10 模擬戦 1
「入学して2日目に模擬戦を行いたいだと・・・・・・!」
事務室に昼休みの終わり間際に提出された書類を目にした1-Aのネルゾフ先生と1-Eのラファエル先生は目を丸くしている。新入生が模擬戦を実施するのは慣例ならば入学後2ヶ月を経て、コース別の授業が開始されてからというのが当たり前となっていたからだ。これはあくまでも慣例であって規則ではないので認めるかどうかは、学院長の判断一つだった。
教員2人は揃って学院長室を訪れて『新入生が模擬戦の希望を提出した』という事情を説明する。
「ふむふむ、今年の生徒は中々活きが良いようだね。それで、生徒の名前は?」
「1-Aのペドロと1-Eのトシヤです」
「わかった、許可しよう!」
担任の教員は学院長の思い切った許可に驚きの表情を浮かべているが、それは無理もなかった。まだ入学して2日目で、学院としては満足な戦闘に関する実技演習をしないままに、いきなり模擬戦を行うのは危険が大き過ぎるからだ。
だが学院長の頭にはトシヤのご先祖様である『獣人の王、さくら様』から残されたあの言葉が鮮明に残っていた。
『トシヤにはいっぱい試練を与えろ!』
その言葉に従って男子寮の『開かずの間』を彼の私室に割り当てたのも学院長の判断だった。そして今回の模擬戦に関しても当然その意向に沿って実施が認められる運びとなった。
そんなこととは知らずに現在トシヤたちはグラウンドに出て身体能力の強化を図っている最中だった。具体的に言えばランニングをしている。『1周500メートルのトラックを6周しろ』という体育教官の指示で思い思いのペースで各自が走っている最中だった。アリシアは小さな体ながらさすが獣人だけあって女子ではトップの快走振りに対して、運動全般が苦手なエイミーはヒーヒー言いながらビリを独走している。
そして、他の生徒とは次元の違うペースで、張り合うようにして短距離走並みの速度で走っている二人の姿があった。
「バカの癖に俺の速さに張り合おうとは10年早い! 今から振り切ってやるから覚悟しろ!」
「ハゲの癖に俺様に対抗するな! 素直に負けを認めろ!」
両者とも顔を真っ赤にして全く譲らないデットヒートを演じて、他の生徒が2周し終えない内に規定の6周を走り切ったが、彼らは一向に止まる気配を見せずに更に周回を重ねていく。
結局ビリのエイミーがボロボロの姿でゴールしてもまだ2人は決着が付かずに走り続けていた。すでに20周近く周回を重ねていても全くそのペ-スは衰えない。
「あいつらは化け物だ!」
「体力バカの出現だぞ!」
「あんなペースでもう20周もしているのか!」
他のクラスメートたちは驚愕の目で2人を見ている。学科は全く振るわないこの2人は、こと体を動かす分野では全く疲れを知らないかのようだった。
「エイミーはまだ立ち上がれないの! それにしてもあの2人はいい加減止めないと、永遠に走っていそうなの!」
ペタンと地面に座り込んでゼイゼイと肩で息をしているエイミーは放って置いて、アリシアはいまだに走り続けている二人に大声で呼びかける。
「次は筋トレなの! 走るのは終わりにして次に取り掛かるの!」
どうやらアリシアの声が届いたようで、2人は走り終えてそのまま今度は腕立てを開始する。
「俺の方が上だからな!」
「ハゲいる分だけ軽いから、お前の方が有利だな!」
「何をー! テメーこそ脳みそが無い分だけ軽いじゃないか!」
「何だと! もう一度言ってみやがれ!」
このような不毛な遣り取りを腕立てを続けながら繰り返す2人だった。結局両者とも意地を張り続けて規定の30回を大きく越えて、200回まで続ける羽目になった。
「2人ともバカなの! バカなくせに無駄に体力だけあって、本当に始末に終えないの!」
アリシアの突っ込みにも全く聞く耳を持たない2人は、この後も同様に各種のトレーニングを他の生徒の3倍以上行って、この日の午後の授業は終了を迎える。
「けっ! 決着は次の機会にお預けだな!」
「この次こそはキッチリと差をつけてやるぜ! 覚悟しておけ!」
相変わらずの態度で2人は教室に戻っていくのだった。だが、クラスの誰も気が付いていなかった。この時点であまりの疲労で立ち上がる気力を失って、グラウンドに転がっているエイミーが一人取り残されているという事実を…… 彼女が教室に戻っていないことに気が付いたアリシアとトシヤが回収にやってくるまで、エイミーはそのまま放置されるのだった。
「ひどいです!」
トシヤに抱きかかえられてようやく教室に戻ったエイミーはプンスカしている。すっかり忘れ去られた事実にいたくご立腹の様子だった。水を飲まされてようやくしゃべる気力を取り戻した彼女の第一声がこれだった。
「エイミーは本当に体力が無さ過ぎなの! これではいくら魔法ができてもダメダメなの!」
アリシアの指摘にも屈しないでエイミーはなおもプンスカを続けている。よほど放置されたのを腹に据えかねているご様子だ。
「そうだぞ、俺みたいに元気に走り回れるような体力があってこそ、魔法も生きてくるんだぞ!」
「あんなバカみたいな体力は要りません! 殆ど人間を辞めているレベルじゃないですか! 何で女の子の私がそこまでしないといけないんですか?!」
トシヤは『体力と魔法の両方を充実させれば怖い物無しだ!』とエイミーに伝えたかったのだが、残念ながらその意図は全く彼女には通じなかった。むしろプンスカを促進する効果しか与えていない模様だ。
エイミーの怒りが収まらない状態の教室にラファエル先生がやって来る。仕方無しに彼女は一旦怒りを収めて、先生の方に顔を向けて姿勢を正した。
「今日は連絡を伝えに来たよ。本日の放課後4時から第1演習室でトシヤ君とA組のペドロ君の模擬戦が行われることになった。見学したい生徒は第1演習室に行ってほしい。それからトシヤ君は模擬戦のルールについては理解しているかね?」
教室内は騒然となった。入学して僅か2日目にして模擬戦が行われるというのだ。それもあの問題児がいきなりのご登場ということで話題性も十分だった。その空気の中でトシヤは起立して先生の質問に答える。
「ルールも何も敵をぶっ倒したら勝ちでしょう! 相手の生死を問わずに!」
トシヤの物騒な発言に『一応確認して良かった』とホッと胸を撫で下ろすラファエル先生、他のクラスでは模擬戦の説明が行われていたのだが、トシヤが勉強した物置…… もとい、Fクラスではそれどころではなかったのだった。
「この学院で行われる模擬戦は、魔法もしくは格闘技術で相手を倒すものではあるが、決して殺し合いではないので確固としたルールが存在する。アリシア君、おさらいのため説明してくれたまえ」
「はいなの! 魔法と格闘の実技に関しては相手を死なせたり大怪我の恐れのあるものは禁止なの! 相手にダメージを与えて戦闘不能に追い込んだら勝ちなの!」
アリシアの説明でトシヤにもどうやら話が伝わったらしいようで、彼は大きく頷いている。
「先生、つまり相手を死なせたり、大怪我させないようにぶっ飛ばせばいいんですね!」
「まあそのような理解で間違いではないが、君は何故そこまで『ぶっ飛ばす』に拘るんだね?」
「一番手っ取り早いからです!」
間髪入れずにトシヤが答える。
(この生徒は魔法学院の存在意義を真っ向から否定しているよ)
確かに実戦ではあらゆる方法が正当化されるが、魔法学院に学ぶ者としてはそれに相応しい戦いというものがあるのではなかろうかというラファエル先生の懸念は尽きなかった。トシヤの意見に同調しているのは同じFクラスで学ぶカシムだけという事実も先生の不安をより一層掻き立てる。
「とにかく安全に留意して相手に大きなダメージを残さないようにするんだよ」
「わかりました、軽くぶちのめしておきます!」
まるで禅問答のような果たして正解がどこに存在するのかわからない遣り取りでこの件に関しての話を終えて、ラファエル先生は退出していく。トシヤの元にすかさずアリシアとエイミーがやって来た。
「トシヤはバカなの! 死ぬの! いっそのこと模擬戦で死んでほしいの! 私の死んでほしいリストの堂々2番目の登録者なの! もちろん1番目はカシムに決まっているの!」
「トシヤさん、一体いつの間に模擬戦なんかすることになったんですか?」
トシヤは食堂でのペドロとのいきさつを説明した。その話を聞いてエイミーとアリシアはため息をついている。
「なるほど、食堂で一瞬感じた鋭い殺気はハゲ野郎の物だったわけか」
「誰がハゲだ! この脳みそポンコツ野郎!」
その様子を隣で聞いていたカシムが納得したような表情を浮かべている。反射的に言い返したトシヤのフレーズは敢えてカシムは無視した。さもないとこの遣り取りが永遠にループすることを彼は学習していた。カシム、素晴らしいぞ!
「それにしても模擬戦があるとわかっているのに、あんなに体力を使う必要は無いと思うの!」
アリシアの突っ込みは、午後の授業でトシヤとカシムが張り合うようにして、バカみたいに体を動かしたことを指している。頭が普通に働く人間だったら、ここは体力の温存を図るだろう。
「あのくらいはちょうどいいハンデだ。久しぶりに思い切って体を動かしたから、なんだかスッキリしているぞ!」
あっけらかんとしたその言葉に、アリシアはこれ以上は無駄だと悟った。付ける薬があったらほしいくらいだ。
そのままトシヤは同じクラスの生徒を引き連れて、ゾロゾロと第1演習室に向かって歩いていく。模擬戦が実施されるというのは同学年の他のクラスにも伝えられており、せっかくだから後学のために見学しようという生徒が続々と詰め掛ける状況になった。
見学席には1年生の大半が押し寄せている大盛況だった。噂を聞きつけた上級生の姿もちらほらと見掛けられて、かなり注目を集める試合の様相を呈している。
その原因は男子寮を恐怖に陥れた『黒の悪霊遣い』と名門ローレンス家の期待を一身に背負った嫡男の対戦という中々の好カードだったことが原因だ。その他にも噂のネクロマンサーの実力を知りたいという怖い物見たさや、ペドロたちが貴族仲間に『トシヤを公開処刑する』と触れて回ったことなども上げられる。
そんな熱気で溢れる見学席で、トシヤと対戦者の登場を待っているエイミーたちは、入場してきた選手の様子を見て思わず息を呑んだ。
「まさかとか思っていましてけど、私はトシヤさんを見くびっていました!」
「やっぱりトシヤはカシムと同類なの! むしろカシムよりもたちが悪いバカなの!」
「いくらなんでもあれだけの人数を一度に相手にするつもりなのか?」
演習場に入場してきたのはたった一人のトシヤに対して、ペドロが率いるのはAクラスの生徒を中心に上級生も混じった総勢20人の魔法使いの戦闘スタイルに身を包んだ生徒たちだった。