第十四章 千影、捕まる③
ふらつきながら銀狼のアジトへたったひとり戻ってきたボロボロの千影を一番に見つけたのは、リキチであった。
「ニンくん!そんな傷だらけでいったいどうしたの!?」
リキチは力なく顔を上げる千影の元に駆け寄ると、自分の肩に千影の片腕を回して支えた。
「すぐに手当てしないと。僕の小屋に救急箱があるから」
リキチは返事一つしない千影を引きずりながら、アジトの裏にある小屋へ向かった。
体のあちこちがズキズキと痛む中、万引きの弁償をしたことや、銀狼の仲間に見捨てられたこと、湊にされた説教のこと、今まで銀狼の仲間達がしでかした数々の悪事が千影の頭の中で堂々巡りしていた。
そして、ふと我にかえると、自分の顔や手足に絆創膏をペタペタと貼るリキチがいた。
「あぁ、リキチさん、すいません……」
「気にしないで。それより、こんなにたくさんの傷、いったい何があったの?
ケンカにでも巻き込まれたのかい?」
千影は、万引きしている途中にお巡りさんに捕まった話など、きまりが悪くて口に出すことができなかった。
しかし、早く誰かに溜まりに溜まった不満や自責の念が渦巻く心のうちを明かして、慰めて欲しかった千影は、ためらいがちに口を開いた。
「俺、正直、もうこんなことやりたくないです。でも、もしこんなことをキヨさんやマサさんに言ったら、絶対ボコられるし、信頼関係も崩れると思うんですよ……」
そうこぼす千影を、リキチは何も言わずに黙々と手当てをしていた。
「やっぱり、このまま先輩たちの命令に逆らわないで悪いことをやり続けていかないと、タコヤさんには信用してもらえないんですかね?」
千影が助けを乞うようにそう言うと、リキチは手を止めた。
「ニンくんは、そんなにタコヤさんに心酔しているのかい?」
千影はハッとしてリキチの顔を見て、慌てて頷いた。
「僕は、何事も力任せに推し進めるっていうのが、どうも苦手でね……」
リキチは耳打ちをするように口を千影の耳に近づけた。
「ここだけの話、僕は今のタコヤさんのやり方に大反対なんだ」
そう囁くように言われた千影は、目を丸くして仰け反り、周囲に人がいないか慌てて確認した。
それを見たリキチは、期待通りの反応をしてくれたと、満足げに大きく笑った。
「ほら、タコヤさんってずいぶん暴力的な人でしょう?
“万人に共通する善は力ある者が作り上げるもの”が信念だなんてさ。
リーダーは絶対的支配者であるから、主従関係をハッキリさせるためだとか言って、毎日隊員の中からランダムでサンドバッグの代わりを選んではボコボコにするし、どんな理由であれ、銀狼の集会に少しでも遅れたり欠席したりするような子がいれば、後でキツく焼きを入れるし。
万が一、組を抜け出すようなことがあれば、口に出すのも憚れるほどの極刑を下すし」
リキチは千影の左頬に絆創膏をぺたんと貼った。
「でも、そんなむちゃくちゃやってるタコヤさんだけど、タコヤさんが信念を絶対曲げないのには、理由があるんだ」
リキチは、救急箱の蓋を閉めると、正座してきっちり折りたたまれた自分の膝に乗せて、まっすぐ千影の顔を見た。
その顔は、今の今まで緩く微笑んでいたものとは打って変わって、重たく暗い表情であった。
「十四郎さんは殺されたんだ」
「殺された……?」
千影は背筋がヒヤリとした。
「殺したのは、銀狼のメンバーのうちのひとりだった。
そいつは下っ端中の下っ端で、普段、みんなからその存在を忘れられているくらい影の薄いヤツだったらしい」
救急箱の上に乗っているリキチの両手は、力が入り、筋が立ってガタガタ震えていた。
「この時だったようだ、タコヤさん独特の信念ができ上がったのは。
ひとりも漏れることなくみんな幸せになれるようにと、万人共通の善を探す十四郎さんが志半ばで殺された。
十四郎さんの正義は、暴力に、つまり、力に敗れた。
タコヤさんが言うには、十四郎さんが殺されたのは、優しかったからだって。
この世を成り立たせているのは優しさや情けではない、全ては力のみ。
この世は冷酷無残な弱肉強食の世界。
相手を屈服させた勝者が上に立ち、その頂点に立った者がこの世の秩序を決め、万人を支配するのだと、タコヤさんは考えた。
力ある者が弱き者を支配する。そして、力ある者が“万人共通の善”を定める。
自分が万人の頂点に立った暁には、己の正義を皆共通の善にすればいいってさ」
言い終わる頃には、リキチの手はクタッと力が抜けていた。
「タコヤさんは十四郎さんのことを誰よりも敬愛していた。
だからこその信念なんだろうけどね。僕は極端で過激すぎると思うんだ」
千影は、十四郎が殺されたという新事実や、タコヤが力に強くこだわる理由を知ってしまい、ますます後には引けなくなったと思った。
「最近の銀狼は、新しいメンバーが次々入ってきて、タコヤさんの信念の背景には十四郎さんの正義があるということも知らないまま、意味を履き違えて覚える子も多々いるから、困ったものだよね」
リキチは少し眉をひそめて笑いながら、救急箱を綺麗に整頓された棚の上にしまった。
「前なんか、僕のことを知らない子が、いきなり僕の胸ぐらを掴んできてさ、テメェみたいなもやし野郎が場違いなんだよとか言って殴ろうとしたんだ」
「えぇ!そんなことがあったんですか……」
「僕はケンカをしたことが一度もないから、胸ぐら掴まれた時、どうしていいいか分からなくて困っていたんだけど、幸い、ちょうどその時、タコヤさんが駆けつけてくれてさ、何とか助かったんだ」
リキチはいつも通りのヘラヘラした調子で言ったが、千影の顔はすっかり引きつっていた。そんな千影の表情を物ともせず、リキチは話し続けた。
「そのあと、僕に絡んできたその子は、もう目を背けたくなるほどひどい目にあってたよ」
「へ、へぇ……」
「その子はきっと、タコヤさんの信念の意味を履き違えて覚えたんだろうね。
最近、そういう子がちらほらいるから、僕は少しマズイんじゃないかなって思うよ。
以前の銀狼は、少人数だったから、タコヤさんの信念が正しくみんなに浸透していたけど、今やウチもだいぶ大人数になっちゃったからね。
皆一丸となって同じ信念を同じレベルで理解して、同じ目標に向かって突き進むのは難しいかもね」
リキチはそう言いながらテーブルに腰掛けると、千影の顔をまっすぐ見た。
それにつられて千影も背筋を伸ばしてリキチを見た。
「とにかく、ニンくん。一番大切なものは、自分の信念だ。
もし、ニンくんが銀狼での活動の中で、これは間違っているだろうとか、自分の信念に反していると思ったら、ハッキリ拒絶しなければならないよ。
ニンくんが確固たる信念を持って、それを全うしようとするならば、タコヤさんはきっと認めてくれる。タコヤさんはそういう人だよ」
リキチはにっこり微笑んだ。
千影はリキチの垂れた細い目を見たまま、深く頷いた。
「はい。俺、頑張ります!」




