第二十五章 千影、踊る!②
「ただいまぁ〜」
千影は清々した気分で家路についた。
時折、つばめのあのウインクを思い出す。
それだけで、口元が緩む。
(今回の作戦は、我ながら、良くできていたなぁ)
思い返すたび、自惚れる千影は、鼻歌交じりで部屋のドアを開けた。
すると、ひんやり乾いた風がスーッと吹き抜けた。
(窓、開けっぱなしで出てきたっけ……?)
そう思いながら、部屋の電気をつけようとスイッチに触れた。
その時だった。
「動くな」
突然、背後に人の気配と声がした。
後ろを振り返ろうとすると、頬に冷たい金属が当たる触感がした。
「藤林千影。今度こそ、お前の命、頂戴する」
(この声……どこかで聞いたことがあったような……)
千影はそう思いながら、袖から忍ばせていた棒手裏剣を一本、そっと手のひらに落として握ると素早くしゃがみ、後ろを振り返った。
その瞬間、ドアが閉まり、部屋の明かりがパッと点いた。
千影の目の前には、白い忍び装束で身を包んだ小柄な忍者がひとり、苦無を構えて立っていた。
「お、お前は!あの時の……屋上で俺に無理やり自殺させようとした白い忍者!」
千影が目の前に立つ忍者に向かって指をさして叫んだ時であった。
「お前は後ろに隠れていろ!」
千影は誰もいないはずの背後から腕を掴まれ後ろへ引っ張られた。
「ほ、蛍!?お前、どうして家に!?」
背後にいたのは蛍であった。
蛍は千影を自分の背後へ隠すと、背中から素早く忍者刀を抜き、刃先を白装束の忍者に向けた。
「コイツは、甲賀組の下忍、鵜飼孫七だ。
孫七お前、直接部屋まで来て千影を襲うとは、いったいどういうことだ!」
蛍が光る刃先を孫七の覆面で覆われた鼻先に近づけた。
孫七は苦無の切っ先を蛍に向けたまま、ゆっくり後退した。
その時、押入れと天袋の戸が同時にスーッと開いた。
その瞬間、中から黒装束の忍び二人が同時に飛び出して、孫七に襲い掛かった。
「ハルとつばめちゃん!?」
千影は棒手裏剣を持った手をブラリと下げたまま、目の前の光景を蛍の背後から見ていた。
つばめは素早く孫七の手から苦無を取り上げ、その隙にハルは孫七を縄で縛り上げた。
つい先ほどまで強気の様子だった孫七の顔は、すっかり青ざめていた。
「ご、ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!」
孫七はガタガタ震えながら「殺さないで!」と懇願した。
「こ、これは、俺がやりたくてやったわけじゃないんだ!」
孫七がそういうと、ハルは縛った縄の端を引き上げてさらにキツくした。
すると孫七は「イタイ!イタイ!」と喚いた。
「それは、一体どういうことだ?」
蛍は忍者刀の先端を孫七の喉元に近づけ訊いた。
その横からつばめも苦無の切っ先を孫七に向けた。
千影はその様子をただ呆然と見ているだけであった。
孫七は震えながら唇を動かした。
「じ、じつは、ある人に、頼まれて……」
孫七はそう言うと、うつ伏せになり、もがくように体を揺すった。
すると、胸元から小さく畳まれた紙がハラリと落ちた。
蛍は忍者刀を背中の鞘にしまうと、その紙を手に取り開いて中身を見た。
「藤林千影の……暗殺計画書……だと?」
「あぁ。それを書いたのは……服部湊だ」
孫七がそう言うと、蛍の大きな瞳はキュッと小さくなった。
「こんなもの、偽物だ」
蛍はその紙を手で握りつぶして床に投げ捨てた。
それをすぐにハルが拾うと広げて見た。
「これは……確かに、湊さんの筆跡です」
ハルがそう言うと、つばめも苦無を持ったままその紙切れを見た。
「うわっ、この筆圧の強さといい、癖の強さといい、明らかに湊さんが書いた字だわ」
つばめがそう言うと、一番顔が青ざめたのは千影であった。
「ど、どういうこと!?お、俺、湊さんに殺されるかもしれないってこと?」
千影がそう言うと、蛍が「いい加減にしろ!」と、一喝した。
「それだから、いつまで経ってもお前たちは半人前の下忍なんだ。
これは、明らかな蛍火の術だろうが!」
蛍がそう言うと、千影は「え?蛍の術!?」と、さらに混乱した。
「でも……湊さんは、本当に怪しい」
ハルがボソリと言った。
「あの、め組が銀狼に突然奇襲を掛けた時も変だった。
僕がちょうど所用でめ組にいない時、湊さんは銀狼を襲った。
そのことについて湊さんから未だ何の弁明もない。
湊さんは何かを隠している」
ハルは蛍に迫るように言った。
すると、その横につばめ立った。
「そうだ。湊さんは絶対何か隠してる。蛍だって何か知ってんだろ?」
「お前ら……」
蛍が呆れたようにそう言いかけた時、ハルは孫七を縛る縄の端を持ったまま、ズイと前に出た。
「蛍くんだって、僕たちに何か隠しているんじゃないですか?」
ハルは闇夜のような大きな瞳で蛍に詰め寄った。
蛍は一歩も動かず、じっとハルの目を見ていた。
ハルはさらに顔を蛍に近づけた。
「湊さんと蛍くんの父親が、魔女切りに失敗して呪い殺されたって話、あれは本当のことなんですか?」
ハルがそう言うと、蛍の目つきが厳しくなった。
その時。
「千影さん?お友達がいらっしゃってるの?」と、下の階から階段をゆっくり登りながら尋ねる祖母の声が聞こえてきた。
「やばい!ばぁちゃんだ!」
千影は慌ててドアノブを押さえて蛍に言った。
蛍は縄でぐるぐる巻きになった孫七をヒョイと小脇に抱えた。
「俺はコイツを甲賀組に返してくる。お前たちは、もう帰れ」
そう言われたハルとつばめは不満気味だったが、蛍が火のつけた鳥の子を床に転がすと、白煙とともに姿を消した。
ポツンと取り残された千影が部屋にひとり。
(湊さんは……俺を殺そうとしているのか……?)
千影はむせながら部屋に充満した白煙を手で払いのけた。
しかし、心の中の靄は濃くなるばかりだった。




