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8/9

爺さんを救え

  八


 すると身構える大空に肩透かしを食らわすように、若者はこう声をかけてきた。

「どうしたんですか? お爺さん、だいじょうぶですか?」

 あれっ……と思った。見た目とは相反して、その声が優しかったのだ。

 職場の若い職員と重ねて若者を見ていたため、凄みのある声を出すものとばかり思っていた。

 大空は落ち着きを取り戻して、

「ああ……、この人が、どうやら転んで脚を痛めたらしい」

 若者にそうこたえると、寝転んでいる爺さんも、

「面目ない。脚を痛めて、動けないんじゃ」と自ら説明した。

 大空はこれ幸いと若者に頼んだ。

「わたしは、すぐそこに家があるから、家から救急車を呼ぶ。電話をかけ終わったらすぐ戻るから、ほんの少しの間、この人を見ていてくれないか?」

 そういって、その場を離れようとすると、若者が大空を引き留めた。

「待ってください。いま、ぼくがここからスマホで連絡します」

 若者はバイクをまたいだまま胸のポケットからスマホを取り出すと、さっそく消防署に救急車の要請をした。

「助かった……」

 若者の迅速な対応に、これまで怪我人を前に、張りつめていた大空の気持ちが幾分やわらいだ。

「それに……、あの、すみません」

 若者がなにやらいいたそうだ。

「ああ……、なに?」

 大空が聞くと、若者は、

「このお爺さん、近所でよく見かけるかたで、家も知っています」

 そういって、眼で爺さんのほうを指し示した。

「いまから、家に行ってみます。たぶん奥さがいると思います。お爺さんが病院にいくのなら、いっしょに救急車に乗ってもらったほうがいいと思うんです。いまからバイクに乗せて、奥さんをここまで連れてきます」

「そ……、そうか」

 大空のなかで、これまで極悪人扱いだった若者が、つぎからつぎへと善人へと変わっていく。

 若者はヘルメットをかぶり直すと、いったん切ってあったバイクのエンジンをかけ直した。

 グリップを回し、アクセルをふかした。

 ブルンブルンと爆音を立てて、バイクが震えた。

 すると大空のここまで眠っていた感情に火がついた。上気して顔が真っ赤になるのが分かった。

 これまで、いい人としてポイントを稼いできた、若者の印象がいっきに地に落ちた。

 交差点で信号待ちをするバイクの、この横着なエンジン音を、書斎で何度聞かされたことか。それを、いま、目の真ん前で聞かされるとは!

 条件反射のように、大空は声を荒げていた。

「うるさい! そのエンジン音! ふかしすぎだろ。いつも交差点でうるさいんだよ。目の前に怪我人がいるのに、考えなさい!」

 自分のなかに、こんな大きな声が眠っていたかというほどの、拡声されたものだった。

 いきなり怒鳴られて、若者は肩をすくめた。

 大空のほうも、自分で怒鳴っておきながら、呆然とした。

 これまでの怨みといっても、いま、この救急の場で善意の行為をしようとしている若者に癇癪をおこすのは、どうかと……。

 若者はといえば、この場で大空に怒鳴られたことで、周りの人に与えるエンジン音の不快感に初めて気がついたようだ。

 いきなり背筋をのばして、エンジンの音を落とすと、頭を下げた。

「すみません。バイクに乗っていると、自分の世界に入っちゃって、周りのことを考えていなかった……」

 若者はすなおにそう謝った。

「きみ、そこの大学生か?」

 大空は気まずさから話題を変えた。

 黙って若者は首を縦に振る。

「そうです」

「いや……、こちらも、大声を出すことはなかった……」

 大空のほうも、おさまりが悪くなって、頭を下げた。

 いっぽうで爺さんは、大空の足もとで横たわったままだった。

 こんなところでいい合いをしている場合じゃない。

 奥さんを急いで連れてきてくれというと、若者は素直に返事をし、控えめにバイクのエンジンをふかして走り去っていった。

 バイクの後ろに、白髪の髪をうしろで束ねた奥さんを乗せて、しばらくして若者が戻って来た。

 奥さんはバイクから駆けおりると、奥さんは涙を眼に溜めながら、爺さんの体にしがみついた。

「あんたぁ、いつもいっているじゃない。散歩するんだったら杖を持って出ていってねって。だからこんなことになるんだよ」

 爺さんも奥さんの手を握り返し、

「わたしが馬鹿じゃった。みなさんに迷惑をかけちまった」

 痛みをこらえながら、歪んだ顔で笑顔をつくろうとしていた。

 しばらくのち、救急車は爺さんと奥さんを乗せて病院へと向かった。

 走りさっていく救急車を見ながら、残った大空と若者のふたりは、爺さんの怪我がたいしたことがなければいい、と言葉を交わした。

 その後、大空は、大学へ行く若者のバイクが走り去っていくのを見送りながら、若者に怒鳴り散らしたことは大人気なかったと思った。

 が、そのいっぽう、これまでのバイクの騒音に対して、気が晴れたようなところもあって、痛し痒しの気持ちであった。


  ( 続く )

 



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