第5話「深淵」
瞬たちが話し合いをしているのと同じころ、古田優斗の部屋にて。
部屋は夜であるというのに、デスクの小さな電灯しかついておらず、もう一つの光源もパソコンモニターの微弱なものだった。
そこにいた3人は異質な面子だった。
部屋の主、古田優斗はもちろんのことで、あとの2人は、愛宕夏美、日比谷だった。
大学生活のほとんどを自室で過ごす古田優斗と、キャンパスライフを謳歌する2人。
3人はまるで街頭に群れる蛾のようにモニター周りに集まっていた。
正反対な組み合わせだったが、その目的は同じだった。
より多くの金を稼ぐこと。
「きょ、今日は2本なんだね」
「あぁん?文句あんのか」
「いいいいや、まさかぁ!!!い、いつもより少ないなんて思ってないよ!!!」
「このクソオタクが!!!調子づきやがって!!!」
立派なゲーミングチェアに腰掛ける古田優斗に殴りかかろうとする愛宕夏美。
一方、日比谷はそんなやり取りに興味すら抱かず、古田優斗の目の前のモニターを凝視していた。
「・・・数日で2万円か。0から始めたにしてはいい感じじゃないのかな」
モニター上に表示されているのは販売型動画投稿サイト。
それもアダルトに特化したもの。
その売り上げのページが開かれていた。
「や、やっぱりこういう動画はアダルトの中でもコアな部類ですから。け、掲示板なんかでステマとかやってるんですけど」
「話題になってたりするかい?」
「ええ、大学生同士なのもリアルだって言われてます。モ、モデルがいいですから、男女両方に需要があってようで・・・」
「きんもちわる」
彼らは今、愛宕夏美が撮影したリベンジポルノと言われる動画を販売していた。
なぜあれほど露見を恐れてた2人が、古田優斗を誘ってまでこのようなビジネスを始めたのか。
それはわずか4日前だった。
4日前、キャバクラ「Queen」のVIPルームにて。
「それで、どう落とし前つけるつもりかな」
そこにいたのは、瞬たちと同じ3人組だった。
愛宕夏美、日比野、そしておかっぱの男。
日比野は問う。
先日の忠告はすでに遅かったのだ。
探りを入れられているのを知ったのは愛宕夏美だけでなく、日比野も一緒だった。
日比野は頭が切れるようで、このまま黙ってより状況がひどくなるよりも、一度"本部"に報告を上げ、いざというときに責任を押し付ける保険にしたかった。
「ちょうど今これ以上騒ぎが大きくならないようにしてんだよ」
愛宕夏美は苦し紛れといった様子で報告をする。
愛宕夏美と日比谷、2人の向かい側に座るおかっぱ男は高価な酒を注文し、キャバクラ嬢たちを部屋の外に侍らせた。
「・・・我々が求めるのは結果なんですよ、無関係の人たちにばれたという結果は消せない」
おかっぱ男の年齢は30代程度で、派手なスーツの上からでもわかる大きい肉体が、その奇抜な恰好が見せかけではないことを示していた。
おかっぱ男はサングラスの中のするどい瞳で愛宕夏美を見つめた。
その眼は、獲物を獲らんとする獣のようでいて、救いの手を出す聖母のようなものもはらんでいた。
「はい、必ずご迷惑はおかけしません」
「いやいや、もうご迷惑はおかけされてるけどね」
日比谷とのやりとりとは変わって丁寧な口調で対応する。
その2面性のある態度には全く驚かないおかっぱ男はソファからわずかに身を出してすごんだ。
「だからね、ばれたことをどうやって責任とるのかって言いたいわけよ」
「天野さんは、夏美ちゃんが"本部"に何を出せるかって聞いてるんだよ」
日比谷は捕捉するが、愛宕夏美にとってそれは煽りや嫌がらせにしか取れなかった。
「・・・新しい"被験者"ですか」
"被験者"。
愛宕夏美の口から、通常の被験者とはまた異なった、闇をはらんだような言葉が出てきた。
「うーん、つい先月、日比谷くんから"きみ"が提供されたばかりだからなあ」
「私の提供した"被験者"のせいでこのような結果になってしまってまことに申し訳ありません・・・」
かしこまって謝罪する日比谷、もちろん愛宕夏美・日比谷両者とも煽っていることを認識している。
2人の間で火花が散っているのを感じ取った天野はまあまあと納める。
「もっと建設的な話をしようじゃないか、ねえ?日比谷くんはどう思うんだい」
煽っていただけの日比谷に視線が移されはっとする。
しかし、ここでつまらない回答をすれば自分さえも食われる、そう感じた。
「そうですね・・・いっそ慰謝料として夏美ちゃんに一稼ぎしてもらうというのはどうでしょう」
その発言に愛宕夏美は驚き日比谷の方へ顔を向けた。
天野も日比谷の提案に驚きを隠せない様子で、サングラスを上げなおした。
「ほう、具体的には」
どうやら日比谷は天野の興味を引くことができたらしいが、まだ第一段階クリアというところだ。
低い声で話す天野の声には、つまらない中身じゃないよな?といった意味も感じ取れた。
「はい、リベンジポルノの動画を"売る"んです。世の中にはそういったジャンルを好む連中も少なからずいますからね」
「まじでいってんのか日比谷」
愛宕夏美はありえないという声で問うた。
日比谷の言っていることは、先ほどの「穏便に」という趣旨から大きく離れたものだったからだ。
しかし、そんな愛宕夏美を横目に話を続ける。
「もちろん彼女の責任で、どう販売するかも自由。成功すれば"本部"への慰謝料だけでなく上納金として天野さんに・・・」
「・・・我々のことが露見する可能性があるだろう?」
「例の3人組の抑えはぼくも協力します。動画の調達は大学外をターゲットにすれば勘付かれる危険も少ないでしょう」
「ふむ、もし売れなかったらどうするのかね」
「そのときはそのときです。私たちの首をご自由に使ってください」
「日比谷・・・」
普段饒舌なことは知っていたが、ここまで強気に出れるものか。
愛宕夏美はこの皮肉屋に感謝するまでいた。
「おもしろい。では2人に任せよう。50万を目標に頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
「もし順調のようであれば、新しいシステムとして"本部"に提案してみよう」
どうやらこの場は丸く収まりそうだった、この場は。
もちろん、その場しのぎと言われればそうである。
50万円も稼げる見込みはどこにもない、ただビジネスチャンスがあるのでは?と皮肉にも大学生のレポート程度のものだった。
「なに、あまり重く考えずにやるほうが成功するよ。失敗しても悪いようにはしないさ」
前半は本当に人生の先輩としてのアドバイスだろう、後半は嘘にしか聞こえなかった。
話し合いが終わったあと、3人はキャバクラ嬢たちを交え談笑し、酒に酔った。
小一時間ほど話すと、天野は報告するから、といってキャバクラを出たため、2人もそのまま解散になった。
帰り道に愛宕夏美は日比谷に感謝した。
「すまねえ、ありがとうな」
「ははは、結果オーライともいかないさ。きみはこれから稼ぐために"身を粉に"しなければいけないんだから」
「・・・それはわかってる」
身を粉にする、愛宕夏美は覚悟していた。
リベンジポルノのような"行為"を動画にして販売するいうことは、動画をどんどんと作成していかなければいけないということ。
決して、助かったとは言い切れないだろう。
「それとできる限りネットに強い協力者を探すことだよ」
「ばれるからやべえんじゃねえか?」
「必要最低限にね。ぼくたちはネットの海の性欲お化けたちを相手にするには知識がなさすぎる」
日比谷はお得意の皮肉で返した。
しかし、我知らずといった様子でもなく、これが失敗すればいくら自身の饒舌をもってしても何らかの処罰は逃れられないとわかっているようだった。
「あの3人はぼくからもちょっかいかけるようにするさ。2人は顔見知りだしね」
「ああ、頼む。とりあえず、オタクを探せばいいんだな」
3人が退店した後、店内のキャバクラ嬢たちは噂に興じていた。
大学生の春野渚こと源氏名"ハナ"もその一人だった。
「男の人、東都大なんでしょハナ!紹介してよ!」
「でも、直接仲いいってわけじゃないよー」
「女の子もミスコン候補なんでしょ?めちゃくちゃかわいくなかった?」
春野渚は不思議だった。
どうしてあの二人がキャバクラなんかに、しかも只者ではない人と一緒に。
誰かが来店した、などという情報を関係ない人に話すのはあまり気が進まなかったが、どうしても聞いてほしく森綾香に相談してしまった。
(また来たけど、やっぱり怪しいよね)
春野渚は野次馬的な動機だけでなく、月9の探偵ドラマに影響され、謎を解き明かしたいという衝動に駆られていた。
「じゃあ私忘れ物とかないかみてくるね~」
さりげなく先ほどまで3人がいたVIPルームに入る。
中は全体的に薄暗く、人が10人は入れるかどうかの広さだった。
部屋の中央に正方形の机があり、お酒の瓶やグラス、食事の皿はまだ片付けられていなかった。
机の上にある酒は、この店で扱うものの中でもかなり高価な部類に入るものばかりだった。
グラスと食事の皿は机の片側に偏っていた。
机をぐるっと囲むようにして二人掛けソファが並んでいるので、どこに誰が座っているかはすぐにはわからなかった。
しかし、春野渚は探偵ドラマで得た知識で、ソファに手を当てる。
「使っていたソファは2つでそれぞれ2人ずつ座っていた・・・片方にはうちのお店の人が一人かな」
偏って置かれたグラスに真っ赤な口紅がついたものがあった。
おそらくそこに座っていたのがキャバクラ嬢なのだろうと春野渚は考えた。
キャバクラ嬢の座っていたと思われる場所の隣に鼻を寄せる。
「香水・・・男性用かな、上品で、ビジネスマン向け」
来店するサラリーマンがよくつけていたものだった。
春野渚はソファの片側にキャバクラ上と派手なスーツのおかっぱ男が座っていたのだと考察した。
おかっぱ男が座っていたと思われる側の机に偏ったグラスと皿。
このことから春野渚が導き出した真実は、
「ただの飲み会や打ち合わせじゃない・・・なんちゃって」
春野渚は自身のしていることが恥ずかしくなり、探偵ごっこをやめた。
そのまま机のグラスと皿を片付けはじめた。
再び同刻、古田優斗の部屋。
「と、ところで日比谷さん。あの3人はどうなってるんです?」
古田優斗は恐れながら聞いた。
いくら物腰柔らかな日比谷でも、愛宕夏美とのやり取りでヤバイやつだと察したのだろう。
「ん?どうしてきみが気にするのかな」
「あ、いえ、今日岡崎瞬とたまたま、話したんで・・・」
だんだんと声が小さくなっていった。
どうやら日比谷のお前は気にするなオーラに気づいたのだろう。
「なるほど。でも今はきみができることをしてくれ」
「は、はい!」
日比谷は一蹴したつもりだったが、古田優斗には仕事を任され期待している、と受け止められたのか声が明るくなる。
「愛宕さん、つ、次はカ、カメラを増やしてみないかな」
性欲を利用して小銭を稼ぐ3人の闇は深まるばかりだったが、もう引けないこともわかっていたのだ。
そして、彼らは知らなかった。
気を割かなければいけない存在は探りを入れる3人や天野、ネットの海の性欲お化けたちだけでなく―――
また別に迫ってきていることを。