74 野外実習最終日
ここはローデルヌの森の入り口にある野外実習の本部が置かれている場所だ。この日は野外実習の最終日で、1週間の森の中での野営と魔物の討伐を終えた生徒たちが続々と戻ってくる。
貴族たちの師弟、特に女子たちは全員が初めて体験する野外での生活に心の底から『もう嫌だ!』というへきへきした表情を浮かべている。普段の生活では当然と感じていたベッドでグッスリと眠る生活がよほど恋しいようだ。
「本当に嫌になってしまいますわ! 湯浴みも出来ずに薄汚い地面で寝るなんて2度とご免ですのよ!」
「私はあともう1日こんな生活が続いたら病気になってしまいそうですわ!」
「早くお屋敷に戻りたいものですわね」
普段から贅沢で何不自由ない生活を送っていた彼女たちには相当に堪えた1週間だったようだ。将来冒険者になる訳でもないので魔物を仕留める課題も大半を付き添いの冒険者任せにして、中には自分たちは一切手を下さなかった生徒も居る。これでは真の意味で強い魔法使いは育たないのだが、貴族の子弟たちにとっては魔法学院は自らの経歴に箔を付けるための物なので、大半がこれで良いと考えている節がある。
だが平民の学生たちは誰もが真剣に取り組んでいた。この野外実習の成果は年間成績に大きく響くので、学科試験に自信がない生徒にとっては大幅にポイントを稼ぐチャンスなのだ。
「付き添いの冒険者さんの手を借りながら何とか大ネズミを討伐しました!」
「私たちもやろうと思えば何とか出来るんですね!」
学年成績ビリのカレンとクララが同じ冒険者養成コースの仲間に自分たちの成果を披露している。彼女たちはこの他にもたくさんの薬草の採取なども行っていた。これらも微々たる物ではあるが点数に換算されるのだ。1点でも欲しい彼女たちはせっせと薬草集めにも精を出していた。おかげでこの1週間でずいぶん森の中にある薬草には詳しくなっている。冒険者の初歩はやはり薬草採取なのだ。
「君たちはまだ魔法こそ未熟だけど、頑張ろうとする姿は好感が持てるよ。僕も最初は似たようなものだったから希望を持ってしっかり学業に励むんだよ」
「「お世話になりました! 色々と教えてもらって本当にありがとうございます!」」
付き添い役の冒険者からお褒めの言葉を掛けられて2人の声が弾んでいる。この冒険者は魔法学院の卒業生で冒険者養成コースでみっちりと3年間鍛え上げられたおかげでCランクとして活躍している今の彼があるのだ。その気持ちを忘れずにこうして毎年半ばボランティアのように冒険者養成コースの後輩の面倒を見ているのだった。このような立派な先輩から掛けられた暖かい言葉は中々重みがあって、2人の落ちこぼれ女子生徒はここからの奮起を誓っている。それと同時にカレンはこの冒険者に秘かに淡い恋心を抱いているが、すでに彼にはきれいな奥さんと2人の子供がいるとは全く知らなかった。
離れた場所では貴族の師弟の男子たちが討伐した魔物の自慢大会を開催している。殆どが自力ではなくて金に飽かせて雇った多数の冒険者たちが仕留めた獲物だが、経済力も1種の力という学院の方針にはそぐわない考え方をしている者が貴族たちの大半を占めているのだった。
「これを見てみろよ。かなり大きなオークだぜ!」
「オークか、中々やるな! 俺たちはブラックリザードを仕留めたぞ。鱗が硬くて中々魔法が通らなかったな」
「やはり貴族たる者はゴブリン程度では満足できないからな」
森の浅い場所で多少なりとも見栄えがする獲物を仕留めるには、複数の冒険者を広範囲に展開して獲物を見つける必要がある。時には別の貴族が雇った冒険者と遭遇することも多々あって、魔物の争奪戦が繰り広げられる場合もあるのだ。こんなやり方が本当に魔法使いとして将来に役に立つのかどうかは二の次にして、彼らは自らの虚栄心を満たすためだけに仕留めた獲物をこれでもかというくらいに周囲にひけらかしている。だがその自信に満ちたその態度もそうそう長くは続かなかった。
「おーい、戻ったぞ!」
カシムたちのパーティーが1週間分の大荷物を背中に背負って戻ってくる。森に入った時はマジックバッグに荷物を仕舞い込んで手ぶら同然の姿だったのが、この姿は一体どうしたことだろう?
「カシム君たちお帰りなさい! みんな元気そうだけど何でそんなに大荷物を背負っているの?」
カレンが不思議そうな表情で尋ねている。彼女たちは軽装で森の奥に消えていったカシムたちを目撃していたのだ。それが何で戻ってきた今になってそんな大荷物を背負っているのかどうも理解が出来ない。
「俺たちは結構森の奥まで踏み込んだんだ。どこだろうと森は一緒だ、俺が居る限り絶対に迷わないからな。奥に行くと結構獲物が豊富でマジックバッグがいっぱいになって、仕方がないから中に仕舞っておいた各自の荷物を自分で背負う羽目になった」
カシムが自信タップリな表情で答えている。付き添いの冒険者は両手を軽く上に上げて『本当にこいつらには参ったよ』という表情をしているところを見ると、彼のパーティーは相当に森の中でやらかしたようだ。特にカシムはひとたび森に入るとそこはホームグラウンド同然だから、普段は抑えているタガを外して精一杯暴れてきたのだろう。
「これが俺たちが仕留めた獲物だ。断っておくが付き添いの冒険者には一切手を借りていないからな」
一言注釈を加えてカシムがマジックバッグから仕留めた魔物を取り出していく。まずは最初に体長2メートル越えのビッグボアが一頭、これは大体B~Cランクの冒険者パーティーが主に狩るイノシシ型の獲物だ。肉は食用に革や牙は素材として使えるので1体丸ごとならば金貨20枚は下らない。付き添いの冒険者は『俺が付いて行った意味って何なの?』という表情をしている。
「こいつはエルナが魔法で足止めをして、俺とブランが左右から剣を突き立てて仕留めたぜ」
「あの瞬間のカシムさんはとっても格好良かったです!」
すかさず色ボケしているエルナの合いの手が入る。カシムと一緒に止めを刺したはずなのに、まるっとその存在を消し去られたブランはその横で『やっていられるか!』という仏頂面で突っ立っている。カシムパーティーに所属している他の2人は精根尽き果てた表情で地面に座り込んで全く動かない。気の毒に散々カシムに森の中を引っ張り回されて最後には重たい荷物を背負う羽目になってとっくに限界を迎えているのだった。エルナが元気なのは彼女の分もカシムが荷物を背負って戻ったからだ。
カシムが取り出した大物を見てさっきまで意気揚々としていた貴族たちは揃って無言になっている。全員が敢えてカシムたちが居る方向を無視して見なかったことにしているようだ。彼らは見なかったことにして何とか小さなプライドを守っている。というか、成績最下位の冒険者養成クラスの生徒が初心者には到底無理な大物を仕留めて来たおかげですでにプライドがズタズタだった。
更に数頭のオークなどを取り出してからカシムは最後に……
「あとはついでにこんな獲物も仕留めたぞ! 獣人の血が騒いでこいつとはサシの殴り合いをしたんだぜ」
カシムが取り出したのは、顔といい体といいボコボコに変形しているオーガだった。1体で現れたはぐれオーガを、カシムはなんと殴り合いで倒してしまったらしい。オーガといえば2メートルを超える巨体と人間を軽く吹き飛ばす怪力と獰猛さで知られるが、それを殴り合いで倒すカシムの頭の具合は、ミケランジュ先生の努力の甲斐もなく全く進歩がないようだ。付き添いの冒険者は『もう嫌だ! こいつら何なの?』という表情で雲ひとつない澄んだ青空を見上げている。
「あの時はカシムさんが怪我をしないかハラハラしました!」
「俺がオーガなんかにやられるはずないだろう! 敵の攻撃を全てかわして自分の拳を叩き込む! これこそが獣人に伝わるモトハシ流の極意だ」
この時カシムには〔オーガキラー〕という二つ名が付いたのはいう間でもない。オーガを1人で倒せるというのは、言ってみれば一流冒険者の登竜門のようなものだからだ。周囲には今年のナンバーワンはカシムたちだというムードが広がっていく、その時だった……
「こっちなの! もうみんな集まっているの!」
「アリシア、そんなに急がなくてもまだ時間の余裕がありますよ」
「エイミーは相変わらずノンキなの! 他のみんながどんな獲物を持ち帰ったか気にならないの?」
「特に気になりません。それよりもトシヤさんがまだ到着していない件の方が大問題です!」
キツネ耳をピコピコ動かしながらいつものように元気がいいアリシアといつものようにおっとりしているエイミーを先頭にしてトシヤのパーティーの女子たちが戻ってきた。正確にはエイミーはもっとゆっくり歩きたいのに、アリシアに手を引っ張られて仕方なく付いてきているいつもの姿だ。
「みんな揃っているの! やっぱり私たちが一番最後だったの!」
「お昼までにここに到着していればオーケーですから、まだ時間はそんなに気にしなくても大丈夫ですよ」
せっかちなアリシアとのんびり屋のエイミーでは時間に対する感覚に大きなズレがある模様だ。それにしても女子たちは先にこうして到着しているのに、トシヤだけが姿を現さないのはどういうことだろうか?
「アリシア君、エイミー君、君たちも無事に帰ってきたね。ところでトシヤ君はなぜこの場に居ないのかね? まさか何か事故でもあったのかい?」
「うほほー! その件なら私から説明するよ!」
今回の野外実習の責任者を務めるセルバンテ先生がパーティーの様子を不審に思って声を掛けてくる。アリシアが『トシヤはグズグズしているの!』と、思いっきりはしょった説明をする前に付き添い役のさくらが前に出た。
「私たちは足の速い乗り物に乗って戻ってきたから、こうして先に着いたんだけど、トシヤの到着はたぶん時間ギリギリになるよ」
「さくら様! なるほど、そのような事情があったんですか。それではこの場で時間になるまで待ちましょうか」
その説明にセルバンテ先生は明らかにホッとした表情になる。野外実習中に事故でもあると責任者として様々な対応に追われるためだ。ようやく1週間の予定を終えようとしている時に、改めて捜索隊など組みたくないというのが偽らざる心境だった。
「集合予定時間まではあと2時間ありますから、トシヤ君もじきに戻ってくるでしょう。全員揃うまでこの場で待機していてください」
さくらに引率されたトシヤたちがどこまで足を伸ばしていたのか知る由もないセルバンテ先生は、そう言い残して本部のテントがある場所に戻っていった。先生とは入れ違いに同じクラスのメンバーたちがエイミーとアリシアを取り囲む。カシムは急に現れた王様の前に跪いて再会に大喜びしている。
「アリシアとエイミーの姿は森の中で全然見掛けなかったけどどこに居たの?」
「カレン、ただいま! 私たちはちょっと遠くにある森まで足を伸ばしていたんですよ。それよりもみんな無事に野外実習を終えて本当に良かったです」
「エイミーは大げさなの! たった1週間森の中に居ただけなの! 獣人にとっては我が家に帰ってきたような安心感なの! もっと長く居たい気分なの!」
アリシアは楽しみにしていた野外実習が今日で終わってしまうのが心残りのようだ。この1週間敬愛する彼女たち獣人の王様と共に過ごした日々はアリシアにとっては何物にも変え難い経験だった。王様から直々に体術の手解きを受けたり、地竜を倒したりしているうちに楽しい時間があっという間に過ぎ去ってしまったという感慨を抱いている。逆を返せばそれだけ得る物が大きかったのも事実だった。
女子たちは地面に敷物を敷いてペチャクチャとおしゃべりを開始している。時間を忘れて話をしているうちにいつの間にかずいぶん太陽が高い位置まで上っている。正午まであと残り僅かな時間となったのにふとアリシアが気付いた。
「トシヤはまだ来ないの! もうあとちょっとしか時間がないから気が気ではないの!」
「アリシア、トシヤさんを信じましょう! きっと間に合わせてくれますよ」
「エイミーはノンキでいいの! トシヤが時間までに到着しないと私たちまで巻き添えを食って野外実習の成績がゼロになるの!」
「それはとっても不味いです! トシヤさんどうか早く来てください!」
2人で空を見上げたその時、はるか彼方の大空にポツンと黒い点がアリシアの視界に映る。視力がいい獣人にしか視認できない距離なので、エイミーにはまだ何も見えていない。
「あれはきっとトシヤなの! 時間がないから直接乗り付ける気なの!」
「どれですか? 私には全然見えませんよ」
やがてその黒い点は見る見る大きくなって、誰の目にもはっきりと映るようになる。それと共に待機している生徒の間には恐慌が広がっていった。大空を巨大な翼を広げる存在が悠然と旋回しているのだから無理もなかろう。
「気をつけろ! あれハワイバーンだ! 急いで森の中に身を隠すんだ!」
ベテラン冒険者からの指示が飛び交い生徒たちが慌てて避難を開始しようとしたその時……
「動かなくていいよ! あれはトシヤが乗っているワイバーンだから、危険はないよ!」
口調こそ穏やかではあるが、周囲を圧する威厳を込めた一言が発せられて、全員がその声に動きを止めた。恐慌状態に陥りかけた生徒たちは静まり返ってその声の主を見つめている。もちろんその声の主こそがさくらだ。小さな体でも気合を込めると200人や300人は声だけで抑えこめるのだ。
「さくら様、あれにトシヤ君が乗っているというのですか?」
「そうだよ、その辺に降りてくるからちょっと場所を空けたほうがいいね」
いち早く平静を取り戻したセルバンテ先生がさくらに尋ねると、こんな些細な出来事で驚くなという意味合いの返事が返ってくる。セルバンテ先生が森の方向に生徒たちを下がらせて平らな場所を空けると、大空を旋回していたワイバーンは徐々に高度を下げて着陸態勢に入る。
ズザザザザザーーー!
ワイバーンはドラゴンのように優雅に地上に舞い降りたりはできない。ある程度の速度を維持して走るように地に足を付けて、自分の足で地面を蹴りながら徐々に速度を落として、最後に両足を踏ん張ってブレーキをかける。したがって背中に掴まっている人間もその勢いで時には振り落とされそうになる。
「ふー、何とか無事に着陸できたぞ」
100メートルくらい地面を走ってからようやく停止して姿勢を低くしたワイバーンの背中から降りてきたのは、もちろんトシヤだった。




