72 地竜の森 5
やっと投稿できました。皆様本当にお久しぶりです。地竜の森での討伐編は今回で完結します。
木の茂みを掻き分けて、音を立てないようにレッサードレークを丸呑みしている地竜に、トシヤは近づいていく。
(あんな馬鹿デカイ地竜のどこから攻めていけばいいんだ? えーい、考えている暇はないか! ここで逃げられたらもっとおっかないさくらちゃんのシゴキが待っているんだ。とにかく動き回って隙を探すしかないだろう)
トシヤは意を決して茂みから飛び出して、餌を飲み込んで背を向き掛けた地竜の横に取り付いて、脇腹に拳の一撃を加えてみる。
「ギュオーーー!」
だがせっかくの先制攻撃は硬い鱗と柔軟な筋肉によって丸っきり効果がなかった。それどころかトシヤの存在に気がついた地竜の怒りに火を点けている。
「チクショーめ! 丸っきりダメージになっていないじゃないか!」
こちらを振り向きかける地竜に向かってボヤいているトシヤだが、正面から対峙するのは不利と悟って側面に位置できるように右に右にと回りこんでいく。
「トシヤの攻撃がまるっきり効いていないの! 相手が大きすぎるの!」
「さすがにちょっと心配になってきました」
「エイミー、トシヤを信じるんだ。あいつならきっとやってくれるはずだ」
「ディーナさんの言うとおりです。トシヤさんを信じましょう」
最後のフィオの言葉に女子全員が頷いて、森の外で行われる戦いの行方を見つめている。
その間にもトシヤは地竜の隙を伺って盛んに牽制のための攻撃を繰り出している。手刀や足蹴りなどを放っているが、いずれも地竜にダメージを与えてはいない様子だ。
対する地竜はトシヤを捕まえようと前足や巨大な顎を盛んに伸ばしているが、トシヤの素早い動きが上回ってすぐに届かない範囲に回り込まれている。
「うーん、トシヤの動き自体は合格点だけど、もっと攻撃の威力を身につけないとダメだね! あのくらいの獲物はチャチャッと片付けないとね!」
さくらはマジックバッグから取り出したお茶のカップを手にして、のんびりと観戦している。猫舌なので盛んにお茶をフーフーしながら、木の根っこに座り込んで見ているだけだ。その姿はとてもこの世界に1人しか居ないエクストラランクの冒険者には見えない。この世界の平均よりも小柄な17,8歳の少女が佇んでいるようだ。だが彼女はこう見えても魔物討伐の第1人者だ。体術の師匠として今後トシヤをどのように指導していこうかと考えている。
「このまま逃げ回っていても、埒が明かないぞ」
トシヤは戦い方を変える決意を固める。安全第一で立ち向かっていてもとても仕留められる相手ではなかったので、これは彼にとって止むを得ない判断だろう。
動きを止めて地竜の正面に立ち自然体で構えを取るトシヤ、彼に向かって地竜が突進してくる。体高10メートル以上ある巨体が体を前傾させて牙を剥き出しに向かってくる姿は、普通の人間ならばそれだけで死を覚悟しないとならない程の圧倒的な迫力を持っている。それが目前に迫って……
トシヤは動かないまま、その場で地竜を迎え撃つと見せ掛けて魔法を放つ。正攻法で立ち向かってどうこう出来る相手ではないのだ。
「ファイアーボール!」
3発の火の玉が地竜の顔面目掛けて飛び出してぶつかる。この隙に攻撃を仕掛けようという作戦だ。
「ギュオーーー!」
顔目掛けて飛んできたファイアーボールが小さな爆発を起こすと、さしもの地竜も怯んだ様子を見せる。目や鼻腔は鱗で覆われていないので、炎が直撃すると地竜でもその熱に反応するのだ。前足で炎がぶつかった部分を押さえ込んで、地竜の動きが一瞬停滞する。
「そこだ!」
トシヤは全力ダッシュで地竜の体に接近すると、懐に潜り込んで腹のど真ん中に渾身の拳を叩き込む。
ガシン!
「ギュオーー!」
今度は少しだけ手応えを感じている。鱗の防御力を超えた衝撃が地竜の体に痛みを引き起こしている。脇腹よりも腹部の真ん中の方が柔らかくできているらしい。たぶん地竜が呼吸をするたびに大きな腹全体が膨らんだり凹んだりしているので、この部分を固くすると呼吸ができなくなるのだろう。
「よーし、あそこが弱点らしいな。徹底的に攻めてやるぜ!」
苦しんでいる地竜から一旦距離をとったトシヤは、次の攻撃の算段を始める。弱い箇所を発見したら集中的に攻めるのみだ。
「珍しくトシヤが普通の魔法を使ったの! 初めて見たの!」
「私も初めて見ました。初級魔法なら大体使えると話していましたが、本当だったんですね!」
「今までの相手はトシヤが魔法など使わなくても勝てる相手だったんだろうな。それだけ今戦っている地竜が手強いという証だろう」
「それにしてもトシヤさんは魔法の使い方が上手です。自分を囮にして相手を十分に引き付けてから、絶対に避けられない距離で魔法を放ちました」
「フィオは鋭いところに気がついたの! 確かにそうなの! 地竜を相手にしてあそこまで引き付けられるのは勇気があるの!」
「私なんか怖くてとてもできませんよ」
「エイミーはどうせ力任せに氷の塊をぶつけて、地竜を接近させない戦い方をするだろうな」
「ディーナさん、それができるのがエイミーさんの凄い所ですよ。あれだけ派手に魔力を使うなんて他の人には真似できませんから」
「もしかしてフィオさんは私を褒めているんですか?」
「いつもダメダメのエイミーが珍しく褒められているの! これは驚きなの!」
アリシアに普段からダメ出しを受けっ放しのエイミーは、こうして面と向かって褒められる機会に慣れていなかった。嬉しいのはわかるが、いつもの5割増しのデレッとしただらしない顔になっている。
「またトシヤが動き始めるの!」
アリシアの声で女子たちがトシヤに注目を向ける。そのトシヤは再び地竜の正面に立って待ち受ける作戦に出ている。
「ギュオーー!」
対する地竜はその怒りで目を爛々と輝かせながらトシヤに向かって再び突進をしていく。巨体に任せて押し潰そうとでもいうのだろうか。
「ファイアーボール!」
今度はトシヤの右手から5つの炎が地竜の顔面に向かって飛び出していく。だが地竜も同じパターンの攻撃は食らわない。両前足を振るってファイアーボールを払い除けると、その勢いのままトシヤに前足を向けてくる。右の前足がトシヤの頭目掛けて振り下ろされていく。それは一たび当たれば確実に獲物を屠る強烈な一撃。
「これはヤバいぞ!」
咄嗟にトシヤはその軌道を読み切って、姿勢をグッと低くして、その前足をやり過ごそうとする。その時偶然草原を吹き抜けた一陣の風が、トシヤの髪の毛をふわりと舞い上げる。
ブチブチブチブチ!
頭上を通り過ぎた地竜の前足が、音を立ててトシヤの命よりも大切な髪の毛を毟り取っていく。トシヤはこのとんでもない出来事に茫然自失の様子で、その場にしゃがみこんで頭皮に両手を回す。
だが次の瞬間……
ブチブチブチブチ!
今度は髪の毛が引き抜かれる音ではない。トシヤの血管が切れる音だ。髪の毛を毟り取られて、トシヤの理性が完全に吹き飛んでいる。
「テメーの血は何色だーー!」
至近距離にも拘らず、トシヤは地竜に人差し指を突きつけて怒りを露にしている。前足が届く範囲にトシヤが居るのだが、さすがの地竜もトシヤの体から爆発的に発せられる怒りのオーラに飲まれていて、その動きを一瞬止めている。
両者の間に刹那の沈黙が流れる。
「なんだかトシヤさんが怒っているみたいですけど、何が起こったんでしょうか?」
「エイミーの目では遠くて見えなかったの! 地竜の爪に引っ掛かって、トシヤの髪の毛がいっぱい毟られたの!」
「アリシア、それは本当か! トシヤの精神的なショックが心配だな」
「ディーナさん、心配はそこですか! でもあの地竜に同情します。きっとこれからとんでもない目に遭いますよ。一番触れてはいけない所に手を掛けてしまったんですから」
「フィオの言うとおりなの! 怒ったトシヤの本当の力が見られるの!」
女子たちはこれからどうなるのかと固唾を呑んで見守っている。怒りに身を震わせているトシヤがどのような行動に出るのか、一瞬たりとも見逃せないのだ。
「テメーだけはギタギタにしてやるぜ!」
トシヤの目が怒りのあまりにとっても危険な光を湛えている。普通の人間が見たらその眼光だけでその場にしゃがみこんで、色んな場所から色んな物を垂れ流してしまうほどに。
トシヤは動きを止めている地竜の前で、マジックバッグから一振りの刀を取り出す。鞘はそのままマジックバッグに戻して、両手で握るその刀の感触を確かめるように一振りする。
ギュン!
煌めく刀身に切り裂かれた空気が鋭い音を立てている。トシヤが手にしている刀の銘は〔鬼斬り〕、かつてさくらが倒した皇帝オーガの角を日本の刀匠が鍛え上げた、業物中の業物だ。この刀はトシヤが冒険者になった記念にさくらから譲り受けていた。
「俺の髪の毛の仇だ、覚悟しやがれ!」
鬼斬りを手にするトシヤの表情は、怒りを抑えた冷静さを取り戻している。怒りに身を任せて振るっても鬼斬りはその切れ味を発揮しないとトシヤは知っている。心を静めて刀の意思を感じながら振るわないと、鈍らな一振りになってしまうのだ。
「ギュオーー!」
ようやく再起動した地竜がトシヤに向かって前足を伸ばしてくる。その鍵爪だけでも短剣くらいのサイズがある鋭利な刃物のようだ。
トシヤは肩の高さで振るわれてきた地竜の前足をその軌道の外側に避けると、上段から鬼斬りを振り下ろす。その刃は鱗に覆われた地竜の肘の辺りに向かっている。トシヤは無駄なく力を伝えるのに集中して、刀身が当たった瞬間に刀を引き戻すように振るう。彼の両手には殆ど抵抗なく何かを斬っていく手応えが伝わってくる。
シュタン、ドサッ!
「ギュオーーー!」
上段からの一振りで、あの固い地竜の前足が斬り落とされて地面に落ちる。大量の血を噴出しながら地竜は絶叫を上げる。流れ出す血で地面が真っ赤に染まる。
「俺の髪は、テメーの前足1本程度の安い物じゃないからな!」
まだ髪の毛の件を盛大に根に持っているトシヤの声が女子たちに伝わってくる。
「どう見てもトシヤの髪の毛の方が安いの! あの前足1本で軽く金貨1000枚になるの! カツラでも帽子でも買い放題なの!」
「アリシア、そこはトシヤさんのプライドの問題ですから。あまり現実的な値段に換算するのは気の毒です」
現実的なアリシアとトシヤの心情を思い遣っているエイミー、この2人の違いはそのままトシヤに対する想いの違いとして現れている。
片方の前足を斬り落とされた地竜は、不利を悟って逃げようとして方向を転換する。だが背を向けた地竜に対して容赦ないトシヤの鬼斬りが振り下ろされる。今度は地竜の後ろ足の膝の辺りだ。
「ギュオーーー!」
膝下をスッパリと斬り落とされた地竜は、もがくように這ってこの場から逃げようとしている。トシヤの目には、それはすでに断末魔の悪足掻きをしているように映る。
トシヤは巨大なトカゲのように地面を這って逃れようとする地竜の背に飛び乗ると、鬼斬りを首元に突き刺していく。どんな魔物でも延髄を破壊されると死に直結するのだ。鱗の間に差し込まれた刀はトシヤの上から押す力にしたがってズブリと突き刺さり、地竜は痙攣しながらその体の動きが次第に弱々しくなっていく。
やがて完全に動きを止めた地竜の背中にトシヤは座り込む。
「俺の髪の毛がーーー!」
頭を押さえてこの世の終わりのような苦悩した表情を浮かべているトシヤ、ようやく討伐が終わってパーティーメンバーやさくらがその周囲に集まってくる。
「トシヤはやったの! こんな大物を1人で仕留めたの!」
「それにしてはトシヤさんの表情が全然嬉しくないようですね」
「きっと髪の毛の件を気にしているんだろう」
「トシヤさん、形のあるものはいつか無くなるんですから諦めてください」
フィオの励ましの意味で掛けられた言葉が余計にトシヤのハートを苛んでいる。このままでは当分立ち直れないかもしれない。だがそんな彼に救いをもたらす人物が颯爽と登場する。
「まったくトシヤはそんなお通夜みたいな顔をしているんじゃないよ! 地竜を倒したご褒美に私が日本から効果がある育毛剤を持ってきてあげるよ!」
「さくらちゃん、なんだって!」
突如ガバッと立ち上がったと思ったら、地竜の背中から飛び降りてトシヤはさくらの元に駆け寄る。そしてその手を取ると深々と頭を下げる。
「俺は一生さくらちゃんに付いていきますから、育毛剤の件はどうかよろしくお願いします」
つい今しがたまでの落ち込みようがどこかに消し飛んで、急にテンションマックスになっているトシヤを呆れた目で見ている女子たちだった。




