クマリン
桜の木について書いてみました
写真家の男と、とある一本桜を愛した樹木医の話
樹木医を名乗る女性は、とある一本桜を愛していた。
樹齢三百年にもなる古木。幹は太く生命力に溢れているが、その表面は炎に焙られたのかと疑うほどに黒い。真っ白な花冠とのコントラストはめまいがするくらい強烈で、一部美術家界隈では春の珍品として知られていた。
かくいうわたしも写真家の端くれで、有名な同業者のブログで紹介されていたことをきっかけに興味を持ち、週末に車を飛ばして件の桜を見に行った。ラジオでは桜の散り始めを報道しており、来年を待つ羽目になるまいとアクセルを踏む足に一層の力が入る。
高速道を下りて一時間ほど。廃業寸前のコインパーキングに車を停めて、未踏の地の空気に浸る間もなく目的地へと足を向ける。まずは桜、それから観光。桜の落花は待ってはくれないのだ。
二十世紀中期を思わせる住宅街。中心地には住職不在の廃寺があり、目当ての一本桜はその境内にそびえていた。塀の外からでも見つけることができ、満開の様子を見たわたしは無邪気に喜んで境内へと駆け込んだ。
二十メートルを優に超える巨木であった。黒々とした樹枝が左右対称に伸び、飽満な八重の花に覆われて白く輝いている。それらを支える根は熊手のように太く、上にいくほど引き締まって魅力的な曲線を描いていた。
およそ自然の産物とは思えなかった。まるで有数の彫刻品を目の当たりにしたような高揚感が、わたしの心を強く揺さぶる。無闇にシャッターを切れなくなり、無礼のないようにしたいと畏敬の念を払うほどだった。
その見事な一本桜の根元、防護柵で広く覆われた領域の内側で、なにやら初老の女性が作業をしていた。情報源のブログでは廃寺とされていたが、管理者であれば挨拶をする必要があるだろう。わたしはカメラを収めて女性へと歩み寄り、声をかけた。
「こんにちは」
「ええ、こんにちは」
スッと立ち上がる女性。背筋をしっかりと伸ばし、当たり障りのない微笑で対応してくれる。
「このお寺のかたですか?」
「いえ、外部の者です。自己責任において木の管理をしています」
女性はわたしの意図を察したらしく、撮影は自由ですよ言って荷物の片付けに取りかかる。その作業は昼寝中の幼児を気遣うように静かで、やがて足音のひとつも立てずに寺院裏手へと消えていった。
一通りの撮影を終えて、わたしはお礼の言葉半分、一本桜の話を聞くために再び樹木医へと声をかけた。
「先ほどはありがとうございました」
「いえ。よろしければ、こちらでお茶でもいかがですか」
それは願ったり叶ったりの展開だった。わたしは好意に甘えて、桜の葉のほうじ茶をご馳走になった。
「おいしいです。あの桜と似た香りがしますね」
「ええ、そうなんです。毎年五月頃に若葉をいただいて、塩漬けしたものを乾燥保存しています」
「なるほど。とても濃く出ていて味わい深いです」
かなり遠回しな指摘だが、例の一本桜からはくどいと感じるほど“桜の匂い”が放たれていた。桜は本来、芳香作用を持つ成分を細胞内に閉じ込めているため、手を加えないと匂いを発しないはずなのだ。
加工されたこのお茶には、その成分がより濃く滲み出ている。しかし決して悪い匂いではない。若娘が振り撒く香水、あるいはキンモクセイのような強い香りと考えると分かりやすい。
「あれはどういった種類の桜ですか?」
お茶をいただいたところで本題に入る。日本中どこを探しても、あのような黒々とした幹や枝はお目にかかれないだろう。
意外にも、女性は困ったような顔をした。しかし茶会に誘った手前、待たせてはならないと考えてかすぐに、
「ヤノザクラという、比較的新しい品種です」
「なにかご存じなのですか?」
「ええ、ご先祖様が命名したもので、自分の口から話すのは少々気恥ずかしいといいますか」
言いづらそうにする女性。しかしどこか誉れ高そうでもある。
わたしが興味を示すと、十数世代に渡り管理をしてきたこと、ヤノザクラが突然変異種であることと、自家不和合性という性質を持っていることを教えてくれた。併せて解説が入る。
「似通った遺伝子同士で交配ができなくる、という性質です。桜は雌雄同株がほとんどですが、自家不和合性を持つ種類は自分たちだけでは子孫が残せない、自家受精や近親交配ができないのです」
「それがあのヤノザクラだと」
「はい。加えて突然変異種なものですから、同じ遺伝子の親がおらず、似た遺伝子の子孫も残せない一代限りの変種なのです」
なんと。あの美しい古樹には、生涯孤独が宿命付けられているという。
「挿し木は試されましたか? 元祖クローン技術とも言われる園芸法です」
「ええ、わたしの曾祖父がそれに取り組みまして、庭先で育てたものを境内に移植したり、近隣の住民に配るなどして数を増やそうとしたそうです。順調に育ちはしたのですが、しばらくしてある苦情が届くようになりました」
「聞かせていただけますか?」
匂いだろうな。わたしは内心で予想し、それは半分正解だった。
「はい。桜には芳香作用のある“クマリン”という成分が含まれているのですが、これが他の植物に悪影響を与えることが判明したのです」
クマリンとは、ずいぶん可愛らしい名前をしている。
「芳香作用というと、ヤノザクラからは比較的強い香りがしますね」
「そうですね。あの木は年ごとにクマリンの含有量を増して、散布しやすいような進化も遂げてしまいました。その結果、周辺の農作物を枯らし、新たに種を蒔いても芽吹かなくなったそうです」
所定の種類に害を及ぼす物質は選択毒と呼ばれている。そんなものを振り撒く木となると、繁殖など言語道断だろう。改めて一本桜の周辺を見てみると、草花はおろか苔の一欠片も生えていないことが分かった。女性の手入れなどではなく、一帯が不毛の地と化していたのだ。
「挿し木から育てたものはすべて切り倒され、あの一本に対しても住民の間で撤去運動が起こりました。当時の責任者だった祖父は被害予想額分も含めた慰謝料を支払い、影響を受けた農地の買い取りやケアを行う約束をして、どうにか撤去だけは許してくれと頼み込んだのです。残った額は父が引き継いで完済し、わたしもヤノザクラに尽くすために樹木医の道を選びました」
一族一丸となり守り抜いてきたと、女性は語る。
話を聞きながら、ふと、彼女たち一族が古木にこだわる理由が気になった。
何代と木を管理し、伝統固持の美徳に囚われた故なのか。
孤独な生命に対する憐れみか。美しく偉大な風格に魅せられたか。古木に巣食う悪魔の意のままにされているのか。
あるいは、それら全てか。そう考えずにはいられないほど、ヤノザクラに対する女性の信念は強いものだった。
「ーー身の上話になってしまいましたね」
「いえいえ、大変興味深いお話です。聞き入ってしまいました」
それは世辞などではなく、わたしは我を忘れるほど女性の話に集中していた。彼女の発言には余念がなく、その澄み渡る声は鼓膜を介さず心に届くようだった。彼女の声自体に癒し効果があるのかもしれないし、鼻から抜ける桜の香りがそうさせているのかもしれない。
女性が婚約指輪をしていないことも気になり、わたしは後継者の有無について訊ねてみた。指輪に関しては、樹木への悪影響を考慮して外しているだけかもしれない。
「いえ、それが……」
女性はそう言い淀み、しかしすぐに開き直ったような笑顔で、
「未婚なんです、わたし」
「ああ」
しまった。禁句だったか。
離婚歴ならまだしも、四十前後の女性の未婚をすっぱ抜くとは。
「失敬、そうは見えなかったもので。大変お美しくいらっしゃるのに」
わたしは口任せに挽回を図る。しかし女性は気にする様子もなく、しっとりとした扇情的な目でこう訊ねてくるのだった。
「そちらの奥さまは、いかがお過ごしですか?」
「……いえ、それが」
妻だった女性とは、もう何年も会っていない。
彼女はわたしの外出癖に愛想を尽かし、高校生になる息子と家を出てしまったのだ。
「旅行がお好きなんですね」
「ええまあ。こいつとは、北海道から九州まで巡った仲です」
デジタル一眼レフの入ったバッグを示す。わたしの第二の人生の象徴であり、肩を組み互いを尊重し合う友でもある。
「ヤノザクラの写真、見せていただけますか?」
それを承諾すると、女性はわたしの隣に回り込み、爛々とした目でカメラの液晶を覗き込むのだった。
その間近に迫る髪、ふと触れる肌から仄かに桜の香りがしたのを、わたしは一生忘れることはない。
その日から丸一年が経ち、わたしは再びヤノザクラを見に行った。
いや、目的は別にあり、樹木医の女性とのとある約束を果たしに向かったのだ。服は一張羅、前日に床屋に通い、一週間前から体調を整えて今日という日に備えてきた。
廃業寸前のコインパーキングに車を停めて、前回と同じ時間帯に廃寺へと向かう。しかし、近づくにつれとある事実に気づかされた。急いで石段を駆け上がり、そこで見たものにわたしは強烈に打ちのめされた。
ヤノザクラがないのだ。根本から掘り返され、花弁の一枚すら落ちていなかった。
さらに、その周囲数十メートルの土もクレーター状に取り払われていた。例の有害物質を除去するためだろうか。しかし、掘り返したであろう土は敷地の奥に高々と盛られていた。
まさか。本当に撤去されたのか? あるいは移植か?
そして、樹木医の女性はどこに。いまのわたしは一本桜の行方よりも、女性の安否を先に知りたかった。
かつて約束を交わしたベンチに座り、女性が来ることを一日千秋の思いで待つ。しかし一向に現れる気配はなく、日が傾き始めたところで、わたしは事情を探るべく近隣の住民に声をかけた。すると一方的に報道関係者かと聞かれ、ゴシップライターかと疑われ、それらを否定し樹木医の女性の名前を出すと、
「あなた、羽立さん?」
名前の確認をされ、それが合言葉だったかのように住民の表情に変化があった。悲しみの青に、怒やら黒やらを混ぜ合わせたような複雑そうな顔をしていたのだ。
その反応を見たわたしは、どうしてか泣きたくなっていた。
いや、もう察していたのだ。木の処遇も、女性の安否も。
「ヤノザクラは……」
住民は関わりを持ちたくないとでも言うように、しかし拾得物の届け出の義務を果たすかのように、町内会会長だという老父の家に案内してくれた。
わたしはその老父から、女性の死について聞かされた。
「つい先週のことです。敷地内のベンチで遺体が見つかりまして」
「そんな……」
「腐敗して身元確認も困難な状態でしたが、警察の方からは本人と断定したことと、事件性はないというお話をいただきました」
腐敗というと、それだけ発見が遅れたということだ。しかし発見現場のベンチは、正門からでも望むことができる見通しの良い場所のはずでは。
「はい、はい。なんせ地元の住民は滅多に近づかないもんで、発見者も県外からお越しになった写真家の方だったくらいですから」
もしやと思ったが、その写真家というのはわたしのよく知るブログの書き手だった。今年の開花はわたし自身の目で見たくて、しばらく閲覧を控えていたのだ。
「死因は恐らくですが、離脱症状というやつです。ご存じですか?」
「ああ、はい、ああ……」
「要するに、依存性の高いものを摂り続けて、それが途絶えた影響で亡くなったというわけです。アルコールとか麻薬関係であるような話ですな」
俗に言う禁断症状というもの。完全に断たなくとも減量だけで症状が現れるため、意味合いとしては離脱が正しいとされている。
「その原因の物質が、どうも去年の暮れに処分した一本桜から出ていたらしくて」
「…………」
つまり彼女は、
わたしの約束の相手は、
ヤノザクラを愛した樹木医は、
「クマリンという、どうも匂いのもとが原因らしいんですわ」
その言葉に、わたしは耐えることができなかった。
遺体に添えてあったという封筒を受け取り、廃寺のベンチでそれを開く。便箋が入っており、雨にさらされたのかシワやヨレができていた。なにか重いもので固定していたのか、一部の文字が少しだけ滲んでいた。
以下はその手紙の内容、原文のまま引用したものになる。
羽立吾朗様
前略ごめんください。
来たる約束の日に生きてお会いできないことを、羽立様にはたいへん申し訳なく、深くお詫び致します。
ヤノザクラが無くなっている理由、わたしが生きていられない理由をここに記します。読みづらい点が多々あるとは存じますが、何とぞご容赦ください。
去年秋ごろのことです。近隣で農家を営む住民から、ヤノザクラに対する抗議状が届きました。その年の作物の収穫量の低下、および品質の悪化はヤノザクラが発する物質によるものとし、撤去を求めるというものでした。
わたしは反論として、その年の夏は気温が上がらず、雨に恵まれなかったことが原因だという旨を伝えました。しかし撤去作業は一方的に始まり、わたしは何人もの人に取り押さえられながら、切り倒される瞬間を見ていました。
撤去後、自身の体に異変を感じるようになりました。発汗、食欲不振、精神異常、けいれん、幻覚と症状は悪化する一方でしたが、それらはヤノザクラのお茶を飲むことで一時的ながら和らげることができました。
わたしはクマリンに、芳香作用のある毒に依存していたのです。それまでに抱いてきた、ヤノザクラに尽くすという使命感、匂いを嗅ぎ触れることにより得られた多幸感は、麻薬的作用によるものでした。そして撤去後に現れた症状も、クマリン摂取量の低減による離脱症状だったのです。
受け継がれてきたヤノザクラは切り倒され、症状にもさらされて自殺というものを幾度となく考えました。
ただ、どうしても、人生の最期に羽立様にお会いしたかったのです。生きて謝りたかったのです。わたしのような人間と再会の約束をさせてしまったことを申し訳なく思い、せめてその約束だけは守りたく、生きることを選びました。
しかしそれも、もう叶いそうにありません。茶葉はとうに尽き、周辺の土壌に浸透していたクマリンも抽出し尽くしました。残り一月を生き延びる手段は、もはやわたしには残されていません。
わたしはヤノザクラを追います。羽立様はどうかお変わりなく、この世の素敵な写真を撮り続けてくださいませ。
かしこ
三月六日
谷野桜子
以上が手紙の内容になる。
封筒には写真が同封されていた。わたしが一年前に贈った、爛漫と咲き誇るヤノザクラを写したものだった。
是非善悪もなく、二心もない。ただただ白く黒く美しい桜がそこにあったのだ。
選択毒は、どの生物も、どの物質も持ち得るものである。
例えば酸素。好気呼吸をする生物にとっては必要不可欠な存在だが、嫌気呼吸をする生物にとっては有害物質となりうる。
人間と密接な関係にある犬や猫、牛などにもネギ属のものを与えてはならない。彼らは一部の分解酵素を持っておらず、食べるとたちまち食中毒となってしまうからだ。
古くから食用としても親しまれ、“桜の味”と認識されてきたクマリン。
ヤノザクラは年ごとに匂いを強くしたというが、これは彼女たち一族への愛情表現だったのではないかとわたしは考える。孤独の隙間を埋めてくれる彼女たちにときめき、手放すまいとフェロモンを振り撒くという進化を繰り返してきたのではないか。
しかし、今回の結末は、ある意味で必然だったとも思う。
過剰な愛情ほど、ときには猛毒となりうるのだから。
執筆にあたり、久しぶりに桜餅を食べてきました
葉をかじってみると、なるほど“桜の味”としか例えようのない味がしました
どの物質にも言える話ですが、多量摂取が一番の毒です。砂糖、塩、なんならビタミンだってNGです(ビタミン毒性という言葉もあるくらいです)