第十六章 め組の奇襲①
千影は、つくづく自分はつまらない人間だと思って嫌になった。
忍びたちもヤンキーたちも、自分なりの信念を持ち、覚悟をもって生きている。
千影にはこれと言った信念がない。
それゆえ、命をかけるほどの覚悟もない。
何も考えず、嫌なことからは逃げに逃げ、自堕落に、無責任に生きてきた。
「俺、何もないな……」
自分のやるべきことは?と考えれば、他人から与えられたタスクばかり。
自ら考え行動すべきことが全く見えてこない。
「これは、今まで何も考えないで無責任に生きてきたツケなのかな……」
夕焼けトンボが金木犀の風とともに飛び去るのを眺めながら、千影は銀狼アジトの端っこで膝を抱えていた。
どこからともなく銀狼の隊員たちがパラパラと集まってくる。
今夜、銀狼の定期集会が開かれるのだ。
「た、大変だぁぁぁ!」
各部隊が各々所定の位置に集まり、ざわざわと雑談していたところに、すっかり取り乱したリキチが大声を張り上げながら飛び込んできた。
「何があった」
倉庫の一番奥にどっしりと構えて座っていたタコヤの声は冷静であった。
「め、めぐっ、め組の一行がこっちに向かって攻めてきます!!!」
「なにぃ!?」
リキチの言葉を聞いたとたん、タコヤは顔をキツくしかめて立ち上がり、周りの隊員たちは一斉にどよめいた。
千影は呆然とリキチの焦る表情を見ていた。
(め組のリーダーって……確か、湊さんだったよな……)
千影の胸の内は嫌な予感でざわつき始めた。
その時、タコヤは一喝した。倉庫内は一瞬で静まり返った。
タコヤは、隊員たちの顔をひとりひとり確認するように見回すと、大きく息を吸い、雷鳴のごとく言葉を放った。
「テメェら!今すぐ武装して、戦闘態勢に入れェェェ!!!」
タコヤがそう言うと、すかさず隊員たちは拳を高く上げて吠えた。
各部隊の隊長を中心に、一斉に戦いの準備を開始した。
だが、銀狼の集会は日が沈んだ後の夜にあるため、今は隊員がまばらな状態だった。
千影が所属する第五番隊も、まだ半分も人数が揃っていなかったが、キヨとマサは、今いる隊員それぞれにヘルメットを被らせ、鉄パイプや角材を持たせた。
千影も安全第一の黄色いヘルメットを被り、持ち慣れない角材を両手で握りしめながら、小刻みに震えていた。
(こんなのウソだ……。ついこの間、湊さんは正心第一を貫けって言ったのに。
陰陽の巡りを妨げる魔王の魂を根絶することが最終目標だから、この目的以外で、不要ないざこざは避けなければならないはずなのに。
必要のない争いはさらなる乱れを生むのみって蛍も言ってたのに、どうして……)
各部隊は、隊長を中心にあっという間に戦闘準備を整え、出陣の用意ができた。
「テメェら!め組は十四郎さんの命を奪った銀狼の敵だ!
今こそ、その借りを返す好機!
ひとり残らずぶっ潰して目にもの見せてやれェ!!!」
タコヤがそう吠えると、隊員たちもそれに応えるように声をあげた。
(何だって!?め組が十四郎さんを殺した?殺したのは、銀狼の下っ端じゃなかったのか!?)
千影も皆に混じって拳をあげたが、拳は戸惑いで揺れていた。
まだ人数が揃わない不完全なまま、銀狼はめ組を迎え撃つべく、勢いよく倉庫を飛び出した。
大倉庫のすぐ背後に広がる小高い丘の上には、赤い兜をかぶり、上半身だけガッチリと甲冑を装着し、なぜか、下半身には赤い褌だけを風にヒラヒラなびかせた人間たちが、“め組”と金色の文字で書かれた真紅の旗を掲げてズラリと立っていた。
その数、二百人あまり。これに対して、銀狼はたったの四十人ちょっと。
め組の勢力を目にしたとたん、キヨとマサが同時に口をあんぐりと開けた。
「これ、ヤバくね?」
他の隊員たちも不安そうに互いの顔を見合わせた。
すると、丘の中央からひとり、金の甲冑に赤いふんどし垂れ下げ、般若の面で顔を覆った銀髪の大男が出てきた。
それを見たとたん、千影の瞳孔はきゅっと小さくなった。
(湊さん……)
その面の男は、夕暮れ空の全部をそのまま切り取ったくらい大きな旗を片手で担ぎながら声を張り上げた。
「お前たち銀狼は、今日限りで解散してもらう!!!」
面の男がそう言ったとたん、銀狼の隊員たちは怒りや驚きですっかり興奮し、各々怒鳴り散らし始めた。
「テメェら黙りやがれっっっ!!!」
何も言わないタコヤの横に立つ大きな斧を担いだ大男の小太郎が、斧の肢を地面に叩きつけ、隊員に向かって一喝した。そして、静まり返った時、タコヤはいきなり背後に立つ隊員の胸ぐらを掴むと、思い切り殴り飛ばした。
真っ赤な血がべっとりついた拳を掲げて隊員たちに見せつけ、静かに口を開いた。
「次、弱音を吐いたやつは、ぶっ殺す」
タコヤの三白眼は、怒り心頭でほとんど白目になっていた。
それを見た千影は全身の血の気が失せた。
(どうしてだ?どうしてこんなことになったんだ?
湊さんは頭がおかしくなってしまったんだろうか?
俺の今までの苦労は何だったんだよ……)
タコヤは再び目の前に立ちはだかるめ組の軍勢に顔を向けた。
千影は気が動転して、身も心もどうにかなってしまいそうだったので、二重息吹の術で浅く乱れた呼吸を整えつつ、蛍から教えてもらった護心術の一つである早九字を試した。
「悪魔降伏、怨敵退散、七難速滅、七復速生秘」
両手で印を結んで、上ずりながらささやき唱えると、印を結ぶ指先に息を吹き入れた。
そして、両目を硬く閉じると、右手人差し指と中指に全神経を集中させ、横に五本、縦に四本、線を宙に素早く引いた。
不安や怒り、悔しさ、憎悪、そして恐怖……様々な感情の嵐が吹き荒れ激しい波しぶきをあげる鉛色の心の海の上を、九字の光が蝶のように舞い飛ぶ。
すると、風が弱まり、海も凪いできた。
(今、俺がやるべきことだけを考えるんだ)
千影は、ゆっくりと目を開けた。
それと同時にタコヤは、全身を力ませ、声の限りに吠えた。
「頭数の差なんて俺たちには関係ねぇ!!!銀狼の名に恥じぬよう正々堂々と戦え!!!」
すると、隊員たちもこれに応えようと拳を振り上げ吠えようとした。
そのわずか手前で、天が裂けるほどの叫び声があたりに響き渡った。
「待ってくださぁぁぁいぃぃぃ!!!」
隊員たちは一斉に背後を振り返った。
皆の視線の先には、最後尾の一番端っこでまっすぐ挙手をする千影がいた。
「こ、ここは、いったん逃げるべきです!!!」
千影がこう言うと、隊員たちは頭上に突き出そうと固く握った拳をそのままで、目を丸くした。
戦意と殺気が満ち満ちて、今にも大狼となって丘の上のめ組目掛けて猛進しようとしていたタコヤは、ゆっくりと後ろを振り向いた。
その顔は、恐ろしいほどの無表情であった。
(ニン!テメェ、やめとけ!)
五番隊隊長のキヨとマサがまったく同じ目顔で千影に訴えた。
だが、千影の視界には、能面のような冷たい顔のタコヤしか映っていなかった。
千影はタコヤの顔を瞬き一つせず、凝視して、思い切り息を吸った。
「一刻も早く、退陣するように命令してください!」
千影がこう言うと、タコヤの眉のないまぶたの上がピクッと動いた。
「オマエ、俺が言ったことが聞こえなかったか?」
タコヤは嵐の前に吹く音のない風のように言った。
千影の唇はわなわなと震えが止まらない。
それでも、後には引けなくなった千影は、勢い任せに言葉をタコヤや他の隊員たちの魂にぶつけた。
「これはきっとめ組の罠です!」
千影がそう言うと、周りの隊員たちは一斉に千影に噛み付こうとした。
それでも、千影は言葉を止めなかった。
「め組の軍勢は、ざっと見たところ、未だ集まりきっていない銀狼に比べて五倍はいます!
この戦闘人数に圧倒的な差がある状態のままめ組と戦ったら、俺たちは確実に負けます!
今、ここにいる銀狼の隊員のほとんどが、人数が足らない分、余計にケガして戦力にならなくなります。
もしも、後から残りの隊員たちが駆けつけたとしても、時すでに遅し!
銀狼は壊滅します!
これは、きっとめ組の仕掛けた罠です!め組は人数不足の俺たちを挑発して戦い、大打撃を与えたところで、一気に崩すつもりなんです!」
千影の言葉に、牙をむき出しに牽制していた隊員たちの顔色が変わった。
つい先ほどまで振り上げかけていた皆の拳は、今ではだらんとぶら下がっている。
タコヤの白紙のような表情は、徐々に険しくシワが刻まれていた。
このシワの数一本一本を数えながら、千影はぶっ殺されるのを覚悟した。
「この圧倒的不利な状況で戦いに挑むのは、とても男らしくてかっこいいです。
俺たち銀狼の志は、常にそうあるべきだと思います。
ですが、今はその志を貫くべき時ではないと思います!
銀狼の本領を発揮させるためには、いったんここから退いて態勢を完璧に整えてから挑むべきです!
タコヤさんの判断が銀狼の明暗を分けるんです!」
そう言うと、千影はヘルメットを脱ぎ捨て、地面に額を押しつけた。
「どうか……どうか、冷静なご判断を、お願いします!!!」
千影が土下座して嘆願するすぐ目の前にいたキヨとマサは、互いに顔を見合わせ一度頷くと、タコヤの方に顔を向けた。
「隊長!俺たちも、今回はニンの意見に賛成です。
今こんな不利な状況でめ組に向かって突っ走っていっても、返り討ちにあうだけですよ。
ここは一旦、退散しましょうや!」
キヨとマサがそう言った途端、じわりじわりとこの意見に同調するどよめきが広がった。
すると、小太郎が何も言わず斧の肢を地面い叩きつけた。
その響きは丘の上に立つめ組のところまで伝わった。
凍りつく銀狼の隊員たちの列が千影に向かってまっすぐに割れ、その間を白目のタコヤがゆっくり歩いてきた。
額が泥で汚れた千影は、息を止めたままその姿を見ていた。
タコヤは、俯き気配を消すキヨとマサの目の前を通り過ぎると、千影の目の前までやってきた。
千影はタコヤの顔を仰ぎ見た。
その顔は、もはや、人間のものではなかった。
(殺される、殺される、殺される……)
千影の頭の中でこの言葉だけがリフレインした。
タコヤは片手に持っていた鉄パイプを頭上に掲げた。
鉄パイプの長い影が千影の顔にかかった。
千影は膝元に転がっていたヘルメットを素早く拾い頭に被せると、歯を食いしばり両目を固く閉じた。
すると、目を閉じた千影の頭上で、鉄パイプが風を切る音がした。
千影の体はピクリと跳ねた。
「テメェらァァァ!!!」
タコヤの声が轟いたので、千影はパッと目を開けた。
タコヤの鬼面は平常に戻っており、その顔は千影ではなく隊員たちの方へ向けられていた。
「退くぞ」
タコヤは静かに言った。
すると、隊員たちは、一度は固まったものの、たちまち「おう!」と、声をあげた。
銀狼の各部隊は、素早く退陣の陣形を整える中、タコヤは、未だにこの状況が信じられないという表情で立ち尽くす第五部隊に号令をかけた。
「第五部隊に命ずる。テメェらには、シンガリを務めてもらう。いいな?」
タコヤがそう言った途端、千影以外の第五番隊の隊員たちの表情は凍りついた。
タコヤはそれ以上、何も言わずに、踵を返してさっさと先頭へ戻っていった。
「シ、シンガリだってよ……」
キヨとマサは互いに顔を見合わせて震えていた。
「あ、あの……シンガリって、何ですか?」
千影はヘルメットのベルトをしっかりと締めながら訊いた。
すると、第五番隊全員が呆れた顔で千影を見た。
「シンガリっていうのはな、軍が敵から逃げる時、最後尾で敵の追撃を払う役目のことだ」
キヨがこう言うと、すかさずマサが後を続けた。
「つまりな、俺たち五番隊だけでめ組と戦わなきゃならねぇってことだ」
マサが言ったとたん、他の五番隊の隊員たちは一斉に千影を責め立てた。
「テメェが余計なこと言うから、全然関係ない俺たちまでとばっちりを食う羽目になったじゃねぇか!」
隊員のひとりが千影の胸ぐらを掴んで殴ろうとした。
すると、千影の背後から誰かがその拳をつかんだ。
「今は、争っている場合じゃないよ」
「リキチさん……」
胸ぐらを掴まれながら、リキチの顔を見た千影はホッとため息をついた。
「これから、タコヤさんの号令とともに、乾宮山へ一斉退却する。
僕たちが急に撤退したら、め組は間違いなく追いかけてくるだろう。
君たちはタコヤさんの号令から三十秒後に退却しつつ、め組の攻撃を阻止するんだ。
そのやり方は……キヨとマサは知ってるよね?」
リキチがそう訊くと、キヨとマサは同時に頷いた。
「では、よろしく頼んだよ。それから、ニンくん」
突然名前を呼ばれた千影はブルっと身震いして姿勢を正した。
「はいっっ!」
「さっきのニンくん、冷静ですごくカッコよかったよ」
リキチは千影の耳元でそう囁いて微笑むと、一番隊の場所へ戻って行った。
千影の心は少しだけ舞い上がったが、キヨとマサがシンガリの方法を説明し始めたとたんに憂鬱になった。
「今の俺たち五番隊にはスクーターが四頭ある。そして、今ここにいるのは七人だ。
まず、連絡係としてキヨが前の四番隊からはぐれないように単独で五番隊の先頭を走る。
そして、残りの六人は、残りの馬にそれぞれニケツして、各々、一人は手綱引きに集中して、もう一人は後ろ向きに座りながらめ組の追撃を阻止する。
わかったな?」
隊員たちは「おぅ!」と威勢良く声を張り上げた。そして、千影はマサのスクーターに同乗することが決まった。