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第一章 千影、忍者と出会う③

(この蛍っていうヤツも、どうせ、忍者になりきった、ただの中二病なんだろう。

あぁ、そうか。さては、さっきの白い忍者もコイツの仲間だな。

きっと、この高校の忍者同好会かその類の新入生歓迎デモンストレーションなんだろう。

俺の顔と名前も、きっと教師か誰かから情報を手に入れたに違いない。

それにしても、人が真剣に死ぬかどうか悩んでいるところに、よくもまぁこんなふざけた格好で現れて、自分は忍者だとか堂々と言えたもんだ。つくづく、俺ってバカにされるよな……)


「おい!人の話を聞いてるのか?」


我に返ると、蛍の顔は千影のすぐ目の前にあった。


「うわっ、びっくりした!」


「お前、やっぱり聞いてなかったな」


蛍は覆面越しに大きなため息をついた。


「千影、お前は今、色々混乱していると思うが、まぁ、詳しい話はまた後でアジトへ戻ってからすることとしよう。とりあえず、逃げるぞ」


「逃げる?アジト?」


千影がぽかんとしている間、蛍は、すっかり崩れた木箱の前に揃えて置いてあった上履きから“い書”を抜き取り懐にしまった。

そして、上履きを素早く千影の足に履かせ、千影の太くて短い腕を自分の肩に回して立ち上がらせようとした。

だが、なかなか立ち上がることができない。


「くそ、重いな。これはそうとう減量させないとまずいか……」


そうぶつぶつ独り言を言いながら、蛍は渾身の力を込めて何とか千影を立ち上がらせると、よいしょと背負い、素早く懐から麻縄を取り出すと、赤ん坊を背負うおんぶ紐のように千影を自分の胴体にくくりつけた。


「これから俺たちはこのフェンスを越えて向こう側へ回る。千影、俺にしっかりつかまっているんだぞ」


蛍は一歩一歩、慎重に登っていく。百二十キロの巨体を背負っているのに、登るスピードは一定で落ちない。

ものすごい指の力だ。

千影は蛍の指がもげてしまわないか心配だったが、蛍は苦しい声ひとつあげずに、黙々と確実に一歩一歩登る。

徐々に高さが増していく。

背中に受ける風も強くなる。フェンスが嫌な音を立てて軋む。

千影は下を見ないように、蛍の肩に顔を押しあて、蛍の腹のあたりで組んだ手にさらに力を込めてしがみつくと、ただひたすら蛍がフェンスの外側へたどり着く時を待った。

登り始めて二十秒ほどでフェンスの外側へ降り立ったが、千影にはものすごく長い時間が経ったように思えた。


「おい、着いたぞ。いったん手を離してくれないか?苦しくてしょうがない」


「あ、あぁ、ごめん」


千影は慌てて両手を離した。

力を入れすぎていたせいか恐怖のせいか、両手が震えていた。

ちょうど千影が手を離した時、蛍は縄を解いた。

その反動で、千影は少し後へよろめいた。

だが、そこはフェンスの外側。

人が立てるスペースは、人ひとり分の肩幅くらいしかないのだが、千影はそれをすっかり忘れていた。


「あっ!危ない!」


蛍は片手でフェンスにつかまったまま、もう一方の手で千影の胸ぐらをつかんだ。


「ひぃ!」


胸ぐらをつかまれた千影は、思わず後ろを振り返って下をみた。そこは三十三メートルもの高さの景色であった。


「こ、こら!後ろを振り向くな!重いぃぃぃ!」


蛍は歯を食いしばって天を仰ぎながら腕に全力を注いで千影をフェンス側へ引き戻した。


「ひぃぃぃ!」


思い切り引き戻された千影は、ガシャンとフェンスにぶつかると、すっかり腰を抜かしてしまい、フェンスにしがみついたまま、その場に座り込んでしまった。


「これから校舎の右横にある非常用のバルコニーから一気に下へ降りるぞ。まずはフェンスを伝ってそこまで行こう」


蛍はひとり、フェンスにつかまりながらさっさと行ってしまったが、千影は動けずにいた。


「む、無理だよ!俺、腰がすっかり抜けちゃったみたいで。

もう、勘弁してよ……いくら忍者同好会の新歓デモンストレーションだとしても、これはちょっとやりすぎだよ!それに、俺、まだ入会するって言ってない!

そもそも、俺、忍者なんて大っ嫌いだし……」


千影はぶつくさ言っていると、蛍はフェンスから手を離して小走りで戻ってきた。そして、千影の横までやってくると、いきなり千影の胸ぐらをつかんだ。


「ぼっ、暴力反対!」


殴られると思った千影は両目をつぶり叫んだ。


「しのごの言うな!お前の不平不満はあとでたっぷり聞いてやるから、ほら、早く立て!時間がないんだ!」


蛍はそう言うと、千影の腕を引っぱり上げて無理やり立たせようとした。

だが、千影の体はびくともしない。


「も、もう、ほんと、勘弁してくださいっ!」


千影は半べそをかきながら訴えた。蛍は小さなため息をつくと、腕を引っぱるのをやめた。


「なぁ千影、この言葉、知ってるか?“なせば成る。なさねば成らぬなる業を、成らぬと棄つる人のはかなさ”という言葉を」


千影は黙ったまま首を横に振った。


「武田信玄の言葉だ。

やればできる、やらなければできない。やってもみないのにできないと言って諦めてしまうのは、愚かなことだという意味だ。

できるかできないかではない。やるかやらないかだ。お前は何事も最初からできないと決めつけて、挑戦もしないで逃げる腰抜けふぬけ野郎なのか?」


そう言うと、蛍も千影の隣に腰を下ろした。


「千影、もしも、ここで諦めたら、お前はただの意気地なしのデブで一生を終えちまうぞ。それでもいいのか?」


「デブって言い方、やめてもらえませんか?俺、けっこう気にしてるんです」


「あ、あぁ、悪い。でもな千影、お前はこの程度のことで、すぐに諦めてしまうのかって俺は訊いてるんだ。

たかが三十メートルの高さがどうした。忍者になったら、もっと過酷で険しい関門が待ち受けているんだぞ。

いや、何もこれは忍者に限った話ではない。

この先のお前の人生にも言えることだ。

お前は今、ちょっとの恐怖心で一つの関門を突破することを諦めようとしている。

この関門を突破した者と諦めた者との間には、今後の人生で大きな差が出てくるだろう」


蛍はお肉がたっぷりついた千影の分厚い肩に手をおいた。


「千影、お前は勇気を振り絞って関門を突破する人間だよ」


千影を見る蛍の目は真剣そのものであった。千影は、この忍者同好会のデモンストレーションは、新入生歓迎会の一環としての度胸試しとかそんな類いのものなのだろうと理解した。


(こういう完璧にイっちゃってる先輩に下手に逆らったりしたら、後々逆恨みされて何をされるか分からないな。ここは、大人しく言う通りにしていた方が身のためか……)


千影はそう思うと、蛍の目を見たまま大きく頷いた。


「や、やるよ!俺、やってみるよ!」


千影がこう言うと、蛍の鋭く光る目は、一瞬、ゆるんで優しくなった。


「あぁ、それでこそ、藤林千影(ふじばやし ちかげ)だ!」


それから、ふたりは校舎の側面にある非常用バルコニーのところまで来た。

すると、蛍は懐を探り、縄がくくりつけられた小さな碇のようなものを取り出した。


「え?何それ」


何だか嫌な予感がした千影がこう訊くと、蛍は嬉しそうに目を輝かせた。


「これは、鉤縄(かぎなわ)という忍器だ。この鉤の部分をフェンスに引っ掛けて、縄を下の階のバルコニーまで垂らす。そして、この縄を伝って下へ降りるというわけだ」


千影の丸い顔は真っ青になった。


「こ、こんな縄跳びみたいな細い縄、無理だ!

俺、デブだし、体重だって百二十キロはあるよ!絶対にちぎれちゃうって!絶対ヤバイって!」


だが、蛍は千影の言葉も気にせず、縄を何度も引っぱってフェンスから鉤が外れないか確かめている。


「安心しろ。ここも俺がお前を抱えて降りてやるから。お前は、ただ俺にしがみついて大人しくしているだけでいいよ」


そう言うと、蛍はまた懐から先ほど使ったロープを取り出して千影に見せた。


(いやいや!こんな危険なことしなくたって、普通に校舎の中を通って降りればいいのに!

いくら忍者オタクといっても、これはやりすぎだろ!)


千影は心の中でめいっぱい叫んだが、ここから降りる気満々の蛍を見ると、口に出すことができなかった。


「今度は正面からお前を抱かないといけない。さ、早く俺に抱きつけ」


そういうと、蛍は千影に向かって両手を大きく広げた。


「え?だ、抱き合うってこと?」


「あぁ、そうだ。早くしろ。時間がない」


「は、はぁ……」


千影は少し頬を赤らめながら、遠慮がちに蛍に抱きついた。

蛍は千影より背が頭一つ大きかったので、千影の頭は蛍の懐にすっぽりと収まった。


「いいか?間違っても足をばたつかせたり、手を離したりするなよ。この縄はとても丈夫だが、お前のような重さのものを抱えながら使ったことがない。もしも余計な負荷をかけたら縄が切れるかもしれない。だから、くれぐれも暴れるなよ」


そういうと、蛍は、もう一度、鉤がちゃんとフェンスに引っかかっているか確認すると、縄を伝ってスルスルと下のバルコニーへ降りていった。

千影はこれ以上出ないというほどの力を両手両足に込めて蛍に抱きついていた。

同性にこんなにもがっちりと抱きつくのはだいぶ恥ずかしかったが、千影は蛍の胸元から微かにかおる(こう)のような匂いとぬくもりが、何だか妙に懐かしくて心地よかった。


(この感じ、なんだろう……遠い昔にこんな感じを体験したことがあったような……)


そんなことをぼんやりと考えているうちに、蛍はあっという間に下へ降りたった。

それから、さらにバルコニーから一階下のバルコニーへと鉤縄で降りていった。


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