第七十九話 あの言葉
「思えば、俺も色んな女と……してきたんだよな……」
既に空も薄暗くなった森の小川の前で、先ほどまでの自分を落ち着けるように呆然と佇むジオ。
メムスの想いに対して、かつての苦く悲しい思い出が嫌でも思い出され、情けなくも逃げ出してしまった。
そして、情けない自分に呆れながらも、もう一度メムスと向き合ってみようかと思い直してみても、結局まだ体と心がそれを許してくれなかった。
――いいこと? 他の女と交わったら、ちゃんと報告しなさい! そ、そして、他の女たちにされたこと以上のこと……してやるんだから……
生れて初めて女を知った相手は幼馴染で犬猿の仲だったはずの皇女。
――うむ、この首輪はお前に似合っているな。さあ、ジオ、今日も私が可愛がってやる。逃げても無駄だ。ふふふ、嫌よ嫌よも好きの内だ♪
二人目の女は上官でもあった皇女。強制的に押し倒されて、捕らえられて、色々された記憶が多い。
――ジオ……ふふ、いいこいいこです。はぁい、ミルクどーじょ♪ おいちい? は~い、次はおもらちしてないか、マーマがみてあげまちゅね♪
三人目は……思い出した瞬間ジオは額を岩に叩きつけたくなるようなことしかなかった、皇女。
――ジオ様……エルフ族の盟約に従い……私にこの首輪を付けてください。こうすれば、私をいつでもジオ様の道具としても弄ぶことが可能です。
四人目は、異種族のヤバい女だった。でも、盟約なので仕方なかった。仕方なかった。大事なことなので、二回ジオは心の中で頷いた。
後は……
「もういいや。とりあえず……俺もまぁ……スゲーヤリたい放題してきたもんだな……それが、女に手出しができなくなるとはな……」
改めて自身の過去について、自分で自分を軽蔑したくなるような感情を抱いたジオは頭を抱えた。
人としてどうかと思うが、女関係については思う存分やりたいことをしてきた。
そして、それがゼロになったのなら、また始めればいい。
何も、一人の女しか愛してこなかったわけではないので、難しくないはずである。
だが、それなのに、メムスを受け入れることが出来なかった。
「そういえば……フェイリヤについてもそうだったかもしれねーな……」
この地に来る前に出会い、そして別れたお嬢様。
あの時は、ティアナが現れたというのもあったし、そういう状況でもなかった。
でも、フェイリヤが徐々に自分に対して過剰なスキンシップをしだしてきたのに対して、自分はそれを誤魔化して受け流した。
きっと、その時から、自分の中に何かがあったのかもしれないと、ジオは感じていた。
「やーい、やーい、リーダーのヘタレ~」
「なっ!?」
「ぬわははは、ワシの接近にも気づかぬとは、随分と無防備じゃのう、リーダー」
そのとき、突如背後から冷やかす声が聞こえて、ジオが驚いて振り返ると、そこにはニヤニヤと笑みを浮かべているガイゼンが立っていた。
「ジジイ……お前、あの蛇女はどうした?」
「ん? イキウォークレイか? たらふく幸せにしてやって、今は疲れて村で爆睡しとるわい」
「あっ……そう」
「あやつだけではない。タマモという娘も闇が晴れたかのようにツヤツヤして純粋な娘に戻って、今はマシンに膝枕されて寝ておる」
「そうか……」
「チューニは何だか真っ白な灰のようになって、今は民家の布団で寝ておるわい。コンは元気に宴会の後始末じゃ」
どうやら、自分がボーっとしている間に、他のメンバーは事を既に済ませている様子。
そんなメンバーたちに対して、自分は何とも情けないと、ジオは自嘲した。
「メムスをちゃんと慰めてやるんじゃな。自分との接吻がそこまで嫌だったのかと落ち込んでおる」
「……わ、わーってるよ……」
そんなジオに追い打ちをかけるように、メムスのことを口にするガイゼン。
より気分が重くなり、思わずジオは顔を落とした。
「……ふふん。にしても……」
「ん? なんだよ……」
すると、ガイゼンは、ドカッと乱暴にジオの隣に座りながら、さりげなく持っていた酒樽を脇に置き、中身の一部を注いだ木製のコップをジオに差し出した。
「ワシほどではないが、女との経験は豊富なようで……過去の女に対して一人一人に本気だったようだな……リーダーも」
「……なに?」
「だから、恐いんじゃろ? 行きずりの女と交わるならまだしも……自分に本気の想いを抱いてくれるオナゴを前にすると……また、同じことにならないか……とな」
ジオの心の中を見透かしたかのように告げるガイゼン。
その瞬間、ジオは顔を赤くして立ち上がった。
「ざ、ざけんなジジイ! 何をテキトーなことを言ってやがる! 誰が恐いだ? んなことあるか!」
そんなことはない。自分はそんな小心者ではないとムキになって否定するが、ガイゼンはそんなジオに目を細めて笑った。
「ぬわはははは、図星を突かれて、大声で喚いて反論せずにはいられんか?」
「な、なにィ?」
「テキトー? そうでもない。リーダーはめんどくさい生き方をしておるが、根は単純じゃからな。リーダーの心の内はワシにも手に取るように分かるわい」
そう、否定したものの、ガイゼンにそう言われるとそれ以上ジオには何も言えない。
ガイゼンの言葉は紛れもなくジオの核心に触れていたからだ。
「ふん……俺は……人から見ても、そんな女々しい奴に見えるんだな……」
頭を掻きむしりながら、ジオは溜息を吐いてもう一度座りなおし、改めてガイゼンに差し出された酒を受け取った。
「……確かに女々しいな。しかし……人であり、心がある以上、何かを引きずってしまうのは仕方あるまい。これからの人生、楽しく生き、過去は忘れようと決めても……どうしても嫌でも自分を締め付ける……そういうもんじゃよ。過去というものは」
「……そうか? けっ……過去に締め付けられるね……テメエには無縁そうなことだぜ」
そんなジオをガイゼンはからかわず、それはむしろ仕方のないことだと告げて、ジオに手渡したコップに自分の酒樽を軽く付けて乾杯する。
それを合図に、同時に酒を口にするジオとガイゼン。
「……ふふん……そうでもあるまい……」
「あ?」
静かな森と小川を前に、二人の間に落ち着いた空気が漂うと、その静寂を先に破ったのはガイゼンだった。
「昔々……」
「あ?」
「……昔々……魔界のあるところに……一人の血気盛んな阿呆がおった……」
突如、まるで親が子供に昔話を聞かせるかのような穏やかな口調。
「いつも誰かと喧嘩し、世間に噛みついて生き、今にも崩れ落ちそうな橋を渡ることで生きがいを感じるような男じゃった。ケガも死も恐れなかった。……ただ……寂しいと思うことだけが恐かった……」
いきなり何事かと思ったジオだったが、ガイゼンは構わずに続ける。
「友も仲間も恋人もおらず……自分が一人だと気付いた男は、より心が荒んで……暴れた。バカだったのじゃ。寂しいと僅かにでも感じたら、寂しさを感じぬようにより暴れることで、世間との関りを持とうとした……寂しいから誰か構ってくれと口に出して言う勇気もない……そんな……どうしようもない、バカなガキがおったのじゃ」
一拍置いて酒を豪快に煽るガイゼン。
そして、ある程度酒を入れると、また再び語り始めた。
「そんなバカが……生まれて初めて喧嘩で負けた。相手は、年上じゃったが……女だった。粗暴で、品がなく、豪快で、酒好きで、男好きのスケベな女で、そして誰よりも夢見がちのロマンティストな……大馬鹿じゃった。しかし、その大馬鹿が……ガキにとっての初めての憧れとなり……初めて恋した相手でもあった……まぁ、速攻で失恋したがな」
懐かしそうにしながら、しかしどこか楽しそうに話をするガイゼンを見て、ジオは「もしや」と感じた。
「女はとある種族の中でも、かなり由緒正しい家系の者で、既に婚約者もおった。だが、結婚するとあまり遊べなくなるから、結婚前にしばらく好きなように生きたいと思っていたそうじゃ」
この話は……
「女は言った。世界には多くの謎とロマンがある。魔界の魔族に種類が多い理由は? 我々の世界は中身の詰まった球体ではなく空洞で、そこには別の世界が広がっているかもしれない。夜空に輝く星にはこの世界と同じように生命が住んでいるかもしれない。自分の最強証明のために伝説の竜倒しに行こうぜとか、人に話せば夢想家と笑い飛ばされたり、思考が野蛮だと呆れられるような者でありながら、それでも堂々と生きるその女は……当時の荒んだガキには眩しく映った……デッカイ奴と思った……生れて初めて……誰かに仕えたいと思った……」
これまでずっと、はぐらかされて、自分たちもあまり追求することもなかった……ガイゼン自身の……
「以来、ガキは女の舎弟になった。いつかその女を超えてやると誓って体を鍛えながら、女の漫遊に付き合った……それがその男が初めて人生を楽しく感じた瞬間であった。……あの女が……あの方が全ての始まりだった……」
だが、そこでガイゼンの空気が僅かに変わった。
楽しそうにしていた空気がどこか切ない空気に変わった。
「全ての始まり……?」
「ああ、そして同時に……ワシもトラウマになるような傷を負った」
「ッ!?」
意味深な言葉を呟くガイゼンは、もう一度酒を飲もうと酒樽を持ち上げる。
しかし、それはもう空であった。
中身が無いと気付いたガイゼンは、酒も無い以上これから先は語れないと感じたのか、誤魔化すように笑った。
「まぁ、ワシにも……あの時にああしていればというような後悔もある。だが、結果的にその後悔もうまく活かせず……次代のスタートと何度も揉めて、結果的にあやつに絶縁された……まぁ、そのことを恨みはせんし、別にあやつが死んだことを特に悲しいとは思わないが……多少なりとも、ワシ自身ももっとうまくやれなかったかと思わなくもない……」
「ガイゼン……ひょっとして……お前が今回、メムスにお節介したのは……」
「かもしれんのう。スタートの奴がメムスに対してどういう感情を抱いていたかは知らぬが……どうにかしてやれんかと思ったのは事実。まぁ、スタートというよりは……むしろ……メムスはあの方の……ぬわはははは、正直面影を感じぬほど似ておらんがな……それでも……」
「……そうだったのか……」
「ぬわははは、そう考えると、ワシも意外と過去を引きずる女々しい奴かもしれんのう」
そこから先のことをガイゼンは言わないが、ジオは何となくだが察した。
「大なり小なり、人は何かしら抱え込んだりしているもの。チューニもマシンもそうだったであろう? だから……リーダーもトラウマの一つや二つあっても、気にする必要はあるまい」
ポルノヴィーチとの戦いのときに、ガイゼンがサラリと口にしていたことと、今の話を統合すれば、導き出せること。
「リーダー……ワシがリーダーと初めて出会ったとき……リーダーを遊びに誘ったのも……何となく、リーダーが誰かと被ったのかもしれないのう。遠い昔の誰かとのう……寂しがり屋のどうしようもなバカなガキとのう」
そして、どうしてガイゼンが初めて出会ったときに、出会ったばかりのはずの自分を誘ったのか。
そのことについてもガイゼンは触れた。
今のガイゼンからはまるで想像もできないが、それでもガイゼンには何となくだがジオに共感をしたという。
「なあ、ガイゼン……」
「ん?」
「お前が……というより、そのクソガキが出会った女……話を聞く限り、お前とダブるんだが……ひょっとして、お前が今のお前のような性格や生き方をしているのは……」
「ぬわはははは、それを聞くのは野暮というもの。しかし……そのクソガキが、自分もこうありたいと思える生き方をした結果……人から見ればあの御方に重なって感じられるのは……悪い気はせんのう」
そして、ガイゼンが今のガイゼンになったきっかけ。それは、自分を変えた存在との出会い。
「初めて聞いたぜ……お前の女々しいところ」
そのことについてガイゼンはそれ以上深くは喋ろうとはしない。だが、ジオも察して、そこはもう追求しなかった。
代わりに……
「世界を舞台に自由に生き、自由に暴れて、自由に遊んでみないか……」
「リーダー?」
「お前が誰かに憧れてそういう性格や生き方を真似しているかどうかは別にして、それでもお前のその言葉が俺の人生を変えたのは紛れもない事実だ……良い意味でな……」
「ぬわはははははははは! そうかそうか! それは、遊びに誘って良かったというものじゃ!」
ジオも何だか照れくさくなり、誤魔化す様に持っていたコップの酒を飲み干そうとしたが、もう空だった。
舌打ちしながらコップを地面に置き、ジオはムズかゆい気持ちを誤魔化す様に立ち上がって、ガイゼンに背を向けた。
「ちょっと行ってくる」
「メムスの所か?」
「ああ。切り捨てた過去はもうどうしようもねーが……まだどうにかなりそうなものについては、後になって後悔しねーようにはしとくよ」
「おうおう、それでよい」
そう言って、ジオは何だか少しスッキリした気持ちになってその場を後にしようとする。
すると、立ち去ろうとするジオに、ガイゼンは一言だけ……
「のう、リーダー」
「ん?」
「ワシには……『あの言葉』は言ってくれんのかのう?」
それは、一体どういう意味なのか……この時、ジオにはそれが何なのかはすぐに分かった。
「重要か?」
「ワシだけ貰えんのは寂しいのう」
「くはははは、本当かよ。お前ってやつは……」
「ああ。今のワシは、寂しければ寂しいと、口に出して言えるようになったからのう」
ガイゼンが求める言葉。ジオは自然と笑みを浮かべながらその言葉を告げた。
「ようこそ、ジオパーク冒険団に」
「おう」
同じように居場所から追放された身でありながら、どこか自分たちとは生き方も考え方も違うと思えたガイゼン。
しかし、そのガイゼンにもまたあまり言いたくない苦い思い出や、弱いところもあった。
それを曝け出されて、初めてジオはガイゼンという人物に少し触れられたのかもしれなかった。
だから、ジオもすんなりと、ガイゼンの求めた言葉を告げることが出来たのだった。




