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戦国武将の問答とガードマン三部作 1浅井長政

作者: 小野口英男

戦国武将の問答とガードマン三部作

1 浅井長政


         一

 1573年7月織田信長は北近江を三万の大軍で攻める。北近江の盟主浅井長政は本拠の小谷城を信長の大群に囲まれる。最早長政に勝ち味は無い、それどころか小谷城は正に風前の灯火である。

 長政は信長からの再三の降伏勧告を拒否しながらも、悩み抜いている事がある。自身の死は覚悟の上であるが、只妻の市と三人の娘の命は助けたいと思っている。市の兄は信長であり、三人の娘は信長にとって姪である。従って信長と云えども、妻と三人の娘を無碍には扱うまいと長政は考える。長政は小谷城の城主である。ならば事は簡単で、信長の勧告に従い妻と三人の娘を信長軍の使者に渡せば良い。しかし事はそう簡単では無い。長政の父の久政が妻と三人の娘を信長軍に引き渡す事に強く反対しているのである。

「浅井の人間は何人といえども浅井と共にある」

 久政は頑として自説を変えないのである。長政は何とか久政を説得して、穏便に妻と三人の娘を信長軍に引き渡したいと考えている。長政は焦っている。

「もう時間がない。早くしなければ」

 小谷城には長政の居城である本丸と、長政の父の久政の居城である小丸とがある。8月23日、長政は本丸と小丸を繋ぐ秘密の道を一人の家来を連れて行く。伊藤権兵衛がそれである。

 伊藤権兵衛について触れて見よう。彼の実家は越前の農家である。五人兄弟の内長男は幼少で死去し、次男は農家を次いでいる。彼は三男である。長男と次男の間に二人の姉がいる。上の姉は商家に奉公に出される。下の姉は家を出て当時の町屋に出始めていた女郎に成っている。三男の権兵衛は農業を手伝う傍ら竹槍を槍代わりにして槍の訓練をし、いっぱしの槍遣いに成っている。十八歳に成ると同時に戦のありそうな処へ行っては兵になりすましているのである。彼の望みが叶い浅井長政の家来と成っているのである。彼の役目は長政の警護、今のガードマンである。彼の願いは出世して実家を助ける事、特にどん底に居る姉達を助ける事にある。

 彼は長政に連れられて小丸に入る。小丸は本丸以上に信長軍に攻められ、可成り苦しい状態にある。長政は父の久政に会うと開口一番、

「父上信長の使者が再三に亘って、市と娘を信長に引き渡す様に行ってくる。これをお認め下され。この通りで御座る」長政は床に頭を下げ懇願する。

「成らん。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定」久政は首を横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「馬鹿を申せ。この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めた事が原因ではないか」久政は激しい怒りの表情を見せる。

「娘は未だ小さい。この小さい娘を殺すは不憫で成りませぬ」長政は正に親の顔をしている。

「嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」

「私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る」

「情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう」

「父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」

「そなたの気持ちは良く分かる。しかし浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

 再び長政は久政に懇願する

「先ほど申した通り父上、市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る。私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る。娘は未だ小さい。この小さい娘を殺すは不憫で成りませぬ。父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」長政は床に頭を深々と下げ懇願する。この時ばかりの長政は正に親の顔をしている。

「成らん、成らんと申したら成らん。分かり切った事じゃ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。情け無い事を申すな。先ほど話した通りそなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」久政は首をガンとして横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「同じ事を言わせるな。そなたの気持ちは良く分かる。しかし浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

 信長の妹を妻にしている長政は元々信長とは争いたくは無かった。話は三年前に遡る。1570年、信長と長政との朝倉への不戦の誓いを破り、徳川家康と共に越前を攻め始める。この時長政の父親の久政は長政に信長と戦う様に進言する。しかし信長とは義兄弟と成った長政は戦う事を躊躇する。それに対し長い間の朝倉との同盟を重視する久政は信長と戦う事を決める。もはや信長との一戦は避けられないと悟った長政は織田徳川連合軍を背後から急襲する。不意を突かれた織田徳川連合軍は殿を務める木下秀吉の働きにより信長は命から柄脱出に成功する。

 あれから三年、すっかり力を付けた織田徳川連合軍は朝倉を攻め落とし今回浅井攻略に掛かったのである。織田徳川連合軍はこれまで何回にも亘って、降伏と長政の妻女の引き渡しを要求しているのである。長政は城が陥落してからでは遅い、陥落する前に妻女を信長に引き渡したいと思っている。

「説得に失敗したか。やむをえん今日は諦めよう。明日もう一度説得しよう」

 長政は権兵衛を従えて小丸から本丸への秘密の通路を小走りに急いだ。本丸に着くと妻のお市が心配そうに、

「お父上様には依然お考えは返られますまえ」市は観念したかの様に尋ねる。

「その通りじゃ。しかし心配せずとも良い。必ず聞き入れて下さる」

「私は貴方と共に死ぬのは厭いませぬ。嫁いだ時からこの様な事もありうるかと覚悟はしておりました。只その相手が血を分けた実の兄上なのは残念です」

「面目ない」頭を下げる長政。

          二

 8月24日、二度目の説得に長政は権兵衛を連れて本丸から小丸への秘密の道を急ぐ。権兵衛は長政に連れられて小丸に入る。小丸は信長軍の激しい攻撃で本丸以上に信長軍に攻められ、一日一日と包囲は狭められ危機的状態にある。状況が悪く成る事で、久政の考えも変わる事を期待する長政。二度目の説得で何とか久政の考えを変えたい長政。長政は父の久政に会うと頭を下げ開口一番、

「父上、昨日もお話致した様に、信長は再三再四使者を寄越し降伏を勧めます。特に市と娘を信長に引き渡す様要求して来る。降伏は受け入れませぬが、市と娘を信長に引き渡したい」前日同様長政は頭を下げ懇願する。

「成らん、成らんぞ。そのような事は。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定ではないか」久政はガンとして長政の願いを聞き入れない。

「全くその通りで御座る。只し本来、但し市と娘は戦とは無関係で御座ります」長政は必死に父親に懇願する。

「何を申すか。前にも申した様に朝倉を攻めたのは嫁の兄信長が原因だぞ」久政は激しい怒りを露わにする。

「妻は兎も角、娘は未だ小さい。この幼気な娘を殺すは不憫で成りませぬ」親の顔をしている長政。

「本懐じゃ、本懐じゃ。何度同じ事を言わせるのじゃ、嫁ぎ先と共に死ぬおなごは。嫁と娘は代々語り継がれよう」

「私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只妻と娘の命は助けたい」

「昨日も言ったで有ろう。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう。情け無い事を申すな」

「父上にも人の血は流れておられる。ならば私が妻と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」

「そなたの気持ちは良く分かる。しかし浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

 長政は再び久政に頭を床につける。

「父上くどい様ですが、市と三人の娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る。私は既に死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と三人の娘の事が気がかりで御座る。娘は未だ小さい。この幼気な娘を殺すは不憫で成りませぬ。父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」長政は床に頭を深々と下げ懇願する。長政は娘を正に思う親の顔をしている。

「成らん、成らんぞ長政。当たり前の事じゃ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。分かり切った事、情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」久政は首をガンとして横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「馬鹿を申せ。この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めないと云う誓約を破り、朝倉を攻めた事が原因である。悪いのは信長である」久政は激しい怒りの表情を見せる。

          三

 8月25日、三日目の説得に長政は権兵衛を連れて本丸から小丸への秘密の道を急ぐ。彼は長政に連れられて小丸に入る。小丸は本丸以上に信長軍に攻められ、落城寸前の危機的状態にある。長政は父の久政に会うといきなり床に頭を付け、

「父上長政一生の頼みで御座る、市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る。私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る。娘は未だ小さい。この小さい娘を殺すは不憫で成りませぬ。父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」長政は床に頭を深々と下げ懇願する。長政は正に父親の顔をしている。

「長政くどい。成らんといったら成らん。分かり切った事じゃ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」久政は首をガンとして横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「馬鹿を申せ。この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めた事が原因ではないか」久政は激しい怒りの表情を見せる。激しい怒りを露わにする。

「そなたの気持ちは良く分かる。しかし浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

「父上、市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る」長政は床に頭を下げ懇願する。

「成らん。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定」久政は首を横に振るだけである

          四

 8月26日、四回目の説得に長政は権兵衛を連れて本丸から小丸への秘密の道を急ぐ。説得も四日目と成る。彼は長政に連れられて小丸に入る。小丸は信長軍数日来の攻撃に、本丸以上に落城近い状態にある。これまで通り長政は父の久政に合うと直ぐ頭を下げ、

「私は死を覚悟し、腹を切る覚悟はいつ何時出来ております。只妻の市と娘は助けたい」長政は床に頭を下げ懇願する。

「情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう」ガンとして長政の要求をはねつける久政。

「市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「成らん。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定」久政は首を横に振るだけである。

「父上、市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る」長政は床に頭を下げ懇願する。

「信長に引き渡す等と馬鹿を申せ。この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めた事が原因ではないか」久政は激しい怒りの表情を見せる。

「仰せの通りで御座る。只娘は未だ小さい。この幼気な娘を殺すは不憫で成りませぬ」長政は正に親の顔をしている。

「嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう。何度も同じ事を云わすな」

「父上にも人の血は流れておられる。ならば私が娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」

「そなたの気持ちは良く分かる。但し情だけでは出来ぬ事もある。浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

「父上なにとぞ、なにとぞ市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る、この通り」再度長政は床に頭を下げ懇願する。

「成らん。成らんぞ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。何度も同じ事を云わすな」久政は首を横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ娘は未だ小さい。この小さい娘を殺すは不憫で成りませぬ」長政は正に親の顔をして、必死に父親に懇願する。

「何を申す。何度も言うとおり、この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めた事が原因だぞ。何度も同じ事を云わすな。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう。何度同じ事を言わせるのだ」久政は激しい怒りの表情を見せる。

「説得に失敗したか。やむをえん今日は諦めよう。明日もう一度説得しよう」

 長政は権兵衛を従えて小丸から本丸への秘密の通路を小走りに急いだ。本丸に着くと妻のお市が心配そうに、

「お父上様にはお考えは返られますまえ」市は観念したかの様に尋ねる。

「その通りじゃ。今回は失敗したが、心配せずとも良い。必ず聞き入れて下さる」

「私は貴方と共に死ぬのは厭いませぬ。嫁いだ時からこの様な事もありうるかと覚悟はしておりました。只三人の娘は不憫です」

「面目ない」頭を下げる長政。

          五

 8月27日、五日目となる最後の説得に長政は権兵衛を連れて本丸から小丸への秘密の道を急ぐ。彼は長政に連れられて小丸に入る。小丸は本丸以上に信長軍に攻められ、正しく落城寸前の説破詰まった状態にある。長政は父の久政にあうと開口一番、

「父上最後のお願いでこざる。市と娘を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る」長政は床に頭を擦りつけ懇願する。

「成らん、成らんぞ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。もう何度同じ事を云わせるのだ」久政は首を横に振るだけである。

「仰せの通りで御座る。只し本来、市と娘は戦とは関係御座りませぬ」長政は必死に父親に懇願する。

「なにを馬鹿な事を。この戦は元々嫁の兄信長が朝倉を攻めた事が原因だぞ。同じ事を何度も言わすな」久政は激しい怒りの表情を見せる。

「娘は未だ小さい。この小さい娘を殺すは不憫で成りませぬ」長政は正に親の顔をしている。

「同じ事を云わせるな。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」

「私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る」

「情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう」

「父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」

「何度もそなたの気持ちは良く分かると申しておる。しかし浅井家には浅井家の仕来りがある」

「その仕来りを今回破って戴きたい。そうお願いしているので御座る」

「父上繰り返しますが、市と娘三人を信長に引き渡すのをお認め下され。この通りで御座る。私は既に死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る。何度も同じ事を繰り返すが、娘三人は幼気で御座る。この幼気な娘を殺すは不憫で成りませぬ。父上にも人の血は流れておられる。ならば私が嫁と娘を思う気持ちもお分かりに成る筈」長政は床に頭を深々と下げ懇願する。長政は正に優しい父親の顔をしている。

「成らん、成らんぞ、これ以上言わせるな。当たり前の事じゃ。おなごは一旦嫁いなば、嫁ぎ先の人間に成るは必定。何度も同じ事を云わすな。情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう。嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう」久政は首をガンとして横に振るだけである。

「三人の娘は未だ小さい。この幼気な娘を殺すは不憫で成りませぬ」再び親の顔をしている長政。

「嫁ぎ先と共に死ぬはおなごの本懐じゃ。嫁と娘にとって代々語り継がれよう。何度も言わすな」

「私は死を覚悟し、何時でも腹を切る覚悟は出来ております。只市と娘の事が気がかりで御座る」

「それでも浅井の大将か、情け無い事を申すな。そなたが殺められないと云うなら余が殺めて遣ろう」

         六

 頭を床に擦り付け、何度も娘の引き渡しを懇願する長政。

「長政くどい」ガンとして首を縦には振らない久政。

 これを見て権兵衛は怒りがこみ上げて来る。

「俺の姉達はどうだ。上の姉は商家の奉公人。借金の克てたに取られた奉公人なんて動物と同じよ。一生こき使われて年中腹すかして、病気でもしようものならそれっきりのあの世行きよ。薄べったい布団に寝て厳しい冬の寒さに耐えて、夏は暑さと蚊やノミに耐えなければならねえ。それでも上の姉は未だまし。下の姉は女郎、これは惨めだ。毎日毎晩野郎相手だ。言葉に何ねえ、毎日毎日がそれこそ地獄だ。考えるだけで気が狂いそうだ」

 そんな惨めな実家の姉達に比べ、此処では家だの仕来り等と云っている。事ここに至って未だこんな悠長な事を云っている浅井親子が許せなくなる。

「大殿様、殿の奥方様と幼気な娘さんを助けて遣りなさいよ。女子供を戦で殺して何に成るんですか」権兵衛は我慢仕切れず思わず口を滑らせる。

「何じゃ小奴は」怒る久政。

「申し訳御座らぬ、最近使えた新参者で御座る」長政も突然の事に困惑する。

「下郎は余計な事を云うな」久政はつかみ掛からんばかりの形相で怒る。

 下郎と云う言葉は権兵衛を傷つけ、彼の怒りに火に油を注ぐ結果となる。

「俺が下郎ならそっちは何だ。手前はそれでも人間か、人間なら赤い血が流れているだろう。いや手前見てぇなのは人間の皮を被った犬畜生だろう。親が子を思う気持ちが分からないのか、大将がこれだけ何度も頭下げて頼んでいるのが分から無いのか、大馬鹿者。もう落城は目前だろう、それなのに事ここに至っても未だ家だの仕来り等にこだわる。嫁は兎も角、幼気な娘はそっちの孫だろう。孫を殺すなんてぇのは犬畜生にも劣るぞ」久政に対して権兵衛は大声で怒鳴り散らした。

「生意気な下郎」久政は刀を振りかざし権兵衛に斬りかかる。

 最初の一刀をよけた権兵衛は、直ぐさま槍を持ち替え応戦する。権兵衛は尚も向かって来る久政の胸を槍で一突き。絶命する久政。久政を腕に抱き胸に刺さる槍を外し「父上申し訳御座らぬ。拙者も間もなく参りましょう」目を開けた侭の久政の目を閉じて遣る長政。

「申し訳御座りませぬ」槍を置き謝る権兵衛。

「もう良い。信長軍は小丸の直ぐ近く迄迫っておる、早く本丸に逃げねばならぬ」

 長政は本丸と小丸を繋ぐ秘密の道をぬけ本丸へと急ぐ。小丸の城は二時間後に落城する。翌日長政はお市と三人の娘を信長軍に引き渡す。長政は九月一日本丸で自害し小谷城は落城する。伊藤権兵衛のその後は定かではない。

                                 <了>


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