48 母の授業参観3
教室から演習室に連行されたトシヤはどのような運命が・・・・・・
「こんな場所があるのは知らなかったの!」
「アリシアが言う通りです! それになんだか他の演習室と雰囲気が違いますね」
「特別な許可が下りないと入室できないからね。ここは600年前に大魔王様が術式の研究開発を行ったと伝えられている場所だよ。フィールドを覆うシールドが当時のままで維持されているんだ」
「凄いの! 大魔王様は私たちの王様と互角の勝負をしたの! とっても凄い人なの!」
「そうなんですか! 凄い人なんですね」
アリシアの言う互角の勝負とは、600年前に魔法学院と騎士学校の対抗戦で実現した『大魔王VS獣王』の模擬試合を指している。当時はまだ『獣王』の称号しか得ていなかった『獣神・さくら』と『大魔王・橘』が大勢の観客の前でその規格外の力を披露した試合だった。もちろんこの件は魔法学院に残されている伝説のナンバー1として、いまだに多くの人に語り継がれている。
エイミーは小さな村の出身だったので、この手の話は初耳だった。彼女は大魔王様と自分の間に大きな関わりがあるという事実にまだまったく気が付いていない。病で命を落としそうだった幼いエイミーを助けて、魔法の力を授けたのは実は大魔王だった。幼い記憶の中でエイミーはその存在を『天使様』と思い込んでいるのだった。
「さて、バカ息子! 聞くところによると今開催中の公式戦が出場停止なんだよな。力が余ってしょうがないだろうから、代わりに私が相手をしてやるよ。好きな時に掛かって来な!」
「か、母ちゃん! 好きな時って言うからには、2年後くらいはどうかな?」
「私から殴り掛かってもいいんだぞ!」
「今からすぐに準備いたします!」
トシヤは少しでも地獄へ招待されるのを遅らすために入念に体をほぐし始める。とにかくほんのちょっとでも長く生き延びようと悪足掻きをしていた。
「わかっているよな! お前の母親はそれほど気は長くないぞ!」
「はい、死ぬ程よく知っています」
「そうか、わかっているんだったら急げよ!」
「せめて最後の昼飯を腹いっぱい食べたかったな」
「言いたいのはそれだけか? それじゃあ諦めてさっさと死ね!」
あの気の強いトシヤがすべてを諦め切った表情になっている。マフィアの本拠地に平然と乗り込む神経の持ち主が、心の底から母を恐れているのだった。
トシヤの母は現役唯一のSランクの冒険者だ。トシヤとのレベル差が3倍近くある。『獣神・さくら』がその素質を認めて、直々に体術の手解きをしているとはいっても、まだトシヤは15歳で未完成な部分が多々あるのだ。その上この母親はかなりエグイ性格をしている。年齢を重ねて多少は丸くなったとはいえ、人間性の本質は変わっていないのだった。
「引き伸ばすのももう限界だから覚悟を決めるしかないよな…… ああ、どうか最後に生き残っていますように」
「何をブツブツ言っているんだ? 最初の一撃を譲ってやると言っているのに、そろそろ時間切れになるぞ!」
母の血も涙も無いお言葉にトシヤはしぶしぶ構えを取る。対するイリヤはまだ何の構えも取ってはいない。
「はー、気が重過ぎる。初撃を譲られたって、どうせカウンターを当ててくるんだよな…… それも相当エグイやつを!」
それでも後手を踏まされるよりは幾分マシだと考えたトシヤは慎重に踏み込むタイミングを測る。遮二無二突っ込んでいって攻撃が当たるような相手ではないと百も承知だった。
「この前見た時から大して進歩していないな。それよりも、その死んだような顔付きは何とかならないのか?」
(母ちゃんのせいだろうが!)
声を大にして突っ込みたいトシヤだったが、口を真一文字に結んで声は出さない。ただでさえお怒りの母に油を注ぎ込むような真似はできないからだ。
「始まりそうな気配がするの! トシヤが間合いを計りだしたの!」
「私にはただ睨み合っているだけにしか見えないです」
「もうすぐ動き出すの!」
アリシアの予想は当たっていた。彼女の言葉が終わった瞬間トシヤが大きく横に踏み込んでいく。勝負の流れを見極めるという点でアリシアは中々良い目をしている。
トシヤは無駄と知りつつ限りなく気配を絶って横に回り込もうとする。正面からまともに突っ込んでいって通用するような相手とは桁が違うのだ。対してイリヤは身動きひとつしないでその動きを待っている。
(行くぞ!)
右斜め後方に何とか回り込んだ時点でトシヤはイリヤに向かっていった。角度的には死角に入り込んでいるが、そんな彼の動きを黙って見逃す母親とは思えない。それでも最も可能性の高い攻撃を彼は選択している。
(狙いは悪くないが、まだ遅いな)
あと一歩でトシヤの攻撃が届く位置まで入った所で、イリヤの左手がゆっくりと動き出す。それはトシヤに向かってではなくて、迫ってくる彼に対して逆側に引き気味に動いていった。
(もう一歩で届く)
さらに踏み込んでイリヤの横方向から顔面を狙った拳を放つトシヤだが、僅かに姿勢を反らしただけであっさりと彼女にかわされた。
(しまった! 左手が飛んでくるぞ!)
イリヤが引き気味に構えている左手に最大級の警戒をするトシヤ、そしてその手刀は空気を切り裂く勢いでトシヤの脇腹を狙って飛んできた。
(グオッ!)
辛うじてガードが間に合って左手の一撃を食い止めたトシヤだが、その威力にガードした左手が悲鳴を上げている。
(なにっ!)
そしてイリヤの左手に気を取られていたトシヤの目が驚愕に見開かれた。左手は実は牽制でイリヤの本命は右足の膝蹴りだった。顔面に向けて突き出した右手はまだ伸びきったままで、左手は手刀を受けて塞がっている。その更に下から膝が彼のヘソの辺りに迫っているのだった。
(間に合わない!)
とっさにトシヤは腹に力を込めるが、イリヤの膝はその程度の防御を嘲笑うかのように粉砕する。
「グヘッ!」
たったの一撃でトシヤは崩れ去った。口から泡を吹いて白目を剝いている。
「単純な手に引っかかるとは、まじめに修行をしていない証だな。こんなものでは終わらないぞ」
イリヤの手から例の白い光がトシヤに向かって放たれる。神の回復魔法だ。
「うーん」
ダメージが瞬く間に回復して、意識を取り戻したトシヤが座り込んで首を振っている。
「早く立ち上がれ! お楽しみはこれからだ!」
これがダメージを受けるたびに強制的に回復されて再びダメージを受けるという無間地獄の始まりだった。トシヤの顔から表情が消えて、ただただダメージと痛みを蓄積していく。
「あれは普通の人間は精神が持たないの! ダメージが回復しても痛みは体が覚えているの! 3回も繰り返したら大抵の人間は床を転げ回って錯乱するの!」
「あの貴族との模擬戦でトシヤさんが何度倒れても再び立ち上がったのは、普段からこんな恐ろしい訓練をしていたせいなんですね」
アリシアとエイミーが見ている前でトシヤは幽鬼のような表情で繰り返しイリヤの猛攻を受けている。だが何度も繰り返しているうちに少しずつトシヤの動きが変わってきた。それは体を守ろうとする本能が働いているのか、それとも別の何かが彼を突き動かしているのかはわからない。
一方的なタコ殴りを受けながらも、トシヤはイリヤの攻撃から受けるダメージを着実に減らしていた。それは拳や蹴りが当たる瞬間の僅かな体の角度のずらし方だったり、ガードする腕に角度をつけて攻撃の方向を僅かにズラしたりしているのだった。
(少しは頭を使うようになったか)
イリヤは無慈悲に攻撃を加えながらも、トシヤの微妙な変化に気が付いている。一撃で崩れ落ちていたのが、2撃3撃と持ち堪えるようになっているのだ。
「トシヤは凄いの! だんだんあの攻撃に対応しているの!」
「打たれ過ぎで痛みが麻痺しているわけじゃないですよね」
アリシアはトシヤの進化に目を見張っているのに対して、エイミーは心配そうに戦いの行方を見守っている。
そしてぶっ倒れては強制的に回復されてまた戦うという地獄は意外な結末で幕を迎えた。
イリヤが3連発で繰り出した正拳をトシヤが物の見事に避け切ったのだ。だがそれが彼の精神の限界だった。肉体的なダメージこそ受けなかったが、精神が擦り切れるような極限の集中にもうこれ以上は耐えられなかった。
トシヤはそのままゆっくりとフィールドの床に膝を着いて、バッタリと倒れこんだ。
「最後の動きはまあまあだったな」
イリヤもこれ以上は息子との戦いを続ける気は無いようだ。
「トシヤは良く頑張ったの!」
「トシヤさん大丈夫ですか?」
アリシアとエイミーがフィールドに降りて、意識を失っているトシヤに駆け寄っていく。
「バカ息子の割にはそれなりに成長している姿を見せたな。ああ、こいつはどこかに寝かせておけばそのうちに目を覚ますだろう」
「トシヤのお母さんは凄いの! 私も動きを見てほしいの!」
アリシアは真剣な表情で普段から体に染み付かせている型を丹念になぞり始める。その動きは中々シャープで、獣人ならではの体の使い方が理に適っている。
「ほう、力強さには欠けるが中々良い動きだな。もう少し体が出来上がったら面白い存在になりそうだ。今はまだ基礎をしっかりと固めろ。それが強くなる近道だ」
「はいなの! これからもしっかりと頑張るの!」
「うん、良い返事だ! バカ息子をよろしく頼む」
「お、お母様! 私がトシヤさんの面倒をしっかり見ますから!」
「えーと…… エイミーさんだったな。そいつは好きにして構わない。あとは頼んだ」
「頑張りますよー!」
イリヤは2人にトシヤを託して、演習室を出て行った。そのまま再び辺境の開拓村に戻るつもりだ。トシヤを介抱しながら2人は去っていくイリヤの後ろ姿を見送るのだった。
「トシヤのお母さんはビックリなの!」
「本当に良いお母様です! トシヤさんを好きにしていいとお許しをいただきました!」
「エイミーは相変わらずどこかズレているの! お母さんじゃなくてトシヤを心配するべきなの!」
「それも大切ですが、先々は長いんですから…… うふふ、お・か・あ・さ・ま」
「何を言っているのか意味がわからないの! ひとまずはトシヤを何とかするの!」
「やっぱりお母様とちゃんと呼べるように今から練習しておきましょう」
「エイミーは頼りにならないから先生に頼むの!」
幸いにもミケランジュ先生が手配してくれたおかげで、トシヤは担架で医務室に運ばれるのだった。
「トシヤさんはいつになったら目を覚ますでしょうか?」
無事に彼が医務室に運ばれたのを見て、アリシアはトシヤの母に褒められた型を磨くために外に出て行った。1人残されたエイミーが心配そうにトシヤの様子を見守っている。昼近い時間に運び込まれてから結構長い時間が経過していく。
時刻はまもなく夕刻を迎える。薄暗くなった医務室で目を覚まさないトシヤをすっと見守るエイミーの姿がある。
「うーん」
「トシヤさん、気が付きましたか?」
エイミーが呼び掛ける声にトシヤの目蓋がゆっくりと開いていく。
「んん? 何でエイミーが居るんだ?」
「トシヤさん、しっかりしてください! トシヤさんはお母様に酷く遣られて最後に倒れたんです。覚えていないんですか?」
「ああ、そういえば母ちゃんにボコボコにされていたんだな。途中からあんまり覚えていないけど、どうやら生き残ったみたいだな。はー・・・・・・ 良かった! 俺にはまだ運が残っているみたいだ」
トシヤは何とか生き残った実感を噛み締めている。よくぞ死ななかったと自分を大袈裟に褒めてやりたい気分だ。だが彼を褒めたがっている存在がもう1人居た。
「トシヤさんは最後まで良く頑張りましたね! お母様から『好きにして良い』とお許しも出ていますから、私からトシヤさんにご褒美です!」
エイミーはゆっくりとトシヤに顔を近づけていく。そしてそのまま寝ているトシヤに横から覆い被さるようにしてその可愛らしいピンク色の唇を彼の唇に合わせていった。トシヤは何が起こっているのかわからずにされるがままになっている。
「えへへ、ファーストキスの相手はトシヤさんです」
ゆっくりと唇を離したエイミーが照れくさそうに笑った。
「エイミー……」
「もう、本当に心配したんですよ! あんまり無茶をしないでくださいね」
そのままエイミーは寝ているトシヤに頬擦りするように彼のベッドに顔を埋めるのだった。
苦難の後に思わぬご褒美をもらったトシヤでした。このヤロー! ウラヤマけしからんと思っている方は、どしどしブックマークをお寄せください。もっと彼をウラヤマけしからん目に遭わせてみます。