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第二十九章 忍びの里③

 甲賀組は、言葉一つ交わすことなく各々姿を消した。

今、拝殿の前にいるのは、地べたにへたり込む千影を取り囲む伊賀組の忍びたちだけ。


「もう、俺、わけわかんねぇよ……」


千影が地面の白砂を両手でえぐるように握りしめながら言った。


「初めて会えた爺ちゃんには、いきなり親父と縁を切ったから家族でも何でもないって言われるし、村雨丸の使い手にはまだ認められていなかったし、それに……」


千影は耳を外周へそばだてた。

すると、ふたたび、千影と千影の父親のことを罵る数々の声が聞こえてきた。

千影は声が聞こえてくる周辺を見回した。

だが、伊賀組以外の人間は誰ひとり見当たらない。


「俺の親父、何かしたのか?

さっき、鳥居をくぐってから、何か変なんだ。

親父と俺の悪口がたくさん聞こえてくるんだよ」


千影は怯えるように両手で耳をふさぐと、自分を囲むように立つ伊賀組の皆の顔を見た。

誰も何も言わなかった。

覆面で覆われた皆の目元が、揃って険しかった。

すると、突然、「どうして、お前の親父がこの里で嫌われているのか、教えてやろうか?」という声が聞こえてきた。

その途端、千影以外の伊賀組全員が懐から苦無を取り出し、一斉に同じ方向を向いた。

その先にいたのは、つい先ほどまで一緒にいた甲賀組の下忍、孫七であった。


「テメェ、何吹き込みに来た」


湊は苦無を握る手をギチギチ鳴らしながら言った。

その様子を見た孫七は少し尻込みした。


「こ、こんな神聖なところでそんな物騒なものを向けないでくださいよ。

俺はただ、千影(そいつ)が本当のことを知りたいって言うから、教えてあげようと思っただけで……」


両手を挙げる孫七がそう言うと、蛍は苦無を放り投げ孫七の胸ぐらを掴んだ。


「蛍、やめろ。土俵以外での争い事は厳禁だ」


湊がそう言うと、蛍は孫七の白い覆面から覗く細くつり上がったキツネのような目を憎々しげに睨むと、胸ぐらから手を離した。

孫七は蛍の形相を見て、一瞬、萎縮したが、また調子を取り戻したように、乱れた胸元を整えながら不気味な笑みを浮かべた。


「昔、陰陽神の信託を受けた長門守が、湊と蛍と千影の親父たち三人に、“魔王を孕んだ魔女を殺せ”って命令を下したが、魔女のもとへ向かう途中、千影の親父ひとりだけ逃げ出した」


孫七は伊賀組の周りを歩きながら言った。


「そのあと、魔女を殺そうとした湊と蛍の二人の親父は、腹の中の魔王に返り討ちにあって、呪い殺されたのさ」


「な、なんだって……?」


千影は伊賀組の皆の顔をもう一度見回した。

つばめとハルは、千影から目をそらして俯いている。

湊は今にも孫七に襲い掛かりそうなほど全身の毛を逆立てている。

蛍は静かに地面に落ちた苦無を拾い上げていた。

孫七は千影の顔を正面からまっすぐ見ると、細い目を大きく開いた。


「お前の親父は大罪人だ!

湊と蛍の親父、いや、それだけじゃない、忍びの民、陰陽神までも裏切って逃げた卑怯者の臆病者なんだよ!!!」


孫七がそう言い切ると、周辺から多数の声がこぞって孫七に同調した。


千影は最後に見た、父親の姿を思い出した。


「実はなぁ、父ちゃんは忍者なんだ」


そう言って家の玄関のドアを開けて出て行く父親の後ろ姿。

それは、幼い千影にとって、ヒーローの大きな背中そのものだった。

その背中が、卑怯者の裏切り者のものだったなんて、千影はとても信じられなかった。


「この忍びの里の住人たちは全員、生まれ持っての超一流エリート忍者である八雲さんこそが村雨丸の使い手にふさわしいと思っている。

お前がこの里から嫌われている理由がよく分かっただろう?」


孫七がそう言ったとたん、孫七の背後に砂煙が立ちのぼり、白い忍び装束姿のヒバリが姿を表した。

そして、間髪入れずに、孫七の脳天に思い切りゲンコツを落とした。

孫七は両手で頭を抱えてうずくまり唸った。

周辺の声も一斉に静まり返った。


「アンタ、こんな神聖なところで余計ないざこざを起こすんじゃないわよ!

そんなだから、いつまでたっても、アンタは下忍の下の下なのよ!」


ヒバリの怒涛の叱責に、伊賀組は皆、あっけにとられていた。


「だ、だって、コイツが親父のこと知りたいって言うから、俺は、ただ親切に教えてやっただけなのに……」


「アンタのその言い方のどこが親切なのよ!」


ヒバリはそう言うと、孫七の首根っこを掴んで千影に顔を向けた。


「本当、ごめんなさいね。千影くん、明日の試練、頑張ってね」


千影は引きつった顔で無理やり笑顔を作った。

ヒバリは孫七とともに、あっという間に砂嵐の中へ消え去った。


二人が去った後の埃っぽい風が伊賀組たちの間を虚しく吹き抜けていった。


「ただの噂だ。気にするな」


湊はそう一言だけ残すと、空咳を一つして蛍を指先で呼んだ。

二人は何やら少ない言葉を交わすと、湊はひとり、里の奥へ歩いて行ってしまった。


「千影、あとで迎えに行くから、それまで、つばめとハルにこの里を案内してもらえ」


蛍は千影の顔を名残惜しそうに見ながらそう言うと、湊の後を追っていった。


「千影、行こう」


うずくまる千影の肩につばめはそっと手を置いた。


「明日の試練をやる場所を見に行こうよ」


ハルも千影にそっと声をかけた。

千影は重たい頭を起こすと、小さく頷き立ち上がった。

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