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第十三章 千影の背負い文字②

 倉庫を出て裏側へ回ると、そこにはボロボロの丸太小屋が一棟ポツンとあった。


「さぁ、ここだよ。お先にどうぞ」


リキチは笑顔のまま腐りかけた木の扉を、ギチギチ音を立てて開けると、千影を迎え入れた。

千影はリキチに向かって一度小さな会釈をすると、遠慮がちに小屋へ足を踏み入れた。

中はなんとなく湿気っぽくて、ひんやりしている。

小屋の真ん中には大きなテーブルが置かれていて、その奥にはアイロンやらミシンやらが置かれた作業台のようなものがある。

後に続いてリキチが小屋へ入ってくると、千影をテーブル横に置かれた古びたソファーに座るよう促した。


「僕はここでみんなのマトイを作っているんだよ」


リキチはそう言いながら、テーブルの上に置かれたエプロンを身につけた。


「マトイ?」


千影がぎこちなくソファーに座ると、リキチは錆びたヤカンからガラスコップに麦茶を注いで千影に手渡した。


「そう。特攻服って言った方がわかりやすいかな。

僕の家は仕立屋をやっていて、僕も将来店を継ぐから、こうして銀狼のみんなのマトイを作りながら腕を磨いているんだ」


千影はなみなみ注がれた麦茶を片手に、リキチの顔をまじまじと見た。

ひねくれたところが一つも見当たらず、素直で柔和なリキチの話す姿を見て、千影は不思議でならなかった。


「これから君のマトイを作るから、寸法を測らせてね」


そう言うと、リキチは奥の作業台から使い古された巻尺を取り出した。

千影は麦茶を軽く口に含むと、慌ててコップをテーブルに置いて、その場に立ち上がった。

リキチは巻尺を伸ばすと、慣れた手つきで採寸した。


「それで、さっきの話に戻るんだけどさぁ、ニンくん、小太郎くんとの対決で変わった戦い方をして、確かタコヤさんから忍者のニンってあだ名つけられたんだってね」


「は、はい……」


「その戦い、僕も見てみたかったなぁ。

あのタコヤさんに銀狼(うち)の入隊を認められるほどだ。ニンくんはとても勇敢なんだね」


「い、いえ、別に、全然そんなんじゃないんですけど……」


果たして、忍者のニンとあだ名を付けられて喜んでいいものなのかどうか判断がつかなかったが、とりあえず、このリキチという男は自分に対して好意を持ってくれていることがなんとなくわかったので、千影はホッとした。


「ところでニンくん、さっそくだけど、一度制服を全部脱いでもらえるかな?」


「え?制服を?」


「うん。そうだよ。銀狼のマトイは、学ランを改造して作るんだ。

ニンくんの今着ている制服は、何というか……ずいぶんダボダボだから、直しが必要だね」


千影の今着ている制服は痩せる前に作ったものであったので、今はだいぶ不恰好であった。


「え、じゃあ、これから学校へ行く時は……」


「もちろん、マトイを着ていくことになるね」


「えぇ!?」


千影は学校にたむろする銀狼のヤンキーたちの姿を思い浮かべた。

あのダサい頭にだらりとした長ラン、ズボンはダボっとしたボンタン。

あの姿に自分もなるのだと考えると嫌気がさしたが、巻尺を持って全く悪気のない笑みを浮かべたリキチの顔をみると、断ることができず、言われた通りに制服を脱ぐとリキチへ手渡した。


「早急に作るけど、おそらく手渡すのは明日の朝になるかな。

だから、今日は代わりにこれを着て帰ってね」


リキチが千影に渡したのは、血と泥がたっぷり染み込んだどす黒い色をした改造学ランであった。

左胸には銀色の文字で“銀狼”と、背中には血で変色した刺繍で“実事求是”と書かれてある。


「それは僕の兄さんのものだよ」


「え?お兄さん?」


「うん。僕の兄さんも元銀狼の隊員だったんだ。

今は高校を卒業して、都会の大学に進学したんだけどね」


「へぇ、そうなんですか。

ところでリキチさん、この背中の文字っていったい何て書かれているんですか?

俺、漢字が全くダメで……」


「それはね、ジツジキュウゼと読む四字熟語だよ。

事実に基づいて物事の本当のことを探し求めるという意味で、昔、兄さんがポリシーにしていた大事な言葉だったんだ。

それからね、その背中に縫われている文字のことを“背負い文字”って言うんだ。

背負い文字は、自分の信念を背中に刻むんだよ」


「へぇ!なんかかっこいいっスね。確か、タコヤさんの背中にもかっこいい文字が刻まれてましたよね」


「あぁ。タコヤさんの背中には“天理人道(てんりじんどう)”って刻まれているんだ。

意味は、森羅万象の理と人の人としてすべき道のこと。

つまり、この世で最も善いこと、正しいことという意味だよ。

この言葉は十四郎さんの背負い文字だったんだ」


「十四郎さん……」


千影は以前、湊が銀狼の説明をしていた話を思い出した。


「十四郎さんって、確か、銀狼を立ち上げた方ですよね」


「うん。そうだよ。ニンくんは十四郎さんのことを知っているのかい?」


「あ、い、いえ、噂程度でしか……」


「そっかぁ……そうだよね。十四郎さんが亡くなってからもう五年経つからなぁ」


リキチは千影が脱いだ制服のズボンを両手に握りしめたまま遠い目をした。


「あの人は本当に素晴らしい人だった。

十四郎さんはね、万人共通の“善”を探し求めていたんだ。

自分のことより、他人のことを優先に考える人。

僕は幼いころに一度だけ彼に会ったことがあるんだけど、とても大きくて温かくて優しい人だった。

周りに従える銀狼の仲間たちの雰囲気からも、十四郎さんの偉大さは小さな僕でも十分わかった。

あの人は命がけで“天理天道”を追い求めていた人だった。

人の上に立つべき人格者だったんだよ。

なのに、あんな最期を迎えるとは夢にも思わなかったよ……」


リキチはそういうと、少し目を潤ませながら首を振って作業台の方へと歩いていった。

千影は十四郎についてもっと詳しいことが知りたかったが、今はなんとなく聞いてはいけないような空気だったので口をつぐんだ。

リキチは作業台に千影の制服を丁寧に畳んで置くと、真っさらなA4の紙と鉛筆を持ってきた。


「じゃあ、これからニンくんの背負い文字を決めようか。

ニンくんは何か信念や曲げることのできない主義主張はあるかな?」


「えっ?」


突然、そう尋ねられたので千影は慌てた。

そんなものは今まで一度も持ったことがない。

そんな自分に半ば嫌気をさしつつ、千影は必死に何かちょうどいい言葉はないか、頭をフル回転させた。

そして、やっと思い浮かんだのは、以前蛍から教えてもらった心得“戦わずして逃げろ”と“正心第一”の二つであった。

この二つのうち、どちらが自分の背中に刻んだら格好がつくかと考えれば、まちがいなく後者の方だ。

千影は鉛筆の尻でこめかみを掻くと、後者の言葉を雲煙飛動のごとく書きしるし、何の迷いもない真剣な面持ちでその紙をリキチへ差し出した。

それを見たリキチの目が大きくなった。

そして、何か少し戸惑いながらも大きく頷き千影の顔を見た。


「うん。わかった。これがニンくんのポリシーなんだね。

こういう文字を選んだ人は今までいないけど、なかなか考えさせられる文字だ。

よし、ニンくんの信念は確かに預かったよ。

このニンくんの背負い文字をこの僕が責任持ってしっかり彫らせてもらうからね。

明日の朝には出来上がると思うから、またここへおいで」


「はい!お願いします!」


千影はきっちり頭を下げると、血生臭い長ランを着て外へ出た。

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