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生徒会室は、長机を二つ組み合わせたテーブルの両側に椅子が並べられていて、部屋の奥にはホワイトボードがあった。
ホワイトボードには、学校行事、特に来月行われる学園祭や生徒会役員選挙のスケジュールなどが書き込まれていた。
部屋の中には、四人の女生徒が居る。
一人は、生徒会長の上杉麗香で、もう一人は書記の相田志保だ。
他の二人のうちの一人は拓也と同じ学年の女生徒で副会長だったはずだ。セミロングの髪型で知的な印象の女生徒だった。
そして、最後の一人は、麗香と同じ三年生の佐藤悠子で、ショートカットの髪型にスレンダーな体型をしたボーイッシュな印象の女生徒だ。拓也でも名前を知っていたくらいなので、校内では、かなり有名な三年生の女生徒だった。
「ごめんなさいね。少し待っていてくれるかしら? もう一人、呼んでいるのよ」
上杉麗香が立ち上がってそう言った。
「はい……」
「榊君、そこの席に座って」
志保が座ったまま、そう言った。
「失礼します」
拓也は、入り口の扉を閉めてから、長机の端の席に腰掛けた。
それを確認してから、麗香も座り直した。
生徒会役員たちは、来月の学園祭について話し合っているようだ。
拓也は、やることがないので、スマホを取りだして、読みかけのウェブ小説を読み始めた。
しかし、緊張して話が頭に入ってこない。
拓也は、生徒会室の中で居心地が悪い思いをしながら過ごした――。
◇ ◇ ◇
――ガラッ!
突然、生徒会室の入り口の引き戸が勢いよく開かれた。
拓也が入り口を見るとバスケットボール部の部長である、岡田孝男が生徒会室に入ってきた。
孝男は、武蔵ヶ原高校3年3組の生徒で身長が190センチメートル近くある巨漢だ。背が高いだけではなく、幅や厚みもあるので大男という形容が相応しいだろう。
「上杉、一体何の用だ? こっちは、部活で忙しいんだぞ!?」
「岡田君もそこに掛けて待ってて。それに、部活はもう引退してるでしょ?」
「後輩の指導があるんだよ……」
孝男が文句を言いながら、拓也の正面の席に座った。
その際、ジロリと見られたので、拓也は、慌てて会釈をする。
「じゃあ、あたしは、用があるから……。今日はここまでにしましょう」
「会長?」
志保が怪訝そうに麗香に言った。
「ごめんなさいね」
「い、いえ……」
「麗香、岡田まで呼んで何をするつもりなの?」
悠子が二人の話に割り込んだ。
「ごめんなさい、悠子。プライベートなことだから、話せないのよ……」
「……そう。分かったわ……」
生徒会役員の三人は、席を立って片付けを始めた。
5分ほどで帰り支度を終え、鞄を持って生徒会室から出て行く。
拓也は、志保と目があった。
志保が拓也を凄い形相で睨んだ。
――こわっ……。
何故、志保が拓也に敵意を向けるのか拓也には分からなかった。
三人が生徒会室から去り、入り口の引き戸が閉められる。
「で、上杉。こいつは誰なんだ?」
「2年の榊君よ」
「どうも……」
拓也は、もう一度会釈をした。
「榊君には、修学旅行で何があったのか、本当のことを教えて欲しいの……」
「あー、そういや先週の修学旅行で失踪した奴が居たらしいな」
拓也は、この件について、担任の鈴木絵里子にも説明した内容を二人に話した。
同じ話を何度も繰り返し説明していたので、今回は、一番上手く要約できたと拓也は思った。
「それは……異界ね……」
「異界? 幽世ではなく……?」
「あら、よく知ってるわね。常世や幽世と呼ばれているものも異界のことなのよ」
麗香は、オカルトに詳しいようだ。
「それにしても、どうして四日も寝ていたのかしら?」
「えっと、オレの感覚では、一晩寝たくらいだったのですが……」
「異界の中は、時間の流れが違うなんていう話は聞いたことがないけれど?」
「先輩は、その……異界……? に入ったことがあるのですか?」
「ええ、これまでに三度……」
それを聞いて拓也は驚いた。
「あなたが言ったように異界の入り口には、霧のようなものが立ちこめていたわ」
――実際の霧とは違うのだろうか?
「でも、どうして、あなただけが異界に迷い込んだのかしら?」
「さ、さぁ……?」
「回りくどいな。コイツだけが異界に迷い込んだら、どうだというんだ? 異界に迷い込む人間は、稀に居るだろ?」
「ええ、神隠しと呼ばれている現象やマヨヒガのような隠れ里の伝説、ヨーロッパの伝承にある妖精界やチェンジリングの逸話は、その派生とも言えるわね」
「で? なんだ?」
「ええ、単刀直入に行きましょう」
麗香がそう言った瞬間、麗香の背後に大きな獣が現れた。
「うわーっ!」
拓也は悲鳴を上げた。
「見えるのね?」
麗香の背後には、体長が2メートルくらいありそうな、白いライオンのような猛獣が居る。
見た目は、神社に置いてある狛犬の像が具現化したような感じだ。サイズ的には、一般的な神社に設置してある像よりも二回りくらい大きいが……。
「こいつも見えるか?」
孝男がそう言うと、孝男の背後に巨大な人型の生物が現れた。
「なっ!?」
生徒会室の天井に届きそうなくらいの巨人だ。
おそらく、2.5メートルくらいの背丈があるだろう。
粗末な腰布を身に纏い、木製の棍棒を持っている。
鬼のような顔には、下顎から2本の牙が生えていた。
「お、鬼?」
「オーガだ。鬼みたいなものだがな」
「オウガ、オーグルとも呼ばれている想像上の生物よ」
「先輩の後ろに居るのは、狛犬ですか?」
「ええ、そうよ。よく分かったわね」
「神社に行ったことがあるヤツなら誰でも分かるだろ」
「守護者……」
「やっぱり、あなたにも守護者が居るのね?」
「……はい。アメノウズメ」
巫女装束を着崩した少女が拓也の正面に現れた。
机の上に立った状態だ。
「何じゃ? 坊や?」
「まぁ、これは凄いわね」
「ん?」
アメノウズメが麗香のほうを見る。
「おお、こやつは、坊やがよく妄想しておった……」
「わー、わー、わー!」
拓也は、アメノウズメの発言を慌てて遮った。
「天宇受賣命と言ったら、凄く有名な神様じゃない!」
「おお、オレも聞いたことあるぜ。こんな子供だったとはな……」
「アメノウズメ様は、猿田毘古神の奥様ですが、夫のサルタヒコ様は何処におられるのですか?」
「サルタヒコ? 誰じゃそやつは?」
「……なるほど、神話と彼女の存在は、別物というわけね」
「どういうことですか?」
「アメノウズメ様といえば、天岩戸の話が有名だけど、彼女が古事記や日本書紀に書かれているようなことをしたという事実はないのよ」
「まぁ、神話ですし……」
「ええ、そうね。守護者たちは、人間の集合的無意識から生まれた存在だと、あたしは考えているのだけれど、それぞれが個別の存在で、守護者同士には、神話のような物語上での関連性が存在しないってことだと思うわ」
「それで、この娘は、強いのか?」
「神話に登場する有名な神様で、しかもユニークな存在なのだから、存在強度は凄く高いと思うわ」
「存在強度?」
「守護者たちは、架空の存在なの。だから、その存在が有名なほど力を持っていると、あたしは考えているのよ。それに存在が古くから知られているほうが、これまでに注がれてきた力も強いはず。しかも、彼女は、固有の名前を持っていて、それが多くの人に認知されている」
「でも、戦闘は苦手と言ってましたよ?」
「そうね。力と言ってもいろいろあるから、戦闘に向いているとは限らないわね」
「じゃあ、戦力にならないじゃねーか。アイツみたいに……」
――アイツ?
「あの……。誰かと戦っているのですか?」
麗香たちが物騒な話をしているので、拓也は確認してみた。
「今朝のニュースは見た?」
「どのニュースでしょう?」
「高天町で女性の遺体が発見された事件よ」
「ああ、テレビでやってるのを少し……」
「亡くなられた女性は、おそらく、異界に迷い込んだのよ」
「え!?」
「ここ何週間かオレたちは、高天町に発生した異界の調査をしていた。といっても、調査できるのは、土日のどちらかだけだったが……」
「どうして?」
「あたしと岡田君ともう一人の守護者憑きは、その異界の入り口近くで出会ったの」
「もう一人の守護者憑き?」
「高天学園の奴だよ。あのボンボンは……」
高天学園は、武蔵ヶ原市内にある私立高校だ。学費が高く富裕層の子女が通う学校として知られている。
「先輩たちは、何処で守護者と出会ったのですか?」
「あたしは、春に近所の神社でよ。神社で犬の鳴き声を聞いた気がして、その日の夜、夢の中で出会って、翌日の朝には、こうやって顕現させることができるようになったわ」
「オレは、夏休みにフランスへ旅行に行ったときだな。オーグルの絵を見て、それが気になってホテルで寝ていたら、夢の中にこの怪物が出てきやがった」
「では、強引に取り憑かれたということですか?」
「そうね……あなたは違うの?」
「オレは、異界の中で選択を迫られました」
「流石、女神様ね。狐憑きと呼ばれる現象もおそらく守護者によるものだと思うわ。チェンジリングもそうやって取り憑かれた子供のことを指しているのではないかしら」
「守護者とは呼びたくないですね……」
「それは、人間が勝手に付けた名前ですもの」
「アメノウズメもそう言ってました」
「岡田君は、気をつけたほうがいいかもね」
「何がだ?」
「オーガは、人食いの怪物よ」
「オレが人間を食べたくなるとでも言うのか?」
「守護者に精神が影響されることは、よくあるのよ」
「フン。確かにこいつに憑かれてから、食欲が更に上がった気がするな」
拓也は、話を戻すために質問をする。
「あの……? その異界には、何があるんですか?」
「何が原因で異界に通じる門が発生したのかは、まだ分からないわ」
「敵は、小鬼のような奴等が出る」
「敵……?」
「ああ、襲ってきやがるからな」
「大丈夫よ。異界の中では、守護者は実体化するわ」
――といっても……。
拓也は、不安そうにアメノウズメを見た。
「何じゃ? 坊や? 妾が不安かぇ?」
「まぁ……。そんなのにオレが襲われても助けてくれないでしょ?」
「妾は、戦闘が苦手じゃからのぅ……」
「では、何が得意なのですか?」
麗香がアメノウズメにそう質問した。
「そうじゃなぁ……坊やを強化することはできるじゃろうな」
「それって、オレが怪物と戦うってこと? 無理! 無理! 絶対無理!」
「そのお力は、榊君にしか使えないのですか?」
「ああ。坊やと妾は、融合しておるでな」
「じゃあ、榊君には剣道部に入ってもらいましょうか」
「え……? ちょっと待ってくださいよ……」
「体を鍛えておくのは、悪いことじゃないでしょ?」
「オレは、部活をやっている暇はないんです……」
「ああ、一人暮らしなんだっけ?」
「ええ……まぁ……」
実際には、もっと複雑な事情なのだが、一人暮らしのようなものなので、拓也はそう答えた。
「後で、商店街で木刀を買ってあげるわ」
「本気……ですか……?」
「ええ、勿論」
「それで、今日も行くのか?」
「そうね……彼にも連絡を入れるわ」
「あいつは要らないんじゃないか?」
「戦力にはならないけれど、サポートくらいには使えるでしょ」
そう言って、麗香はスマートフォンを取り出した――。
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