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18 うっかりさん

「さあ、トシヤ君! 休んだ分までしっかり座学をがんばってくれたまえ! おや、隣の物置き…… いや、教室にはミケランジュ先生が来ているようだ。準備をして早く行くんだ」


「先生、今、絶対に『物置』って言い掛けましたよね?」


「さて、何のことやらわからないね? 最近物忘れが酷いようだ」


 トシヤは理解した。『Eクラスの隣にある小さな部屋は元々物置なんだ』と。事実トシヤとカシム2人のために急遽片付けて机を運び込んだ場所に彼らの特設Fクラスは設けられていた。


 トシヤはマジックバッグに学用品一式をしまいこんであるので、登校の際は常に手ぶらだった。ちなみに彼のマジックバッグは右手の中指に嵌めてある指輪で、大魔王がその昔に作り上げたアーティファクトだ。その内容量は東京都がスッポリ入る程度と伝えられている。



 トシヤが引き戸を開けてFクラスに入ると、寝ている所をミケランジュ先生に叩き起こされたカシムがマンツーマンで指導を受けている最中だった。


「おお、トシヤ君! 久しぶりだね。怪我はもう良いのかい?」


「休んでいてすいませんでした。これから勉強を頑張ります」


 トシヤは新学期10日目にして、学科でしっかり点数を稼がないと留年の危機だという警告を受けていた。決意も新たにまじめに学習に取り組もうとする意欲を見せている。


「なんだ、ハゲか! お前が居ない間に俺は先生が驚く程の進歩をしたぞ! 〔ひとけたのたしざん〕をマスターして、今は〔かけざん九〕』を覚えている最中だ! どうだ参ったか!」


 誇らしげに胸をそらしているカシムの姿があった。どうやらバカはバカなりに多少の進歩を見せたようだ。おそらくそれは彼の努力というよりも、指導したミケランジュ先生の工夫と根気の賜物だろう。


「誰がハゲだ! この通り、俺はフサフサだぞ! それよりもその掛け算九九を最初から言ってみろ! 全部言えたら褒めてやる!」


「ふん! 吠え面かくなよ! いいか、しっかり最後まで聞いておくんだぞ! にいちが2! ににんが4! にさんが5!」


「6だ! このアホタレ!」


 カシムはどうやらここまでが現段階では限界のようだ。トシヤはこの国の字の読み書きが不自由なだけで、日本の教科書で学んだ数学は実はかなり得意だった。現にAI術式を自分で作成する際に微分や積分なども用いている。彼の場合は知識が非常に偏った帰国子女のような頭脳だと思ってもらえればいいだろう。


「さあ、2人とも時間がもったいないよ! 字の練習から始めるからね」


「はい、早く覚えます」


「俺は髪の毛がある分、お前よりも覚えるのが早いからな!」


「髪の毛はあっても、脳みそがなかったら覚えられないだろうが!!」


「2人とも落第したいのかな?」


 2人は横並びの席に着いて〔カメでもわかる文字のれんしゅう〕という表紙の本を開いて、そこに書かれているお手本を見ながら書き取りを開始するのだった。





 そんなこんなで一日の授業が終わって放課後を迎える。曜日によって当然授業科目が決まっており、この日は丸一日学科だけの日だった。


「今日の勉強は難しかったの! 魔法式を描くのはとっても大変なの!」


「そうですね、イメージだけあれば魔法が使えるとはいえ、その裏には高度な理論が隠されているんですね」


 アリシアとエイミーは今日一日の授業を振り返って、初級魔法とはいえその魔法式の難しさを痛感していた。アルファベッドと数字が羅列された綴りの中に科学知識や物理法則などが所々に盛り込まれており、素人が見ると全く意味が理解できない。特にこの世界では自然科学の解明が殆ど行われていないために、魔法式に用いられる原理そのものが謎に満ちた存在だった。


「この魔法式を作り出した人は天才なの!」


「そうですね、初級とはいえ、この魔法式の中に魔法の原理の全てが詰め込まれていると、先生は話していました。この教本が作られたのは、今から600年前のことで、先生方でも完璧にはわからない部分があるそうですからね」


「それを生徒に覚えさせようという方が間違いなの! 頭がこんがらがるの!」


 2人が授業についておしゃべりをしている丁度その時、トシヤとカシムがグッタリした様子でEクラスに戻ってきた。丸一日物置、いや、小さな教室に缶詰にされてトシヤはひたすら字の練習、カシムは足し算と掛け算に明け暮れていたのだった。


 それにしても底辺のEクラスとさらにその下のFクラスでは授業内容があまりに違い過ぎるだろう! 果たしてこれで本当に大丈夫なのだろうかと今更ながらに心配になってくる。


「トシヤさん、お帰りなさい! 今日の勉強はどうでしたか?」


「カシムが帰ってきたの! いつものようにセミの抜け殻みたいな顔をしているの! バカだから頭を使い過ぎると口から魂が抜けていくの!」


 エイミーはトシヤにアリシアはカシムにそれぞれ労いの言葉を掛ける。アリシアはカシムに対して傍若無人な単語をストレートにぶつけているが、これはいつものことなので誰も気にしなかった。Eクラスに戻るなり、何も語らずに机に突っ伏したトシヤがようやく顔を上げる。


「ダメだ! 5分だけ頭を休めさせてくれ! 何でこの国の文字の綴りはあんなに変則的な約束事がいっぱいあるんだ!」


 トシヤは机の上で頭を抱えている。漢字を覚えるのに手間が掛かる日本語だが、一度マスターすれば単語の順番や主語や述語の関係などには細かい規則がない。対してこの国の文字は英語やフランス語のように主語に対する述語が決まっており、それが言葉のニュアンスによって変化する。それらを文字にするに当たっては、やれ男性形だの女性形だの、過去形、現在形、未来系、更に古くからある『古語』と技術の発展とともに生み出された『新語』では綴り方の法則が変わってくるなど、約束事がてんこ盛りなのだ。


「大体だな、何で発音しないのに文字にする時には表記しないといけない変な字が存在するんだ? あれが無ければもっと楽に覚えられるのに!」


 トシヤの主張はもっともかもしれない。フランス語の『A』『H』『S』などは前後の文字との関係で全く発音されない場合がある。この世界の文字も同様に表記はしても発音しない文字が存在するのだが、それは全くのランダムに現れるので完全に法則から外れていた。したがって覚える時には文字の綴りを丸暗記するしかないのだった。


「確かに字を覚えるのは結構難しいですね。私はあんまり学校に通えなかったけど、近所のお姉さんが親切に色々教えてくれたおかげで何とか読み書きができます。でももっと小さい頃の方が字を覚えるのは早かったような気がします。今から字を覚えるトシヤさんは大変ですよね」


「そうなの! 字は結構難しいの! きっと庶民に字を覚えさせないために貴族や王様がわざと難しくしたに決まっているの!」


 アリシアは過去の支配者層の陰謀説を唱えているが、これは言い掛かりに過ぎなかった。この世界は過去に様々な民族が覇を競っては興亡を繰り返して歴史がある。その過程で民族同士の文化や文字が融合しあって出来上がっているので、様々な法則や文法が上書きされた結果として複雑怪奇で摩訶不思議な現在の文字として成り立っているのだった。


「トシヤさんは時間を掛けて覚えていくしかないですよ! それよりも今日の放課後は快気祝いです! これから街に繰り出しましょう!」


「そうなの! 授業で頭がいっぱいで大事なことを忘れるところだったの! 今から出発するの!」


「ああ、そうだったな。それじゃあ行こうか! おい、そこに突っ伏しているバカも特別に招待してやるぞ!」


 ようやく3人が朝に約束した快気祝いを思い出して校外に出る準備を始める。トシヤが声を掛けたカシムは突っ伏したままで左手を振っていた。どうやら参加しないという意思を示している。彼は丸一日物置・・・・・・ では無くて小さな部屋に缶詰にされた鬱憤を晴らすために、日課のランニングを行うつもりだった。頭を酷使して疲労しているが、体のエネルギーは全く発散されていないので、そのバランスをとるつもりのようだ。


「それじゃあカシムは置いていくの! 今から出発するの!」


 3人は連れ立って校門をくぐって帝都の街中に出て行った。真ん中にトシヤ、その右にアリシア、左にエイミーという形で3人は並んで歩く。門の外には貴族の子弟を迎えに来た馬車がズラリと並んでいる。


 3人はその風景を横目にしながら、通りを進んでいく。彼らの他にも学院に通う商家や一般市民の生徒は徒歩で登下校しているので、数人の家路につく姿が見受けられる。もっとも彼らは少数派で、大半の生徒はまだ校内に残って個人やグループで演習場を借りて魔法の練習をしているのだった。


「どこのお店がいいでしょうか?」


「美味しい所だったらどこでもいいの! 私はあんまり街のことを知らないからトシヤとエイミーに決めてほしいの!」


「そうだな、エイミーと一緒に行ったことがある店でいいかな?」


「それじゃああのステンドグラスがきれいなお店にしましょうか! デザートも充実していますし!」


 エイミーの意見で本日の快気祝いの会場が決定した。その店は学院から徒歩で15分程の所にある若者向けのカジュアルな雰囲気の店だ。建物の正面の高い所にあかり取りの窓が2つ設けられて、そこに美しい原色のモザイクで飾られたステンドグラスが目印になっている。


「いらっしゃいませ、空いている席にどうぞ」


 明るい声のウエートレスが出迎えて、3人は奥にあるテーブルに着いた。


「きれいなお店なの! 獣人の森にはこんなにガラスをいっぱい使ったお店は無いの! さすがは帝都なの!」


 アリシアはおしゃれな雰囲気の明るい建物に感動している。店内の客層は若いカップルが多く、口コミで結構有名になっている様子だった。トシヤたち3人が制服のままやって来てもそれ程の違和感が無い。


「どうしましょうか? まだそんなにお腹が空いてくる時間ではありませんよね」


「エイミーはお昼ご飯を普通に一人前食べたの! 私は快気祝いに備えて半分にしたから大丈夫なの!」


「そうだな、もう少し夕方になれば自然に腹も減ってくるだろうから、飲み物と軽い物を頼んでおこうか?」


「そうしましょう!」


「それでいいの! トシヤにお任せなの!」


 注文の話がまとまってトシヤが若いウエートレスを呼んでオーダーを開始する。ウエートレスはピンクのエプロン姿で愛嬌を振りまくこの店の看板娘のようだ。


「それじゃあ、このお任せサラダとから揚げとポテトの盛り合わせに飲み物をお願いします」


「はい、かしこまりました。少々お待ちください」


 注文を聞いたウエートレスは下がっていく。その後姿に何故かエイミーは視線を送っている。


「エイミー、どうしたんだ?」


 トシヤに尋ねられてエイミーはハッとしたような表情をしている。ウエートレスを眺めながら何やら考え事をしていたようだ。


「いえ、借金生活から抜け出すために、私もああいうウエートレスなんかやってみようかなと、考えていたんです」


「エイミーには無理なの! 一番向かないお仕事なの!」


 だがその考えは即座にアリシアによって門前払いを食らった。アリシアのその様子からすると『全く考慮するに当たらない!』という結論らしい。


「えー! そんなこと無いですよ! 私にもきっとできるはずです!」


「エイミーのその自信はどこからやって来るのかとっても不思議なの! もっとテキパキ動いてよく気がつく人じゃないと無理なの!」


 アリシアの指摘にやや自信を失いかけるエイミーだった。


「おまたせしました。から揚げとポテトの盛り合わせににお任せサラダです。お好みのドレッシングを掛けてお召し上がりください」


 丁度そこにウエートレスが、から揚げと大きめのボールに入ったサラダを持ってやって来る。彼女はトレーに乗せて一緒に運んできた3種類のドレッシングのビンをテーブルに置いた。


「あっ、すいませんが取り皿もお願いします」


 エイミーが気がついてウエートレスに取り皿を頼んでいる。サラダのボールには取り分け用の木製の大き目のフォークとスプーンが添えられているのに、うっかり忘れてきたらしい。


「はいわかりました、少々お待ちください」


 そう言い残してテーブルから離れたウエートレスは、いくら待ってもやって来なかった。


「もう待てないの! このまま食べるの!」


 アリシアはサラダボールに自分のフォークを突き刺してサラダを食べ始めている。獣人は食べ物を分かち合うのが親愛の証なので、決してこれはお行儀が悪いことではない。トシヤとエイミーも忙しそうにしているウエートレスに声を掛け辛くて皿の料理に自分のフォークを刺して食べ始めた。


「飲み物がなくなったな。注文しようか?」


 アリシアがグラスのジュースを全部飲み干したのを見てトシヤが尋ねる。


「このジュースは美味しいの! もう一杯ほしいの!」


 トシヤが飲み物を頼もうとして右手を上げ掛けた時に、丁度いいタイミングでウエートレスがやって来る。だが何かがおかしい、これから追加の注文をしようというのに彼女はトレーに大きな皿を載せてやって来ている。


「お待たせしました、とり皿です」


 彼女がデンとテーブルに置いたのは、丸々とした鳥を1羽ローストした絶対に3人では食べきれない一品だった。


「エイミーにもウエートレスのお仕事できるかもしれないの!」


 その皿を見つめてアリシアがつぶやく。それ以来この店は3人の間で『うっかりウエートレスの店』と呼ばれるようになった。

 



今回のうっかりウエートレスのお話は知人が実際に遭遇した実話を元に作成しました。その知人によると、本当にこのような出来事を目の前にすると何の反応もできなくなるそうです。世の中は物語以上に不思議に満ち溢れていますね。



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