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――眠い……
「キャーッ!! 誰か! 誰か来て! 人がっ! 学生さんが倒れてる!」
――騒がしいなぁ……もう少し眠らせてくれよ……
「…………」
――ピーポー、ピーポー、ピーポー……
「おい、君! どうした!?」
「…………」
「意識がない、すぐ病院に……」
――なんだよ……一体……
「…………」
――ピーポー、ピーポー、ピーポー……
◇ ◇ ◇
「…………!?」
拓也が目を開けると薄暗い部屋の中でベッドに寝かされているようだった。
――何処だ? ここは?
拓也が体を起こそうとすると、左腕が何かに引っかかった。
――なんだこれ?
右手で左腕を探ると管のようなものがテープで固定されている。
――もしかして、点滴?
『目覚めたようじゃな……』
耳に声が聞こえたのではなく、頭の中でそんな声が聞こえた。
そして、目の前に女神を名乗っていた女の子が現れる。
「わあっ!?」
少女は、ベッドの上に立っているが、踏まれている感触がない。
しかも、その少女はこの暗がりでもハッキリと視認することができた。
「君は……」
「アメノウズメじゃ」
そういえば、あの芸能神社に祀られていた神様の名前がアメノウズメだったはずだ。
拓也は、芸能の神様と聞いて、弁天様を彷彿したのだが、違う名前だったので少し驚いたことを思い出す。
そういったことに疎い拓也でもアメノウズメが日本神話に登場する神様ということや、天岩戸の話くらいは聞いたことがあった。
「オレの名前は、榊拓也です」
「知っておるよ」
「え? そうなんですか?」
「うむ。妾は、坊やと同化したのじゃ。坊やのことは何でも知っておる」
「うわぁ……」
拓也は、顔から火が出そうになった。
今、アメノウズメが言ったことは、拓也の記憶を全て見たということだろう。
こんな少女に過去の恥ずかしい記憶を全て知られてしまったわけだ。
「ふふっ、何を恥じておる」
「…………」
「恥ずかしがっておるのは、どの記憶か、妾が当ててやろうか?」
「わー、わー、わー! 止めてください!」
「坊や、誰ぞ人間が来るぞぇ」
「え……?」
――ガラッ
部屋の扉が開かれた。
そして、部屋の明かりが点けられ、周囲が明るくなった。
拓也が予想していた通り、ここはどこかの病院の個室のようだ。
「あっ、やっぱり起きてた。何か話し声が聞こえたけど?」
部屋に入ってきた看護師の女性がそう言った。
「えっと、寝ぼけてたみたいです」
「かなり眠っていたみたいね」
「あの……? もう大丈夫なので、退院してもいいですか? ホテルに戻らないと……」
「ホテル?」
「修学旅行中なんですよ」
「……君が失踪してから、もう四日が経っているそうよ?」
「え……?」
「先生を呼んでくるから、少し待ってて」
そう言って、看護師は部屋を出て行った。
――病院は苦手なんだよな……。
子供の頃の記憶なので、曖昧になっているが、母を亡くした記憶と病院の風景が関連づけられているせいか、拓也は病院が苦手だった。
――病院が好きな人は居ないだろうけど……。
「寂しいのかぇ?」
「わっ!」
至近距離にアメノウズメが現れたので拓也は驚いた。
――確かに寂しいのかもしれない……。だから、アメノウズメを受け入れたのだろうな……。
拓也は、アメノウズメの提案に乗ったときのことを思い出す。
「そういえば、あれから4日も経っているみたいなんですが?」
「それがどうしたのじゃ?」
「あの空間……えっと、幽世でしたっけ? もしかして、時間の流れが遅いのですか?」
「さて……妾にも分からぬよ。じゃが、そのようなことがあるとも思えぬが……?」
――浦島太郎の物語では、竜宮城へ行って帰ってきたら凄く時間が経っていたという話だったからな……。
拓也は、竜宮城が幽世にあったと仮定してみた。
物語とはいえ、根底には事実が隠されている可能性がないわけではない。
天岩戸の話にしても日食がモチーフになっているのかもしれないのだ。
――ガラッ
病室の入り口の引き戸が開かれ、白衣を着た中年男性とその後ろに制服を着た警察官が入ってきた。
更にその後に先ほどの看護師がついていた。
「榊君だったね。気分はどうだい?」
「大丈夫です」
――ぐぅうう……
拓也の腹が鳴った。
「ははっ、食欲もあるようだ」
「野中君、食事を持ってきてあげなさい」
「はい」
看護師が病室から出て行った。
それから、医師は、拓也の左腕に繋がれた点滴を外してくれた。
「右京署の谷川です。少し話を聞かせてもらってもいいかな?」
「ええ……」
――何で警察が……?
拓也は疑問に思った。
「四日前に君が失踪したとうちの署に届出があってね。我々も夜遅くまで車折神社を捜索したのだが、君は見つからなかったのだよ。何処に隠れていたんだい?」
「それが、トイレに寄った帰りに濃い霧で周りが見えなくなってしまって、彷徨っていたら、芸能神社を見つけたので、その境内で寝てました」
――アメノウズメについては言わないほうがいいよな……。
拓也は、アメノウズメの話をしても信じてもらえないと思い、その部分を伏せて警察官に報告した。
「霧ねぇ……? あの日、そんな濃霧が発生したという話は聞いていないが……? 後で、気象庁に問い合わせてみるよ」
「ホントです! 不思議な体験でした。霧が立ちこめてみるみるうちに周りが見えなくなって、霧が少し晴れてきたら、あれだけ居た観光客が誰一人居なくなって……」
「まるで、神隠しのようだな」
「まさか、あれから四日も経っているとは思いませんでした」
「不思議なこともあるもんだ。まぁ、君が無事で良かったよ」
警察官は、医師のほうを向いた。
「彼には外傷などは無かったんですよね?」
「ええ、傷一つない健康体だったよ」
「転んで頭を打ったということは?」
「頭部にも異常は見られないよ」
医師は、そう言った後、おどけたように付け加える。
「精密検査はしていないから、中身までは分からんがね」
何が面白いのか、医師がククッと笑った。
――頭を打って妄想を語っていると思われているのだろうか?
拓也は、少し不快な気分になった。
――ガラッ
看護師が引き戸を開けて入ってきた。
「食事を持ってきました」
「おお、榊君もお待ちかねだろう。早く持ってきてあげなさい」
「はい」
その後、医師と警察官が病室を出て行き、拓也は看護師から渡されたトレイに載った食事を食べた――。
◇ ◇ ◇
食事を摂った後、拓也は手持ち無沙汰だった――。
長く眠っていたせいか、全く眠くないし、据え付けのクローゼットの中に掛けられていた学生服のポケットに入っていたスマホは、電池切れだった。
いつの間にか真新しいパジャマに着替えさせられていたのだ。
拓也は、ジャージを寝間着代わりにしていたので、パジャマを持っていない。
――病院が支給してくれたのだろうか?
もしかすると父親かもしれないという思考が拓也の頭をよぎったが、すぐにそれを打ち消す。
「アメノウズメ?」
「なんじゃ?」
拓也の目の前にアメノウズメが現れた。
拓也は、ホッと息を吐いた。
医師たちが来てからアメノウズメの姿が見えなくなっていたからだ。
「ここに他の人が居ても君は見えないんだよね?」
「その通りじゃ」
拓也は手を伸ばして、アメノウズメに触れてみる。
拓也の右手は、アメノウズメの体に抵抗なく埋まった。
「坊やは、妾に触れたいのかぇ?」
「実体があるかどうか確認しただけですよ。それから坊やは止めてください」
拓也から見るとアメノウズメは、幽霊のように半透明な状態ではなく、幽世で見たのと同じ実体があるかのようだった。
「どうしてじゃ?」
「子供じゃありませんから……」
「ホホホ……妾から見れば、まだまだ子供じゃ……」
アメノウズメは、呼び方を変えるつもりはないようだ。
「むっ、誰ぞ来おったのぅ……」
――ガラッ!
「拓也!」
入り口の引き戸を開けて入ってきたのは、父親の榊和也だった。
「父さん……」
拓也は、久し振りに会った父親は、最後に見たときよりも少し老けたように見えた。
久し振りと言っても、盆には一緒に墓参りをして、その帰りに食事をしているので、精々、一ヶ月程度だったが。精神的な距離感からか、長く会っていないような気分だった。
「心配したぞ。一体どうしたんだ?」
拓也は、警察官に話したのと同じ内容の話を父親の和也にも話した。
「……まさかな……そんなはずは……」
和也が小声で何か呟いた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。体のほうは大丈夫なのか?」
「何ともないよ。退屈だから早く帰りたい」
「そうか、今日はもう遅いから、明日の朝、帰るとしよう」
この時間だと、電車はあるが、病院の事務が業務を終了しているので、退院の手続きが出来ないのだ。
「分かった。今日って何曜日だっけ?」
「水曜日だ。明日は学校を休め。明後日からは、ちゃんと行けよ?」
「分かってる」
その後、拓也は和也にコーヒーを買ってきてもらい、一緒に飲んだ後、和也は病院を後にした。
近くのビジネスホテルに宿泊の予約を取ってあると和也は言っていた。
拓也は、久しぶりに父親と会話を交わしたが、思っていたよりも妙な蟠りは感じなかった。
――アメノウズメのおかげかな……?
翌日、拓也は、父親と一緒に特急電車で武蔵ヶ原市へ帰った――。
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