第九十八話 黒の眩しさ
都市中央の広場のベンチにて、項垂れるように座るジオ。
そんなジオに、露出の多い大胆な恰好でありながら、心配そうに覗き込んで、ジオに水の入ったコップを差し出すダークエルフ。
「あんた、大丈夫なん?」
「あ、ああ……ワルイ……時間が経てば収まるから……」
「そう見えねーし。あたしが治癒の魔法使えりゃ良かったんだけど……」
「いや、あんたは何も悪くねーだろ?」
「だけどさ、あたし十賢者とかチヤホヤされてっけど……こう、目の前で苦しんでる人を助けれねーとか、超ショボイし……」
「いやいやいや、力になってもらってる」
精力剤でのっぴきならない状況になっているも、自分の異常についてを教えることが出来ないジオ。
そんなジオに心配そうに接し、更には何も悪くないはずのギヤルが無力さに嘆いて謝るという事態に、流石のジオもタジタジになる。
「だ、大丈夫だ。ちょっと変な痛いやつが項垂れてるだけで、命に別状ねーからよ」
「そーなん? それなら良かったし……。一応、後輩に医者呼んでもらうように言ってるから、もう少しの辛抱な」
そう言って微笑むギヤルの様子に、ジオは「こいつが本当に黒姫なんだろうか?」という疑問が拭えず、思わず直接聞いてしまった。
「……ポルノヴィーチから聞いた」
「ッ!?」
「……お前が黒姫なんだな?」
「……」
ポルノヴィーチの名を口にした瞬間、驚いたように目を大きく見開くギヤル。
だが、すぐにその表情は愉快そうに笑った。
「なーんだ、あんた、ポル姉ぇの知り合いなん? 驚いたっしょ」
「ぽ、ぽる、ねえ?」
「あっ、ひょっとしてあたしを心配して様子を見に来てくれた、ポル姉ぇのお友達さん? 前も、ポル姉ぇの組織の九覇亜ってのの、『エイナス』っつー人も来てくれたし」
ポルノヴィーチとは気安い関係なのか、まるで近所に住んでいる姉のような感覚で話すギヤル。
その反応は、ジオにとっても予想外だった。
「頼まれた……まぁ、確かにそうだな。だが、頼まれただけであって、あんたとあの狐ババアの関係や、あんたの過去については全く聞いてない」
「過去……ああ……」
ギヤルの「過去」と強調して顔を覗きこむジオ。
それは、ジオも聞いていなかった、「ギヤルは七天の一人に育てられた」ということに繋がる。
「あたしが……魔王軍の将軍に育てられたってやつ?」
「……ああ」
そんなジオの言葉の真意を察したギヤルも、少し複雑そうにハニカんだ。
「ん、そーだよ」
「……アッサリ認めるんだな。つか、そういうの、あんまりバレたくないもんだと思ってたが」
「だよ。だから、この都市でも知ってんの少ししかいないし。でも、もうバレてる人にまで隠す必要もねーし……そこまで強く否定する気もねーし」
そう言って、少し切なそうにしながらも、真っ直ぐな目でジオに答えるギヤル。
本当なら隠すことではあるが、バレてるならムキになって隠す気はないと。
「だって……それは事実だし……それに、世界中の人とか人間とかがどう思おうと……やっぱり、あたしの大事な『ママン』だったし♪」
「ママン?」
「そっ! ママン。男なのに、あたしにとっては、ママ同然で……だからママン! えっと……あんた、『オカーマン』って知ってる?」
「ッ!? オカーマンッ!? ジェンダーフリー将軍ッ!? あ、あいつか……まぁ、俺も会ったことはねーけど……そっか、なら良かった」
判明した七天の名に驚くジオ。と言っても、ジオ自身は直接戦ったことや会ったことはないため、特に深い因縁が無かったことに先ずは安堵した。
それならば、特に気まずいことにはならないと。
「しかし、どういう経緯であいつとそういうことになったんだ?」
「ん~、経緯っつーか……昔さ、どっかの山奥にダークエルフの里があったみたいなんだけど、それ滅ぼしたのママンみたいなんだ」
「へ~……ぶっ!?」
「でさ、廃墟になった里で、ママンが偶然赤ん坊だったあたしを拾ったんだけどさ、気まぐれでそのまま殺さないで、連れて帰って育ててくれたんだ」
「いやいやいやいやいやいやいや!? はっ? えっ? な、ちょ、ちょっと待て?」
思わず飲んでいた水を盛大に噴出してしまったジオ。
耳を疑うような話だったからだ。
かつて、オカーマンがギヤルの故郷を滅ぼし、その時赤ん坊だった生き残りのギヤルを拾い、そのまま育てた。
ならば、ギヤルにとってオカーマンは、自分の生れ故郷や両親の仇同然とも言える。
しかし、そのことを語るギヤルからは、まるで過去への憤りや憎しみ等一切無く、ただ懐かしい思い出を語っているだけにしか見えなかった。
「お、お前、それ本当か?」
「ん? そだよ? てか、あたし赤ちゃんだったから覚えてねーし。でも、ママンがそう教えてくれたんだ」
「いや、そ、それなら何で……」
「何でって……だって、そうなんだから仕方ねーじゃん」
それならば、何故そのことをそれほど気安く明るく話せるのだ? 自分の過去を呪ったり、オカーマンを憎んだりしないのか?
聞きたいことが増えすぎて、何から聞けばいいのか分からない。
「とにかくあたしはこの街で元気でやってるし、ヒデー目にあってるわけじゃねーからさ。心配いらないって、ポル姉ぇに言っておいてよ。ポル姉ぇは、ママンと昔から仲良くて、あたしのことも可愛がってくれたけど、あたしは……この都市でまだ頑張りたいし、いっぱい色んなことベンキョーしたいしさ」
しかし、様々な過去や事情がありながらも、「心配いらない」と強がりではなく、本心の笑みを見せるギヤル。
その瞳は、穢れや別の思惑など一切感じさせない純粋なもの。
それはどこかジオにとっては眩しく映った。
「なんか……噂で聞いてた話とだいぶ違うな」
「ん?」
「黒姫ギヤルは、淫乱で頭おかしくて自分勝手で腹黒いとかって聞いたんだが」
「はっ!? ちょ、失礼だし! あたしはまだ処……じゃなくて、おうよ! あ、あたしは淫乱ドスケヴェルフだし、実の親殺してっけどママンのことは大好きだっていう頭おかしい奴だし、楽しいこと自分勝手にすっし、あとあたし肌黒いから腹も見ての通り黒いっしょ!」
聞いていた印象とはだいぶ違うと言うジオに対して、ギヤルは自分は噂どおりの女だとどこか誤魔化すように、ジオの肩を叩きながら笑った。
だが……
「うぷっ」
「あっ、わり!」
ギヤルに背中を叩かれて、手渡されていた水を零してしまったジオ。
水がジオのズボンの股間に全部かかってしまった。
「冷たッ!?」
「あ~、わりーし。今、ハンカチで拭くから……」
そう言って、スカートのポケットからギヤルがハンカチを取り出して、ジオの股間に手を伸ばそうとする。
「ッ!?」
「……ふぇっ?」
しかし、これまで腰を曲げていたジオは、突然の水と冷たさに驚いて体の背筋を伸ばしてしまい、そこには……
「ん? なあ、なんかズボンの中に何かが……」
「ちょっ!? ま、待て、おま、あ、いやっ!?」
「あっ、こら、ジッとしろし。拭けな……うおっ、固デカッ!? これ何が……」
慌てて体を捩ろうとするジオよりも、相手を気遣って謝罪をしながらジオの体を拭こうとするギヤルの手の方が一瞬早かった。
ギヤルはハンカチとズボン越しに、ジオのズボンの中でナニかを掴んでいた。
「い、いや、こ、これは……」
「こ、これ、なんだし?」
「ナニか……分からない方が……」
「ッ!!??」
その瞬間、ギヤルはジオの様子、手が触れている位置、それらを統合してようやくたどり着いた。
「あ、あわ、はわ、あ、あわわわわ……しゅ、しゅごい……って、な、なにこれ~!?」
「お、落ち着け、み、見られる! つか、ただでさえ、魔族とダークエルフの組み合わせで俺たちは目立ってる!」
ギヤルは魚のように口をパクパクさせて、真っ赤になりながら目もグルグル回っている。
自分が一体ナニに触れているかを理解したのだ。
「あ、んた~、人がガチ心配したってのに、何してんだ、こ、こ、この、え、エロエロ大魔将軍ッ!」
「ち、ちが、これにはのっぴきならない事情が……だ、断じてテメエに欲情したわけじゃなくて……つか、手ぇ離せ!」
「さ、触っちゃった、こ、これ、こんなの……う、ううガクガクブルブル……ううう」
涙目になって体が硬直しながら震えるギャル。
何も知らない子供のように、初めて出会う恐怖に怯えている様子。
それを見て、ジオは不意に……
「お前、やっぱ……経験無しか?」
「ッ!?」
すると、ギヤルは目を回して取り乱しながらも……
「ッ!? ば、ばかだし! んなわけねーし! あ、あたしは、こん、こんなの、な、慣れっこだし!」
「いや、どう見てもお前……」
「ち、ちげーし! あたし、神だし! だ、だから、ちょ、超ヨユーだし! こんなの、いくらでも握っ……ぎょわあああ、なんかビクッてなった!?」
「いいから手を離せ!」
自分は経験豊富であるということを譲らないギヤル。
何が彼女をそこまでムキにさせるのかはジオには分からなかったが、とにかくこの状況はまずいと、強引にギヤルの手を払いのけて距離を取ろうとした。
だが、時は既に遅く……
「こ、公衆の面前で……貴様、何を淫蕩な行為に耽っている……黒姫ッ!」
「ぎょわあああああ!?」
この場に第三者の介入。驚き慌ててギヤルが振り返ると、そこには一人の長身の男がイラついた表情で立っていた。
「都市入り口では、貴様の信奉者たちが騒いでいるというのに……本人はノンキに男を誘って、公衆の面前で野外行為か……つくづく淫乱極まりない女だ」
長身に加えて、丸太のように太く頑丈そうな腕。
長いズボンに、上は肩口の無い服を一枚纏い、その腕には刃をむき出しにした三叉槍を抱えていた。
「お、おおお、『アキ』ちゃんじゃん。なな、なんの用っしょ!?」
「アキレウスだ! 貴様、私をそんな名で気安く呼ぶな。我が愛しの白姫に誤解される」
慌てて立ち上がって場を誤魔化すように明るく男の名を呼ぶギヤル。
だが、男はギヤルの呼び方にかなりの不満があるようで、更に白姫の名に、ジオは少し反応した。
「ご、誤解って、あんた振られたっしょ。二年前にあんたが卒業式の日に世界樹の前で白姫に告ったら」
「黙れ! あれは、私が性急すぎただけだ。まだ、男女の色恋や交わり等を知らん純粋な白姫に、いきなりプロポーズをしたのがまずかっただけだ」
「いや、『エイむん』はあんたのことまるで興味なかったっしょ」
「何を言う! 我ら同じ十賢者。互いに意識し、切磋琢磨する存在。何よりも、十賢者最強たる私を、白姫が意識しないはずが無い!」
思わぬ話にジオも「へ~」と興味深そうに頷いた。
まさか、目の前にいきなり現れた男が十賢者の一人であり、更には白姫に想いを抱いて告白し、しかもフラれ、だがまだあきらめていないということを。
「はは……」
先ほどのエイムの痴態のことは言うことはできないなと、ジオは苦笑した。
そして、そんなジオに構わず、ギヤルはアキレウスに冷めた表情をして……
「十賢者サイキョーって、あんた……4位じゃん。エイむんどころか、あたしより下っしょ」
序列四位。それはこの歴史ある魔導学術都市にとっては、正に都市を代表するほどの有能な人材である証。
しかし、それでもエイムやギヤルよりは下である。
だが、その事実にアキレウスは鼻で笑い飛ばした。
「ふふん。それが勘違いというもの。十賢者の序列はあくまで、成績や研究、実績や功績に基づくもの。すなわち、戦闘における実力順ではないということだ」
そう言って、露出した腕で力コブを見せ付けるアキレウス。
鋼のように硬質化して盛り上がった筋肉を前に、ギヤルは思わず後ずさりする。
「黒姫。戦闘能力における、十賢者最強は誰だ?」
それは問うまでも無く、「自分」と信じきった表情で、アキレウスは尋ねる。
しかし、ギヤルは……
「いや、最強はどう考えても……『キオウっち』っしょ」
「…………」
「んで、その次が……『オリちゃん』っしょ」
ギヤルは「お前じゃない」とアッサリと別の名を口にした。
すると、アキレウスは少し笑顔を引きつらせる。
「……ふ……ふっ。き、『キオウ』はダメだ。あいつは十賢者でありながら、自由奔放に世界を放浪していて帰ってこない。論文もまるで発表していないし、どうせ近い将来に除名されるはず。『オリィーシ』も確かに才能は素晴らしいが……まだ子供……魔法を戦闘に使う覚悟も精神力も無い」
「いや。無理しすぎだし。つか、フツーにあんた、エイむんにも勝てねーんじゃね?」
「だ、黙れ! そ、そんなことはない! 私こそが白姫に相応しいのだ!」
無理やり自分が最強であるという発言をするアキレウス。
そして、槍を掲げて、それをギヤル、そしてその後ろで俯いているジオに向ける。
「とにかく! 今こそこの都市を浄化するために、そして白姫のために、私のような男が立ち上がるべきなのだ! そこの男もだ! 魔族のようだが、昼間からそんな淫乱極まりない安い女に興奮しているなど、同じ男として嘆かわしい! さっさと失せろ!」
この男はこの男なりに白姫エイムを想い、そのために行動を起こそうとしていた。
その姿を見て、そして言われた言葉を聞いていて、ジオは怒りよりは、同情が芽生えた。
「……男女の色恋や交わりの知らない……純粋な白姫……か」
それは、ジオが初めて出会った頃のエイムであり、ジオと結ばれて以降のエイムは違う。
しかし、それでもジオのことを忘れていた最近までのエイムは、正にアキレウスの言うとおり純粋な存在に戻っていたのだろう。
だが、ジオを思い出して以降のエイムは違う。
それは、先ほどのことで既に証明されていた。
つまり、この男が愛したエイムは、もうこの世に存在しないのである。
そう考えると、何だかジオは無性に目の前の男に申し訳なくなり……
「いや……なんだか、ほんとすまん」
「ん? あ、おお。分かれば良いのだ!」
気づけば、アキレウスにジオはシュンとなって謝っていた。
だが……
「だがよ……それはそれとして……」
「ん?」
それはそれとして……と、ジオは立ち上がり、アキレウスに向かって……
「白姫云々は置いておいて、黒姫については……俺は言うほど、安いとは思わねーけどな」
「なに?」
「黒いくせに……不覚にも俺は眩しいと思ったからな」
そんなジオの言葉に、ギヤルもアキレウスもポカンとした表情で呆然とし……不敵な笑みを浮かべて立ち上がるジオの股間が全てを台無しにしていた。。




