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この先思うこと (最終回)

 九

 どうやら爺さんの転倒事件は、大空に心境の変化をもたらしたようだ。

 どう表現してよいのかわからないが、爺さんのことは気の毒だったと思うが、そのいっぽうで、それを契機に、定年してからの鬱屈が消えたようで心が軽くなったようなのだ。

 これまでの安楽椅子に座って本だけを読んでいたい。

 そんな生活でなくてもよい気持ちになってきたのだ。

 言ってみれば、爺さんの転倒を見つけて、道路まで走り出したことで、フットワークが軽くなったようなのだ。

 このところの大空は、それまでの安楽椅子にすわっただけの生活では物足りず、ちょくちょく車を運転してスーパーまで出かけるようになった。これまでの生活では考えられないことだった。

 買物に行くさい、美香からの注文を聞いて、家で必要な品目をごっそりと買ってくるようになったので、夕食にはスーパーの惣菜が並ぶだけでなく、家庭でしっかりと料理したものも並ぶようになった。

 この日は晴れ渡って、窓から入る陽射しがからっとして気持ちのいい日だった。たまたま窓から交差点を見ると、例の若者の赤のバイクが止まっていた。

 エンジンをふかす音が小さくなっていたので、こちらから覗かないと、若者のバイクが信号で止まっていることに気づかない。

 このところ急に紳士っぽくなった若者を見ていたら、思わず顔がほころんだ。

 こちらが見ていると、若者のほうも気づいたようで、二階の書斎から覗く大空を見上げてきた。

 若者のほうも爺さんの転倒のさい、交差点の角が大空の家だということを覚えた。

 眼が合うと、若者は小さくお辞儀をした。大空も同じように頭を下げた。

 あの件以来、このように交差点と書斎とで、挨拶をすることがある。ほんとうにたまにではあるが、若者と挨拶したあとは心が浮き立つ。

 信号が変わると、若者はさっそうとバイクを走らせて去っていった。

 それからしばらくすると、家の玄関に例の爺さんと、その奥さんが訪れた。転倒事件以来、初めて顔を見る。元気そうだった。

 爺さんの手にはしっかりと杖が握られていた。

 バイクの若者に大空の家がどこかを聞いてやってきたという。入院は一週間ほどですみ、それ以来、しばらく自宅でリハビリをしていて、ようやく外に出られるようになったそうだ。

 いただいた手土産には、快気祝いと書かれた熨斗のしがついていた。

 それだけではなかった。

 あれほど会うのが重荷だった光也のフィアンセの明日香さんの件――。

 光也と明日香さんとが並んで、こちらも美香と並んでの対面は、初めは何とも落ち着かない気恥ずかしいものだった。

 四人で話していると、最初に気づいたのは、高校のときまでは引っ込み思案だった光也がすっかり大人になっていた。一生懸命に明日香さんと大空たちの仲立ちをしようとする姿は頼もしく、こちらもそれに応えなければいけない、そういう気持ちになってきた。

 明日香さんも、実際会ってみるとインテリぶったところがなく、気さくで好感の持てる女性であった。

 大空もいつも無口なのだが、このときばかりはよく喋った。ない頭を捻り、ありったけの知識を引っ張り出して衛、四人の会話の話題づくりにつとめた。

 大空からぬ、行動だった。

 話しているうちに、息子たちというよりも、現代の若者と話しているような気になってきた。若者のことを知るのも楽しい。

 それと美香と明日香さんの女どうしの問題――。ふたりで話があったようで楽しそうだった。

 大空の取り越し苦労だった、と思っている。

 女どうしがこの先うまくいけばよい。

 なによりも、結婚は本人どうしの問題で、親がとやかくいうものでもない。


 時間になった。大空は慌てて書斎から飛び出した。

 もちろん安楽椅子の楽しみはこれまで通りで、多くの時間を、本を読んで過ごしている。

 だが、その生活に加えて、少しずつ外の住人と交わることが増えてきた。

 小学生の下校が始まる時間だった。

 大空は家に置いてある黄色い手旗を手にした。

 家の隣の信号交差点に立つと、さあ、来いと小学生たちを待ち構えた。

 集団下校の列が渡りきったあとも、手旗を持ったままで待っている。

 やんちゃな三人組を取り逃がしはしまい。

 大空はこの先、交差点で手旗を持って、小学生たちの安全と成長を見守り続けるつもりだ。

 小学生たちには希望という言葉が似合う。


 ( 完 )


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