54 新しいクラス 2
コース別の授業がスタートするに先立って、冒険者養成科の学科を担当するラファエル先生とミケランジュ先生は頭を抱えていた。そこにはもう1人、実技担当のセルバンテ先生も加わっている。
「ラファエル先生、果たしてこのメンバーをどのように指導していくのか、これは大問題ですぞ!」
「ミケランジュ先生、あなたのおっしゃる通りです。何しろ学科も実技も学年トップクラスの生徒と最底辺の生徒が一緒になっています。まったく同じ内容で授業を行うのは不可能でしょうね」
「学科はまだいいでしょう。ノルディーナ君とフィオレーヌ君は魔法に関する知識に関しては我々教師陣が口を挟む余地がないほど何でも良く知っています。問題は実技ですよ! あまりに現在の彼らの能力に差がありすぎて、とても同じ内容を学んでいけるとは思えません!」
「やはり授業ごとに2つに分けるしかなさそうだね。セルバンテ先生はどう思うのかね?」
「まだ生徒を直接見ていないからなんとも言えませんね。特に例の問題児ですよ! ついこの間の魔法実技試験は見せてもらいましたが、彼に何か教える必要があるのか良くわかりませんね。おまけにすでにDランクの冒険者として活躍しているそうですし、彼のどこが問題児なんでしょう?」
「「君は甘い!!」」
まだトシヤの性格を良く知らないセルバンテ先生に、2人のベテラン教師からかなり厳しい口調の見事なユニゾンが飛び出した。この2ヶ月トシヤを見てきたラファエル先生とミケランジュ先生からすると、セルバンテ先生の考えは砂糖の塊にハチミツをぶっ掛けたよりも、さらに甘いとしか言いようがなかった。
「セルバンテ先生! トシヤ君にはとにかく常識を叩き込んでください。今ならばまだ彼の母親の制裁が応えていますからチャンスは残っています!」
「とにかくまともな考え方ができるようにしないと、彼は大変な事件を引き起こしかねないから注意してください! いや、すでにもう何件か事件を引き起こしていますから、これ以上の暴挙を起こさないようにするのが最優先です!」
真顔でトシヤについて声を大にして忠告する2人のベテラン教員の様子を見て、セルバンテ先生は『これはただ事ではない』と気持ちを引き締めるのだった。そして3人の教員の打ち合わせはその日の深夜まで延々と続いていく……
話は冒険者養成科クラスに戻る。生徒たちはそれぞれ席に着いて待っているところに、睡眠不足気味の目をした3人の教師が姿を見せた。
「みんな、相変わらずの顔触れだね。我々がこのクラスを指導する教員だよ。私とミケランジュ先生が学科の担当で、セルバンテ先生が実技の担当だ。これから1年間よろしく頼むよ」
「「「「「「よろしくお願いします(なの)!」」」」」
生徒たちが揃って挨拶をするどこにでもあるような授業風景だ。新しいクラスといっても、大半の生徒が元Eクラスなので、雰囲気は大差なかった。そこに新たに加わった何人かの生徒はやや緊張気味ではあるが……
「それでは新しいクラスでまだ名前を知らない生徒もいるから、一通り自己紹介をしてもらおうかな。ああ、元Eクラスの生徒は名前だけでいいよ。新しく加わった人は、ちょっとだけ自分をアピールしてほしい」
元Eクラスの生徒の扱いがどうもぞんざいなようだ。それはラファエル先生からすれば、この2ヶ月間毎日のように顔を合わせていたのだから仕方がないかもしれない。まずは先生から指名されたブランから立ち上がって自己紹介を始める。
「ブランです、どうぞよろしくお願いします。子供の頃から冒険者に憧れていて、このコースを選びました。将来は帝都のギルドを代表するような名のある冒険者になりたいと思っています」
ハキハキした声で自己紹介を行うブランに拍手が起きる。こういうノリの良さは元Eクラスの雰囲気を引き継いでいるのだった。
「カシムと戦ったあの人は中々の好青年なの! そう言えばカシムのバカはまだ姿を見せていないの! きっとバカだからここがわからなくて、その辺をウロウロしているの!」
「あいつのバカは今更始まったわけじゃないから仕方がないな。たぶん今日中には辿り着けないだろう」
「トシヤさん、いくらなんでも教室の場所くらいカシムさんはわかりますよ」
「「甘い(の)!」」
「エイミーは2ヶ月も同じクラスに居てまだカシムのバカさ加減を良くわかっていないの! 果てしなく、限りなくバカなの! だから今日はきっと辿り着けないの!」
「その通りだ! 想像を絶するバカだからな! 俺はあのバカさ加減を信じているぞ! だから今日は教室を探して学院内を彷徨っているに違いない!」
ガラガラ!
入り口の建て付けの悪い引き戸が勢いよく開いて、そこにはカシムの姿があった。馬鹿デカイ体が入り口いっぱいを塞ぐように立っていて、その頭は引き戸の一番上よりも高い位置にある。
「いやー、アリシアの匂いを辿ってようやく見つけたぜ! ここが冒険者の教室でいいんだよな?」
「しまったの! その手があるのを忘れていたの!」
「ちっ、バカの癖に頭を使いやがって」
「トシヤさん、頭じゃなくて鼻を使ったんですよ! カシムさんが頭を使うなんて有り得ませんから!」
「おい、全部聞こえているぞ!」
トシヤ、アリシア、エイミーの3人のひそひそ話は獣人特有の聴覚を持つカシムに丸聞こえだった。いつもだったらトシヤの『バカ』発言に噛み付いてくるのだが、今日はそれ以上の破壊力を誇るエイミーの天然発言にさすがのカシムも毒気を抜かれている。
「カシム君、そんな所に突っ立っていないで早く席に着きなさい」
「はい、わかりました」
ゴン!!
ラファエル先生のお言葉に従って勢いよく教室に入ろうとしたカシムは、気持ち良いくらいの音を立てて入り口の上部に頭をぶつけてその場に蹲っている。彼が頭をぶつけた部分はただでさえ建て付けが悪かったのに、安い材木で作ってあるレールがさらに歪んでしまった。
「やっぱりバカなの! カシムは入り口を壊すのに生き甲斐を感じているの!」
「そう言えばあのバカは初登校の日に2回も入り口を壊していたな」
「カシムさんも悪気があってやった訳ではないですし…… でもあのバカな様子を見ていると最近なんだか安心してしまいます」
「エイミーの色々な意味での基準がわからないの!」
もう今更この3人はカシムをフォローする気もないらしい。いちいちこの程度の出来事で驚いていたら、平常心を保てないのを学習済みだ。それは元Eクラスの生徒全般に言えるのだった。
「そう言えばもう1人彼が居たんだよね……」
「セルバンテ先生、今日の授業が終わったらもう一度打ち合わせをしようか」
「恐ろしい隠し玉がまだあったという訳ですね。わかりました」
教師陣は蹲っているカシムを見下ろしながら、小声で相談を開始しているのだった。だが、いつまでもこのままでは一向に先に進まない。そう判断したラファエル先生は、カシムが頭を抑えながら着席したのを見届けてから自己紹介の続きを促す。
「初めて皆さんとお近づきになります、ノルディーナと申します。私の祖母は元々冒険者としてこの世界の方々を見て回りました。私も祖母のように広い世界を自分の目で見て回って、多くの経験を積みたいと思っています。皆さん、どうぞよろしくお願いいたします」
一部の隙もない折り目正しい態度でノルディーナは全員に挨拶をした。その態度は元Aクラスがどうこうなどというちっぽけなものではなくて、もっと先々にある大きな目標を見据えた完璧な態度だった。
「優等生は違うの! カシムのバカも少しは見習うといいの!」
「アリシア、いきなり『魔族のお姫様を見習え!』というのはいくらなんでもハードルが高過ぎるだろう!」
「そうですよ! カシムさんはもっとハードルを下げて、イヌの躾をするくらいにしないと、絶対に無理ですから!」
3人の言葉は座席で頭を抑えて痛みを堪えているカシムの耳には入ってはいるが、リアクションをとる余裕はなかった。相当なダメージだったのだろう、時折『クー……』という呻き声が聞こえてくる。
「皆さん、フィオレーヌと申します。どうぞフィオと呼んでくださいませ。この新しいクラスで勉強できる日を心待ちにしていました。どうぞ皆さん、仲良くしてください」
ニッコリとした笑顔を見せるフィオ、その笑顔に元Eクラスの男子たちはイチコロで魅了されている。その華やかな如何にも貴族の令嬢という佇まいは、Eクラスでは絶対に有り得ない優雅な雰囲気を漂わせている。
「貴族なのに親しみやすい人なの! 雰囲気がとっても素敵なの!」
「……」
「アリシア、騙されてはダメですよ! きっとあの人は……」
「あの人は? エイミー、続きが気になるの!」
「何でもありません!」
トシヤがコメントを控える中で、なぜかエイミーがヒートアップしている。彼女の心の中ではすでにフィオはライバル認定されているのだった。
「それじゃあこれで自己紹介は終わったね。同じクラスだからこれから色々と助け合って自分を高めてほしい。それから今日は怪我が癒えていない元Cクラスのエルナ君もこのクラスの一員だから、元気になって登校したら改めて紹介するとしよう。それじゃあこの先はセルバンテ先生にお願いするよ」
「今日からこのクラスの実技を担当するセルバンテだ。よろしく頼む。さて、ここに集まっている者は否応無く冒険者を目指してもらう訳だが、そもそも冒険者とは何かわかっているかい?」
セルバンテ先生の問い掛けに生徒は考え込んでいる。もちろんその中には成績が振るわなくてこのコースに不本意ながら送られてきた者も居るが、彼らも決まってしまったものは仕方が無いとそれなりには腹を括っている。
「中々答えが見つからないようだね。そうだな…… どうせならすでに現役の冒険者として活躍しているトシヤ君に答えてもらおうか」
セルバンテ先生は元々はAランクの冒険者として活躍した実績を買われて、この学院の教員に名を連ねている。現役時代から怖いもの知らずで鳴らしていたが、この場でいきなりトシヤを指名するとは中々豪胆な性格をしている。
「はい、先生! 冒険者は依頼を受けてその依頼の内容を遂行します。具体的に言えば、大方は魔物をぶっ殺す依頼が多いです!」
ハキハキとした口調でトシヤが答えるが、いきなり『魔物をぶっ殺す』という斜め上の回答が飛び出てきて、先生は頭を抱えている。トシヤの問題児たる所以の一端を垣間見た思いだろう。
「簡単にブッチャケてくれたもんだね! そこはもう少し控えめに『討伐する』程度に留めてほしかったな。ではトシヤ君、冒険者が負うべき危険に対する覚悟とは何かな?」
「全てが自己責任というお話ですね。魔物をぶっ殺すのも、魔物にぶっ殺されるのも全部自分で責任を負わなければならないと必ずギルドで教えられます」
教室の中で特に元Eクラス出身の生徒がドン引きしている。それはトシヤがあまりに『ぶっ殺す』を簡単に口にしているせいだった。彼の命に対する考え方が如実に現れているのが、ある意味恐ろしかったのだ。
「あー…… 表現はともかくとして、今トシヤ君が答えてくれたのは事実だ。冒険者は常に危険と隣り合わせなのだと肝に銘じてくれ。さもないと絶対に長生きはできないからね」
生徒たちの殆どは表情を引き攣らせている。その大半の生徒が否応無くこのコースに放り込まれていた成績不振の生徒たちだ。今まで漠然と『冒険者』という存在を知ってはいたものの、その困難で命懸けの道に不安を抱いているのだった。
「そんなに怖がらなくても大丈夫なの! 魔物の種類ごとに倒す手順があって、倒し方を知っていればそれほど危険ではないの!」
だがここでアリシアが弱気になっている彼らを勇気付ける発言をした。さすがは獣人の森で鍛え上げた特待生だけのことはある。アリシアの発言で生徒たちの顔がサッと上がる。その手順さえ知っていれば危険から逃れられるという浅はかな考え方だった。
「ほう、アリシア君は中々良い話をしてくれたな。その通りだ、魔物の種類によって所定の手順はあるぞ。でもな、それは血の滲むような訓練を経てようやく手に入るものだ。素人が1ヶ月やそこら訓練しても所詮は付け焼刃だからな」
再び大半の生徒のテンションはダダ下がりになっていった。まるでジェットコースターのように急上昇と急降下を繰り返している。
「ということで、これから君たちが死なないように冒険者としての基礎を徹底的に仕込んでいくからな! 全員覚悟を決めろよ!」
最後のセルバンテ先生の一言が止めになって、大半の生徒の目が一斉に死んだ。その中でアリシアやトシヤを筆頭に数人の目だけがキラキラと輝いているのだった。