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日々短譚 「パソコン」

作者: 眉無芳一

 パソコンが壊れた。無いからといって生活が脅かされる訳ではないが不便極まりない。今日日スマートフォンがあればある程度事足りてしまう節はあるが桃色資料の管理等が出来なくなってしまう。しかし、タイミングが悪いことに先日仕事を辞めてきたばかりの僕には新品のパソコンを買うほどの経済的余裕はなかった。どうしようかと考えたがパソコンの設定など時間の有るときにやっておきたい。お金は無いが時間だけは有る。

 どうしようかと思いながらスマートフォンで中古のパソコンを知らべていると破格の安さのパソコンがオークションに出品されていた。説明には故人の遺品整理の為、と書かれている。それを書くのは如何な物かと思いはしたが万が一不動品だったとしても話のタネになるくらいの金額だった為、即決で購入した。スペックも申し分なかったし、付属品としてディスプレイ、キーボード、マウスなどもついてくるという事だった。

 パソコンは翌週には届いた。多少の使用感はあるものオークションで安く入手した割には綺麗なものだった。これなら不動だとしてもジャンク品として転売すればさほど損はしなさそうであった。早速周辺機器を接続し起動してみた。すると読み込み画面のまま動かなくなってしまった。やはり故障した不動品だったのかと少しがっかりしながらも仕方らないか、と思った。もしかしたらこのままほおって置けば動くかもしれないと淡い期待を抱き僕はコーヒーでもいれて一服着けようと席を立った。

 ゆっくりと時間をかけてコーヒーを淹れる。平日の昼間から家にいるというのはなんだか落ち着かないものだ。つぎの勤め先は決まっているとはいえ少しの不安感は拭いきれなかった。そんな不安感を少しでも忘れようと僕はコーヒーを淹れるという作業に専念した。

 コーヒーを淹れ終わりデスクへ戻ろうとすると一人の男が座っていた。直感でその男が人ではないことを僕は悟った。実態がある様に思えない男はパソコンの前に座り僕を見ていた。色白で小太り、髪の毛は耳が隠れるくらいの長さのくせ毛、どんよりとした目が僕を捉えて離さなかった。こういう場合はどう対処したほうがいいのか、僕は変に冷静さを保っていた。僕が何かを言う前に目の前の男が口を開いた。

「僕のパソコンに触るな 」

 口は動いていなかったが声が僕の耳へと届いた。空間が震えない様な不思議な声が一層彼が人ではないという事実を僕に突きつけた。

「君のパソコンだって? それは僕が買ったものだ。だからそれは僕のパソコンということになる。」

 僕がそういうと彼はもう一度言った。

「僕のパソコンに触るな 」

 なるほど話にならない。故人の遺品整理という事は以前は彼の持ち物だったのだろうか、そして彼が亡くなり僕の物となった。きっと彼はそれが気に入らないのだろう。しかしこのパソコンは今となっては僕の物である。

「もう一度言うよ、このパソコンは僕の物だ。きっと以前は君の物だったんだろう?しかし君は死んでしまった。今は僕の物なんだ。わかるね? 」

 僕がそういうと彼は黙ってパソコンのモニターへと向き直ってしまった。やれやれ、僕はどうすればいいのだ。途方に暮れ、煙草に火を点けた。すると彼は迷惑そうに僕を見た。

「ここは僕の家だ。勝手に入ってきたのは君だし文句は言わないでくれ。本当は今すぐにでも出ていってほしい所なんだから」

 僕が言うと僕をじっとりとした目で見つめてきた。僕は構わず煙草を吸い今の状況を考えた。オークションで安くパソコンを買ったらパソコンが動かなかっただけでなく幽霊が付いてきた。付属品に幽霊なんて書いていなかった。これはクレームを入れてもいいのだろうか。御宅から購入したパソコンに幽霊が付いてきました。引き取ってください。なんて考えているといよいよ馬鹿らしくなってきた。

「君はどうして欲しいんだい? よしんば僕が君の、元君のパソコンに触らなかったとしよう。そうしてもパソコンは君の手元には戻らないし戻ったとしても君は今となっては扱えないんじゃあないかい?これはもうどうしようもない事実なんだ。君が死んでしまったようにもう元の状態には戻れない。どうだろう。そろそろ引き取ってもらえないかい? 」

 僕が一気にそうまくし立てると彼は俯いて動かなくなってしまった。一応意志の疎通は出来るらしい。しかしそれ以上の進展がみられそうになかった為、僕はウイスキーでものんでふて寝することにした。開けた覚えがないがフォア・ローゼス、ブラックラベルの封が開いていた。グラスに注ぎ煽る。無意識に開けたのだろうか、とっておきが気づいたら開いていた喪失感も相まってうんざりする。どうせなら女性の幽霊が出て来てくれたらよかったのにと混濁する意識の中で思った。


 翌朝、のんびりと起き出し、コーヒーを淹れる。ふとパソコンデスクへと目を向けると男はまだ座っていたうんざりしたが仕方がない、2杯のコーヒーを淹れ、彼が飲むかは分からないが一杯を男の前へと置き僕は床に座り声を掛けた。

「君は眠らないの? 」

 彼は小さく頷いた。少なくとも僕にはそう見えた。幽霊は眠らない。一つ知識が増えた。そんな知識が増えたところで僕の毎日には何も変わりがない。しかし面白いもので僕がこんな非日常を送っている中でも世界は何も変わらず進んでる。きっと僕の知らないところでこれまでも非日常は世界に溢れていたのだろう。そんな呑気な事を考えていてもこの事態を打開する術は一向に浮かばなかった。しかしこれからずっと彼が付きあとってくるのはどうにもいただけない。僕にも人に見られたくないことは沢山ある。彼は人ではないとしても、だ。

「君としてはこのパソコンを触ってほしくない、そうだね? 」

 彼は頷く。

「でもこのパソコンは僕の物なんだ。なんでそんなにも触ってほしくないんだい? 」

 彼は首を振った。これでは昨日の堂々巡りのままだ。彼は何を求めているのだろう。それが分かればまだ手立てはある様に思える。そもそも彼が幽霊だとして何故僕の元に化けて出たのだろう。死んだ人間が誰しも幽霊になって化けて出る訳では無いと思う。その上でなぜ彼は幽霊として化けて出たのだろう。やはり良く聞くこの世に対する未練だろうか。それがパソコンに触ってほしくないということだろうか。その先には何があるだろう。自分ならどうだろうか、と考える。確かに自分のパソコンに触ってほしくない。桃色資料など見られた暁には正気で居られる自信は無い。彼にも何か見られたくないものがあるのかもしれない。しかしパソコンをオークションに出した以上遺族が初期化しているはずだ。彼にはその事実が伝わっていないのではないだろうか。

「もしかすると君はこのパソコンに人に見られたくない何かがあるんじゃあないのか? 」

 僕が訪ねると彼は顔を上げて頷いた。

「きっとこのパソコンは遺族の方が初期化してオークションに出したんだと思う。常識的に考えるとね、だから君は何も心配することは無い。よしんばデータが残ってたとしても僕と君は他人だ。何も気にすることはないよ」

僕がそういうと彼は少し何かを考えた様子だったが静かに影が薄くなっていき消えてしまった。なんだか呆気ないものだな、と思いながら煙草に火を点けた。映画や小説のようにドラマチックな事が起きる訳でもなく出てきた幽霊は冴えない雰囲気を纏った男で静かに消えていってしまった。

 パソコンを見ると読み込み画面が消え、デスクトップが表示されていた。動作しなかったのは彼が要因だった様だ。しかし彼には申し訳ないがどうも初期化はされていない様子だった。デスクトップに散りばめられた桃色資料を見てなんだか彼が赤の他人ではない様な気になった。

 この資料は僕が有効活用させてもらおうと思う。心の中で小さく名前も知らない男にお礼を言った。

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