大空が六十で仕事を辞めた理由、そして息子のこと
三
いまではそんなことはないが、大空が六十歳で仕事を辞めるといいだしたころは、美香との関係がぎくしゃくしていた。
最近の会社なり官公庁では、多くは、希望すれば、勤務延長とまではいかなくても、再雇用制度で、給料を減らされても六十五歳までは働くことができる。
大空がいた愛田県でも、再雇用制度であと五年働けた。それなのに大空は、定年退職となる三月末の、その五か月前の秋に、
「定年になったあと、おれは働かない」
と、美香に宣言した。
美香は大空がこのまま辞めてしまうのが、どうにも惜しいようで、定年間際の三月になっても、
「ねぇ、あなた。ほんとうにこの三月で辞めてしまうつもり。周りの人たちは、みんな六十を過ぎてからも、勤めるっていっているわよ。上司にお願いしたら、辞めるっていったのを、まだ取り消してくれるんじゃないの?」
と大空に翻意を促した。
だが、大空の気持ちは変わらなかった。
これまで大学を卒業してから三十八年間というもの、嫌な人間関係に耐えながらも、生活のためだけに、定年というゴールまで勤めあげてきた。多少の蓄えもあって、贅沢さえしなければ、定年後は働かずともやっていけるという目途もたっていた。
それなのにどうしてこれ以上、ストレスで胃の粘膜を傷つけ、血圧を高くしてまで、働く必要があろうか?
安楽椅子は、結婚してから、大空が自分のためだけに買った唯一の贅沢品であった。
大空は椅子のなかに身体を沈めるとゆらゆらと揺られた。
すると、頭の隅に追いやったはずの、一人息子の光也のことが舞い戻ってきた。
すでに光也も二十八歳になる。もう立派な大人だった。
大空にとって光也は、高校生のころの思い出を最後に、その後の十年間は印象の薄いものとなっていた。
中学一年から、高校三年の終業式まで、詰襟学生服を着て、一生懸命に家と学校の往復を繰り返していた。大空の記憶のなかで鮮明に生きているのは、そのころの光也までであった。
中学一年。小さな身体でぶかぶかの学生服を着て通学を始めたころ。テニス部に入るものの上達せずに、大空が休みの日には、一緒に市営のテニスコートまで行って練習をした。
学力のほうでも、周りの生徒に置いていかれそうになって、自宅に帰ると泣いていた。
高校生になると、にがてな運動部はやめて科学部に入り、しだいに勉強にも自信をつけてきた。すると見た目にも変わってきて、通学で家を出る姿も逞しくなってきた。
そして関東の大学への入学が決まり、初めての一人住まい。大空も美香も、アパート探しから家財道具の搬入まで、いっときはてんてこ舞いだった。濃密で印象深い光也との時間であった。
だが、それ以降は、光也は自分一人で生きるすべを得て、手のかからない息子になった。大学四年間と大学院二年間の学費と生活費を送るだけでよくなった。
大学院を卒業すると、そのまま関東に本社と工場がある企業に就職し、大空の手からは離れて、まったく別の世界に住みはじめた。
大学時代からそうであったように、忙しいために、愛田県の実家に戻ってくるのは盆と正月だけであった。その光也がいきなり来月に帰ってくるという。
それも婚約者を連れてー―。
昼食の時間になった。
大空は書斎から出ると、台所の棚と冷蔵庫のなかを覗いた。乾麺のほうなら棚に残っていたが、あいにく冷蔵庫のなかには生麺が無かった。
この日は乾麺を食べる気にならず、サンダルをつっかけて、歩いて五分のところにあるコンビニにまで買いにいくことにした。
コンビニの棚から、お握りひとつと、サバ缶を一個とった。健康によいと聞くから、サバ缶は二日か三日に一度は食べている。
昼にインスタントものも食べたりするが、そのいっぽうで、大空は健康にも注意をしていた。これにはわけがあった。
退職をする前の二年間、大空は形ばかりの課長待遇で、とある愛田県の地方出張所に勤務した。
そこでの勤めが、大空に六十歳の三月末で、仕事を辞めさせる決心をさせた。
どこの組織でもいえることだが、地方には、いわくつきの社員や職員を長く置いている職場がある。大空とて、いわくつきとまではいかないが、最後の勤め先が片田舎の地方出張所になったということは、組織から重宝がられている職員ではなかった。
しかし……、退職前の二年間の地方出張所はひどかった。
部下たちは、労働組合や同僚と結託して、上司を突き上げ、自分たちの仕事を減らすことばかりを目論む連中であった。
ある日、大空は臨時の仕事を、係長以下六人の職員に割り振ろうとした。
すると、大空と同じ歳の係長が歯をむいてきた。
「おれたちはいまの仕事で手がいっぱいだ。これ以上仕事をさせて、おれたちに時間外労働をさせようっていうのですか?」
この係長はいつのころからか、労働組合をタテに仕事をしなくなった男である。扱いにくくて有名なことを、前任の課長からの引き継ぎで聞いていた。
周りの若い職員も、課長である大空の指示を無視して、なにかというと直属の上司の係長に従っていた。それだけ労働組合の幹部である係長を恐れていたのだろう。
大空の、今回は国からの緊急調査だから、みなで手分けしてやってくれないか、という説得などには聞く耳をもたず、係長は残業反対の抗議を続けた。
「あんたこそ、部長の部屋に御用聞きに行っているだけで、なにも生産的なことをしていない。課長席にすわっているだけが能じゃないだろう。仕事をしろよ。手を動かせよ!」
その係長の抗議は、そこにいた残りの部下をあおった。
そのなかには、大空の家の前の交差点で、バイクをふかしている若者の風貌と似通った職員もいた。鋭い眼光でこちらを睨みつけ、いまにも殴りかかってきそうだ。
部下全員から反旗を翻されて、大空はなにもいい返すことができなかった。
無残にも打ちのめされた大空は、粉々にされたプライドを覆い隠して、無言で椅子にすわった。このときに味わった、ビニールレザーの椅子の、硬く、冷たい感触は、仕事を辞めて半年以上たったいまでも忘れることができなかった。
結局、国からの緊急調査は、他の職員が帰った職場で、大空だけがひとり残って何日もかけて仕上げた。
その件があってからの一年半の在職期間は、大空にとっては地獄のような日々であった。係長の威圧的な視線を受け止め、あと何日で仕事をやめられるかと、そんなことばかりを考えていた。
そのころから、血圧と血糖値が異常をきたし、テレビで血圧と血糖値を改善するにはサバ缶がよいと放送していたこともあり、こうして食べるようにしているのだ。
大空はコンビニのレジにいき、お握りとサバ缶を差し出した。
いつもの若い女の店員が立っていた。
平日の昼中に、大空は週に二、三回、コンビニに立ち寄っては、少額の同じものを買っていく。店員のほうも、そんな大空の顔を覚えていることだろう。
日がな一日、ぶらぶらしている爺さんたちが、散歩がてら、自分の食い分だけをコンビニに買いにくる姿をよく見かける。店員は、大空のことを、そのなかの一人だと見ているのだろうか?
大空は、仕事はしていないが、まだ六十を過ぎたばかりだ。それに、読書をするという、自分で決めたライフスタイルもある。
昼中から、なにもすることがなく、ぶらぶらしている爺さんたちと一緒にしないでくれ、そういいたかった。
店員は、そんな気持ちなどおかまいなく、マニュアル通り応対する。大空は持参してきた小さな手さげバッグにお握りとサバ缶を入れ、コンビニを出た。
( 続く )