81 大魔王の一斉授業
大変お久しぶりの投稿になります。忘れていませんから!
大魔王とディーナの祖母は、学院長に先導されて管理棟にある学院長室に通されている。
隣国である新へブル王国の、権威の象徴と実務担当のトップという超VIPを迎えた学院長の緊張は、完全にピークに達していた。額に冷や汗を浮かべながら、米つきバッタのようにひたすら平身低頭の対応に終始している。
「学院長、あなたはこの学院のトップなのですから、もう少し堂々とした態度であるべきではないですか?」
「だ、大魔王様! 滅相もございません! 大魔王様に比べれば、学院長の立場など吹けば飛ぶようなものでございます」
「ですが、このままでは、中々本題に入れません。そんな所に起立していないで、ソファーに掛けてもらえませんか」
あくまでも優雅な響きを周囲に振り撒いてはいるが、大魔王の言霊には絶対に逆らえないニュアンスが含まれている。その逆らえない響きに背中を押されるようにして、ようやく学院長は、何度も頭を下げてから対面するソファーに腰掛ける。
「これで、私の要望を聞いていただける状況になりましたね」
「だ、大魔王様、ご要望とは一体どのような内容でございましょうか」
本来ならば来客である橘ではあるが、話の主導権を完全に掌握している。この学院長に任せていたら、いつまで経っても話が前進しないと判断した結果であった。
「まずは、一つだけ確認しておきたいことがあります。この学院においての私の立場は、現在どのように扱われていますか?」
大魔王からの要望と聞いて、どのような無茶な内容が提示されるかと、ビクビクしていた学院長ではあったが、思わぬ方向から投げ掛けられた問いに、戸惑った表情のままで回答する。彼には、そうするしかなかったというのが、本当のところだ。
「大魔王様のお立場でございますか? それはもう、600年前から全く不変でございます。永世名誉学院長兼特命主席教授というお立場です」
学院長の返答を聞いて、大魔王の表情がかすかに緩む。他人が見ても、見分けがつかないほんの僅かなレベルではあったが…… 横で間近に大魔王を観察していたオンディーヌ巫女王のみが、その微かな表情の変化に気が付いているだけであった。
「それを聞いて安心しました。私はしばらくの間帝都に滞在いたします。その間、魔法学院で教鞭をとることには、特に問題はないようですね」
「な、な、な、なんですとぉぉぉぉ!」
学院長は、大魔王の御前という状況も弁えずに、本人の自覚よりも2段階ほど大きな声を上げてしまった。高貴な身分の立場の前では、絶対にしてはならないマナー違反だと知ってはいても、心の底から湧き上がる驚愕に彼の理性が耐え切れなかった結果だ。
「そんな大きな声を出さなくても、私の耳には学院長の言葉は届いておりますわ。私からの申し出を、了承していただけますね」
優雅ではあるが、有無を言わさぬ響きの大魔王の発言、学院長の額からは滝のように汗が流れ出している。
「も、もちろんでございます! 大魔王様から直々にご指導していただけるならば、本校の生徒たちにとって大いなる刺激をもたらすでありましょう」
冷や汗を流しながら、絞り出すような声でようやく学院長が回答する。本音を言えば、これほど気を遣わねばならない相手には、さっさとお引き取り願いたかったのだが、それを口にする機会など永遠に訪れないことは、わかりきっていた。
「それでは、現在の学院の教育状況を、包み隠さず話してもらえますか?」
学院長の表情が、およそ人が成し得る限界を超えて盛大に引き攣っている。大魔王の来訪が伝えられてから此の方、教員は目の色を変えて指導内容を厳しくしていたものの、果たしてそのような泥縄の現状が、大魔王の目にどのように映るか、という大きな不安を覚えているのは確かだ。
「学院全体の状況ですが……」
現状の教育内容と生徒の実態、ことに貴族の子弟のやる気のなさなど、学院自体が抱えている問題は山積していた。大魔王が一定期間、この学院に身を置けば、そのようなお粗末な現状など隠し遂せるものではない。臍を噛む思いで、学院長としての不甲斐無さを大魔王に打ち明けるしか、彼に残された道はなかった。
「よくわかりました。貴族の子弟の考え方が変われば良いのですね」
「ですが、特権に守られた者たちは、権力に安住して向上しようという意欲に欠けておりまして……」
「それは、教える側の度量にも問題があるのです。いいでしょう! 生徒たちには、命懸けで魔法の技術を習得してもらいます。生徒本人の意欲や意向など、一切考慮いたしません!」
どうやらこの大魔王は、相当なスパルタ主義の信奉者のようであった。生徒本人が何と言おうとも、命懸けの状況に追い込むつもりらしい。彼女が口にした想像以上に過酷な教育方針に、学院長の体の震えが止まらない。仮に、有力貴族の保護者が大魔王の教育方針について苦情を申し立てるならば、その矢面に立たされるのは、学院長自身に他ならなかった。
だが、学院長の体の震えなど一向にお構いなしに、橘は特命主席教授としての権限を行使する。それはもう清々しいくらいにキッパリと……
「それでは、さっそく本日の午後、全生徒を中央闘技場に集合させてもらえますか?」
「しょ、承知いたしました」
ガクガク震えながら、そう答えるしかなかった学院長、大魔王との僅かな時間の対談で、10歳以上年を取ったかのようなヤツレぶりだった。気の毒とした言いようがない、目も当てられない姿であった。それはある意味で、清々しいくらいに……
その日の午後……
「ただいまから、大魔王様による、実技実習を執り行う」
全校生徒が集められた闘技場に、司会進行役を務める副学院長のマイクで拡声された声が響く。学院長は午前中の極度の緊張のあまり、現在医務室で回復魔法の処置を受けているが、一向に立ち上がる気力を取り戻す様子が見られなかった。そのため、副学院長が代理を務めている。
スタンドには、これから一体何が始まるのかと、期待する目を向けた生徒の姿が見受けられ、その数は、一学年200名、1~3年生まで合わせると、総勢600名にも及んでいる。その他に、教員まで含めると、千人近い人数の目は、闘技場の中央に進み出て来た大魔王の優雅な姿に集中しているのだった。
「魔法学院の生徒に告げよう。久方ぶりにこの世界に姿を現した大魔王であるが、しばし時間、この学院で魔法を志す生徒の教育に当たるつもりである。差し当たっては、生徒諸君の実力をこの目にしておきたい。今から私が用意する魔物と、実際にこの場で戦ってもらいたい。全員を対象にするには時間が足りないゆえに、各クラスの代表者を選ぶように」
マイクも用いない大魔王の声が闘技場全体に響き渡ると、生徒の間には様々な波紋が広がっていく。
「どうせ大したことはないだろう! 大魔王が準備した魔物など、ユルドリア家の跡継ぎである私が、一捻りにしてくれよう!」
「魔物などと戦うなど、私たち貴族には相応しくないですわ。そのような野蛮な行いは、下賤の者に任せればよいのですわ!」
「大魔王様が用意する魔物っていうのは、どんな相手だろうな? もしかして、相当手強いんじゃないかな?」
「それなりの相手が用意されるんじゃないのか。なにしろ、大魔王様だからな」
「この場は、様子見がいいかもしれないな。どんな危険が待っているかもわからないからな」
積極的な意見と消極的な意見が、生徒たちの間で交錯している。だが、一つだけ生徒全員に共通しているのは、どのような相手と戦うのかという認識だ。さらに言えば、大魔王の魔法技術がどのようなものなのかという、純粋な興味を抱いている生徒が大半であった。
「それでは、我が魔法によって、この場に魔物を召還するとしよう。いでよ! 我が配下の魔物たちよ!」
普段の大魔王ならば、魔法を行使する際に、このような芝居がかったフレーズを口にするはずがなかった。彼女が敢えてこのような呪文に似た口上を述べるのは、雰囲気を作り出すための単なる演出である。だが生徒の大半は、演出とも知らずに、大魔王が醸し出す雰囲気に呑まれている。
ババーーン!
特に意味もない効果音とともに、大魔王の呼び掛けに応じてその場に出現したのは、5体のゴブリンであった。だが、どの個体も通常種ではなくて、ゴブリン・メイジ、ゴブリンソルジャー、ゴブリンアーチャー、ゴブリンジェネラル、最後のとどめにゴブリンキングという、どれもが上位種で占められているラインナップだ。
「魔物としては基本的なゴブリンを用意したが、魔法学院の生徒に敬意を表して、上位種のみを取り揃えた。これなる魔物と対戦を望む生徒は、フィールドに降りてくるがよい。一人で自信がなければ、パーティーを組むのも認めるとしよう。1体だけ倒すもよいし、一度に全ての魔物に挑んでもよい。倒し方は、各々の生徒に任せるとしよう」
登場した魔物の姿と大魔王の提示した条件を理解した生徒、殊に貴族の子弟の男子は、ゴブリン相手の楽な対戦だと、挙って参加を希望する。要は、数人掛かりで魔法を放って、ゴブリンをフルボッコにすればいいだけの話だ。自らの実力を誇示するには、またとない機会だと、誰もが目を輝かせているのだった。
だが一人だけ、大魔王が生徒に向けて仕掛けた罠の存在に気が付いている人物がいる。それは、当然ながらトシヤであった。彼は、闘技場の座席の近くにいるクラスメートには聞こえないくらいの小声で、ボソボソと呟いている。
「橘さんはゴブリンだと言っているが、冗談じゃないぞ! あれは、魔力で作り出した戦闘ドローンじゃないか!」
見た目こそゴブリンのように見えるが、その実は、大魔王が魔力で作り出した戦闘兵器、実質的にはトシヤが所有する零号機~2号機までの3体と何ら変わりがなかった。もっとも、性能自体は相当控えめにしてあるが…… さもないと、対戦した生徒が皆殺しの憂き目に遭うのは、明白であった。
本物のゴブリンそっくりに精巧に作られている大魔王の戦闘ドローンを、一目でトシヤが見破ったのは、彼が日本のAI術式を理解していたおかげに他ならない。当然ながら、見掛けとは違って容易ならない相手だとも理解している。
「お手頃な相手なの! ぜひとも対戦したみたいの!」
「アリシアは相変わらずですね。魔物を見ると飛び掛かっていこうとする性格は、早く治したほうが身のためですよ!」
「そう言うエイミーは、対戦したくないの? 絶対に面白いの!」
「私は、特に戦いたくはないですよ! お昼ご飯を食べた直後で、お腹がいっぱいですから。それに、ちょっと眠いですし」
「エイミーはやっぱりダメダメなの! 全然やる気がないの! 大魔王様に選ばれた弟子として、その態度は問題なの!」
「でも、眠気には勝てないんです!」
「きっぱり言うことではないの! そこまで断言すると、変な説得力が生まれてくるの!」
いつもながらの、アリシアとエイミーの漫才が続いている。その隣にいるディーナといえば、絶対に自分が対戦すると言い張りながらトシヤの右腕を掴んでいるし、反対側の腕はフィオに握り締められているのであった。その時……
「1年Aクラスの生徒は、フィールドへ降りるように」
司会の副学院長の声が、マイクに乗せられて伝わってくる。
すでに1年生の生徒は各コースに振り分けられているのだが、便宜上、魔法戦士科の半数がAクラスと呼ばれている。ちなみに、トシヤたちが所属する冒険者養成コースは、Fクラスであった。トシヤは、Fクラスからは逃れられない運命だといえる。
副学院長の声に合わせて、フィールドには5人の生徒が姿を現す。全員が貴族の子弟で、どちらかといえば魔法使いタイプである。魔法から身を守るための術式を織り込んだ高価なローブと、必要以上のマジックアイテムを身に着けているので、外見からも一目で貴族のバカ息子たちと容易に判明する。
「どの魔物と対戦を望むか、自らのその口で申告せよ」
居並ぶ貴族のボンボンに敬意の一つも抱かない声で、大魔王が用件のみ端的に伝えてくる。一国の最高権威の立場は、帝国の貴族などはるかに格下の存在なので、そのまた子弟などは歯牙にも掛けない態度だった。
だが貴族とボンボンとしては、内心はともかくとして、面と向かって大魔王の態度を非難はできない。隣国の国家元首を相手にして、波風を立てるのは不味いとわかっていた。その分、大魔王が用意した魔物を存分に叩いて、憂さを晴らそうと企んでいる。
「魔法比べをしたいので、まずはゴブリン・メイジとの戦いを希望いたします」
「よかろう。他の魔物は下がるのだ! これでよいか?」
「ありがとうございます。それでは、我らの魔法の腕をご覧ください」
「楽しみにしておる」
その遣り取りの後に、副学院長の声が響く。
「用意はよいか? それでは、始め!」
5人の生徒たちは、一斉に得意な魔法を放とうと術式の構築に入る。だが、それもまだ半ばの時……
「ペイン!」
ゴブリン・メイジの両手から、同時に5発の魔法が放たれる。弱い電流によって、対象の体にショックと痛みを生じさせる、鎮圧用の術式である。
魔法の構築が圧倒的に速い上に、音速で飛翔するペインを避けるのは、人間業では不可能だった。5人の生徒たちは、次々にゴブリン・メイジの魔法の餌食となる。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
「ぐがあぁぁぁぁ!」
「助けてぇぇぇ!」
絶叫と悲鳴を残して、全員が白目を剥いて意識を手放す。フィールド上には、失神した5人が横たわった。
Aクラスの生徒が、大魔王が用意したゴブリンを簡単に片付けるものと期待していた生徒は、あまりに一方的な結果に、ただただ息を呑んでいる。
そこには、シンと静まり返った闘技場があるのみであった。
大魔王の課題に挑む生徒たち、果たして彼らはゴブリンを倒せるのか…… この続きは、4月中若しくはゴールデンウイークまでには投稿したいと考えております。
どうか海のように広い心でお待ちくださいませ。