第四十四話 記憶は関係なかった
「一体、どんな手を使ったの? あのオーライをここまで追いつめるなんて……マシン・ロボトと結託して……ジオ、あなたは何をしているの?」
世界の中心でもある、地上世界の最大国家でもあるニアロード帝国。
他国でもあるワイーロ王国を武力部隊で覆い尽くすその規模に、民たちは不安と恐怖を抱いて言葉を失っていた。
自分たちを見下ろす兵たちは、誰もが勇者オーライという世界の英雄にワイーロ王国が行った所業に怒りを抱いている。
そんな状況の中、帝国の兵たちを率いて現れた一人の女は、真っすぐジオを見つめていた。
「ただ……状況はよく分からないけれど……やってしまったのね、ジオ」
「あ゛?」
現れた女……ティアナは悲しそうに瞳を潤ませて、ジオに告げる。
「私たちは知っている。あなたがかつて、世界を、帝国を、私たちを救うためにどれだけ頑張ったか……どれだけ戦ってきたのか……それなのに、私たちの所為でその道を断たれ……どれだけ悔しかったか……代わりに大魔王を倒したオーライを倒すことで、その無念を晴らそうと……そういうことかしら?」
どうやら、丁度到着したばかりなのか「事情」を何も知らず、とにかく状況だけを見て、ティアナはそう判断したのだろう。
それは、他の帝国兵たちもそういう認識なのだろう。
まさか、勇者オーライが自作自演でこの国を襲い、そして返り討ちにあったなど、夢にも思っていないのだ。
「ワイーロ王国……欲望と汚い金が渦巻く国……メルフェンを中心に生まれ変わると思っていたけれど……あなたがこの国に目をつけて利用するとは思わなかったわ」
ジオは、とりあえず何も言い返すことも言い訳することもなく、ただ黙ってティアナの言葉を聞いていた。
「ジオ……あなたがどうやってワイーロ王国を言い包めてオーライを倒したのかは分からないけれど……御願い。憎しみに囚われて無関係の者たちを傷つけないで。あなたが恨んでいるのは私たちでしょう?」
「……………」
「オーライもまた、私たちにとっては掛け替えのない大切な仲間であり、この世界を救った勇者。世界は彼を失うわけにはいかないわ。そして、それはあなたも同じ。オーライにこれ以上何かをするようであれば、私たちはあなたを止めなければいけない」
あらゆることを帝国の兵たちが勘違いしているのは誰の目にも明らか。
しかし、なぜジオがそのことを言わないのかと、フェイリヤも不思議に思って様子を伺っていた。
「そして……その女は……私たちへの……あてつけかしら? ジオ……」
「え? わ、ワタクシですの?」
そして、ティアナの目は次にジオに抱きついて離れないフェイリヤに向けられた。
ティアナは切なそうに引きつった表情を浮かべて唇を噛み締めながら、フェイリヤを見る。
「たった数日で女を一人手篭めにするなんて、流石は私たちのジオだわ。そういうところは『オーライと同じ』ね。でもね……もし、今回の復讐のためだけにその娘を利用しているだけならば……その娘を離してあげて……これ以上……堕ちないで……。自分を安売りするような真似はしないで……」
「……同じ? 俺が……え……えぇ?」
ティアナの言葉にフェイリヤは訳が分からなくなった。
「……オジオさん……この方は何を仰ってますの?」
「……どーやら……俺は勇者オーライを憂さ晴らしで倒すためにお前を手篭めにして利用したと思われているらしい」
「……はっ? いえ、あの……ワタクシ、まだ手篭めにしてもらっていませんけども……するならするで、望むところで受けて立ちますけども……来るなら来いですわ!」
「……どーでもいいよ。とりあえず、勘違いされてるみたいだし、さっさと離れろよ」
「だから、今は離れられませんと言っているではありませんの!」
ジオがイライラしながら溜息吐いて、とりあえず自分にしがみ付いているフェイリヤを離そうとする。
だが、フェイリヤはジオにしがみ付きなおして、離れない。
そう、離れられないのっぴきならない事情があるのだ。
「ッ、な、ちょ……っ……ジオ……」
そんなフェイリヤの態度に、ティアナは唇を噛み締めて悔しそうにする。
本当は色々とぶちまけたい気持ちがあるのに、それを今の自分に言う資格はないと自覚しているのか、嫉妬の気持ちを必死に抑えようとしている。
そして、ティアナのそんな気持ちを知らずに、フェイリヤは更に……
「というか、オジオさん、この帝国の方々は知り合いですの? というか、この方たち、随分と頭がパッパラパーではありませんの? さっきから、オジオさんのこと、何も分かっていらっしゃらないではないですの」
「ッ!? わ、私たちが……ジオのことを何も分かっていない……ですって!?」
「そうですわ! オジオさんも、何か仰ればいいではないですの!」
「言ってくれるじゃない……ッ……私たちとジオの積み重ねてきた日々を知らずにヌケヌケと……」
状況を見て的外れなことを言うティアナに、フェイリヤがむくれた表情でジオに告げる。本当のことを何故言わないのかと。
すると、ジオは苦笑しながら……
「なあ、お嬢様。人が……『言い訳をしない』時ってどういう時か分かるか?」
「えっ?」
「人が言い訳をしない時……一つは……相手が正論の時」
「はあ? 正論ではないではないですの!」
「ああ、そしてもう一つ……」
ジオのその言葉に、フェイリヤは意味が分からず、ただ首を傾げた。
すると、ジオは……
「いちいち言い訳がめんどくさくて……別にどう思われてもどうでもいい相手の時……そんなところだ」
「ッ!!??」
ジオは何も言い訳をしない。真実を語らない。
それは、別にどう思われてもどうでもいいから。
そのジオの言葉に、ティアナは胸が抉られたかのように悲痛な表情を浮かべる。
そして……
「おい、ナジミ! お前ら、何をボーっとしてんだよ! オーライや、メルフェン姫がこんな目にあっているっていうのに!」
「さあ、立て! 何があったかは知らないけど、私たちの希望の英雄を守るのよ!」
「ジオ……お前を止めに来た。罪を重ねるのはやめるんだ!」
「将軍……魔に染まられてしまいましたか……」
「ジオ坊……お前の憎しみは……俺たちが止めてみせる」
「そして、もう一度お前を……必ず帝国に連れ戻してみせる。それが、我々のお前に対する償い!」
「しかし……いくらジオとはいえ、オーライ様を簡単に倒せるとは思わない」
「……信じたくはないが……何か手を使ったのかもしれない。気を付けろ?」
そんなジオの気持ちをまるで理解せず、かつてジオと共に戦った者たちが次々とジオの周りを取り囲むように降り立つ。
誰もが状況だけを見て、「ジオがヤケになって悪い事をしている」と思い込んでしまったようだ。
「……たいちょう……」
そして、それはオーライの危機を救った女剣士も同じ。
「隊長……もはや、顔見せすることすら許されぬ大罪人である某がノコノコと現れた罪をお許し下さい。ですが……隊長が、世紀の大悪党・マシン・ロボトと行動されていると知り、居ても経ってもいられずに参上いたしました!」
「…………………」
「いかなる事情があれど、民を先導してオーライ殿を傷つけた隊長を完全なる無罪とするのは難しいかもしれませぬが……隊長が受ける罰は某も同様に受けます。かつて某が隊長から奪ったのと同じ、この腕を切り落とした上で……ですので……どうか……罪を重ねるのはおやめ下さい」
先ほどまで怒りに満ちた形相も、ジオの姿を見た瞬間、幼い子供のようにその表情が泣き顔に変わった。
かつてジオの右腕としてその剣を振るった女剣士・ジュウベエ。
そんな周囲の様子を見て、ジオは笑った。
「くははははははははははははははははは! あ~、傑作だ……」
「ジ……ジオ?」
「たいちょ……う?」
突然笑い出したジオの様子に、帝国兵たちは身構える。
するとジオは……
「俺は、憎しみに囚われて、大魔王を倒せなかった腹いせに女や国を騙して勇者を追い詰めて殺そうとした? 勇者に嫉妬した? そんなところか? 勇者に恨みを持つマシンと一緒に行動しているのもそういうこと? つまり俺は……『そういうこと』をしてもおかしくない奴だと思われてたってことだ……」
「えっ? ど、どういうこと? ……ジオ? 何を言って……」
「たとえ、お前らが大魔王の魔法から解けても、事情も知らずに状況だけを見たら……テメエらが信じるのは勇者であり、俺は第一印象で悪か……」
笑いながら、どこか投げやりに、心底あきれ返った様子でジオは帝国兵たちに告げ、
「つまり……記憶があってもなくても、結局テメエらは俺のことをハナから何一つ分かってなかったってことだ……まぁ、もうどうでもいーけどよ……そんなこと」
そして、改めて失望した。
「何を……ジオ……私たちがあなたを理解していない? そんなことないわ! 記憶が戻った以上、私たちほどあなたを理解している者たちはいないわ!」
「あ~、そうかい。じゃあ、俺をここまで不愉快にさせるのはワザとだとでも言うのか?」
「な……えっ?」
もう完全に断ち切って、新しい人生を踏み出すと決意していたはずなのに、こういう形でまた過去に失望することになるとは思わなかったと、ジオは投げやりになってしまった。
「おい、ニコホ、ナデホ」
「えっ!? は、はい!」
「お嬢様がパンツ丸出しなんだ。どうにかしてやれ」
「あ、は、はい、そうでした!」
ジオはとりあえずいつまでもこの態勢では何も出来ないと、フェイリヤのメイドである二人を呼び寄せ、二人にシーツ等でフェイリヤを包み込ませるように隠させて託した。
「あ……むぅ……オジオさん……」
名残惜しかったが、ジオが自分を引き剥がして何をするのかと、フェイリヤが少し心配そうに名を呟くと、ジオは帝国兵たちを睨みつける。
「にしても、マシンが世紀の大悪党か。あのクソ勇者も随分とホラを吹いてたもんだ。なあ? マシン」
「そのようだな」
「まっ、あんなカスの言うことを真に受けて世界規模で信じちまうあたり、色々とヤバイ奴らが多かったみたいだな、連合軍も」
ティアナたちを小ばかにするようにしながらジオが告げると、ティアナたちは少しだけ眉が動いた。
そう、ティアナたちにとっては、ジオ同様に、勇者オーライもまた信頼できる仲間だからだろう。
「あれが、マシン・ロボト……? それに……オーライがカスって……ジオ! 私たち帝国はなんと言われても構わない! でも、仲間への侮辱は許さないわ!」
「はっ?」
「あなたが成し遂げることのできなかったことを成したオーライを憎むなんて、それは筋違いよ?」
「……おいおい……」
「彼は優しく、努力家で、多くの者たちに分け隔てなく接し、……女に弱いところは欠点だけど、そんな彼を慕い、世界は一つとなって偉業を成し遂げた。私たちがあなたにしてしまったことは償いきれない罪ではあっても、それは捻じ曲げられないわ」
ティアナのその言葉を聞き、ジオたちは勿論、ワイーロ王国の民たちも全員が呆れた顔を浮かべた。
誰もが思っただろう「こいつらもか?」と。
「けっ、お前らもあの野郎を随分と買ってるんだな。あそこに居る勇者の女たちと同じで……テメエもあいつに抱かれたか?」
「ッ!? ジオッ、冗談でもそんなこと……あなたの口から言わないで……」
ジオがイラつきながら辛辣な言葉を浴びせるが、その瞬間、ティアナは強く否定するように怒鳴った。
「確かにオーライは尊敬すべき仲間であり男。実際、私たちがあなたの記憶を失い……父である皇帝は、オーライと私たち三姉妹の誰かと結婚させようとはしていたけど、私たちがそういった関係になったことは無いわ……だから、変な邪推で私たちの紡いだ絆を穢すようなことを言わないで」
「……………」
「でも、あなたがそう捻くれてしまったのも全ては私たちの所為。だから、それは受け入れるわ。そのうえで、闇に堕ちたあなたをもう一度光り輝く世界へと連れ戻す」
ジオは思った。
だから、違うと。
だが……
「お前ら、マシンに感謝するんだな」
「じ、ジオッ!?」
「流石に俺も、ここでブチキレて全てを壊したくなりもしたが……マシンがああやって決着を付けた以上、リーダーである俺がそれを台無しにするような小せぇことをするわけにはいかねーからな……だから、マシンに免じてそれだけはしないでやる」
もう、ジオはそれすらも諦めた。
すると、この状況にずっと言葉を失っていたナジミが慌てて立ち上がって叫んだ。
「み、みんな! 待って、待ってよ! 私の話を聞いて! その人たちは……それに、オーライは……全部私たちの勘違いなの! 悪いのは全部……オーライと、そして私たちなの!」
全て勘違いなのだと。
真実は違うのだと、ナジミは叫んだ。
「ナジミ……どいうこと? ……それに、あなたたちはなんで……オーライやメルフェンがああなっているのに……」
「違うの、ティアナ! ……全部……オーライが……それを見抜けなかった私たちが、今回の悲劇を起こしてしまったの……この国についても……マシンについても……」
ナジミから発せられる意外な言葉に、帝国兵たちに動揺が走る。
一体、何が間違っているのか?
すると、そんなナジミに続いて、ようやくこれまで黙っていた民たちも声を上げた。
「そうだ! ジオ君やマシン君は、僕たちを……この国の危機を救ってくれたんだ!」
「彼らは僕たちの恩人であり、友だ! いきなり現れて無礼なのはそちらだろう!」
シーボウたちフラグ冒険団。
「おうよ、あんちゃんは確かにガラもワリーし口も悪いが……偽物の勇者なんかと違う、本物の漢だ!」
「その若造は、お嬢の良い人になるかも知れねー人だ!」
「マシンの兄ちゃんが居たからこそ、勇者の暴走を止められたんだ!」
「私たちの恩人を、侮辱しているのはあなたたちよ!」
「だいたい、テメエら何様のつもりだ!」
漁師もファミリーも、町の民たちも一斉になって帝国へ非難の声を上げる。
その声は、決して金や欲で動く民衆ではなく、心の底からの本音を叫ぶ声。
それぐらいはティアナたちでも一瞬で理解できた。
「ひははははははははは、まっ、そういうこと。それに、帝国の皆さんも随分と乱暴だね~、他国に土足でドカドカと上がりこむなんて、ジョーシキがないにもほどがあるじゃん?」
「ッ……何?」
「まっ、そういう奴らが……勇者オーライもメルフェン姫も含めて、大魔王を倒すなんて大偉業をやっちまったから、色々と勘違いして思いあがっているんだろうけども? なに? この世は自分たちの物とでも思っているのかな?」
民たちの反応に動揺しているティアナたちに、フィクサが遠慮なく中傷的な言葉を浴びせる。
この挑発により、一層緊迫した空気が流れる。
「人探しの『ついで』にクーデター成功後のこの国の支援を条件に航路を通ることは、メルフェンには話を通しているわ」
「そのメルフェン姫が失敗したんだってのが、見て分かんないのかね~……『暁の覇姫・ティアナ』ともあろう者が……ひはははは、それとも帝国兵全員が冷静さを失うほど、そんなに大切な人でも探していたのかな?」
「なんですって?」
「これじゃあ、ジオ君が見切りをつけるのも仕方ないねぇ」
「ッ!!??」
フィクサの容赦ない言葉に、ティアナたちの怒りが頂点に達し、すぐにでも爆発してフィクサを叩きのめさんと鋭く睨みつける。
だが、フィクサはその怒りを受けても平然として、ジオに向く。
「で、ジオ君は……どうするんだい? 誤解をとりあえず解いてみる?」
「いいや……もう心底どうでもいい。一秒でも早く……どっか行きてぇ。こいつらの手の届かない……どっかへな」
「ひははははは、拗ねちゃって。まっ、気持ち分からんでもないけどねぇ」
最愛からの辛辣な言葉は、全ての帝国兵たちの怒りをかき消すほどの威力を持っていた。
「ジオ……私たちは……あなたを……」
「隊長! どういうことでござる!? 真実が……一体、どんな真実があるというのでござる?」
「ジオ、俺らはもうお前を裏切らねえ! もし、信じられないような真実があるってなら、それも信じる!」
「そうだ、ジオ! だから、聞かせてくれ! 真実を! お前がこんなことをしたワケがあるというのなら……」
「ジオ坊!」
「ジオ君!」
只ならぬ空気を察し、慌てて帝国兵たちが声を上げるが、もう遅い。
ジオは怒りを通り越した殺意にも似た感情を呼び起こし、荒ぶる威圧感を辺り一帯に解き放つ。
「もう俺の人生に関わるな! 何度も言わせるんじゃねーよっ!!」
それは、ジオからの最後の警告でもあった。
「……ジオ……ッ、な、ナジミ! この国で何があったの!? オーライが何をしたの? 早く教えなさい! ジオは……ジオたちはどうしてこんなことを?」
「ティアナ……?」
その瞬間、ようやくティアナは言いようのない予感に恐怖を抱き、顔を青ざめさせてナジミに問う。
自分たちは、ジオを探し、ジオの危機を救い、そして状況によっては止めるためにここまで来たつもりだった。
しかし、事態はもっととてつもない真実があるのではないかとティアナは察した。
そして、その時、ナジミたちがハッとした。
「えっ? じ……ジオ? ジオってその名前……えっ? だって、この人……オジオって名前じゃ……」
ティアナや帝国の口から出た、ジオの名前。
これまでフェイリヤが勘違いされる呼び方を使っていたため、ワイーロ王国の民、兵、そしてハウレイム王国の救援部隊たちも誰もが分かっていなかった。
「ちょ、そ、それって、確か……暴威の破壊神・ジオ!!??」
ようやく明かされたジオの正体に衝撃が走る。
ワイーロ王国の者たちも、まさか昨晩大暴れした男が、かつて世界に轟いた英雄だとは思っていなかったのである。
「ええ、そうよ。だからこそ、彼は……私たち帝国において大切な男なの! 教えて、一体何があったの?」
だが、今はそんなことよりも、早く何があったのかを教えろとティアナが急かす。
一秒でも早く、何があったのかを理解しなければならないと、切羽詰っていた。
やはり、何か自分たちの想像もつかない出来事や事情があったのかもしれない。
それを察した帝国兵やティアナが必死に叫ぶ。
自分たちはもう裏切らない。どんな真実も信じると。
だが、もうそれも遅かった。
「なあ、フェイリヤ」
「は、はい?」
「男はちゃんと見て選べよな。じゃねーと、お前もあの女たちのように……泣くことになるからよ」
突然のジオの言葉にまるで意味が分からずフェイリヤが首を傾げると、ジオは続ける。
「でも……あんたはそのままで居ろよ?」
「な、なにを……」
「あんたはそのままで十分……イイ女だからよ」
「ッ!!??」
そう言って、ジオは最後に不貞腐れでもイラついた不機嫌な顔でもない、フェイリヤには本当の笑顔を見せた。
その笑顔は、帝国の者たちが三年前に失った、自分たちが知る、自分たちが愛した男が見せた本当の笑顔だった。
もはや、自分たちには決して向けられず、自分たちの知らない女に向けられたその笑みに、帝国兵たちが衝撃を受ける中、ジオはマシン、ガイゼン、そしてチューニを見る。
「おい、お前ら、いいな?」
「……確かに、これ以上は不毛。この場にとどまっても、余計な面倒に巻き込まれる可能性が高い」
「やれやれ。本当にどいつもこいつも、不器用な人生を送っておるの~」
「えっ? な、なに? えっ?」
ジオの送ったアイコンタクトを理解したガイゼンとマシン。チューニは理解できていないようだが、関係ない。
奇しくもこの瞬間、そのアイコンタクトの意味を理解できたのは、ジオパーク冒険団以外では一人だけだった。
「ひははははは……遊びに行くなら、オススメを教えようか?」
「……ん?」
そう、フィクサだけだった。
「オススメ? けっ、テメエのことだ……危険な香りしかしねーぜ」
「ひははは、危険とスリルこそが人生を盛り上げるスパイスじゃん?」
そう言って、フィクサはジオに大きな布袋を押し付けた。
それは、宴会の時に放置していた、ジオたちがフェイリヤから貰った褒章金。
「ほら、嵐で飛んだら危ないから、回収しといた」
「おいおい、ここでこんなもんを貰ったら、どっかのバカたちが賄賂だと勘違いするぞ?」
「ひはははははははは、おぬしも悪よの~ってかい?」
冗談交じりで会話する二人の様子に、まだ誰もその意味について理解できないでいる。
そんな中、フィクサは馴れ馴れしくジオの肩を組み、耳打ちするように荒れ果てた街の一角を指差して……
「なら、ジオ君。俺からの賄賂はアレにしてくれるかい?」
「ッ、おいおい……アレは……お嬢様の『モノ』だろう?」
「な~に、妹がゴネたら、妹には新しいの俺から買ってやる。君らはアレを使って……俺の依頼でもこなしてくれりゃいい。だから、アレは賄賂というよりは、正式な成功報酬として貰ってくれりゃいい」
「……なにっ?」
「金の袋の中に依頼のメモを入れといたから……楽しんでくればいいじゃん? エロエロと……じゃなくて、イロイロとね」
「おい、待て。どういう言い間違いだ?」
ジオにとって、結局最初から最後まで何一つ理解することの出来ない男、フィクサ。
そのいやらしい笑みに含まれた意味をジオは今の時点では読み取ることは出来ない。
だが……
「まぁ、いいぜ。せーぜい、嵌められてやるぜ。あいにく俺たちは、裏切られることには慣れてるんでな」
「流石はジオ君。まだまだ楽しませてもらおうじゃん!」
今はもう何が来ても構わないという気持ちで、ジオもあえて乗ることにした。
そして、ジオは頷き、もう一度フェイリヤを見て……
「じゃあな、お嬢様。今度は、もうちょいゆっくりと遊びに来るからよ」
「ッ!?」
「短い間だが、世話になったな。元気でな」
そう言って、ジオはフィクサが指差した荒れた街の一角へと向く。
そこには、嵐で陸に打ち上げられていた、フェイリヤの使っていた潜水艇。
他の破損してバラバラになった漁船等と違って強固に造られているのか、表面に傷は見えるも壊れてはいない。
「さっさと行くぜ!!」
「承知した。チューニ、掴まれ」
「ぬわははは、どれ、ワシがアレをぶん投げるわい」
「ぎゃああああ、なな、なんで!?」
次の瞬間、チューニだけはマシンの脇に抱えられ、ジオ、マシン、ガイゼンはその場から駆け出した。
「えっ……? ジオ……ジオっ!? 待って、ど、どこに行くの!?」
「隊長ぅッ!?」
「くそ、おい、ジオを追いかけろ! 必ず捕まえるんだ、早く!」
ジオ達の逃走に誰もが驚いて反応が遅れてしまい、既にもう手遅れであった。
「オジオさん!?」
「マスター!?」
「えっ!? マシンさん!?」
ジオたちの後ろ髪を引くように、フェイリヤたちが必死に叫ぶが、もうジオたちは振り返らない。
「ジオッ! 待ちなさい、ジオッ!」
もはや、ティアナにも一瞥もしない。
なぜなら……
「ちょ、なんで!? えっ、これ、逃げてる!? えっ、なんで!?」
「だって、メンドクセーし……もう、関わりたくもねーし……もう、こっから先はカンケーねーし」
「ちょっ!? で、でも、い、いいの?」
何故こうなっているのか納得できないチューニにジオはそう告げ、マシンもガイゼンも笑みを浮かべた。
「ところで、リーダーよ。銀竜に跨っていた娘は何者じゃ? 只ならぬ関係だったようじゃが」
「……さぁ? もうどーでもいいだろ?」
「ふっ、ひどい男じゃの~」
結局ジオは最後まで、ティアナの名を一度も呼ぶこともなかった。
そして……
「ふんぬりゃあああああああああ!!」
「「「「なななあ、なんだ、あの魔族!?」」」」
陸に打ち上げられていた巨大潜水艇を、素手で真上に持ち上げるガイゼン。
その圧倒的な腕力に、追いかけて来た帝国兵たちも思わず驚いて腰を抜かした。
「ぬわははははあ、どりゃあああああああああああっ!!」
「「「「ぶ、ぶんなげ―――――ッ!!?? 飛んだぁぁぁあ!!??」」」」
そして、ガイゼンは、港に停泊している帝国の巨大軍艦を飛び越えるように、力任せに潜水艇を投げ飛ばした。
すべては一瞬の出来事。
弧を描いて軍艦の帆を越えていく潜水艇の軌道を誰もが口を開けて呆然と見つめてしまっている間に、船の後に続くように、背中から火を噴いたマシンに抱えられた男たちが同時に軍艦の帆を飛び越えていった。
「くははははははは、海上海底どちらも移動可能! 便利な船もーらい!」
「すぐに出る。運転は自分が行おう。初めてだが造作もない」
「ぬわはははは、そーれ! ペガサスたちが追いつく前に、出発じゃあ!」
「ぎょわああああ、はあ、びっくり……って、どういう話の流れでこれ貰えたの!? ってか、どういう展開なんで!?」
大きな水しぶきを上げて着水する潜水艇の甲板に降り立つ、ジオ、マシン、ガイゼン、チューニ。
陸からは慌てて飛行可能な騎獣に跨った兵たちが追いかけてくる。
とはいえ、まだ距離も十分にあることを確認してジオたちは船内に入り、出航と同時に海上からでは追跡不可能な海底へと船ごと姿を消したのだった。
「っていうか、リーダー……なんか……ほんとに良かったんで? こんないきなりで」
「あ? 別に大丈夫だろ? ほら、それにこの船には昨日から置きっぱなしにしていた、俺らの旅の道具もそのままだし……まっ、嵐で散らかってるけど」
「そういうことじゃ……ま、まあ、リーダーがそれでいいなら……いいけど……」
急な出発だったが、幸いなことに船内には自分たちが港町エンカウンより持ってきていた最低限の旅の道具も置きっぱなしになっていたので、出発に何の支障もなかった。
「あっ、そうだ、マシン」
「ん?」
「さっき言うのを忘れていた」
「……何をだ?」
唯一出発の前に忘れていたことを思い出したジオはマシンに……
「ようこそ、ジオパーク冒険団に」
「ッ……ああ」
儀式のような言葉を贈ったのだった。
サラリと応募していた、第三回ツギクル小説大賞で一次通過しました。応援してくださった方、ありがとうございました。パーティーに女を排除するというのもアリなんですね。




