1―7
1―7
「先輩、警視庁の方が来られてるみたいですよ。応接室に来てほしいそうです」
谷川博が武田恭二にそう声を掛けた。
二人は、武蔵ヶ原署・刑事課・捜査一係の刑事だ。
「なにぃ? 何で警視庁が出張ってくるんだ?」
「知りませんよー。相手に直接聞いてください」
「なんだってんだ……」
恭二は、文句を言いながら、応接室へ向かった。
――コンコン
「どうぞ」
ノックをして応接室へ入った。
「失礼します」
そう言って、恭二は応接室へ入った。
ソファに座っていた二人の男が立ち上がる。
「初めまして、警視庁公安部の徳永と言います」
「同じく飯田です」
二人とも31歳の恭二よりも、少し若そうだ。
身長も181センチメートルの恭二より低い。徳永は、180センチメートル弱で飯田のほうは、相棒の谷川と同じくらいの身長に見えるので、175センチメートル前後だろう。
「武蔵ヶ原署の武田です。どうして、公安が?」
「あなたが、今、追っている事件に興味がありまして……」
恭二は、武蔵ヶ原市で起きている通り魔事件を担当していた。
現在、二件の被害が確認されており、死者も二名だ。
一人目は、早朝にランニングをしていた大学生で、二人目は、仕事帰りに襲われたと思しきOLだった。
「あの通り魔事件に?」
公安警察と言えば、テロ対策や思想犯の監視などが主な任務のはずだ。
――そもそも、公安部なら県警にもあるのに、なぜ警視庁の公安部が出張ってきたんだ?
恭二は、訝しんだ。
「我々が所属するのは、公安第五課です」
恭二は、警視庁の組織に詳しいわけではないが、公安課は第四課までしかないと思っていた。
「五課があるとは知りませんでした」
「ええ、表向きには存在しませんからね」
「どういう意味ですか?」
「我々が対象としているのは、この世ならざる不可思議な事件なのです。例えば、オカルト的な事件などですね」
「確かに今回の事件には、いろいろと腑に落ちない点はありますが……」
「例えば?」
「被害者には、酷い暴行を受けた跡がありましたが、犯人のものと見られる遺留品が全く見られません。二件目の女性は、レイプされた痕跡がありますが、体液等は何も付着していなかったそうです」
公安の二人は、顔を見合わせて頷いた。
「やはり、この事件は興味深いです。我々も是非、捜査に加えてください」
――チッ、面倒臭ぇな……。
恭二は、心の中で悪態を吐いた。
「所轄の方々が我々に好意を抱いていないのは承知しています。しかし、最近、この国では不可思議な事件が増えているのです」
恭二は、ポーカーフェイスが苦手なため、顔に出ていたのだろう。徳永がそう付け加えた。
「不可思議な事件?」
「今回の事件と似たような事案が今年に入ってから他に二件発生しています。過去にも何度かあったようなのですが、ちゃんとした資料が残っていないので……」
「誰かが意図的に資料を隠蔽したとか?」
「いえ、当時に事件を担当した者が報告書を表面的な部分だけ記載して常識的な内容に改竄しているので、単なるコールドケース――未解決事件――かどうか不明というわけです」
「で、何が言いたいんだ?」
いい加減、勿体ぶった調子に腹が立ってきたので、恭二は取り繕っていた丁寧語を捨て去った。
「つまり、このまま捜査を続けても絶対に未解決事件になるということです」
「……本気で言ってるのか?」
恭二は、徳永を睨んだ。
「ええ、常識に囚われていては、今回の事件は解決しませんよ」
「あんたらに頼めば、事件は解決するんだろうな?」
「いいえ、我々にも事件の解決は難しいでしょう」
「なっ……」
恭二は、徳永の言葉に絶句した。
「しかし、情報を集めることで、次に起きる事件を防ぐことができるかもしれませんし、いつか解決する糸口を見つけられるかもしれません」
「つまり、今回の事件を研究対象にしたいってわけか?」
「ええ、そうです」
「あんたらは、刑事じゃなく学者だな……」
「事件の性質上、仕方がないのです」
「それで、今回の事件がその不可思議な事件とやらに決まっているのか?」
「これまでに入ってきている情報から考えると、かなり可能性が高そうです」
「今の話、課長と係長には?」
「はい。先ほどお話しさせていただきました」
「じゃあ、まずはどうすればいい?」
恭二は、徳永にそう質問した――。
◇ ◇ ◇
拓也たちが異界を出ると辺りは真っ暗だった。
異界の中は、どんよりと曇った空が広がっていて薄暗かったが、周囲を見るのにさほど不自由はしなかったのだ。
「おお、真っ暗じゃねーか」
「結構、歩いたからね。僕は疲れたよ……」
「軟弱だな」
「体力馬鹿の君と一緒にしないでくれたまえ」
「女の上杉でも泣き言は言ってないぜ?」
「私もちょっと疲れたわ。榊君はどう?」
「アメノウズメとの合体が解けたからか、体が重く感じます」
「そうじゃろう」
アメノウズメが現れた。
この暗がりでは、彼女の身体は光っているように見える。
「アメノウズメ様、榊君は大丈夫なのですか?」
「何がじゃ?」
「彼は、異界で腕を骨折したようなので……」
「妾が治癒しておいたから問題はない」
「便利な力だな」
「でも、凄く痛かったですよ」
「確かに直接戦うのは大変かもな」
麗香や孝男は、守護者に命令するだけで直接戦ったりはしていない。
「岡田先輩なら、直接戦っても強そうですが……」
「まぁ、それは最後の手段だな。もう、試合に出ることはないから怪我しても大丈夫だが、大学でもバスケは続けたいから、大怪我をするのは勘弁してほしいぜ」
「僕も痛い思いをするのは嫌だな……」
「情けない野郎だな」
「なんだとっ!?」
「はいはい、喧嘩は止めて。それより、明日と明後日のどちらかにも異界へ行きましょう」
「今週は、もういいだろ。あれだけ倒したんだから、よっぽど奥へ行かないと敵は出ないと思うぜ。それに大会が近いんだよ」
「岡田君が出るわけじゃないでしょ」
「オレが居ないとあいつらすぐにサボりやがるんだよ」
「そういえば、岡田先輩は引退して部長じゃなくなったのですか?」
「いや、試合には出ないが、まだバスケ部に在籍してるんだよ」
「そういうのは嫌われるわよ?」
「うるせぇな。バスケ部が強くなるならいいんだよ」
――体育会系の考えは理解できないな……。
拓也には、孝男の考えが理解できなかった。自分だったら、自分が辞めた後の部が強かろうが弱かろうが気にしないだろうと思ったからだ。
「綾瀬君が戦力になることが分かったのも収穫だったわね」
「そうだろう? 僕のリャナンシーは、使える守護者なんだよ」
鏡也が得意げに答えた。
確かに敵一体を魅了して味方に付けることができるリャナンシーの能力は使えると拓也は思った。
敵の戦力を下げて、こちらの戦力を上げることができるからだ。
「何を調子に乗ってやがるんだよ。上杉は、足手纏いが居なくなったと言ってるんだぞ?」
「なっ!?」
「そこまでは言ってないわよ」
「…………」
麗香の言葉に鏡也が唖然とした表情を浮かべた。
「リャナンシーは、どんな相手でも魅了することができるのでしょうか?」
「そこが問題ね。凄く強い敵でも魅了することができたら、かなりの戦力アップになるわ」
「今のところ、中鬼までしか確認してないからな」
孝男は、あの小鬼の大きいバージョンを中鬼と呼ぶ。
「中鬼って、ホブゴブリンじゃないでしょうか?」
「じゃあ、小鬼はゴブリン?」
「何となくゲームに出てくるゴブリンやホブゴブリンに似てると思いました」
「異界に棲むのは、人間がイメージした想像上の者たちだから、可能性としては十分にあり得るわね」
「でも、ここは日本だぜ? 何でゴブリンが居るんだよ?」
「そうね……そこは不思議よね……アメノウズメ様は、何かご存じではありませんか?」
「妾は、坊やの記憶を見ておるから、ゴブリンが何者か知っておるが、そのゲームとやらの影響で多くの人間がイメージを共有したことで、本来の伝承とは違う場所にも発生することは十分に考えられるのぅ……」
「じゃあ、アメノウズメも他に存在するってこと?」
「いや、妾のような無二の存在が複数の場所で発生することはあり得ぬよ」
「人々がアメノウズメ様のお名前で認識しているからでしょうね」
「でも、イメージは人それぞれ違うのでは?」
「それは、ゴブリンも同じでしょ。人々が思い描く、最大公約数的な外見で発生したということではないかしら……」
「ヨーロッパの異界にもゴブリンがいたとしたら、容姿が違うのかな……?」
「おそらく、そうでしょうね……」
「それで、どうするんだい? 明日か明後日にも異界に行くかどうか早く決めてほしいものだね。僕にも予定というものがあるのだよ」
「オメーは、友達も居ないみたいだから、暇だろう?」
「なっ、何を言う! 休日は、学園の女生徒から誘われているので忙しいのだ……」
「鏡也! 浮気しちゃ駄目よ!」
これまで暇そうにしていたリャナンシーがこの話題に食いついた。
「わ、分かっている……心配しなくても断るつもりだよ……」
「ホントかよ……」
「岡田君が駄目みたいだから、今週は止めておきましょう。榊君も剣道部で基本を学んだほうがいいと思うし……」
「会長、本気で言ってるんですか?」
「そうよ? 何か問題でも?」
「一人暮らしなので部活をする余裕なんてありませんよ。それに2年のこんな時期に入部したら剣道部にも迷惑が掛かると思います」
「そりゃそうだ」
孝男が拓也の言い分に同意した。
「でしょう?」
「じゃあ、どうするの?」
「夜に素振りしたり、剣道の本を買ってきて読んだりするというのは?」
「そんなことで強くなれると思う?」
「剣道部に入っても異界の中でその技術を応用することなんて、簡単にはできないと思います」
「それは、そうかもしれないけど……」
「そうだぜ。生兵法は大怪我のもとだぞ?」
「怪我は、妾が治してやるから心配いらぬぞぇ」
「ええっ? もう、あんな痛いのは勘弁してください……」
「坊やが強くなれば良いのじゃ」
「と、言われてもなぁ……」
「榊君、無理しなくてもいいのよ。あなたは、初めての異界であたしを助けてくれた。自信を持って」
「は、はい……」
「剣道部には入らなくていいから、今日の戦いをイメージして毎日素振りをしなさい。いいわね?」
「分かりました」
「じゃあ、帰りましょう」
拓也たちは、暗い夜道を歩いて帰途についた――。
―――――――――――――――――――――――――――――




