第13話 女は辛いよ
五月さんとの会話は、意外なくらい普通であった。会話と言っても、自己紹介と、さらさらっとした社交辞令的なものだけだったが、これがまた定年間近のおじさんには良かった。弥生さんやラボの連中とのやりとりに慣れきってしまっていた俺にとっては、逆に新鮮であった。最近の若い奴は頭おかしい、と思っていたのだが、気のせいのようだ。
やはりあれなのだろう、病院とか、学校とか、とかく閉鎖的な職場では、職場の常識世間の非常識、みたいな感じになってしまうのだろうな。弥生さんの場合は、研究所なんて、まあ学校の延長みたいなもんだから、一般社会とは隔絶された環境になっちゃっててもおかしくはないのだろうか。
でも流石にいい大人だしな、これは俺の偏見と言えばそのままなんだろう。医師や教員だって常識外れなこと言うのが多いのも事実だけど、比較的まともなのも大勢いる。結局はその人の性格ちゅうか、個性ちゅうか、そういうところに帰結するということだなうんうん、などと他愛もない近況報告やら世間話やらと思わしき若い女性二人の会話を何で俺はここにいるのだろうかと訝しみながらも聞き流しつつ思索に耽っていると、突然弥生さんが爆弾を投下した。
「ところでさ、さっちゃん、ご主人様に興味ないの~?」
「は?」
五月さんが素っ頓狂な声を出して、一瞬呆けた。
「だって、さっきから私とばかり話してて、ご主人様と話してないよ~。ご主人様も話したいよね~?」
弥生さんは、俺の方を見てにっこりと笑った。この顔は、何かあるな。
いやしかし、それは無茶振りというものだろう。初対面でいきなり話をしろと言われても、営業職でも無ければ水商売でもないのに、俺は無理だわ。大体、親子程にも歳が離れている女子と、天気以外に共通の話題など持ち合わせてないし。
まあしかし、若い女子からおじさんに話を向けるのも辛かろう、ということで、俺は仕方なく口を開いた。
「いや、弥生さんや、景山さんも私に興味が無いとかではなくて、今は弥生さんと話がしたいだけだと思うぞ」
「そ、そうよ弥生、別に興味のあるなしの問題じゃないのだけど」
「えー、でも二人には仲良くして欲しいな~」
何故か食い下がる弥生さん。こやつ、絶対に何か企んでやがるな。
「いや、そうは言っても初対面でこんなおじさんと共通の話題も難しいだろう。若いモン同士の合コンじゃあるまいし、景山さんも困ってるだろう?」
「え?」
何故か今度は、五月さんから疑問符の感触が出た。え?何で?
「え?」
今度は弥生さんからもであった。すまん、頭痛が痛くなってきた。
しかし、微妙な沈黙に陥りかけた場の雰囲気を察してしまった場合、これは年長者の俺が無難な話題を振らんと仕方ないパターンかな、ということで、俺は口を開いた。
「…そう言えば、景山さんは弥生さんと同期、ということは医学部なの?」
「あ、はいそうで…」
「そうなんだよ~、ちなみにさっちゃんは首席なのだ~」
こら弥生、話の腰をいきなり折るな。
「へー、そうなんだ。医学部で首席って、優秀なんだね」
「あ、いえ、まあ、たまたまと言いますか」
五月さんは、あまり気乗りしないような反応だった。まあ、学生時代を知らない相手に成績どうこう言われても、それくらいしか言えないよなぁ。うん、割合に普通な子だな。
「そう言えば、コンサルしてるんだったね。何で医師にはならなかったの?」
「えーっと」
ちょっと踏み込み過ぎたかなぁ?まあ、個人的な事情で言いたくないこともあるだろうから、そこは適当に流してくれるとありがたいんだけど。
「まあ、色々ありまして」
「そうなんだね、まあ医学部出た…」
「さっちゃんはね、インターンに行きたくなかったんだよね~」
そうなのか、そう言えばなんかそんな話前に聞いたような気がするな。そんなのんびりした感想を抱いた俺とは裏腹に、何かスイッチが入ってしまったような五月さんが口を開いた。
「私はインターンに行きたくなかったんじゃなくて、そもそも病院が嫌いなのよ」
「えー、何で~?病院嫌いなのに医学部なの~?」
「初めは別に嫌いじゃなかったの。でも、医学部に入ったら、何あのセクハラ三昧の豚共は。事ある毎に女はあーだこーだと言い続けるし、何が『君みたいな綺麗どころは、取り合いになるからねぇ』よ、私はモノじゃないわ!」
「さっちゃん美人だもんね~」
「美人かどうかなんてどうでも良いのよ。私は1人の医学生として勉強しに入ったのに、6年間で身に付けたのはセクハラパワハラに対する忍耐力だけだったわ!」
「そ、そうなんですか…」
何となく丁寧語になってしまった。さっちゃん怖い。
さっちゃんこと五月さんは、眼光鋭く勝ち気な感じではある、要するにとても気が強そうではあるが、美人さんは美人さんなのだ。恐らく、お山の大将だらけであろうあの大学では、状況次第では悪目立ちしそうな感じだ。
「さっちゃんはね~、ホントにモテたんだよ~。大学入ったばかりのミスコンで最終候補になってたりしてたな~」
あ、それはこの娘には地雷ネタっぽいが。
「あんたが勝手にエントリーしたんでしょうが!」
「でも、さっちゃん結構ノリノリでモデル歩きしてたじゃん」
「私はやるからにはきっちりやる派なの!」
さっちゃん、何というか、結構乗せられやすいな。
その後も弥生さんが焚き付けて、五月さんがヒートアップするという展開で、延々と大学時代の話は続いた。こんなキレッキレな外見なのに、ガードが緩いのかタッチ被害に割と遭ってたらしく、ミスコンの審査の時にケツを触ってきた教授を張り倒して退場になったとか、講義の時にやたらと性器の話ばかりしつこくしてくる教授にテキストを投げつけたとか、実習の時にパワハラチックに関係を迫ってきた若いドクターに回し蹴りをかましたとか、なかなかに激しい武勇伝であった。
まあ、聞いてて興味深くはあったよ?確かに。でもな、これって、俺が聞く必要あるのか?
「だから、私は『医者やめますか?それとも女やめますか?』みたいな話されるのがとっても嫌いだったのよ!」
「確かにそれは多かったよね~、教授陣はそれで固まってた感じだったな~」
「ネチネチネチネチと、女だから女だから女だからって、あー今思い出しても腹が立つ!」
「で、やめちゃったんだよね~」
「そうよ、そこまで言うなら女も医者もやめてやる!」
で、コンサルになってるってわけか。っていうか、酒も入ってないのにテンション高いな、さっちゃん。




