた。

こんなに泣いたのは、おそらく人生初めてのことだろうと、千影は布団にすっぽり頭を隠して恥じた。

誰かが戸を開ける音がしたので、千影は鼻から上だけ布団から出した。

蛍が雨戸を開けていた。

すると、そこには白銀の雪景色が広がっていた。

雪はすっかり止んでいる。

千影は布団から這い出ると、寒さに身震いしながら縁側に出て空を仰いだ。

不思議だ。

日中、太陽は見当たらなかったのに、月はある。

いや、この月もなんだか変だ。

夜空に浮かぶその光は、丸い形をしていなくて、巨大な星のようなものがまたたいているようであった。

今だに覆面忍び装束のままの蛍も、あぐらをかいて天の光を見上げていた。


「お前はさ……父親のこと、恨んでいるか?」


突然、蛍がそんなことを聞いてきたので、千影は泣き腫らした目を見開いて蛍の横顔を見た。

まっすぐ天の光を見上げる蛍の横顔は、なんとなく、自分の父親の面影に似ているような気がしてならなかった。


「俺は……今は、恨んでいないよ」


「今は?」


蛍が突然千影の顔を見たので、千影は泣き腫らした顔を隠すように目をそらした。


「最初は……自分は忍者だって嘘をついて、俺と母ちゃんを残して家を出て行ったと思っていたから、ずっと恨んでいた。

父ちゃんのついた嘘のせいで、俺は学校でいじめられて引きこもりになって、そのせいで、母ちゃんが苦労して死んだ……ずっとそう思っていたんだ。

俺の人生の不幸は全部父ちゃんのついた嘘のせいだって。

でも、蛍と出会って、俺も何とか忍者になって、忍者の存在をどんどん知るようになってから、俺の父ちゃんは本当に忍者だったんだって確信したよ」


千影は泣き腫らして霞む目をこすると、再び空を見上げた。


「あの時の……自分は、本当は忍者だって俺に打ち明けて家を出て行く父ちゃんは、何か覚悟を決めた顔をしていた。

とても、逃げ回るとか、仲間を裏切るような人間のものじゃなかった。

確固たる信念がある顔だった」


そう言うと、千影はまっすぐ蛍の目を見た。


「だから、俺は、父ちゃんを恨んでいない」


千影がそう言うと、蛍は優しく微笑んだ。


「うん。お前の父親は、悪い人じゃないよ」


蛍はそう言うと雨戸を閉め、使い古したランタンに火を灯すと、千影を布団へ入れさせた。


「蛍はさ、俺の父ちゃんのこと、知ってるの?」


千影は布団に入りながら聞いた。

すると、蛍は笑って頷いたが、何か辛そうに堪えているようだった。


「父さんは……お前の父さんは、とても優秀な忍びで、俺の憧れの人だった」


「え!?俺の親父って、そんなすごい忍者だったの?」


千影は布団に入るのをやめて上半身を起こした。

その千影のあまりも嬉しそうな顔を見て蛍も思わず笑った。


「あぁ、お前の父さんは最年少で上忍になった。

忍術の腕前も素晴らしかったが、それ以上にお前の父さんは、正心をよく心得ていた立派な人間だった。

いつでも、お前とお前の母さん、それから、仲間のことをひと時も忘れないで、ずっと大切に大事にしていたよ」


「父ちゃんが!?本当に?」


「あぁ、本当だ。

お前の父親は、常に一枚の家族写真を持ち歩いていた。

お前とお前の母さんが写った写真を、肌身離さず、ずっと大切に。

千影、お前の父さんは、いつもお前のことを思っていたんだよ」


千影は初めて自分の父親の良い話を聞くことができたので、嬉しくて部屋中を飛び回りたい気分だった。

今までの自分の暗い過去が明るいものへと変わりそうな気がしてならなかった。


「だから、明日は外野から悪い言葉を吐かれても、気にするな。堂々と試練に挑めよ」


蛍はそう言うと、千影の枕元にきっちり畳まれた狩衣と黄色いタスキを置いた。


「これは、明日の試練で身につける清服だ。着方は明日の朝教える」


千影は頷くと、布団に入った。

千影の顔は満足げだった。

どうしてあんなひどい噂が流れたのか、とか、湊と蛍が自分に何かを隠している事なんて、今の千影にとってはどうでも良いことであった。

蛍が教えてくれた父親の話だけで千影は十分だった。

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