妻との食卓
五
アルバイトを終えた美香は、夕刻には帰ってくる。朝昼ともに、夫婦別々で適当なものを食べているが、夕食だけは夫婦ふたりでとる。
この日も、アルバイトの帰りに、美香が買ってきた総菜が食卓に並んだ。トンカツとフレンチポテトであった。朝からたいしたものを食べていない大空にしたら、ご馳走であった。
大空がふた切れ目のトンカツを口に運ぼうとしたとき、美香は、今日の仕事大変だったわといいながら、大空が避けたがっている話題に触れた。
「ねぇ、光也のことだけど、あなたどう思う?」
「……、どう思うって?」大空は美香に問い返した。
光也は盆と正月にしか帰らないが、美香とはよく電話やラインでやり取りをしている。
大空にとっては存在感が薄くなった光也であったが、美香にとっては生まれてこのかた、いつも親密で身近な存在であった。だから光也のことは美香のほうがよく知っている。
あえて大空に聞かなくてもという気持ちがあった。
昨晩、光也から美香のもとに電話がかかってきた。こちらに来る日を決めたという。
その電話は夜遅くかかり、大空が布団にもぐり込んでいた時間だった。そのため美香も多くを語らなかったが、内容は来月に婚約者を連れてくるとのことだった。
布団のなかから大空は、「そうか……」とだけ答えて、それっきり寝たふりをした。それ以上、聞くのがおっくうだった。
二、三か月前に、美香の口から、光也は関東のほうで彼女を見つけ、それも結婚相手として考えているということを聞いた。
息子に結婚相手ができると、母親のほうが平常心を保てなくなるものとばかり思っていたが、あにはからんや動揺したのは大空のほうだった。
美香のほうは、これまでの電話で、光也から少しずつ話を聞かされていたこともあって慌てていなかった。大空のほうが、光也とその彼女にどのように対面してよいか、あたふたしているのだ。
大空のなかでは、光也の成長は、詰襟の学生服を着て高校に通学するまでの姿を最後に止まっている。それがいきなり、婚約者を連れてくるとなったら、驚いても不思議ではなかろう。
職場にいたころに、部下の顔を見ることすら嫌になった大空にとっては、あらたまって息子とその婚約者に会うということが、とてつもなく難しい問題のように思えた。
美香はトンカツの切れ端を口に入れながら、大空に返事をうながした。
「光也が結婚すること、どう思う?」
聞かれても、光也が嫁さんをもらって、家庭をつくるなんてことを、頭のなかで整理できなかった。
それでも大空は、
「いいんじゃないのか。もう光也も二十八歳だ。周りの友人も、何人かは結婚しているのだろう」
と、おきまりの言葉をいった。
すると、美香が、
「あなたにはまだ話していなかったけど、光也が連れてくる相手のかただけど……」
そういえば、まだどんな婚約者を連れてくるかを聞いていなかった。
美香は箸をおくと、大空の顔を覗き込むようにして、電話で聞いたという婚約者のことを話しだした。
「歳がね。大空より三つ上なのよ」
大空にとっては相手の歳を聞くのは初めてのことだった。
「すると……、もう三十をこえているわけか……」
なに食わぬ顔で美香は首をたてにふった。
「いつから、相手の歳のことを知っていた?」
「三か月前からよ」
「そんなに前からか。どうしておれにいわなかった」
美香は小鼻を膨らますと、
「あなた。光也のこと聞きたがらないじゃないの。わたしが話そうとすると、少し聞いただけで、わかったといった感じで……。それに、わたしも光也が年上の女性とつきあっているとは聞いていたけど、それが結婚うんぬんの話になるとは思ってもみなかったの」
と、まくし立てるようにこたえた。
いわれてみれば、美香のほうに分がある。いつもながらずばずば指摘してくる。
大空が少なからず機嫌を悪くしていることに、美香は気づいてか気づかないか、こうつけ加えた。
「その相手のかたの名前は、明日香さんというのよ。光也が大学院にいっていたころの先輩で、研究をずぅっと続けていて、いまは大学の助教なんですって」
「助教って……。おまえ、その明日香さんという人は、大学の物理学の先生か!」
つまんだトンカツが、大空の箸から落ちた。
( 続く )