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ヤマトナデシコ


 他愛無い会話が途切れ、目的の部屋の前にやって来た。

 鍵は普段からかけておらず、薄いドアのドアノブを捻って先に中に通す。広さは応接間の1/4だが、エリオが寝る屋根裏部屋よりは十分広い。


 床にはあまり考えずに置かれた不用品が積まれている。その中から木箱に保管されたそれをエリオは昔の記憶を頼りに掘り出し、彼女の前に差し出す。

 ゆっくり見たいと、木箱の蓋を一度閉めて、彼女は空いている部屋を所望した。特に断る理由もなかったエリオは、近場の客室に彼女を通した。


 宿泊用の部屋だが、テーブルも椅子もありゆっくり見たいと言う彼女の希望にはぴったりだろう。

 セミダブルのベッドが室内を占拠する部屋に通し、自分は廊下で待っておくべきかと悩んだが、カトリアから入ってきて構わないと中に通された。

 エリオは仕方なくドアの前で待っていようと、ドアを後ろ手に閉める。それを確認したように、カトリアがおもむろに口を開く。



「ところで、あなたの種族はどこなのかしら?」


 唐突な質問に、頭が追いつかない。

 木箱の中の壺には一切手を出さず、腰掛けた椅子に足を組んでこちらを見上げるカトリアは、少し顔つきが変わった気がする。


「さあ……俺はスラムの出身ですから、自分の身元など知りませんよ」


 軽く肩を揺らして、面白可笑しく反応する。

 するとおもむろに彼女は立ち上がり、エリオのもとに距離を詰めてくる。その目は、獲物を狩るような鋭い光を宿している。



「あなたの暗い髪、瞳の色……この国でもあまりお目にかからない。黒い髪に、色素の薄い肌色の種族は、いくつか考えられるけれど……例えば()()()()()()()()


 エリオは目を見張る。

 至近距離にこちらまで迫る彼女に、心臓を鷲掴みにされたような嫌悪感を覚える。彼女の前で上手く呼吸を整えられない。



「ば、バカな……」


「最初にあなたに会ったとき、初対面の私にあなたが頭を下げたこと……照れ隠しに鼻の下を掻く癖……どちらも彼らの特徴と一致している」


 思わず彼女の視線から目を逸らす。

 あの扉を開けた瞬間から、そんな些細な仕草を見られていたなんて。身体がガクガクと震え出す。


「ヤマトナデシコの種族は、元々山奥に暮らす控え目な種族柄で、霊体や不可思議な現象を引き寄せる体質を持つ者が多い。それ故に他の種族からは迫害を受け、奴隷種族として扱われてきた」


 耳に入るカトリアの声は、魔女が呪いをかけるように艶やかな息遣いでエリオの動揺を掻き乱す。信じられないほど脅えている自分にエリオは気づく。スラムの路頭で当てもなく彷徨ったときよりも、胸の動悸が鳴り止まない。


「その特殊な能力は忌み嫌われ、奴隷としての仕事にもありつけず野垂れ死ぬケースがほとんど。絶滅の一途をたどる種族……」


 希少種族には2つのケースがある。

 子孫繁栄が複雑なケースと、外界の何らかの影響で絶滅へと追いやられるケースだ。

 ヤマトナデシコは後者であった。彼らの種族に関わると不幸が襲うといつか噂が回り、迫害運動が起こった時代もあった。世間では最早絶滅した種族だと、昔話に思う者も多い。



「そして、彼らには思春期の頃から身体のどこかに現れる花の入墨がある。――そう、こんな感じの」


 気配に気づかぬ間にはだけたシャツから、ヤマトナデシコの家紋が浮かび上がる。花形に縁取られた黒子のようなそれを見られて、最早言い逃れすることはできないだろう。


 何とか正気を保ち、エリオは魔女のような変貌を遂げた彼女の胸倉に掴みかかる。壁の時計がその瞬間、日暮れの刻を告げた。



「だ、黙っていてくれ。このことがバレたら、俺はっ……」


 懇願するように、エリオは告げる。

 自分には居場所と言える場所もない。ここを追い出されたら、またスラムの路頭を彷徨う日々だろう。


「……そこまでして、こんな場所に残る意味があるの?」


 哀れむような彼女の声も、どうでもいい。

 殴られて気が済むなら、いくらでも殴ればいい。口から血を吐くほど殴られたっていい。


 もう怖くて冷たいところは嫌なんだ。



「あんたの言う通りだよ。まさかとは思っていたんだ。この入墨が浮かんでくるまでは……」


 8歳からここで奴隷として働かされて、もう二年になる。こんな仕打ちを受けても、エリオには不自由なく生きられるなら十分な場所だった。

 それなのに、10歳になってから半年前に浮かび上がった謎の模様。敏感に感じるようになった何かの気配。夜中にうなされるというヴォルガード公の首を締めつけていた何か。


 スラムで育った彼は自身の生まれなど気にしたこともなかったが、まさかとは思った。奴隷としての仕事を探し歩く中で、種族の噂は度々耳にしたことがある。

 自分の生まれがあの奴隷種族のヤマトナデシコだとは、信じたくはなかった。呪われた種族だなんて……どうして自分はこんなにも不幸を背負わされるのだ。

 幸いあの蟷螂には勘づかれてはいない。エリオは首筋を隠すようにして過ごした。しかし、暖かくなって日差しが強まる頃には誤魔化せなくなるだろう。



「いいわ。黙っていてあげる」


 頭を項垂れていたエリオの上から、カトリアのその声が降ってきた。ここを出ることになることが頭にあったエリオには、その言葉が希望だった。



「その代わりに……あなたには私の望みを叶えてもらう」


「の、ぞみ……?」


 フッと彼女の胸倉に縋っていた腕の力が抜ける。

 エリオはその言葉の真意を汲み取ることができない。カトリアは微笑むだけだった。


 この後に彼は、もうここにいられなくなることなど、まだ知ることもなかった。

 魔性の微笑みに、魅入られてしまっていたのだ。




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