第二話 光との決別
魔界と地上の覇権争いが続く世界において、異端の血を引くジオが人間から受け入れられるのは並大抵の努力では済まなかった。
どうにか、魔法学校を卒業し、軍に入隊したジオは、『とにかくみんなに認められたい』と思い、そのためには死地の最前線にも勇敢に身を投じた。
時には恐怖し、何度も死を垣間見もしたが、徐々に自分を認め、信頼してくれる者たちが増えてきて、それさえあればジオは何度でも立ち向かった。
そして……
『どうだ、テメエら! はっはー、ついに……この俺が、あの『七天大魔将軍』の一人を討ち取ったぞ!』
逆毛立たせた青い髪。
長身で、細身に見えて強くしなやかな筋肉を持ち、青く鋭い瞳が他者を射殺すかのように野性味溢れて光る。
それが、帝国にその名を轟かせる若武者、ジオ・シモンであった。
国に戻り、軍宿舎の食堂へ豪快に笑いながら入るジオ。
そこには、平民や貴族など問わずに自分の仲間やライバルたちが集っていた。
『『『『『………………』』』』』
だが、仲間たちは誰もジオを一瞥もせず、静まり返って無視し続けた。
『お、おい、なんだよお前ら! おい! 聞いてんのかよ! ついに! ついに俺があの七天の一角を討ったんだぞ!? おい! 何でだよ!? 何でみんなして俺を無視するんだよ! 抉るぞコラぁぁ!』
思わぬ仲間たちの反応に戸惑いを隠せないジオは、仲間たちに向かって何度も叫び、時には捕まえて耳元で怒鳴ったりした。
だが、誰もがジオを無視し続け、その異常な様子にジオがうろたえて腰を抜かしそうになった瞬間……
『うりゃあああああっ!』
『うぎゃっ、うおっ!? つ、つめたっ!?』
突如、ジオの背後から大量の何かが頭から掛けられた。
それは、巨大なバケツいっぱいに詰め込まれた大量の氷だった。
『……って、えっ? ちょっ? はっ?』
いきなり氷を掛けられてずぶ濡れになり、状況が全く理解できないジオ。
バケツをぶちまけたのも、ジオの仲間。一体どういうつもりなのか?
すると、ずっと沈黙していたはずの仲間たちが突如我慢の限界に来たのが、全員が笑いを堪えるようにプルプルと震え、そしてついに……
『『『『あーっはっはっはっはっはっは!!!!』』』』
誰もが一斉に笑い、手を叩き、机を叩き、一斉に盛り上がった。
そして次々と仲間たちが立ち上がり、
『やったな、ジオ! 本当にすげーよ、お前!』
『平民の問題児が、もう同期の英雄どころか、国の英雄になっちまったな!』
『しかも、七天だぞ? 数百年前から続く、大魔王に従う魔界最強の七人の称号……あの神話の大怪物『ガイゼン』が創設した、代々続く称号だぞ!?』
『その一角を崩したんだ! まさに、歴史に残る大偉業だぞ!?』
『まったく、公爵家の私を差し置いて、これでお前が先に将軍になってしまうのだな。悔しくもあるが、天晴れだ!』
『ほんっと、私も報告を聞いた時、興奮しちゃったんだから! 私たちのジオがついにやってくれたって!』
それは、仲間たちからの驚かしだった。
そんな仲間たちの行いに、ジオは驚くよりも、安心して腰を抜かしてしまった。
『ばっ、お、驚かせんなよ、この野郎! あーもう、ビビッタっつーの! 死にてーか、テメエらァ!』
『ふはははは、なんだ、ジオは知らないのか? これは、大手柄を上げた兵に行う伝統、サイレント・トリートメントというものだ』
『しらねーよ、んなもん! んのやろう、テメエら全員そこに並べぇ!』
泣きそうになった顔を必死で誤魔化すように叫ぶジオ。そんなジオに仲間たちは笑いながら祝福していく。
すると……
『うるさいわね、少しは静かになさい。ここは酒場ではないのよ?』
突如響いた女の声に、その場に居た全員が思わず姿勢をピンと伸ばして顔を引きつらせた。
『あっ……』
『あら、帰ってたの、ジオ。てっきり死んだと思っていたのに、しぶといじゃない』
『ああんっ!?』
『でも、久々に会ったのに相変わらずのブ男で目が腐りそうね』
サディスティックな笑みを浮かべ、その女は冷たい言葉をジオに浴びせた。
『これはこれはご機嫌麗しゅうござりますでありますなぁ、姫様』
『二人の時や、同期たちの前でなら、慇懃無礼で間違った敬語を使うのはやめなさいと言ったはずよ? クビにするわよ? 物忘れの早い駄犬が』
その言葉に対してジオは憤怒の瞳で睨み返す。
そんな二人のやりとりに周りの者たちはハラハラしながらも、一方で少し楽しそうに見ていた。
『んじゃあ、遠慮なく言わせてもらうがなぁ、俺のどこがブ男だこのチンチクリン貧乳プリンセスが!』
『んな、なんですって!? あなた、確かに敬語は不要と認めたけれど、侮辱は認めてないわよ!』
『先に侮辱したのはテメエだろうが! つかな、俺だって戦場を渡り歩けば、立ち寄る町や村で、それはもうお淑やかな麗しいお姉さま方にチヤホヤ―――』
『……ほう……どこの村? 町? 娘? ……答えてこの私の前に連れて来なさい』
『ちょ、こえーな、なんだよいきなり!』
『うるさい!』
小柄で、人形のような少女。紺碧の瞳と、螺旋を描いた金色の髪とツインテール。
ジオとの身長差は大きく、ジオの鳩尾ぐらいの高さしかないが、その態度と威厳は誰よりも大きい。
『誇り高き帝国における、この偉大なる姫である『ティアナ』の名において、命令は絶対服従よ!』
今もまた、ジオの言葉が琴戦に触れたのか、場が凍り付くような氷点下のオーラを発していた。
『まあまあ、ティアナ姫……ジオが帰ってきて嬉しいのは分かりますがその辺に……』
『いや~、でもやっぱ本当にジオが帰ってきたって気になるよな~』
『ああ。帝国魔法学校時代は、この口喧嘩がないと、一日が始まった気がしなかったからな』
『相変わらず、仲が良いよね♪』
しかし、どれほど場に寒気が漂おうと、その場に居た者たちにとって、これは慣れ親しんだ光景の様で、誰もが微笑み合っていた。
『まったく、皆して言いたい放題……はぁ……せっかくあなたを労って、褒美を取らせてやろうと思ったのに、雰囲気台無しね』
『はっ? 褒美? ……昇格かッ! つ、ついに俺も大将軍か!? これって史上最年少の快挙か!?』
ボソリと呟いたティアナの言葉に食いついたジオ。立身出世に対して貪欲なジオは、目を輝かせてティアナに尋ねた。
だが、ティアナは軽く咳払いし、どこか頬を赤らめたように目を逸らしながら、早口で……
『ち、違うわよ。だ、だから、その、あなたも魔族とのハーフという異形の出生から、あ、あまり多くの人に受け入れられなかったけれど、よ、ようやく皆も認めてきたというか、そ、それに、ほら、私は魔法学校主席で武にも秀でた天才で頭脳明晰で、外を歩けば誰もが振り向くような美しさで、こ、これはもうたとえどこかの国の王子でも貴族でも勇者でも釣り合いが取れないと言っても過言ではないほどの完全無欠の才色兼備なわけで……』
早口なので全てを完全に聞き取ることは出来なかったジオだったが、言葉の端々で何故かティアナの自画自賛の言葉だけは理解できた。
『っつつつ、つまり、この私を前にすればこの世界に存在するどの男も不釣り合いになるわけで……だ、だから、身分違いや出生に問題ありの男と結婚しようとも問題がないわけでぇ……で、でも、だからと言って誰でもいいというわけではなくて、で、でも、こ、国民から認められるような英雄であれば、も、もうそれは及第点なわけで、か、かかか、仮にけけけ結婚してもおかしな話じゃないわけで……』
だが、何が言いたいのかがまるで分からず首を傾げると、ジオの反応に我慢の限界に達したのか、ティアナはジオの服を掴みながら……
『だ、だから、あなたには分不相応であるし、私もすごく! すご~~~く嫌だけど……わ、私もそろそろそういう年頃だし、丁度いいからあなたを貰ってあげるわ!』
『えっ、いや……いい』
『そ、そう。泣いて喜……え?』
『……えっ? だ、だって、お前と結婚とかすげーイライラしそうだし……俺はどっちかというと、お前の姉さんの方が……うへへ』
『ブチっ!!! いいから黙って結婚しなさいよ―――――ッ!!!!』
そんな、当り前のようにあった騒がしくも満たされた日々……
……それもまた……
……ジオにとってはもうどうでもいい話になるほど、心と頭の中が憎しみに満ちていた。
「オレニフレルナアアアアアアアアアア!!!!」
乾ききって壊れた喉で、叫ぶジオ。
喉や唇がひび割れようと、既に痛覚もない。
今はただ、一秒でも自分を抱きしめるティアナの温もりに触れていたくなかった。
身を捩ってティアナを突き飛ばす。
「っ、じ、ジオ……」
ようやく少しずつ光に慣れはじめ、数年ぶりに浮かぶティアナの表情は自分が知っていた頃より少し大人になっており、しかしその瞳は自分が知っていた自信に満ちて輝いていた天上天下唯我独尊だったティアナとは違って弱々しく、迷子の子供のように泣いていた。
だが、涙を見たからと言って、ジオの心は微塵も満たされなかった。
それどころか、身を捩ってティアナを突き飛ばした際に、自身の肉体の異変に初めて気づいた。
長年の暗黒の世界に居たがゆえに気付いていなかった。
かつて帝国に牙を剝いたあらゆる歴戦の強敵たちを退けてきた自慢の両腕は枯れ枝のように細く、そして左手は肘から先を失っており、右手もまた指が一本も無かった。
「……お、オレノ……か……らだは……」
「っっ……ジオ……」
その痛々しい姿に、かつての仲間だった者たちが涙を浮かべて顔を俯かせる。
「ごめん……なさい。ごめんなさい……ジオ。全て私たちの……」
そう、思い出したのだ。
ここに居る者たちに捕らえられる際に切り刻まれ、そして捕らえられた後にも拷問で更に切り刻まれたのだ。
「……ご……めん? だと……」
これだけのことをしておきながら、泣いて、それでゴメン?
それだけで済む問題であるはずがない。
憎しみは最早超越して、果てしない殺意に変わり、ため込んで押し殺していた感情の全てが解放された。
「テメエらフザケンナアアアアアアアア!」
幽閉された日々の中で、ジオがずっと求めていた仲間も光も全て消し去ってしまいたいというほどの衝動。
しかし、殺す時間すら惜しいと思うほど、一秒でも早くこの場に居る者たちの誰もが居ない空間へとジオは行きたかった。
その願いはやがて、ジオの心の奥底と遺伝子の源に押し込められた魔族の血に作用し、徐々にジオの肉体に変化が訪れる。
「ジオッ!? こ、これは……」
「た、隊長!? た、隊長の肉体が……」
「今まで人間の血が色濃く映し出されていたジオの肉体が……魔力が暗黒の魔力に染められ……ッ!?」
失われたジオの左腕と右手が、かつて人の手だったものが悪魔の腕となって蘇り、同時に全身を黒い稲妻のような魔力に包み込んでジオを浮かせる。
「ジ……オ……ッ!? 待って、ジオ! どこへ……行かないで、ジオッ! もう、もう二度と私はあなたの傍から―――」
このままではジオが消えてしまうと察したティアナと仲間たちがジオを止めようと必死に叫ぶが、その全てがジオの耳に届いても、心には微塵も響かなかった。
そしてジオは発せられた魔力に包まれながら最後に……
「クソヤ……ロウド、モ。ニドト……オレノ……ジンセイニ……カカワルナ……」
「ッッ!!??」
その言葉だけ言い残し、まるで転移したかのようにジオの姿はその場から綺麗に消えたのだった。