7 バカが来た!
ついにトシヤの宿命のライバルが登場します。どんな人物なのかお楽しみに・・・・・・
翌日、トシヤは1-Eクラスに時間の余裕を持って登校する。当然あのレイスには『ハウス!』と命じて『部屋から出たらぶっ飛ばす!』と付け加えるのを忘れない。トシヤの声に怯え切ったようなレイスの波動が感じられたが、どうでもいいことなので放置してそのまま男子寮の部屋を出たのだった。
「おい、聞いたか」
「ああ。どうやら今日は連れて来ていないみたいだな」
「あんなものが居たらまともな授業にならないだろう」
「ねえ、一体何の話なの?」
「えっ、本当に?!」
「レイスなんて本当に男子寮に居るの?!」
クラス内は当然昨日の昼に男子寮を大騒ぎに巻き込んだトシヤの話題で持ちきりだった。最初は男子の間で囁かれていたものが、いつの間にか女子にも伝わって、クラスの全員が畏怖を込めた目でトシヤを見ている。
「おはようなの!」
「皆さんおはようございます」
トシヤからずいぶん遅れてエイミーとアリシアが教室に入ってきた。彼女たちはトシヤが引き起こした騒ぎのことなどまったく知らずに、昨日と同じようにトシヤの両隣に着席する。なぜか彼の周囲は空席だらけなので、二人とも普通に一番後ろの席に着いた。
「ちょっと二人とも!」
平然とトシヤの隣に座った二人を見かねて、いかにも世話好きそうな女子がアリシアにそっと声を掛けてくる。
「大きな声じゃ言えないけど、その人はネクロマンサーで現に男子寮でレイスを連れているそうだから、あんまり近づかない方が良いわよ」
耳元で世話好きそうな彼女は小声で囁くが、アリシアはキツネ耳に彼女の息が吹きかかって、くすぐったくて身をくねらせている。獣人にとっては耳はとっても敏感なポイントらしい。それでも『レイス』というフレーズは何とか聞き取れたらしくて、ようやく昨日トシヤの部屋の前で抱いた恐怖感について納得がいった表情だ。
「トシヤの部屋にはレイスが居たの?」
「んん? ああ、今でも留守番しているぞ」
「トシヤさん、何を気楽にそんなことを言っているんですか! 先生に言って何とかしてもらわないとダメじゃないですか?!」
エイミーもトシヤの部屋に居たものの正体がわかったようで、明らかに慌てている表情だ。それにしてもトシヤは久しぶりにエイミーの口からまともな提案を聞いたような気分になっている。
「危険じゃないの?」
「別に何かするわけでもないし、俺の言うことを普通に聞いているから良いんじゃないか。それよりも何か名前をつけようと思っているんだけど、いい名前はあるか?」
「そうですね、レイスだから『レイちゃん』でどうでしょう…… じゃなくて! 恐ろしい魔物なんですから、のんびり名前をつけている場合じゃないです!」
「エイミーはこんなところでノリ突込みをしているの! 中々お笑いの腕を上げているの! それよりも肝心なのは当のトシヤに全く危機感がないことなの!」
「そうか、レイちゃんか…… いい名前だな! 綾波…… いや、なんでもない」
トシヤは昨日読み耽っていたマンガの登場人物を思い出したようだ。当然のことだが彼にしかわからないネーミングセンスだ。
それにしてもこの3人の会話はなんとなく噛み合っていないように映るが、その原因の大半はトシヤとエイミーにある。そもそも2人はどちらかというとボケ役で、2人で居る時にはどちらかがボケてもう片方が突っ込むという関係が成り立っていたのだが、アリシアという鋭い突っ込み担当が加わって、両者とも心置きなくボケ役に回っているせいでアリシアの突っ込みが追い付かなくなっている。二人掛りで朝からこれだけボケられては、2倍の負担を強いられるアリシアには相当なストレスがかかるはずだ。
「そうなの、昨日熱を出して休んでいたバカがたぶん今日から学校に来るはずなの!」
アリシアは思い出したように話題を転換する。もうレイスの話題でこれ以上突っ込むのは疲労が増すだけだと諦めた模様だ。ただその話題の主はまだ残念なことに登校していなかった。
「アリシアさんが『バカ』と連呼していた人ですよね。どんな人なんでしょうか?」
「決まっているの! どうしようもないバカなの!」
「うん、とってもシンプルでわかり易い説明だ」
その時教室のドアがガタガタと大きな音を立て始める。教室に居る者が全員そちらに注目すると、次の瞬間生徒たちの目には有り得ない光景が飛び込んできた。
バリバリ、バリン! バタン ドシーーン!
教室の重厚なドアは力任せに廊下側から揺さぶる圧力に敗北して、蝶番ごと壁から外れて大きな音を響かせて教室の内側に倒れてきた。そしてそこには狼人族の身長2メートル近い男子が真新しい特注の制服に身を包んで立っている。
「やれやれ、やっと開いたか! 開きにくい扉だな!」
「カシム、朝から何をやっているの! バカなの?! 普通ドアノブを回さないとドアは開かないの!」
アリシアが立ち上がって大声で突っ込んでいるところを見ると、彼が例の昨日欠席した生徒のようだった。それにしてもドアノブを回さずに、いきなりドアを壊して教室に入ってきた彼は、アリシアが言う通りに『バカ』に違いない。獣人の国では殆どが引き戸なので、彼は文化の違いを全くわかっていなかった。
「えっ! ドアノブって何だ? いくら引いても開かないからちょっと押してみたんだが」
「その手に持っているのがドアノブなの! 鍵ごとドアから外れているの!」
カシムは蝶番だけでなくてドアノブの内部の鍵まで破壊していた。金属製のノブがひん曲がって鍵ごと外れている。これが大きなドアがバタリと室内に倒れた原因だった。
「えー! これを回すのか! てっきりここを掴んでガタガタ引っ張るのかと思った」
「今グルグル回しても意味がないの! ドアが付いている時にそうやって回してほしいの! カシムがバカを振り撒くと同じ獣人の私までバカに見られるの!」
手にしたドアノブだけを適当な方向に回しているカシムにアリシアがさらに突っ込んでいる。額の右側に怒りの印を浮かべて表情は真剣そのものだ。トシヤとエイミーの2人にかなり手を焼いていた彼女は、ここでさらに突っ込みどころ満載のカシムの登場で過労死しかねない。
「トシヤさん、どうやら私たちの想像を絶する本物みたいですね」
「まさかドアを壊して入ってくるのは予想外過ぎるな。エイミーが真っ当な人間に見えてくるから不思議だ」
「お言葉ですが、部屋にレイスを飼っている人から『真っ当な人間』と言われても嬉しくもなんともないです!」
カシムの登場にさすがのトシヤとエイミーもいつもよりも会話の切れ味が落ちているようだ。当然2人だけでなくて教室内の全員がドン引きしている。事前にアリシアから『バカ』というアナウンスを受けていたものの、完全に予想の斜め上をいくバカ振りに殆どの生徒は呆れて声が出ない。
「それで、これどうしようか?」
「どうにもできないの! 先生が来たらちゃんと報告して直してもらうの!」
今のところこのクラスにカシムとまともに会話できるのはアリシアしか存在していない。つくづく彼女が表面上は常識を弁えた人物の上に突っ込みのスペシャリストで良かった。
「君たち、朝から騒々しいが、それにこの壊れたドアを含めて一体どうしたのかな?」
ちょうどそこに失われたドアの向かうからラファエル先生が姿を見せた。努めて穏やかさを保とうという努力は伺えるものの、こめかみの辺りがピクピクしている。それはそうだろう、新学期が始まって2日目にしてドアが破壊されるという非常事態に遭遇した教員が穏やかでいられるはずがない。
「先生なの! そのドアはこのバカが開け方をわからずに壊したの! バカはどこまで行ってもバカなの! これはもう仕方がないことなの!」
アリシアの証言とドアノブを手にして立っている狼人族の少年の姿を見てラファエル先生はようやくことの成り行きを理解したようだ。
「えーと、確か君はカシム君だったね。そうか、君がやったのかね。うんわかった、仕方がないことだと思って今回だけは諦めよう。次からはちゃんとドアを開けてほしいものだね。さあ、全員席に着いて!」
その声で我に返った多くの生徒が着席してホームルームが始まる。空席が目立ったトシヤの周辺の座席も座る場所がない生徒が仕方なしに埋めていった。レイスの件に対する恐怖はカシムの登場で大幅に緩和されている模様だ。内側に倒れたままのドアは一先ずは数人の生徒が壁に立て掛けて邪魔にならないように放置されている。
「諸君おはよう! さて1年生のクラス分けは入学試験の成績を基にして、学力試験の上位から順番にA、B、C、D、Eと並んでいる。つまり君たちは現在の学力だけで言えば最下位のクラスにいるという事実を自覚してほしい」
ラファエル先生の口から告げられた事実は生徒たちに重たい事実を…… 全く突き付けなかった。
「先生、それは当たり前でしょう! ドアの開け方がわからないヤツが居るクラスなんだからビリに決まっているじゃないですか!」
クラスの誰かが上げた声に釣られて全員が声を上げて笑っている。だがちょっと待ってほしい! 当のカシムまでがゲラゲラと笑っているのは一体どういうことだろう?
「カシムはそこで笑っちゃダメなの! 反省の色を見せるの!」
「えっ! なんで?」
アリシアの突込みに対して真顔で答えるカシムが居る。
「トシヤさん、あれは正真正銘の本物ですよ!」
「うん、あそこまで堂々としていれば立派なものだな。アリシアが完璧な常識人に見えるから不思議だ!」
後ろの席ではエイミーとトシヤが本人たちに聞こえないようにこっそりと話をしている。だがトシヤがカシムに対して残念なものを見る目を送れたのもここまでだった。
「ああ、それからお知らせがあります。カシム君とトシヤ君はあまりに学力試験の成績が悪いので、特別に隣の部屋に移って勉強してもらいます」
「なんで俺がーー!」
「俺があんなバカと一緒だとーーー!」
二人の口から同時に声が上がった。当人たちは全く自覚がないようだが、エイミーとアリシアは『やはり』という視線を向けている。クラスの全員は『バカ』と『ネクロマンサー』という2人のトラブルメーカーが消えるのが、安心して授業を受けられるという意味で嬉しいようだ。
「そういうことだから二人はお隣の部屋に移動してくれたまえ」
無情なラファエル先生の声に促されて、2人は席を立って壊れたドアを通って隣の部屋に向かうのだった。
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