第八十五話 サシ飲み
既に日も沈み、街に灯火が宿り、月明かりに照らされている中で、漆黒のコートに身を包んだ一人の男が己に酔っていた。
「我こそは神に仕えし、暗黒聖戦士。契約により封印されしこの右目が解放されたとき……古より受け継がれし神眼が再び――」
これまで着ていた旅人のローブから、オシャレな聖堂戦士のようなコートを羽織って、すっかりその気になってしまったチューニ。
いつもオドオドビクビクして、ガイゼンの後ろなどに隠れていた男が、今は興奮して何かに成り切っているかのように堂々としていた。
「一人で何遊んでんだよ、お前は」
「あいたっ!?」
そんなチューニの頭を、ジオは軽く叩いた。
「リーダーは黙ってて! 今、僕は魔導戦士……そう、パラディンの称号を得た存在に……なったつもりなんで!」
「そういうゴッコ遊びはもう卒業しておけよ。んなことより、メシでも食いに行こうぜ」
「リーダーは男のロマンが分かってないんで!」
「お前に男のロマンを語られるとはな……まあ、いいからメシだメシ」
「んもう……別にいいけどさ……お腹空いたし」
まだ、そういうものに憧れる年頃と言えばそれまでだが、そういうのに成り切ったゴッコ遊びは普通卒業しているものだろうと、ジオは呆れたようにチューニに溜息を吐いた。
結局、昼過ぎから始めた買い物も、チューニの私物を買うだけにとどまり、すっかり夜になってしまっていた。
ここからあと数日以内に、マシン・ガイゼン組より面白い金の使い方をするにはどうすればいいのかと頭を悩ませながら、とりあえずは腹ごしらえをしようと、ジオはチューニと共に街のメイン通りを歩いていた。
「あっ、でもリーダーは体の調子大丈夫なの?」
「まぁ、もう大丈夫だな。もう食っても戻すこともねーしな。メムスの所で、新鮮で体にいいものとか食えたのが良かったのかもな。もう、普通にガッツリと食えるさ」
「そっか。じゃあ、お肉を食べたいと思うんで!」
「お前、船では野菜を作ってるくせに、肉は食うんだな。まぁ、いいけどよ」
長い投獄生活で、胃が壊れてしまったジオ。
損傷したものは完治したとはいえ、以前までなら食事や喫煙や飲酒も、胃が受け付けないような日々がしばらく続いたが、もう今ではそれも問題ないと笑った。
「じゃあ、僕はラム肉のステーキで!」
「いや、肉と言えば……骨付きチキンだろうが」
じゃあ、何の肉を食べるのか? と、二人が同時に別々の肉を提案。
少し互いを見合った後、両者は同時に前のめりになった。
「いやいや、リーダー、ラム肉の素晴らしさを分かってないと思うんで。ラム肉は美味しいだけじゃなくて、健康にもダイエットにもいいんで! 知ってる? ラム肉の脂肪は人体に吸収されにくいんで!」
「女子か!? つか、ただでさえヒョロヒョロのお前がダイエットを気にしてどうすんだよ! 鶏肉は揚げてもよし、焼いてもよし、蒸してもよし、生で食ってもよし! ささみとか、筋力鍛錬と合わせて食えば、絶大な力を発揮すんだよ! それこそダイエットっていうなら……つか、男なら骨の付いた肉を手づかみでガブッと豪快に食うもんだろうが!」
「それならラム肉だって、ラムチョップっていう骨付き肉があるんで!」
「いいや、男なら鶏肉だ!」
「追求するなら、羊肉なんで!」
羊を推すチューニ。
鶏を推すジオ。
現在、服装を一新して新しいチューニとなってから、態度も少し強気になっており、両者額を付けながら一歩も引かない。
ならば……
「……じゃあ、両方食うか」
「……うん……僕もそれでいいと思ったところなんで……『両方食ってみた』ってやつ」
争うくらいなら、金には困っていないので、両方食べようとアッサリ決定した。
「くははははは、確かにいつもなら勿体ねーって思うかもしれねーが、今の俺らならそういう気軽なノリでできるからな」
「うん。普段出来ないことをやるって、少し楽しいかも」
「おっ? なんだよ、チューニ。いつもよりノリがいいじゃねぇか」
「勿論! だって、ドラゴンとか天変地異とか勇者の一味とか五大魔殺界とか七天大魔将軍とか、そういうのに巻き込まれていたこれまでに比べたら、ほんと平和なんで!」
「あ、まぁ……な……」
今まで以上にノリのよいチューニにジオも機嫌よく笑うが、確かにこれまでの旅の中身が、今まで平民として生きてきたチューニにとっては中々キツイ内容だっただけに、それから解放された反動が大きいのだろうと納得した。
そんな二人が、街の飲食店が立ち並ぶ地域に足を踏み入れると、一日の仕事を終えた労働者たちが通りを行き交い、いたるところから騒がしい声や乾杯の声、酒の匂いや食をそそる匂いが溢れてきていた。
そして、二人が立ち寄ったのは、肉の焼ける音や匂いや煙が外まで溢れ出ている店。
看板には、『いきなり肉』と書かれていた。
店内は騒がしく、酒や料理を運ぶ店員が慌しく店内を駆け回っている。
ジオが店内に入ると、魔族であるジオに客たちの視線が一瞬向けられるも、すぐに客たちは「見て見ぬフリ」をするかのように、視線を戻していた。
「いらっしゃい。二名ですかい?」
「ああ」
「では、そちらの席に」
店員に空いている席へと誘導され、向かい合うように座るジオとチューニ。
「酒と……チューニ、お前は何を?」
「えっと、お水でいいです」
酒と水でとりあえず乾杯し、二人の目的である肉料理を注文。
そして……
結果的に……
「う……うめぇ……な、なんだ、この羊の焼肉ってのは! タレも肉もメチャクチャうめーじゃねえか!」
「こ、この、フライドチキン……お、おいしすぎるんで……」
互いに推奨し合った肉を試しに食べてみたところ、ジオもチューニもその味に打ち震えていた。
「俺、羊肉って馴染みがなかったんだが、これはメチャクチャウメーな。メニュー表には、『ジェンギスカン』って書いてるが、聞いたことねーな……」
「僕の田舎では羊ばかりで鶏はあまり食べてなかったけど、このフライドチキン……すごい! メニューでは『ケンタツキ』って書いてるけど、こんな美味しいの食べたことないんで!」
美味しさのあまりに興奮してテーブルを強く叩きながら、運ばれた料理を絶賛するジオとチューニ。
「子羊なんて貧弱な肉だと思ってたが、こりゃ当りだな」
「僕もこの鶏すごい好き。この皮とかもおいしいんで! 両方食ってみた、は、正解だったんで!」
「確かに、食ってみねーと分からねぇもんだな」
「ほんとそうなんで!」
羊肉の焼かれた煙と独特なタレの匂いが充満したり、揚げたての鶏肉で手が油まみれになるも、それが全く苦にならないほど、互いに勧め合った肉に二人は夢中だった。
「お兄さんたちはこの街は初めてかい?」
そんな、ジオたちの反応に機嫌を良くした店員が笑顔でそう訪ねてきた。
「ああ。俺は鶏派だったんだが、子羊も悪くねえと思った」
「僕、こんなに美味しい鶏料理初めてなんで!」
ジオたちも店員に笑みを見せながら改めて絶賛。
すると店員は、ジオに対する魔族云々の感情は特に無く、むしろ店の料理が褒められたのが嬉しかったのか、話を続ける。
「ありがとな。それらはこの店、『いきなり肉』で代々伝わるもんだ。実は、もう既に滅んだ『ナグダ』の料理みてーなんだけどな」
「「ッ!?」」
店員が告げる「ナグダ」の言葉にジオもチューニも思わず反応した。
「昔、ナグダの奴らがよく、近くの『魔導学術都市トキメイキモリアル』に勉強に行ってたみたいなんだが、その中継地点でこの街をよく利用してたんだよ。今はだいぶ変わっちまったが、昔のトキメイキはそれこそ酒も飲めねーぐらい、超マジメな都市だったから、遊ぶならここしかなかったみたいでな。この店の初代店長も、その仲良くなったナグダの人に、調理方法や味付けを教えてもらったらしいぜ?」
既に滅んだ、ナグダという存在。
「ねえ、リーダー……」
「ああ……」
それは、あのマシンが生まれた地でもある。
「今度、マシンを連れて来てやりゃいいさ」
「うん……」
既に滅んだマシンの故郷の料理。
少しだけしんみりとした気持ちになったジオとチューニだが、トキメイキでのやるべきことを解決すればまた来ればいいと、頷きあった。
「まっ、とりあえず、兄さんたちもゆっくりとこの街を楽しんでいってくれよ」
「おお、ありがとよ」
「あっ……でも……一つだけ気をつけろよ?」
すると、仕事に戻ろうとした店員だったが、何かを思い出して振り返り、ジオたちに耳打ちするように顔を寄せた。
「この街で……10~20代の若者がやってる酒場には気をつけろよな?」
それは一つの忠告であった。
飲食店の店員が、『若者がやっている酒場』には気をつけろという、変わった忠告をジオたちにした。
どういう意味か分からず、ジオとチューニが首を傾げると、店員は続ける。
「実は、遊ぶ金に困った学術都市の若者たちが、夜遅くになるとこの街で飲み屋をやってるんだ。魔法学校の制服着たり、色っぽい服着た若い女が一緒に酒を飲んで場を盛り上げたり、話し相手になったりして、男を気分良くさせるんだよ」
「ほう……女が相手をしてくれる酒場ってのは珍しくねーが、魔法学校の生徒がやってるってのは、聞いたことねーな……そんなのがあるのか?」
「そうさ。で、短いスカート履いた若い女と間近で喋れるなんて機会は滅多にないから、スケベな男はホイホイ行って、で、気分良くして沢山酒を注文するんだよ。でもな……」
店員がそこまで話したことで、ジオは店員の言いたいことを理解した。
「なるほどな。『ぼったくり』ってやつか?」
「えっ!? リーダー、ぼったくりって……確か、お金をいっぱい取られる……」
「ああ。法外な値段を最後に請求しているわけだ。くはははは……まさか、魔法学校の生徒がそんなことやるなんてな……」
ぼったくり。通常の相場よりも法外な金額を請求するもの。そういうものは昔から存在し、むしろ帝国に居たジオは、そういうものも摘発したこともあった。
だから、そういう店が存在すること事態は珍しくなかったが、魔法学校の生徒がやっているというのは聞いたことがなかった。
「つか、それこそ違法で取り締まれるんじゃねぇのか? 連中が学校の生徒だってことは、身元も分かるんだろ?」
「いや、それが……連中もズル賢くてよ……メニューの金額が小さく桁が一個多くなってたり、酒以外に席料が別途掛かるとかやってて、それは違法になんねーみたいなんだよ」
「……ほ~う……それは、ますますセコイな」
「とにかく、気をつけなよ? 連中は、特にこの街の住民相手ではなく、何も知らない行商や旅人相手にやってるみたいだからよ」
そう言って、チューニとジオの肩をバシッと叩いて仕事へ戻る店員。
その背を眺めながら、ジオは溜息を吐いた。
「トキメイキは戦争にも参戦しない奴らだったから、あんまそこの魔法学校の生徒がどんなもんかは知らねぇが……随分と、変なことになってるもんだな……武器屋で聞いたときにも思ったが、どうなっちまってるんだ?」
自分が魔法学校の生徒だった頃は、「世界のために」と誰もが熱苦しいほどに信念に燃えていた。
卒業と同時にほとんどの生徒は軍に入隊し、戦争に身を投じていた。
しかし、既に戦争もない時代、トキメイキの魔法学校の生徒は、遊ぶ金欲しさに小悪党な道に身を投じている。
そして、結果的に騙されて金を払っている男も居る。
そういうものが、何だか情けないと感じながら、ジオは苦笑した。
「ほら……リーダーが居た三年前は、学校は15歳で卒業して、卒業後はそのまま軍人のルートでしょ? やっぱり今は戦争も終わって、軍人を強制されない代わりに学生の期間も長くなってるから……色々変わっちゃってるんだと思うんで」
ジオの知っている三年前の世界。しかし、それはもう三年も経っているとも言え、何よりも戦争が終わっているということがあらゆる面で大きく世界に変化を与えているのである。
チューニの言葉に納得しつつも、自分の居た時代から大分変わってしまったものだとジオは思いつつも、そんなことを思う自分もどこかおかしくて、不意に笑ってしまった。
「そう考えると… チューニの元クラスメートたちも、戦争には参加していないうえに、性格や考え方にかなりの歪みや思い上がりもあったが……それなりに向上心だけはあったから、まだまともな部類だったのかもな」
「げっ!? アレが……まとも……」
「くはははは、お前にとってはまだトラウマか? まぁでも……そういう意味では、まともじゃなかったのはお前の方だったんだけどな。じゃなけりゃ、俺らと一緒に居れるはずがねーからな」
チューニの元クラスメートたちの話をすると、チューニも顔を歪めて項垂れてしまう。
「はぁ~……アレがまともか~……それなら、やっぱ僕は学校辞めて良かったんで」
「くははは、つかお前は自分の意思で辞めたんじゃなくて、進級できなくてクビになったんだろうが」
「うわっ……それ、言っちゃうの?」
「まぁ、それも周りの奴らが無能だったからだったんだがな」
「……確かに……僕にもっと早く覚醒が起こってれば……」
テーブルに顔を突っ伏しながら、複雑な表情になるチューニ。
かつて、魔法の才能が無いがゆえに魔法学校を退学させられた。
しかし、実際のチューニは魔法の才能に溢れ、戦争に出ていれば偉大なる大魔導士として間違いなく歴史に名を残していただろう。
だからこそ、もっと早くに覚醒していれば……そうすれば周りの評価も変わっていただろう……そうなれば……
「…………起こってれば……」
そのとき、チューニの脳裏に一人の少女の顔が頭を過ったが、それを慌ててチューニは振り払った。
そんなチューニの様子から、今のチューニの心境をジオは察した。
「仮に覚醒がもっと早くに起きていたとしたら、そりゃ周りの評価も近寄る女との関係も変わっていただろうさ。でも、お前の覚醒が遅かったという事実はもう変わらねーんだから……そしてその過去を切り捨てたんだから……そこを悩んでも仕方ねーし、逆にそうなったからこそ変わった人生もあっただろうが」
今になって「もしも」のことを悩んでも仕方ないと告げながら、ジオは突っ伏しているチューニの頭を軽くノックした。
「学校なんて狭い世界にこだわらずに、広い世界に出てみたことで……お前はお前の世代の誰もが経験できねーことをやってるじゃねーか」
「……リーダー……」
「少なくとも、神話の怪物や七天大魔将軍や五大魔殺界と笑ってメシ食ったり、五大魔殺界の組織の大幹部を務める美人の年上に童貞を奪ってもらった14歳の人間は、過去も未来も現在においても、世界中探したってお前ぐらいなもんだぜ! いや、魔族にすら居ないと思うぞ?」
「それは確かに! ……って、奪ってもら……違うんで! 僕まだなんで! コンさんとのときも、一つになる直前に出ッ……というか……うん、違うんで!」
「くははははは、なんだそりゃ! そうだったのか! 情けねーな~! だが、ようするに男は終わった過去なんかさっさと忘れちまって、今を楽しめ楽しめ」
ヨシワルラでの出来事をウッカリ口を滑らしそうになったチューニは真っ赤になりながら慌てて口を手で押さえるも、すぐにジオの言葉が心に響いたのか、落ち着いた表情で笑みを浮かべた。
むしろ……
「でも……リーダーも意外と昔に未練を感じてるところはあると思うんで……正にブーメラン……」
「んなっ!? ん、んなことねーよ!」
「いやいや、特に女性関係……ほら、リーダー、何だかんだでモテるし、何だかんだで一線越えないし……」
チューニはニヤニヤと笑みを浮かべながら、ジオに冗談交じりで反撃した。
そして、ジオ自身も正にそれが原因で、メムスと一線超えることもなく、そしてガイゼンに「ヘタレ」と言われて諭されたのがつい最近の出来事だったために、思わず言葉に詰まってしまったが、それを悟られないようにと慌ててジオは声を荒げた。
「ば、バーロー、俺はそんな女々しくねえっての!」
「ほんと?」
「お、おうよ! じゃあ、あれだ! もし俺が次にお前の前で、『いい雰囲気になった女に手を出せないヘタレな所を見せたり』、『昔の女関連でカッコ悪い所を見せたり』、そんなことをしたら、公衆の面前でフルチンになって裸踊りしてやらぁ!」
「別にそこまでしろとは言ってないんで! ……と思ったけど、今の言葉、一応覚えておくんで」
「お、おう、覚えてろ」
興奮したように息を切らせながら、ジオは勢いよく酒を煽る。
暴走気味にとんでもない約束をしてしまったと一瞬思ったが、すぐに頭を振る。
そして、ジオはもう一度コップに酒を注いで、今度はそれをチューニに差し出す。
「ったく……ほらよ、これも辞めてみたからこそできる経験だ」
「リーダー?」
「もう将軍でもねー俺は、ガキが酒を飲もうが取り締まる立場でもねえからよ」
ジオが自分に酒を勧めていることに気づいたチューニは驚いた顔を浮かべるも、ジオは無理やり突き付けて……
「一口でいいさ。サシで男同士が腹割って飲んでんのに、片方が水だけじゃ味気ねえ。ほら、これもまぁ……飲んでみた……っていう経験のつもりでよ、試してみたらどうだ?」
正直、飲酒に興味の無いチューニは、あまり気が進まない気持ちではあったが、一方で「せっかくジオが勧めているのだし」という気持ちもあった。
こうして、心を開いて自分のために話をしているジオに、少しでも応えてあげたいという気持ちもあり、だからこそチューニも渋々ではあるが、ジオからコップを受け取り……
「じゃあ、……一口だけ……」
「ああ」
と、初めての経験をまた一つ果たしたのだった。
しかし、このとき、ジオは想像もしていなかった。
この一杯の酒が、この直後に面倒なことを引き起こすことになるということを。
チューニは、魔法を無効化できても、酒は無効化できない。それは当たり前のことであった。




