67 テルモナの宿屋
「むむ! 街が見えてきたね! みんな、これから街外れに着陸するよ!」
イフリートの背中からさくらの声が響く。途中で一度休憩を取っただけで、約6時間飛び続けてようやくテルモナの街が見えてきた。
ここまでの飛行自体は順調だった。強いて言えば、なんとかトシヤの背中にしがみ付いて恐怖と戦っていたフィオが、勇気を出して目を開けた瞬間、あまりの高度に再び白目を剥いて意識を失うという事件が発生した程度だった。安全を喫してロープでフィオと自分の体を縛り付けていたトシヤのファインプレーがなければ、大変危険な瞬間だったのは言うまでもない。
ようやく地面に降り立ったドラゴンの背中からアリシアはピョンピョン飛び跳ねながら降りてくる。
「ドラゴンの背中に乗るのは楽チンなの! あっという間に別の街に着いて最高なの! やっぱり私たちの王様は凄い人なの! 感動なの!」
王様とドラゴンに乗ったという獣人として破格の名誉を得たアリシアの興奮は一向に冷める様子がない。それだけ獣人たちは王様のさくらを心から崇拝しきっているのだった。
エイミーとディーナは2人並んで普通に歩いて降りてくる。ディーナは最初のうちこそトラウマが蘇って青い顔をしていたが、何時間も経過したおかげでなんとか平常心を取り戻している。いつもは気丈に振舞うディーナをそこまで追い詰めるトラウマを植えつけるとは、さくらは幼い彼女をどのような目に遭わせたのかちょっと興味が湧く。
そして最後にトシヤがフラフラのフィオをオンブしてドラゴンから降りてくる。
「トシヤさん、色々ご迷惑をおかけしました。本当に足手纏いですいません」
「気にしなくていいさ、誰でも不慣れなうちはこんなもんだからな。フィオはこれから色々と経験して覚えていけばいいんだ」
「トシヤさんにそう言ってもらえて本当に大す…… 嬉しいです! 私も泣き言ばかり言っていないで頑張ります!」
フィオの口から『大好きです!』という言葉が出掛かったのだが、慌てて彼女はそれを別の言葉に置き換えるのに成功している。恐怖から解放されて思わず気が緩んだところで、心に秘めている本当の気持ちを口にしてしまうところだった。フィオがギリギリで踏み止まれたのは『こんなことを口にして逆に嫌われたらどうしよう』という不安が心に過ぎったおかげだ。
「それじゃあ一旦街に行くよ! 今日は遅いから宿で1泊するからね!」
「さくらちゃん、宿なんかに泊まっていたら野外実習の意味がないんじゃないか?」
「んん? 気にしなくていいよ! その分みんなには明日から頑張ってもらうからね! 今日はゆっくり休んで明日に備えるんだよ!」
意味深な発言をするさくらに率いられてパーティーはテルモナの街へと向かう。テルモナは帝都と比べると本当に小さな街で人口は20分の1しか居ない。街全体が辺境の冒険者たちで賑わう街という表現がピッタリくる雰囲気だ。
「いらっしゃい、あら、さくらちゃん! 久しぶりね」
「ロージーちゃん、久しぶりだね! 今日はお客さんを連れてきたよ!」
さくらが案内した宿屋は『かまどの煙亭』という名のこの街で古くから続く老舗の宿屋だ。そして迎えに出てきたのはこの宿の女将を600年程続けているロージーという女性だ。
彼女はかつてさくらとともにこの世界で名を馳せた冒険者で、本当の正体を明かすとトシヤたち『暁の隠者』一族の初代当主だ。子供に当主の座を譲ってからはここで実家の宿屋を継いで隠遁生活を送っている。
もちろんトシヤはその事実を全く知らないままに何度かこの宿に宿泊していた。彼の印象は『世話好きな女将さんが親身に世話してくれる居心地のいい宿』という評価だ。
「あら、トシヤ君じゃないの! ずいぶん久しぶりね、帝都の魔法学院に行っていたんでしょう」
「ロージーさん、1泊お世話になります。野外実習でクラスメートと一緒なのでよろしくお願いします」
トシヤは自分の先祖とは知らずに挨拶をしてから、一緒に来ている女子たちを紹介する。
「ロージーさん、アリシアとエイミーです」
「まあまあ可愛らしい狐人族の女の子ね! アリシアちゃん、どうぞよろしく。それからエイミーさんね、ああなるほど、そういうことなのね! どうぞよろしくね」
「「よろしくお願いします!」」
ロージーは大魔王がエイミーに力を授けた時に実は一緒に彼女の家に訪れていた。病で死にそうだった彼女を回復魔法で救ったのがロージーだったのだ。もちろんその時の子が成長して自分の前にこうして姿を見せたのを懐かしがっている。ロージーが意味深な言い方をしたのはそんな隠された事情があるためだった。
「それからこちらがディーナとフィオです」
「まあまあ、トシヤ君は女の子に囲まれてモテモテね! それにしても2人ともこうしてトシヤ君と一緒に行動しているのね。これはきっと何かの縁ね。これからもどうぞこの宿をご贔屓にしてね」
「「こちらこそよろしくお願いします」」
もちろんロージーには2人の正体など最初からわかっている。こうしてかつての自分同様に子孫のトシヤが同じパーティーとして活躍したディーナやフィオレーヌの子孫と一緒に活動しているのが我が事のように嬉しかったのだ。現在は離れ離れに暮らしているが、若かりしあの日を思い出して感慨に浸っているのだった。
「ロジちゃんはこう見えても元Sランクの冒険者だからね! 怒ると、おっかないよー!」
「ええ! ロージーさんって冒険者だったんですか! 全然知らなかったな」
「さくらちゃん、昔の出来事をバラさないでくださいな。今はこうして宿屋の女将として平凡に過ごしていますからね」
「またまたー! ロージーちゃんはトボケるのが上手いね! テルモナに攻め込んできたワイルドウルフの群れを一刀両断したのは誰だったっけ?」
「昔のお話ですよ。さあ、それよりも皆さん! お部屋に案内しますからこちらにどうぞ」
にこやかな表情でパーティーを部屋に案内するロージーだが、よくよく注意して見るとその身のこなしには一分の隙もない様子が伝わってくる。実は彼女は普通の人間に見えるが、その実は〔ハイヒューマン〕だった。色々と事情があって宿屋の娘が進化してしまったのだ。だからこそこうして600年も宿屋を続けていけるのだ。何しろ寿命がエルフや魔族と同じくらいになっているので、すでに600年以上生きているにも拘らず、その外見は20代後半といったところだ。
幸いこの日は空き部屋に余裕があって、トシヤとさくらが1人部屋で、アリシアとエイミー、ディーナとフィオがそれぞれ2人部屋に案内される。
「ロージーさんは不思議な人なの! なんだかトシヤと同じ匂いがするの!」
「そうですね、なんだか初めて会ったのによく知っている人のように感じました」
「それも凄い冒険者だって聞いたからビックリなの! とっても優しそうな人だけど本当は強いの!」
「きっと色々な冒険をしてきたんでしょうね。お話を聞いてみたい気がします」
本当にロージーが昔の冒険話を語りだしたら、あまりに途轍もなくて全員が口が開きっ放しになるのは間違いないだろう。世の中には知らない方が良いお話というものが多々あるのだ。
一方隣の部屋では……
「ロージーさんは私のお婆様と同じ雰囲気を感じるのは気のせいだろうか?」
「私の目にもとっても不思議な人に映りました。なんだか全てを知り尽くしているようなとっても深みのある瞳をしていましたね」
「さくら様と親しいようだから何かあるんだろうな。国に帰ったらお婆様に聞いてみよう」
「そうですね、初代のディーナ様は永く生きていらっしゃいますから、何でもご存知でしょうね」
こうしてテルモナの宿屋での一夜は過ぎていくのだった。
「それじゃあ出発するよー!」
「皆さん、気をつけていってらっしゃい!」
さくらの号令とロージーの見送りを受けて、トシヤたちは『かまどの煙亭』を出発する。ベッドでグッスリ眠ったので顔色が悪かったフィオも体調が回復している。
「さくらちゃん、街の東門を抜けると俺の家がある開拓村だけど、こっちで良いのか?」
「大丈夫だよ! 途中で脇道に入るからね!」
そのまましばらくさくらの指示通りに街道を進むと脇道が姿を現す。
「なあ、さくらちゃん、俺の記憶が正しければ、この脇道の先にあるのは地竜の森のはずだけど」
「ピンポーン! トシヤは大正解だね! これから地竜の森に行くんだよ!」
「ピンポーンじゃないだろうがぁぁぁ! いきなり地竜の森に行くなんて全然聞いてないぞ!」
「そりゃそうでしょ、私もしゃべっていないしね!」
「いやいや、そういう問題じゃなくって、地竜の森なんて俺も足を踏み入れてないのに、そこに初心者を連れて行くのは不味いだろうって話だよ!」
「トシヤはこの前地竜のシチューが美味しいって言ったじゃん! だからちょこっと行って、一頭狩ってくるんだよ!」
「美味しい不味いの話をしているんじゃないからな!」
「大丈夫だよ! このさくらちゃんが居る限り、大船に乗ったつもりでいなさい!」
エッヘンとさくらは胸を張っているが、トシヤの不安は尽きない。するとそこにエイミーが声を掛けてくる。
「トシヤさん、地竜の森って何ですか?」
「そのままだよ、地竜が居るから地竜の森なんだよ」
「それでその地竜というのは美味しいんですか?」
「エイミー、美味いか不味いかの前にもっと聞かないといけないことがあるだろう」
「ああ、そうでしたね。私としたことがウッカリしていました。それでは改めてトシヤさんに質問しましょう。ゴホン、地竜はどのように調理すると一番美味しいのでしょうか?」
「そうだな、やっぱり煮込むのがいいのかな…… って、俺が言いたいのは調理法じゃないから!」
「これだからエイミーはどこか抜けているの! まずは危険かどうかを聞くべきなの!」
黙ってトシヤとエイミーの遣り取りを聞いていたアリシアがついに我慢できずにツッコミを入れている。食べ盛りのエイミーにとっては興味関心の対象が料理に行きがちなのだろうか? それにしてもエイミーのボケもトシヤのノリツッコミも以前よりずいぶん腕を上げている。
「そ、その…… トシヤ、地竜の森というのは魔境よりも危険なのか?」
「さくらちゃん、ディーナがこう言っているけど実際のところはどうなんだ?」
「そうだねぇ…… 視界が悪い分だけ魔境の方が危険かな。あとは地竜をどうにかしたら特に問題はないよ」
「そうなのか、さくら様がそう言うのなら安心だな。魔境に行かないのなら私は大丈夫だ!」
「待て待て、地竜をどうにかするってところに最大の問題があるのを忘れているぞ!」
「そうなのか? トシヤのリアクションが大袈裟なだけじゃないのか?」
「大袈裟じゃないからな」
ディーナは地竜と聞いてもあまり恐ろしさを感じる様子がない。こんな調子で本当に大丈夫だろうかとトシヤは1人で不安を抱え込むのだった。
「あのー、そもそも地竜って何でしょうか?」
「そこからかい!」
「最終的にフィオが全部美味しいところを掻っ攫っていくの! エイミーもディーナも前フリだったの!」
お嬢様育ちのフィオには地竜というフレーズ自体が初耳だったので、この反応は止むを得ないだろう。そもそも地竜が討伐されるのは数十年に一度の出来事だ。
「フィオ、地竜というのはドラゴンではないけど、同じような硬いウロコに包まれている怪物だ。討伐の難易度はSランクの最上位になっている」
「まあ、そんな恐ろしい相手なんですか! どうすれば討伐できるんでしょうか?」
フィオは昨日目にして白目を剥いたドラゴンの姿を思い浮かべて、不安げな様子になっている。アリシアとディーナも同様だが、エイミーだけは『どうにかなるんじゃないか』といつものように気楽な構えをしている。
「大丈夫だよ! 地竜なんて1発で仕留めるようにならないと、Sランクの冒険者にはなれないからね!」
「さくらちゃん、俺たちはまだ全員がDランクから下なんだけど」
「ランクなんか関係ないから気にしなくっていいよ! ドカーーンとやっちゃえばいいんだよ!」
「今Sランクがどうのこうの言ったくせに、今度はランクは関係ないって言っているよ!」
「細かいことはどうでもいいから、私に任せなさいって!」
「ついに説明するのが面倒になっちゃったよ!」
こうして地竜の森に続く道を一歩一歩進んでいくトシヤたちだった。