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始り

 その日は分厚い雲が空を覆い、どんよりとした灰色の日だった。

 厳しかった冬は過ぎようとし、灰色の街ロンドンには強い風がみんなに春の兆しを伝えるために、大忙しに街中を走り回っていた。

 

 そんな強風の中、私はただ宛もなく歩いていた。それはキリストの元へと行くことができなかった幽霊のように、ゆらり、ゆらりと。

 靴はなく、冷たく、古ぼけた石畳を砂や水溜りによって汚れて黒くなった裸足で踏みしめる。もともと冷えていた身体だが、それ以上に石畳のほうが冷たいらしく、足裏からひんやりと、いや冷たさによって鈍い痛みがじんわりと走った。


 ただ薄暗く酷い臭がする路地裏で、グッだりとして過ごすのも随分前に飽きてしまい、今はただどうしたいわけでもなく思いのまま歩く。

 明日へ生きるために必要な食事を取るためのお金は無く、中身は空っぽになった胃を満たしたいとくぅ〜とお腹の虫が鳴る。そういえばまだ一度もご飯を食べていないな。

 できる限り少ない栄養で済むように動くのはあまり良くないことだということはわかっていた。だが、こうして動かなければ時計の針は動かず、そして今日明日とのご飯を得るためのお金をなんとしても稼がなくてはならなかった。

 

 スリをするならば誰が狙えそうだろうか?もしかしたら同情してもらえて食べ物をもらえるかもしれないな。

 そんなことを考えながら、ボサボサになり私の視界を遮る長い髪の中から、栄養不足で目が落ち窪んだ不健康な眼差しで人を観察して歩いていると、赤茶けてボロボロになった煉瓦の壁に一枚だけ、寂しそうに、取って欲しそうこちらを見ている紙がポツリと貼られていた。

 たしかここは張り紙を禁止されている場所のはずだ。それにしてもここの通りはよく人が通るというのに、なんで誰もこの張り紙を剥がさないのだろうか?


 私は不思議に思いながらその紙を手に取り読んで見る。まあ、ストリートチルドレンである私でも文字は読める。

 もしかしたら剥がされないのは、剥がれないからなのではないのだろうかという考えは呆気なく否定された。

 綺麗な筆記体だ。流れるように書かれているのは分かるが、筆記体で読みづらいということは一切ない。高級なインクを使用しているのか深海のような濃厚な青が妖艶に太陽の光を受けて見える。どの文字もはっきり分かるように書かれており、書いた人物がしっかりしていて、几帳面なことが文字からわかった。

 書いてある内容はこうだ。

 


 魔法使いの弟子募集!


 お金を上げることは出来ませんが、住む家、一日三食のご飯、洗いたての服を提供します!

 丁寧な指導なので、しっかり勉強すれば魔法を使うことが出来るようになります!

 学歴不問、性別不問、年齢不問。


 必要なものはこの紙をもって午後3時にここの近くの薬屋”黒猫”まで来て下さい!

  


 魔法使い?馬鹿げている。そんなものは童話や映画でしか聞いたことが無い。というか条件がいろいろ不問であり、住処を提供するっていうところを見ると怪しげな仕事ににしか見えない。

 この科学が発展した世界に、そんな非現実的なものは存在しない。オカルトは存在しない。

 誰かのいたずらなのだろう、こんな紙は捨ててしまおう。と紙をくしゃくしゃに丸める。

 そういえば、確かにここの近くには”黒猫”という名の薬屋があった気がする。

 こんな町中に魔法使いは住んでいるのだろうか?なんて疑問を持ったが、今の私はやることがない。それに暇だ。

 私は暇つぶし程度に、半信半疑で、いや1信9疑で紙をもって”黒猫”に向かった。


 3時までは時間があったから黒猫という古ぼけた薬屋の前に着いたあとは、そこの近くの公園に行き階段の段差に座って待った。

 待つのは得意だ。普段からなにもせずに無気力に過ごしていたからだが、風の囁きに耳を傾けたり、私を見て哀れんだのかくれた食べ物を味わったりして時間を潰した。|高貴さは義務を強制する(ノブレス・オブリージュ)という考えなのだろう、なんて紳士なのだろうか。反吐が出る。私は同情してほしいわけではないのだけれど。


 しかし、今日はなんだかそわそわしていたせいか、一分一秒がいつもよりもとても長く感じる。まるで時間が止まっているかのように。空で止まっている分厚い灰色の雲のように。



 でもどうしようか。私みたいな身寄りのない子供でも弟子にしてくれるのだろうか。なんて、魔法使いに会う前提にしている思考についつい笑っていしまう。私は何を考えているのだろうか、魔法使いなんているはずもないのに。

 それなのに高鳴って今にも張り裂けてしまいそうな胸の鼓動は止まらない。



 そしてビッグベンの鐘が高らかに街に午後3時を告げる。時間だ、行こう。座っていた階段から腰を上げ、冷たい石畳に足を引きずりながら向かった。


 薬屋”黒猫”は小さな薬屋だった。建物は汚れた煉瓦造りの建物で時代を感じさせる。ドアには木製の札が吊られており、「営業中」と書かれていた。中に入ると、隅々まで掃除が行き届いており、張り紙から読み取れた人物像の通りなのだろう。

 両端の壁際の木製の棚には薬草が入った瓶がズラッと並んでいた。ドアを真っすぐ行ったところにはカウンターがあるが、店員は見当たらない。何処にでもありそうな薬屋だ。本当にこんなところに魔法使いはいるのだろうか?やっぱりイタズラなのだろうか?

 

 するとカウンターの奥のドアから男が出てきた。 

「いらっしゃい。お薬がほしいのかな?」と声音はとても優しさ溢れる声だった。

 声からして男性だろう。体格は足が長くスラッとした長身であり、息を呑んでしまうほど美しいプラチナホワイトの癖のある長髪、長い睫毛。血が通っていないのではないのかと思わせる白い肌。服は黒に統一されたスーツを着ているせいかより肌を白く見せる。



 「......これ」と魔法使いの弟子募集という張り紙を見せる。

 すると男の顔にはパァと可憐な花が咲いたように微笑んだ。なんなんだ!?この人は天使なのか!?あまりの美しさに顔が固まる。


 「やっと来てくれたんだ!ささ、奥にどうぞ」と男はいうと慌てて外に行き、営業中と書かれたプレートを裏返し、私を部屋の奥へと呼んだ。

 部屋の奥は薬を調合するために置かれているのだろう大きな机に調合するための道具、端っこに本がぎっしりに詰まった部屋がある。男はもっと奥に私を連れていく。あれ、ここはこんなに奥行きが取れるほど大きな建物だっただろうか。


 「いや〜このまま誰も来てくれないのかと思っていたんだ」

 嬉しそうに男は話しかけてくるが、この男が本当に魔法使いなのだろうか?いろいろな疑問が私の頭に残る。


 「もしかして僕のこと疑っているの?」彼はこちらの顔を覗き込んで私に言った。心を読まれた!?

 しかし男は私の動揺を気づかなかったのか頬を掻きながら言う。

 「まあこんな科学が進歩した世界に魔法使いがいるわけがないと思うのは当然だからね」


 ドアの前に立つ。その隣りにある窓からは、今日のロンドンの天気からでは想像できない、明るく暖かい太陽の光が差し込んでいる。曇りの天気だったのに、なんで太陽がでているのだろうか?


 「でも魔法は存在するんだ。今君に見せてあげよう!」とそのドアを開いた。


 

 信じられなかった。こんなはずがあるわけがない。

 目の前には薄汚れた石畳ではなく青々とした野原が広がり、色とりどりの花が咲き乱れ、あるはずの古ぼけた灰色の街ロンドンの建物なんて一つもなく、空にはどこまでも透き通っている青空が広がっている。

 春風が私を歓迎するかのように、髪を大きく靡かせた。


 「ここはどこ?」

 私は柄にもなく驚いた口調で、興奮しながら男に話しかけた。それも仕方のないことだろう、だってこれがこれまで私が縛られていた退屈な、あまりに計算し尽くされ、あらゆる現象に名前がある世界から解き放たれた瞬間だから。

 

 「この家が本当にあるどころだよ。驚いたかい?」

 あまりの私の驚きように、してやったりといったような顔をしている男。


 「どういうことですか?ここはロンドンではないのですか?」

 「まあまあ落ち着いて。薬屋の部屋はロンドンにあるさ。でも他の部屋はドアに掛けた魔法によって通じているだけで、本体はここの田舎にあるんだ」

 「じゃ、じゃあ、本当にあなたは魔法使いなのですか?」

 「ああ、そうさ!僕は魔法使いさ」

 


 本当に魔法使いはいたんだ!と目をキラキラさせている私に、男は言った。

 「魔法使いの弟子に君はなってくれるかい?」優しく、紳士のように私の手を取る。

 「こんな私でもいいのでしょうか......」それが私の不安だった。こんなゴミを漁っていた少女でも本当にいいのだろうか。しかし私のそんな心配が無駄だったかのように彼は笑顔で言った。

 「ああ、もちろんだとも!」

 

 こうして私は魔法使いの弟子となったのであった。

 


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