36 Aクラスの迷惑
エイミーのピンチを救ったトシヤですが、その後の彼らのお話が前半部分で、後半は別の場面に切り替わります。タイトルにある『迷惑』とは一体どういう意味なのかは、お話の中でご覧ください。
一先ずは今回の外泊騒動を上手く煙に巻いて誤魔化すのに成功したトシヤとエイミーは、指導室を出て2人で廊下を歩いている。
「今回はあのドグサレ行き遅れクソババアを上手く説得して処分を撤回させたけど、こんなことが無いように気を付けないとな」
「トシヤさん、助けてもらって言うのもなんですが、あれは説得じゃなくて脅迫ですよ。学院長の名前まで持ち出して完全に恫喝していましたよね」
人の良いエイミーはあれだけ自分を責め立てて追い詰めたキャサリン女史に今更ながら同情したい心境になっている。もちろん彼女に非はあるものの、それは職務に忠実に励もうとした結果でもあった。その遣り方はともあれ、何パーセントかは女史の言い分には正当性があるのだった。
だが女史にとって最大の不運はトシヤを敵に回してしまった点に尽きる。その気になればマフィアのボスさえも恫喝して大量の金品を巻き上げてしまう彼にとって、たかが女子寮のオールドミス舎監など物の数ではなかった。
トシヤは暁の隠者の次期当主として、生半可な王侯貴族が裸足で逃げ出すくらいの帝王学を叩き込まれている。その帝王学とはぶっちゃけて言うと『悪の帝王学』とでも呼べるような、犯罪行為そのものやそれに対する対抗策なども当然のように含まれている。それらがまだ15歳の若さで、マフィアのボスをはるかに高い場所から見下す彼の精神を形成しているのだった。
「ずいぶん不本意な言われ様だな。どこからどう見てもあれは説得またはお願いだろう! 今回は学院内の出来事だったから穏便に済ませたけど、もし外部だったら血の雨が降っていたからな」
「トシヤさん、いくらなんでもそれは遣り過ぎですよ! どうもこのところトシヤさんと一緒にいるせいで私の基準もかなり怪しいですけど、たぶん世間的にあれは『穏便に済ませた』とは言えないはずです!」
エイミーは必死にトシヤにブレーキを掛けようとしている。彼女にはここ最近の彼の行動を見て、あの自己紹介の場で『常識を学びに来た』というトシヤの発言の意味が理解できていた。トシヤの無茶な行動は彼の基準からすれば至極当然の行為なのだが、それは世間一般の常識から大きく外れている。自分が彼のブレーキ役を果たさなければならないと、エイミーはこの時固く誓うのだった。
「それはそうとして、あのクサレ眼鏡行き遅れババアはこの学院から追放しておくか?」
「そこまでする必要は無いんじゃないでしょうか。どこか別の部所でお仕事してもらえれば良いんじゃないですか?」
「そうかな、生温い処置だと思うけど、エイミーがそう言うなら配置換え程度にしてもらうか」
トシヤは彼の意向が学院長に大きな影響をもたらすと、模擬戦の処分を言い渡された席で悟っていた。おそらく学院長は自分の背景を知って、あのような甘い裁定を下したのだろうとわかっている。だからこそ彼は女子寮への立ち入り許可証を学院長室に直接押しかけて手に入れていた。
だが彼は、今後は自らの家系が社会の裏で隠然と持っている権力の行使を控えようと決めている。なぜなら、あまりにも思い通りに事が進むのは面白くないからだ。せっかく3年間色々と経験する場を得た以上は、自分の力だけでどこまで遣っていけるか大いに試したかった。
「そうですよ、きっとこれで話が丸く収まります! それに次からはこんな騒ぎにならないように、外泊の時には色々と気を遣わないといけないんだってわかりましたし!」
(こいつ懲りずに外泊する気満々だ!)
常識からズレているのはトシヤだけではなかった。トシヤをある意味呆れさせているエイミーも中々の懲りないヤツだった。
廊下での話を終えて、エイミーは教科書を取りに自室に戻っていく。その後姿を見送りながら、トシヤは一足先に教室に向かうのだった。すでに授業開始の時間はとっくに過ぎているため、彼は足早に教室に向かっていった。
所変わってここは1年Aクラス、入学試験で優秀な成績を収めた生徒が集まる最上級クラスだ。全員が10歳に成らない内から家庭教師を付けて本格的な学問を修めてきたので、当然その学習内容はかなり高度なものだ。
普段は貴族のお坊ちゃんとお嬢様たちが集うこの教室はハイクラスな雰囲気に包まれているのだが、この日に限ってはなんだか雰囲気が違っている。それはこの教室の真ん中の辺りから発せられる異様なオーラが原因だった。
そこに座っているのは、あの新入生代表で入学式で挨拶をしたノルディーナだった。彼女は普段から近付き難いオーラを発しているところに持ってきて、今日はどういう訳だか誰の目にもはっきりと視認できる程のどす黒いオーラを体全体から噴き出しているのだった。
そのどす黒いオーラが教室中に充満して、生徒たちに影響を与えている。知らず知らずのうちに、全員がネガティブな思考に陥ってしまうが、なぜ急にそんな考えが頭に浮かぶのかその理由は本人にも全くわからなかった。
(はー…… 遣ってしまった)
授業内容が全く耳に入らないノルディーナは深いタメ息をついている。彼女は組んだ両手に顎を乗せて、その瞳は全く焦点が合っていなかった。ボーっとしたままで虚空を見つめながら、自分自身の思考に埋没していく。
(嫌われた! あんなことをしたら完全に嫌われてしまったわ! 私は風紀委員としての責務を果たしただけとはいえ、あの人と一緒に居たエイミーさんを不味い立場に追い込んでしまった……)
ノルディーナは常日頃から祖母である巫女王から『公の仕事には自分を殺して臨みなさい!』と口煩く言い聞かされていた。そのために風紀委員という立場上、あそこでトシヤと一緒に朝帰りをしたエイミーを見逃すわけにはいかなかった。それは尊敬する祖母の言い付けに反する行為に他ならなかったからだ。
とはいえ彼女の本心は全く逆で、本当はトシヤのために規則を曲げてでも見なかったことにしたかったのだ。感情と理性の板挟みに会いながらも、ノルディーナが下した結論は『規則に従う』だった。たとえそれがトシヤに悪い印象を与えても、彼女は祖母の言い付け通りに公の立場を遵守する道を選んだ。今の彼女にしてみれば、この場合はそうするしかできなかったと言うべきだろう。
(お婆様からは『トシヤという少年を結婚相手として見定めてこい』というお話をされて、最初は自分で結婚する相手を決めたいから反発したけど、あの模擬戦で……)
ノルディーナは『一応見てやろう』くらいの気持ちで見学したトシヤの模擬戦で、2体のゴーレムを扱う彼の見事な術式と、類稀な身体能力に全く予想外の驚きを感じていた。そして何よりも視界を奪われて圧倒的に不利な場面を、見事に跳ね返したその精神力が、最も強く彼女の興味を引いていた。
(あの強さは本物。私たち魔族の戦士にもあれほどの遣い手は居ないでしょうね。5聖家は私たちを除いて殆どかつての力を失ったと聞いていたけど、中々どうして…… 寿命が短い人族にも稀にあのようなとんでもない存在が現れるのね)
魔族の寿命はエルフたちと同様に人間の10倍以上はある。現在お悩み中のノルディーナもその年齢は153歳だ。人間の基準に当て嵌めるとちょうど15歳といったところだろう。魔族やエルフはこのように長い寿命があるので、術式を学んだり武術を極める時間が無限に等しい程存在する。ただでさえ人族に比べて魔力が多い彼らは、こうして1人1人が強力な存在に育っていくのだった。
ノルディーナの故郷、新へブル王国にも王都に魔法学校が設立されている。
そこはかつて滅びに瀕していた魔族の国を見事に立て直して、帝国に並び立つ大国の地位に引き上げた大魔王が直々に設立に関わっていた。大魔王はトシヤの先祖と一緒に日本からやって来た人で、後にご先祖様の妻となった偉大な人物だ。その彼女がこの世界に残した術式が、門外不出の秘伝として研究されているので、そのレベルは帝国の魔法学院を上回っているかもしれない。
ノルディーナ自身その王立魔法学校の3年生だったが、トシヤという人物を知るために帝国の魔法学院に派遣されていた。当初は『僅か3年の辛抱だ』と思って、祖母の言いつけを守ってしぶしぶ学院に通っていたノルディーナだった。ちなみに魔族の王立魔法学校は卒業までに30年掛かる。人間とは時間の基準が全く異なっているのだった。
(一体どうしたのでしょうか? 今まで人族の男性など全く眼中に無かったのに、あの人の模擬戦は私に強烈なインパクトを残したわ。比べるのは失礼に当たるけど、まるでさくら様の戦いぶりを目の当たりにしたような印象を受けたのはなぜでしょう?)
時折この世界にやって来ては気ままに旅をするさくらとは、ノルディーナは何度も対面している。と言うよりも、嫌がる祖母の手を無理やり引っ張って冒険者たちが絶対に立ち寄らない『魔境』と呼ばれる深淵なる森に度々出掛けていた。そのお供に彼女は3回ほど連れ出されていたのだ。立ち塞がるSランクの魔物を笑いながら倒していくさくらと、それに嫌々付き合う祖母の姿をまだ幼い心にノルディーナは記憶していた。幼いとは言っても100歳を超えてはいたのだが……
トシヤの体術の師匠がさくらだとはノルディーナが知る由も無かった。だが模擬戦で発揮した彼の体術の数々は、その動きからノルディーナの記憶を呼び起こすのには十分だった。強大な力を持つ祖母やトシヤの家系の大元だった〔ロージー〕という女性は、毎日さくらに鍛え上げられていたと聞いたが、まさかそれから何代も経たその子孫が直接さくらから技を教えてもらっているなど、さすがのノルディーナも頭に思い描くのは無理だった。それ程さくらの技は習うだけでも命懸けの危険が付きまとうのだ。
(それにしてもあの人のことを考えると胸が締め付けられるように感じるのはなぜでしょう? そして嫌われたと思うと心の奥底に絶望感が広がります。まるで私が自分ではなくなっているような、嬉しさと不安が交互にやって来るようなこの想いは何でしょうか?)
ノルディーナは魔族のお姫様だ。当然国の跡継ぎとして特上の箱入り娘として育てられた。3年前に魔法学校に入学して、そこでクラスメートと出会うまでは、周囲に異性の存在すらなかった。入学後もこれといった出会いが無いままに、こうして帝都の魔法学院に留学したので、153年生きて来て初恋すら経験が無かった。したがって現在彼女は胸を締め付けるこの思いの原因が、全く理解できずに悩みが募る一方だ。
そのたびに教室内に黒いオーラが撒き散らされるので、クラスメートにとってはいい迷惑だった。
(やっぱり今回の件は今度あの人に会ったらきちんとお詫びしましょう。それからエイミーさんに関しては寛大な処置で済むように、風紀委員として舎監様に口添えしておくのがいいかも知れません)
何とか頭を整理して考えがまとまると、ノルディーナは今度はトシヤと次に出会う場面を思い描く。『あんな話をしよう』とか『こんなことを聞こう』などと考えているうちに、次第にその表情がにへら~と緩んでくる。
それに伴って今まで散々教室に撒き散らした黒いオーラに代わって、ピンク色のオーラが広がっていく。そのオーラに影響されてか、教室中の生徒が落ち着き無くモゾモゾし始めるのだった。彼らの目にはノルディーナが発するピンクのオーラを視認できないので、突然心に思い浮かぶ悩ましげな感情にどう対処すべきか戸惑うばかりだった。こうしてこの日は1日中教室全体を巻き込みながら、ノルディーナの脳内は悲観的な考えと明るい考えが交互にやって来るのだった。
ヘックショイ!!
「トシヤさん、風邪でも引いたんですか?」
遅刻した1時間目の授業が終わって、休み時間にトシヤは特大のクシャミをしている。エイミーはトシヤの様子を心配げに見守っている。
「なんだか授業中ずっと寒気がしていたんだ。特に体調が悪いわけじゃないけど、なんだか変だな?」
どうやらノルディーナの想いはまるで呪いのようにトシヤの体に物理的な影響を与えているかのようだった。
どうやらこれで3人目のヒロイン候補が登場したようです。ちなみに現在まで出登場した人物の中でアリシアだけはトシヤと恋仲になる予定はありません! 彼女は物語の中でとっても貴重な突っ込み要員ですので。