第16話 そうだ、挨拶に行こう
弥生さんも変わっているとは思っていたが、五月さんも負けず劣らずおかしかった。やっぱりアレか、天才とナントカは紙一重ってやつですか。凡人の俺にはさっぱり理解不能な思考回路だ。俺は、バブリーに浮ついた時代を生きた人間にしては、どちらかというと堅い思考の方だと自負しているのだが、そのせいなのか、余計に理解できん。
五月さんは俺との関係を、嫌がるどころか、若干喜んでる節があった。一度聞いたら、力説された。
「利点は疲れなくなったことだな、24時間どころか、72時間でも戦えるぞ。3徹明けの経営会議で居眠りせずに済むなんて、最高じゃないか万歳!」
お前みたいなのがいるから、労務管理で苦労するんだよ!
そんな感じで流されている俺だが、五月さんと衝撃の再開を果たしてから既にひと月が経っていた。若い女子、しかもかなりの上物と定期的にデキるなんて、始めはどんなジゴロか役得か、とか思ってたが、段々ルーチンというか、マンネリになっていくのが非常に恐ろしい。ふっ、歳は取りたくないモノだな。ふたりともギリギリまで期間を引き延ばしてやってくるので、そのタイミングでは盛り上がるんだが、何というか、その間の高揚感みたいなものは特にない。まあ、体が若返ったところで、精神まで戻るわけじゃないからなぁ。中身は棺桶に片足どころか、一回は入ったおっさんに変わりはないわけで。
そんな奇妙な日常を、不意にぶち破ることになった五月さんの発言。
「私の父に、挨拶をして欲しい」
盛り上がった後に、急になんか畏まるから、何だろうと思ったらコレですよ奥さん。ええ、まあ私もなんだかんだで責任は取らなくちゃいけないとは、心の片隅では思ってましたけどね、いざ現実でいきなり突き付けられると、混乱するわけで。
「ど、どうして?また急だね」
いや、急もクソも無いのだ。ここしばらく付き合って、意外に乙女な性格だということが分かった五月さん。彼女なら、体を許すのは生涯の伴侶だけ!とか思ってても不思議ではない。なら、そういう関係になった男が、ケジメとして親に挨拶に行くのは当たり前なわけで。まあ、当たり前なわけなんだが。
「だ、ダメならいいんだけど」
泣きそうになる五月さんに、ノーと言えるほど、俺のメンタルは強くなかった。
◇◇◇
タクシーの後部座席で揺られながら、俺はひたすら羊を数えていた。隣に座っている五月さんも、心なしか表情が固いように見えた。
俺は正直、憂鬱だった。
事前に聞いた情報が悪かった。俺と五月さん、そして弥生さんの3人でお茶してるときの話だ。
五月さんの名前は、お父さんが付けたらしい。誕生日が5月だからなのか、と聞いたら、弥生さんがそっと目を伏せた。どうやらダメな話題だったらしい。え?なんで?弥生さんなんて思いっ切りそれじゃなかったっけ。
「私は6月生まれなの」
五月さんが、何かを諦めたような感じで言った。え?あ、あれか、旧暦で。
「ちなみに旧暦でも5月ではないの」
え。
「お父さんが、どうしても五月って名前にしたかったからって付けたの」
え。
「……お父さん、ジ〇リが大好きでさ」
逡巡していた五月さんが、思いっ切り笑顔でそう言った。うわぁ、痛い、痛いよお父さん。五月さんの心が痛いよ。
あかん、絶対に一筋縄じゃ行かないパターンよ、これ。
しかし、時は無情にも過ぎていき、とうとう着いてしまった。
目の前は五月さんの実家である。
事前連絡は行っている。
つまり、こっからはあれだ、バラエティとかでやってる、アレをやるわけですよ、アレを。
ああ、気が重い。だが横で不安そうにしている五月さんを見ると、ここで逃げるわけにもいくまいて。
俺は気合いを入れ直すと、インターホンのボタンを押した。
うはー、どんな展開にするかなー?(おい)